19.カンジーラ
転移装置を降りると、そこはいつもの問屋街。
時刻はそろそろ夕方遅くなり始めている。西の空が赤く染まり、辺りがだんだん暗くなって、閉じた店が並ぶ人気がない閑散とした道は、なんとなく寂しいというか不気味というか……春だと言うのになんだか少しだけ寒さを感じてしまった。
思わず手をキュッと握る。
強く握り返されて振り返ると、そこにはほんの少し緊張したような笑顔を向けてくるマドリガーレがいた。
大丈夫。
隣にマドリガーレがいれば大丈夫だ。
そう思って、レッジェロの後に続いて歩き出した。
** ** **
『眠る穴熊屋』の前まで来た。中から女将の「ようこそ、お待ちしてましたよ。ささ、こちらへどうぞ」という客を案内する声が聞こえてきた。
入り口から入らず、裏に回る。そして勝手口を、それこそ勝手に開けて「邪魔するよー」と声をかけたレッジェロは、返事も無いのにどんどん中へ入っていった。そこは物置と言うか、色々な物が置いてある。仕入れ品や、道具、そういった雑多物の間を縫って厨房まで来ると「勝手に上がらせてもらってるよ」と、調理をしていた大将に声をかけた。
「あ、レッジェロ様、また来たんですかい。何かまたカンジーラが……?」
「いや、ま、そうなんだけど、先に女将を呼んできてくれないか。忙しいとこ悪いけど、ふたりに話がある」
客に出す料理を作らねばならないこの時間帯は、とても忙しくて手を離せないだろうが、お貴族様の言葉に逆らえるわけもないのか、あっさりと了承して大将は表へ女将を呼びに行った。そして間もなくふたりが調理場まで早足で来る。
「突然だけど、カンジーラに魔力の変調を感じているため、治安部預かりとなることが決定した。治療院にて入院になるか、それとも通いで治療をすれば良いのかは今後判断していくから、ふたりにも承知しておいて欲しい」
カンジーラの両親はサッと顔を青ざめた。でも質問も何もさせないうちから、レッジェロは次々に言葉を繋いでいく。
「大丈夫。魔力暴走まではまだまだ余裕があるから、命に関わりあるほどじゃあない。治療すれば必ず良くなるから。そして以前のようにきっと、明るくて働き者の良い若者に戻るさ。心配要らないよ。そして」
ほんの少しだけホッとした顔を見せたふたりに、まだ言葉を続けていく。
「息子さんの魔力変調にあたって、おふたりにも少しだけ魔力の揺らぎが見えるんだなぁ。これは治療するほどでもないけれど、仕事の疲れも加わってるからかな。万が一悪くなっていったら困るから、これを渡しておくね。ほら、首から下げて。服の中に入れておくと外から見えないし、ぶつけて痛めることもないと思う」
そう言ってふたりの首に、試作品のペンダントの小さいふたつをかけた。ペンダントトップを手に取り、不思議そうに見つめるふたり。
「あの、レッジェロ様、これは……?」
「治療用バングルの、代わりになる試作品。今日から一か月、これを着けて効果を報告して欲しいんだ」
「治療用バングル!? そんな高価な物、お借りする訳にはいきません! 申し訳ねえが、うちは今カツカツで、余計な出費できるほど余裕がないんです……!」
悲鳴をあげ、慌てて首からペンダントをはずすふたりに、レッジェロは笑顔でそれを留めた。
「待って、大丈夫。試作品って言ったろう? バングルは高価だけど、これはまだ試作品だから無料だし、実は効果を試すための実験体が欲しいんだ。だからそれに協力して欲しい。見てもらうと分かると思うけど、ひとつが金属製で、もうひとつが木製だ。それを五日ごとにふたりで交換して一か月使用して、入浴時以外は外さず、寝る時も首から下げたまま寝てもらって、毎日あった出来事を書き記してくれ。簡単な日記程度でいいよ。そうして五日ごとに、五日前と比べて気分が上がっているか、変わらないか、下がっているか、体調は良くなったか、変わらないか、悪くなっているか、作業効率は上がったか、変わらないか、下がっているか、の三点について、金属製と木製の効果の違いを軽くで良いから報告書を書いて欲しい。それで報酬も出そう。どうかな?」
無料で貸し出されて、更に報告書を書けば報酬まで出る。
しかも相手はお貴族様。
ふたりは断ることもできず、そのままペンダントを首に下げて丁寧に頭を下げた。
** ** **
「さて、肝心のカンジーラはどこかな。彼にもペンダントをしてもらわないとならないんだけど」
レッジェロがきょろきょろすると、大将は「あれ、奥の物置にいませんでしたか?」と聞いてきた。鍋の取っ手が取れてしまい、奥で修理してくるよう頼んだと言う。勝手口から入って来たけど姿を見なかったと言ったら、女将も「表にも来てませんよ」と不安そうに口にした。
レッジェロが「んじゃ、まーたリラちゃんに会いに行ってるのかな? そっちに顔出して見るよー。んじゃ、ねー」と笑顔でひらひらと手を振って『眠る穴熊屋』を後にした。
そして勝手口の扉を閉めると、早足で『はしゃぐ小栗鼠亭』に向かう。『はしゃぐ小栗鼠亭』の窓から中を覗くと、既にお客はたくさん入っていて賑やかな喧騒の中、リラがくるくると動き回って働いていた。そうして客の顔をひとりひとり確かめていると。
いた。
奥のカウンターに、背中を向けて座っているのがカンジーラだ。
レッジェロは厳しい表情を一瞬で人の良い笑顔に戻し、扉を開ける。
「こんばんはー」
「おや、珍しい! お貴族様がこんな店で夕飯かい?」
「なあに? “こんな店”って聞き捨てならないわよ?」
「うわっ、リラちゃん、ごめーん」
「レッジェロ様ー、たまには一緒に酒でも飲みましょー」
「そうっすよ! 一緒に飲みましょー!」
客から次々と声がかかる。
治安部として日々きちんとした仕事ができているからこその、市民からの信頼なんだと感じられた。
「そっちの可愛らしい坊っちゃんと嬢ちゃんはなんですかい? レッジェロ様の子供にしちゃあデカイし」
「ぼくはまだ独身です! 彼らは今度魔法庁に入庁予定のお貴族様よ。世間知らずだからあちこち案内してあげてるんだ。意地悪すると泣いちゃうから優しくしてあげてね」
客の視線が一気にこちらに向くと、マドリガーレが慌てて、俺と手を繋いでいない方の手でスカートを摘み、戸惑いながらちょこんと淑女の礼をした。俺も無言のまま慌てて頭を下げる。
それを見た客達がドッと沸き、あっと言う間に空いた席に俺達は座らされてしまった。
「まだ成人前?」
「んじゃ、ジュースね」
「リラちゃーん、この子達にジュースふたつー」
「はーい」
「さ、飲んで! お近づきの印!」
「そそ、今日の出会いにカンパーイ!」
やんや、やんやと周囲の盛り上がりに巻き込まれていると、レッジェロは客と談笑しながらカンジーラの方を気にしているのに気付いた。
「どうした、兄ちゃん、飲め!」
「こっちの皿はどうだ? ここの料理はうめーぞ!」
「そうだそうだ! この店、親父の顔はマズイが料理は旨い!」
「ははは、ちげーねー!」
「わはははは」
ふと見ると、隣のテーブルで老婦人がメニューを見ているのにリラが声をかけていた。
「ケーナさん、メニュー、あんまり見えてないでしょ? いつもと違うのは今日のおススメ定食くらいかな」
「まぁ、リラちゃん。年を取ると、めっきり目が弱くなってねぇ。よく見えないのよ……今日のおススメ定食ってなあに?」
「今日はねぇ……」
何やら知らない単語で知らない食材とメニューを教えているようだ。
ケーナと呼ばれた年配の女性は耳も遠いのか、リラの言葉を聞き返したり、忘れてしまったのか最初の方で説明されていた物をもう一度聞き直したりしている。
すると。
「リラ」
「あら、どうしたの、カンジーラ」
「そんなババアにばっかり張り付いてないで、こっちにも来いよ」
「そんな言い方、酷いわ……ケーナさん、ごめんね。あの人、今、気が立ってるみたい」
カンジーラの言葉で、店中の客達に一瞬で緊張が走る。コルネットもカウンターの奥から「カンジーラ、落ち着けよ」と声をかけている。
まさか、このまま暴走したりしないよなという不安が客達の顔に表れ、互いに視線を交わしていた。
レッジェロがゆったりと立ち上がり、カンジーラに向かって声をかけた。
「まぁまぁ。カンジーラ、落ち着いて。全ての客に平等が信条のリラちゃんだって、お年寄りには優しくするでしょう。カンジーラだって、そんな優しいリラちゃんだからこそ気に入ってるんでしょ?」
そう言ってにこにこしながら一歩近づく。
「そりゃあそうさ! リラは誰にだって優しい。でもソイツだけは特別だ! ソイツはチェレスタんとこのババアなんだから!」
ケーナという老婦人は、チェレスタとふたりで暮らしているという祖母だったのか。確か、チェレスタの両親が亡くなって、祖母とふたりで酒屋を切り盛りしてなんとかかんとか生活している、という。
「そこのババアがいるから、リラはいつまでもチェレスタを見捨てられねえんだ! あんなヤツ、弱くって体も細っこくて、男の魅力なんててんでねーんだから! だからアイツなんか俺の相手じゃねーよ! 問題はこのババアだ! このババアがいつもいっつも弱々しくリラに頼るから、リラはババアを見捨てられねーんだ! だからこのババアの孫のチェレスタにも優しくしてやるしかねーんだよ! コイツが全部悪ィんだ!」
「なんて酷い人! そんなこと言うなんて!」
叫んだカンジーラに、カッとなったリラが言い返すと、すかさずレッジェロがリラを止める。するとケーナががっくりと項垂れて、ポツリとこぼした。
「ごめんねぇ……カンジーラに迷惑かけてんだね……うちの孫は優しいから、あたしのために一生懸命働いてくれるんだよ。こんな役立たずの老人、サッサとあの世に逝っちまえば良いって思うんだけど、両親に置いてかれたあの子を独り残すのも忍びなくて……ついついこの世に留まっちまってんだ。でも、こうしてリラちゃんみたいに優しい子の世話になって迷惑かけてんだし、今度からあんまり外に出ないようにするよ。だからカンジーラ、それで許してくんないかい?」
「ケーナさん、そんな寂しいこと言わないで? いつでもお店に来てくれて良いのよ? うちの料理、美味しいって言ってくれるの、すごく嬉しいの。お願い、ケーナさん……」
「リラちゃん、ごめんねぇ……」
ケーナがテーブルに突っ伏して泣き出し、上から覆い被さるようにしてリラが泣く。
周囲の人々は固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
何かあったらすぐにでも逃げ出せるように。
皆、荷物をまとめ、手に握っている。
中には既に背負っている者もいる。
それでも迂闊に動いたりはしない。
誰かの軽率な行動で、逆上して一気に魔力暴走を起こしてしまうかも知れないから。
だから誰も動けない。
少なくとも、今は。
「まぁまぁ、カンジーラ。とりあえず、一度場所を移してぼくと話そうよ。何か困ったことがあるなら相談に乗るし。リラちゃんと話をしたいなら、後でゆっくり時間を取ってあげるよ。ね?」
そう言って、じりじりと少しずつカンジーラの方に歩を進めるレッジェロ。
可能な限りカンジーラを刺激しないように全身に気を配っている様子が感じられた。
すると、その時。
店の扉が開いて「婆ちゃん、遅くなってごめんね?」と笑顔でチェレスタが入ってきた。
最悪のタイミングだ!
この場にいた誰もが、そう思った瞬間だった。
カンジーラの様子がいよいよおかしくなってしまいました。
少なくとも今までは、少し変でもこんなに悪態をつくほどではなかったのに。
周囲が皆、逃げ出す用意をするくらいの変調、レッジェロがなんとか治めようとしているその時、最悪の火種が投下されました。
というところで、また来週、です。
次回更新は7月30日(月)です。
皆様、良い週末をお過ごしください。




