1.洗浄魔術
本日、人物紹介とプロローグ、第1話、の合計3つを更新しています。
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俺は頑張った。
とてつもなく頑張った。
何をって、水魔法の魔力訓練及び洗浄魔術の練習だ。
サッカーの足技練習だって、これほど必死になってやったことがないってくらい真剣だった。
なぜならパストラーレから「次回夏休みにコントラルト国へ来るまでの間に、洗浄魔術をマスターしなければ酷い目に合う」と脅されたからだ。
酷い目、というのが何かと言うと。
それは日本時間で五月末、まだコントラルト国で養生生活を続けていて、医師からようやく日本へ帰って良いと言われた日のこと。
** ** **
うきうきしながら日本へ帰る支度をしている時、パストラーレが部屋を訪ねてきた。
「ようやく今日、日本へ帰れるんだね、ソラ。今、下で父から聞いたよ」
「うん、ありがとう、パストさん! さっき医師から帰宅許可をもらいました!」
「嬉しい?」
「そりゃ、もちろん! ……って“父”? パストさんのお父さん?」
引っかかる言葉を聞いて、思わず聞き返したら。
「そう。あれ、気づいてなかったの? ソラのことを診てる医者って、僕の父親だけど」
「ええーっ! セリオ医師って、パストさんのお父さんだったの!? 全然気づかなかった……」
なんと、ほんの小さな頃から俺を診てくれている主治医は、パストラーレの父親だったと。ハーフ第一号の俺は、この国で存在自体を重要視されていて、肉体的にも魔力的にも精神的にも、健康であるかどうかを定期的に調べないとならないと言われ、協力している。俺に問題があれば、もしかしたら後々異世界間結婚を認められなくなってしまうとのこと。そう言われて、俺はできるだけ心身ともに健康でいなければと、自分を律して生きてきた。
そして幼い頃から、コントラルト国に来るたびに診察してくれていたのが“セリオ先生”というお医者さんだった。いつもニコニコしていて、優しそうで、俺の話をひとつひとつ「うん、うん」と言って聞いてくれて……あの人が、第一家の当主でパストラーレの父親?
「ふふふ、ほら、この人の良さそうな笑顔、似てると思わない?」
そう言って、人畜無害の優しい顔で微笑むパストラーレ。
「い、言われてみれば……ってことは、あんなに優しそうなのに、セリオ先生もただ優しいだけの人じゃないってことか……」
「まぁ、この国を支える第一家の当主だからね。これでまた世間をひとつ勉強したね、ソラ。そんなきみに、ひとつ残念なお知らせをしよう」
「残念なお知らせ?」
「夏に、自然部と一緒に視察へ行くことになってるよね? あれ、洗浄魔術できないと困るから」
「洗浄魔術……どうしてですか?」
「視察先には、お風呂が無いから」
「ええっ!?」
「着ていく服は、破損防止の魔術をかけていくから一切着替えをしないんだよね。万が一、魔術の効果以上の衝撃があって破損しても修復魔術かけるし。って言うか、そんな状態なら怪我が酷いはずだから即帰還するしね。だから持っていくのはタイのみ。風呂に入らず着替えもせず、何日間か分からないけど着の身着のままだから、みんなそれぞれ自分で自分に洗浄魔術かけるんだよねぇ」
驚きの事実。こちらの人は風呂に入らなくても良いのか。
なのに、あのでかい風呂。なんという無駄。そして着替えも要らないのか。たまにしか滞在しない俺の物として用意された服ですら、一度も袖を通したことがないくらい服の量があるにも関わらず、洗浄魔術で着替え要らずとは。
ここでもお貴族様の理不尽な贅沢にため息が出る。
「そ、そうなんですか……」
「ちょっとやって見せよう。テラスに出て。ここだと濡れるから」
「はい」
「ほら、こうして土で手や服を汚したとするでしょう? それを、こうして……」
見ている前で、あっと言う間に汚れが全て無くなった。
「あ、一瞬で全部綺麗になりましたね。マーレが食事の後によくやってるヤツですよね」
「そうだね。あれは“ここを綺麗にする”と決めて、その汚れを見ながら洗浄するけど、視察先で必要なのは“見ないで全身を綺麗にする”ってことなんだよ。一回魔術かけるだけで、頭の先から足の裏まで、耳の裏とか、背中の窪みとか、足の指の股とか、みんな綺麗にしないとならないんだよ」
「うわ……なんか難しそう」
「ちょっと試しにやってみて」
「はい……うあっ」
頭からドバアッと滝のように水が降って来て、辺りに大きな水たまりを作った。部屋の中でやらなくて正解だった。
「うーん、水大爆発って感じだねぇ。これはかなり訓練が必要だ」
「そうですね……」
ぽたぽたと滴る髪をかき上げて、なんとか風魔法で乾燥させる。
「大変なら、何回かに分けてやるのも良いよ。首から上で一回、右腕、左腕、お腹側、背中側、右足、左足、上着、ズボン、下着、という感じにね。最初はそうやって少しずつ分けて慣れていくもんさ」
「……頑張ってみます。でも、できなかったらどうすれば良いんですか? 川に入って洗うとか、着替え何枚か持って行くとか……」
「うーん……着替えを持って行くのは無理じゃないかな。視察に参加したこと無いけど、人が立ち入らない自然の中に行くんだろうから荷物は少ない方が良い。まだ自然部の方から連絡がなくて、出発日時や行程、同行人数、用意する物など、何ひとつ分からないから何とも言えないけど……それに川がある場所へ行かれるかどうかも分からないよ。基本、僕達は自分で水を出せるからね。どこにいても水場を必要としないんだよ」
「うっ……! そ、そうですか……じゃあ、頑張って練習してみます。でも最悪できなかったらパストさん、お願いできますか?」
「え、お願いできるかって、洗浄魔術を僕にやって欲しいの?」
「はい、もし俺がマスターできなかったらってことですけど」
俺の頼みに対して、パストラーレはなんだかとても嫌そうな顔をした。
「うーん……ちょっと手を出してみてくれる?」
「はい?」
「今から僕が、きみの手のひらに洗浄魔術をかけてみるよ。はいっ」
「うわっ、なんかゾクッとした」
手のひらを何かが撫でていったイメージ。なんとなくだけど、微かに産毛だけ撫で上げられたような、そんなぞわぞわした感覚がした。
「そうでしょう。魔術ってさ、イメージが大事で『今からこれをやるぞ!』って想像するんだよね。そして魔力で緻密にイメージを再現する。魔力ってのは自分の手足の延長だから、わずかだけど感覚が自分に伝わるんだよ。つまり」
「つまり?」
「ソラの体を僕が洗浄しようとすると、ソラの体を僕がもの凄くイメージして、あるいは直接見て、その上できみの体の上を僕の魔力がなぞっていく……その感触が、お互いに分かるってことだよ。はぁ、男の体なんて見たくも想像したくもないし、ましてや触りたくなんか無いよね。特に急所の辺りなんて」
パストラーレが俺の下腹部を眺める……とても嫌そうな顔で。
「うわぁ……それは確かにイヤっす……」
「ってことで、僕は頼まれてもやらないから。もしソラが洗浄魔術をマスターできなくて困った時は、自然部の初対面の人にお願いして服を脱いで裸を見せるか、あるいは……そうだな、マーレにお願いするってのも良いかもね……練習なんかしないでさ、もしくはできない振りしてさ、マーレにやってもらうっての、良い案じゃなぁい?」
ニヤリ、と吹き出しで擬音が書かれそうな雰囲気の顔でパストラーレが笑う。
うわぁ、この人、こんな悪魔が人を陥れようとするような顔をするんだなと衝撃を受けた。本当にこの人は見るたびに印象が変わっていく。ぞっとして背筋をピンとさせ、直立姿勢で返事をした。
「な、夏休みまでに頑張って必ず習得します!」
「そう。じゃあ、練習方法を教えよう。始めは手の指一本から。よーく見て、見て、見て、爪の間まで、関節のシワまで見て、それから少量の水を出してかけ、水分を移動させることで洗浄し、瞬時に乾燥させる。できたかどうか分かりづらかったら、まず水を出して洗浄してみて、全部濡れたかどうか確認してから水分を飛ばす、と二段階に分けても良いね。それができるようになったら部位を増やしていく。一度でできる洗浄範囲が広がれば広がるだけ、水魔法全体の上達もするから頑張ってね」
「はい!」
「背中側みたいに自分の目で直接見られない部分は、大きな鏡の前で裸を映してよーく観察してね。自分の体を、頭の中でしっかりイメージできることが大切だから。洗浄し残しがあると、数日経つとそこが痒くなるって話だから、直視したくない部分こそ、頑張って観察して体の作りを覚えておくこと」
「は、はい……頑張ります!」
「それじゃあ、帰るまでの一時間だけ、練習に付き合ってあげる。でも父から魔術訓練のし過ぎはまだ駄目って言われてるから、今日の練習はそれだけね。日本へ帰ってからも、今日は練習なしだよ。魔力の使い過ぎは体力回復の妨げになるから、自分できちんと調整して訓練しないと、夏に視察へ行く体力が戻らないから。様子を見ながらしっかり自己管理してね」
「ううぅ……はい……」
こうして、俺の日本での自宅練習の日々は始まったのだった。
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……という訳で、俺は頑張った。
学校生活と勉強だけでてんてこ舞いなのに、体力づくりも、洗浄魔術訓練も、では一日が二十四時間で全然足りていない。睡眠を削ると体力が戻らないし、下手に文武両道を謳う学校なんて選ぶんじゃなかったと後悔した。家から近かったからっていうのも、受検の大きな理由のひとつだったのだけれど。
そして期末試験の前夜、眠くて、眠くて、ひと眠りしてから夜中に起きて勉強しようかなぁなどと思いながら脱衣所に行き、服を脱ごうとして。
――ああ、風呂なんか入ったら本格的に寝ちゃいそう。水浴びるとか眠気覚ましに効果的かな。
ぼうっとしながら、鏡を見てそう思った瞬間。
頭のてっぺんから爪先まで。
つるり、とした感覚が全身を走った。
――目が覚めた。
恐る恐るもう一度やってみる。
試しに、乾かさないように、濡れたままの状態を保つように意識してみて。
つるり。
全身がびしょびしょに濡れている、着ている服も同様。
次にその水分を蒸発させるようにしてみる。
ふわっ。
「おお!」
急いでティーシャツを脱いで鼻をクンクンしてみたが、汗の匂いは感じられない。思いついて再びシャツを着て駆け出し、冷蔵庫から醤油を取り出して、ティーシャツの腹部分にドバっとかけてみる。夕飯の食器を洗っていた母親が「奏楽、何してるの!?」と叫んだが、お構いなしにそのままもう一度洗浄魔術をかける。
つるり。
綺麗になった。そしてシャツをめくり上げ、匂いをかいで醤油臭くないことを確かめた後、素肌の腹を撫でて、ベタベタしていないことを確認した途端。
「いやっほう! 洗浄魔術、マスターしたぜー!」
「奏楽! 飛び跳ねないで! 嬉しいのは分かったから! 下のおうちにご迷惑! 踊らないでってば、奏楽!」
部屋からリビングに出てきた父親と妹が「やったな、奏楽!」「良かったね、お兄ィ!」と一緒に喜んでくれて「お願いだからドタバタしないで静かに喜んでー!」と三人揃って母親から叱られたのだった。
今日から第三章の始まりです。
お待ちくださっていた方、ありがとうございます。
視察に着ていく服にどんな魔法がかかっていようと、入りたければ入浴すれば良いはずなんでしょうけど、お貴族様はひとりで入浴なんてしないものなのです。側でお世話してくれる人が大量に必要なので、視察先で入浴は難しいからしないだけなのです。
けれどももし洗浄魔術ができなければ、自室で洗面器に水を入れて炎魔法で温めて、濡らしたタオルで体を拭いたって良いはずなのに、ソラはそこに考えが及びませんでした……という裏話。パストは自分で自分の体を拭くなんて想像すらできないでしょうし。
まぁ、洗浄魔術は何かと役に立つので、使えた方が良いことは確かですから、今回学べて良かったのでしょう。
次話から夏休み、コントラルト国へ移動します。
次回更新は8月29日(水)です。




