20.紫と黄色
入店した途端、緊張が走った場にうろたえたチェレスタは、入り口でピシッと固まった。
そして恐る恐る周囲を見回すと、奥の方のテーブルで自分の祖母が泣き崩れているのを見つけ、走り寄った。
「婆ちゃん、どうした! 具合悪いのか!? 大丈夫か、このまま一緒に治療院に行こう! 歩けるかい? 背負った方が良いか……ほら、背中に乗りな、連れてってやるからっ」
ケーナのテーブルの前で後ろ向きにしゃがみ込んで祖母を促すチェレスタに、リラも厨房のコルネットとガタムも、そして他の客達の誰もが、なんと声をかけて良いのか分からず、困った顔をして固まっていた。
店の中で立っているのは、カンジーラとレッジェロだけ。
それに気付いたチェレスタは、ふたりに向かって頭を下げた。
「レッジェロ様、カンジーラ。いつもありがとう。レッジェロ様のおかげで街は安心して歩けるし、カンジーラんとこの宿屋のおかげでうちの酒屋はなんとかなってる。とても感謝してるよ。なんか……うちの婆ちゃんが迷惑かけちゃったかい? 心配してくれたのかな? なんかごめんな。カンジーラ、今度埋め合わせするから許してくれ……さぁ、婆ちゃん、今日はもう帰ろう」
そう言って、席から動かない祖母の手を取るチェレスタに、涙をこぼし続けるケーナはうなずき、ようやっとの様子で立ち上がった。足が悪いのか片足を引きずるようにし、孫息子に支えられてゆっくりと歩く。カンジーラからだんだん離れ、入り口の扉まで行ってチェレスタが扉を開け、ふたりが外に足を踏み出した時。
店の中で一斉に安堵の空気が流れた。
原因となったチェレスタと祖母のケーナがいなければ、カンジーラも大丈夫だろう。
ここには治安部のレッジェロがいる。
これで彼も暴走せずに治療を受けることができるだろう。
誰もがそう思って胸を撫で下ろした時。
「なんだよ……」
カンジーラがつぶやいた。
「オレが悪ィんだよな……そうだよ、分かってんだよ、そんなこたぁ……チェレスタは良いヤツだ……家族を大事にし、まだ成人前なのに、突然親がいなくなってもひとりで店を切り盛りできるだけの能力もある……でもオレは、力ばっかで頭も悪ィし、要領も悪くて、店が傾いてきたって何の役にも立てやしねぇ……従業員にふたりとも辞めてもらうことになった時だって、親父とお袋が苦労してたって、全然役に立てねぇし、店を盛り返すことだってできねぇ役立たずなんだよ、オレは……」
レッジェロはポケットからラルゴの作った大型の試作品ペンダントを取り出して、カンジーラの首からかけようとした。
「カンジーラ、誰もが思うとおりになんて、人生は上手く運ばないもんだよ。時にはつらいこともあるさ」
そう言って笑み、革紐を頭に被せようとした瞬間。
バチッと紐が弾かれて、ペンダントが宙を舞った。
レッジェロの視線が一瞬ペンダントを追い、すぐさま我に返ってポケットからバングルを取り出した。そしてカンジーラの腕に手を伸ばした時。
「こんなダメなオレぁ、誰からも必要とされてねぇ! 親父もお袋もオレに失望してるし、こんなオレだからリラだってオレを愛してくれねぇっ!」
一瞬でカンジーラの身体から黒い気がぶわっと噴き上がった。
その途端、叫びながら我先にと扉から逃げ出す客達。
入り口の扉前で、カンジーラの変調に驚き立ちすくんでいたケーナは、飛び出した客達から突き飛ばされ、転んでしまった。それをチェレスタがなんとか助け起こして逃げようとする。
黒い魔流がカンジーラを取り囲み、噴き上がり、辺りで渦を巻いた。
「リラ! 逃げて!」
マドリガーレが叫んだ。
見るとカウンターの奥の厨房で、ガタムとコルネットが棒を飲んだように立ち尽くしている。
「ガタム、コルネット、あなた達も! 早く!」
そしてマドリガーレは俺の手をギュッと握り、もう片方の手でリラの腕を取って扉に走った。
つられて足がそちらへ向かう。
でも。
「カンジーラ! 正気に戻ってくれよ!」
ガタムに力ずくで引きずられるコルネットが、身を引き絞るように叫んだ。
「暴走なんかしないでくれ! 死ぬな、カンジーラ!」
涙を流してすがるような顔を見せ、必死に腕を伸ばすコルネットに、カンジーラは笑った。
「そっか……オレにゃあお前がいたな。ありがと、コルネット。こんなオレのこと心配してくれて。でも、オレ、もうダメだ。こんなオレなんか……」
そう言って、そばにあった瓶を掴むと、逆さに持ってガシャンと自分の頭を殴った。
「カンジーラ!」
額から血が流れる。
涙をこぼしながら、血が頬を伝って顎まで流れるのも気にせず微笑む。
カウンターの奥でガタムが、息子を逃がそうとして必死にコルネットを裏口の方へ引っ張っている。それに抵抗して柱に手を掛け、懸命に踏ん張っているコルネット。
カンジーラの真っ黒な魔流に巻き込まれ、皿やコップが舞い上がり、ぶつかり、壊れていく。
椅子もなぎ倒され、テーブルがガタガタと動いていく。
「ごめんな、コルネット……」
割れて鋭利な刃物のようになった酒瓶を、もう一度両手で逆手に持ち、喉を突こうとするカンジーラ。
最後に彼が笑った瞬間。
俺の身体の中で、何かが弾けた。
** ** **
店の扉まで逃げて来て、そこで転がるケーナと必死に起き上がらせようするチェレスタがいて、マドリガーレは足を止めた。ケーナは逃げ出す客に突き飛ばされ、慌てた客達に踏まれたようだ。足の向きが明らかにおかしい。真っ青になって脂汗を浮かべながら痛みに呻き、身動きが取れないケーナを、乗り越えて逃げることに躊躇してしまう。
それでもマドリガーレと奏楽が同時に魔力暴走に巻き込まれたら、この街は壊滅してしまうかもしれない……王城も貴族街も、全て。
「ごめんなさい!」
ふたりに謝り、リラに向かってふたりを乗り越えて逃げるよう命令する。
お願いなんてしていられない。
こういう時は命令された方が、庶民は素直に逃げてくれる。
リラが真っ青な顔をして謝罪の言葉を言い、ケーナの身を跨いだ時、マドリガーレは奏楽に向かって「逃げるわよ!」と怒鳴った。
ところが奏楽は、またもや動かない。
前回と同じだ、足に根が生えたようにピクリともしない。
心のなかで舌打ちをし、奏楽の前に回って両手で奏楽の身体を押した。
本来ならば人にかけてはいけない、物質軽量化の魔術を使って奏楽の身体を軽くしたのだが、それでも奏楽は動かない。
「ソラ! お願い、逃げて!」
腰に抱きつくようにして押しつつ、マドリガーレが泣きながら懇願した時、奏楽は両手を前に出してカッと魔術を放った。
強い魔術施行の影響で髪を金色に変化させ、瞳を鮮やかな紫色に変えた奏楽がそこにいる。
足を踏みしめて立ち、両手を前に真っすぐ伸ばし、手のひらを相手に向けての魔術放出。
金色の髪は揺れもせず、ただただギラつくアメジストパープルの瞳が、相手を真っすぐに射抜いていた。
ハッと気付いてマドリガーレがカンジーラへ振り向くと、果たしてそこには動きを止めた男がいた。
もう一度奏楽を振りあおぎ、魔力を見ようと目をこらすと、彼の周囲には紫色の魔力が取り巻いていた。
奏楽が一体何の魔術を使っているのか分からない。
おかしい。
何かがおかしい。
カンジーラが持つ酒瓶が、結界の中に、手首から先ごと閉じ込められているのか?
けれどもそれだけで男自体の動きが止まるはずがない。
ましてや……。
そう思ったところで気がついた。
カンジーラの逆巻く黒い魔流まで止まっている。
目を見張った瞬間、レッジェロがカンジーラの腕にバングルを嵌めた。
先ほどまで彼に嵌めようと持っていた一般用のバングルではなく、貴族用のバングルだ。
太くて、補助の魔法陣が数多く彫られていて、魔石も大きい、効果も大きいけれど高価なバングル。
それをレッジェロは彼の腕に留めたのだ。
バングルに埋め込まれた魔石が輝きを放ち、見る見るうちに黒い魔流が吸い込まれていく。やがてそれが全部消えた時――。
「レッジェロ、お疲れ様」
「パストぉ、遅いよぉ」
「悪かった。今日が星の曜日なのを忘れていた。総務部の人があらかた帰っちゃって、フロアーに全然人がいなくてデータ収集に手間取った」
「あ、そっか……忘れてた」
パストラーレとレッジェロのやり取りをマドリガーレが呆然と見守る中、パストラーレが何の躊躇もなしにケーナを跨いで中に入ってくると「ソラ、もう魔術を解いても良いよ」と奏楽の肩を叩いた。
すると奏楽は瞳をギラつかせたままくるりと背を向けると、扉の前でしゃがみ込み「ちょっと退いて」とチェレスタを押し退けた。そしてそのまま両腕をケーナに当てるとカッと手のひらを光らせる。
「ソラ! やめるんだ!」
パストラーレとレッジェロが青い顔をして叫んだが、奏楽は立ち上がると表情を変えずに店の奥へと向かって歩いて行く。
その瞳は、光を浴びた琥珀にも似た、輝く黄色。
「駄目だ、ソラ! これ以上はソラの身体がもたない!」
立ちはだかるレッジェロに「退いて」とひと言短く言うと、必死のパストラーレとレッジェロをどうやってかするりと避けて、倒れ込んだカンジーラの前にしゃがみ込み、今度は彼の身体に両腕を伸ばして手のひらをカッと光らせた。
そして一瞬で髪が黒に戻り、振り返った奏楽の表情は。
ようやく、いつものちょっとだけ頼りない少年の顔となっていた。
「……もう大丈夫? 全部終わった?」
マドリガーレがうなずくと、奏楽はへにゃりと笑って。
そのまま意識を失った。
カンジーラ、魔力暴走せずにすみました。
意識を失ってしまったソラはどうなったのか……次話は今回のお話の決着です。
8月3日に第2章は終了となります。
次回更新は8月1日(水)です。
最近、徐々にポイントが上がってきています。評価くださった方、ブックマークしてくださる方、本当にありがとうございます。自分が好きだなと思ったことを書いて、それを読んでくださる方がいらして、更に気に入ってくださる方がいらっしゃるということに、とてつもない嬉しさを感じます。この喜びを今後の推敲作業にぶつけ、より良い文章に仕上げていきたいと思っています。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。




