18.『眠る穴熊屋』へ
今日の午後の見学予定が終わってしまったので、まだ早い時間帯だからと、もう一度『はしゃぐ小栗鼠亭』へ足を運んでみることにした。跡取り息子のコルネットから話を少し聞いた後、今日は相手の男、カンジーラの家である宿屋にも顔を出してみようかということになったからだ。
またもやぞろぞろと連れ立って『はしゃぐ小栗鼠亭』に向かうと、今日は看板娘のリラが店の外を掃除していた。
「やあ、リラちゃん。今頃外の掃除かい?」
「あ、レッジェロ様! こんにちは! いえ、ホントは毎朝開店前に掃除と植木の水やりをしちゃうんだけど、今日はちょっと寝坊しちゃったから……えへへ」
そう言って笑いながらちり取りにゴミを入れる彼女の足元には、水の入ったジョウロが用意してある。扉横に並べられた鉢植えや窓の下の花壇に水をやるのだろう。レッジェロが店に入っていくので、後に続いて一緒に足を踏み入れる時に振り返ると、リラは鼻歌を歌いながら花壇の枯れかけた花や葉を毟っていた。
今日は店には誰も客がいない。昨日よりも早めの、三時前に来たからだろう。昼食を終え、夕食までにはまだ時間があるためだ。
「やあ、コルネット。入り口に貼り紙があったね。営業時間、一時間短くすることにしたんだ?」
「レッジェロ様、いらっしゃいませ。連日来てもらえて心強いです。いや、実は親父と話して、この暇な時間帯にリラを独りで家に戻らせるの、やめようってことになったんです。おいらも親父もいない家で、もしなんかあったら……って心配で。んで、リラを店にずっといさせると、今までやってもらってた家事が回らねぇ。だから一時間早く営業終えて、親父は明日の仕込みを夜のうちに少ししといて、おいらとリラで家事をしようって話になったんですよ。リラになんかあってからじゃ遅いって思って……」
「そうか。心配だもんね。でもそういうことなら、店の外で作業する時はコルネットも一緒にいた方が良いんじゃないかな。たとえば、今……店の前の掃除も一緒にやった方が良いかもって思うよ。さっき店に入る前、『眠る穴熊屋』の前にカンジーラが出ていたよ。リラを気にしてチラチラ見ていたから、じっと見てやったら面倒そうに中に入っていったので、こちらも店の中に入ったんだ」
『眠る穴熊屋』、とは、この『はしゃぐ小栗鼠亭』の三軒隣りにある宿屋でカンジーラの実家らしい。父親、母親、息子、そして通いの従業員が二人というくらいの規模だ。
「そうか……分かった。明日からはおいらが外の掃除をします」
「そうだね、それが良いね」
皆で窓の外の様子を窺い、何気にリラの様子を見ていた。
すると突然リラが何かに気づいたように顔を上げ、通りの向こうに大きく手を振った。ここからは見えないけれど、きっとあちらに誰か知り合いでも見つけたのだろう。リラの背中がなんだか楽しそうに見える。
なんとなく場が和んで茶を飲み、しばらくおしゃべりしていると、急にバタンと扉が開いてリラが「レッジェロ様!」と大声を出した。
「レッジェロ様、やっぱりカンジーラ、変です! さっきから通りを歩く人、みんなと挨拶してたら、誰に対しても睨みつけてておかしいなって思ってたんだけど、今、チェレスタに手を振ったら、彼に対していきなり怒鳴りかかって……!」
レッジェロとパストラーレがガタンと席を立った。
「カンジーラは?」
そう大声で聞きながら既に扉から外に出て周囲を見回す。
「チェレスタもいない。ふたりはどこへ?」
「私がカンジーラに詰め寄って怒ったら、彼は『フン!』って宿屋に入っていったわ。チェレスタは困ったように去っていったわ……彼が悪いわけじゃないのに」
「このまま『眠る穴熊屋』へ行こう。パスト、ついて来てくれ。ソラとマドリガーレ嬢はここに残るかい?」
俺はどうして良いか分からず返事ができなかったが、マドリガーレが「一緒に行きます。危ないと思ったらソラを連れて絶対に逃げますから大丈夫です」と答えたので、そのまま一緒に行くことになった。
後ろでコルネットが「レッジェロ様、お願いします!」と叫んでいた。
** ** **
三軒隣の『眠る穴熊屋』にはすぐ到着する。足を踏み入れ中に声をかけたが、すぐには返事が返ってこない。合計五人、少なくとも三人くらいは店の中にいるはずなのに、どうしたことだろうと思って大声で何度も声をかけると、ようやく奥から「はーい!」という女性の声がして「お待たせしちまってすみませんっ」と女将が出てきた。
なんとなく疲れたような雰囲気の女性、彼女がカンジーラの母親だろう。
「まぁ、レッジェロ様。なんか、うちに問題でも?」
何か用か、など聞かずにいきなり「問題があるのか」と質問した彼女に、俺は少しだけ眉をひそめた。彼女こそが「問題がある」と考えているのだろうか。
心配そうに尋ねる女将に、レッジェロは「いや、なに」と笑顔を向けると「カンジーラはいるかい?」と聞いた。
「やっぱり……うちの息子はマズイんですかい? なんとなく最近、あんまり良くない気がしてたんですが……もし違ってたら、って思って相談に行けなくて……」
「そっか。息子さんの様子がおかしいかもって思ってたんだね。でも心配だったらよけいに早めに連絡してくれた方が良いんだよ。早い段階だったら治療も半日程で済むし、勘違いだったらなおさら良いことじゃないか」
「そりゃあ、そうなんですけど……」
「まぁ、良いや。とにかく旦那さんにも一度話を聞きたいよ。どこにいる?」
「あ、はい……多分、今は裏で薪割りでもしてるかと……」
「そっか。じゃ、裏へ回るよ。邪魔したね」
「いいえ、気にかけてもらえて嬉しいです」
頭を下げる女将に手を振って挨拶すると、レッジェロはさっさと宿を出て裏へ歩いていった。いつもより早足である。何か良くないのだろうか。
「やあ、精が出るね」
四十代ほどの男性が薪割りしている所へ声をかけると、一転、のんびりした足で近づいていく。
「あ、レッジェロ様。見回りお疲れ様です。今日は……何か?」
「うん。今、表で女将と話してね……カンジーラのこと」
急に顔色が悪くなった大将は、慌てて「あいつ、しゃべっちまったのか」とつぶやいた。
「内緒にしておこうって、女将に言ったの?」
「え……いやぁ、でも……ひとり息子が病んだなんて、世間体が悪ぃし……」
「うーん、勘違いしてる人が多いから仕方ないんだけどね、悪い魔素を多く取り込んでしまうのは運なんだよ。本人のせいなんかじゃない。かえって病むタイプの人は、元々気が優しい人が多いんだ。何も恥ずかしいことなんかじゃない」
唇を噛みしめてうつむく大将に、レッジェロはため息をついた。
「で、カンジーラは、今どこに?」
「気分転換になるかと思って、買い出しに行かせやした。もうすぐ帰ってくると思うけど……」
その時、後ろから「『眠る穴熊屋』さん」と声がかかった。
振り向くとチェレスタだ。大きな箱を抱えてふんわりと笑みを浮かべている。あれ、全部酒瓶だよな。重くないのかな。
「ご注文の品、お届けに来ました」
「ああ、チェレスタ、こっちに置いてくれ。そうそう、そこで良いや」
「いつもありがとうございます」
「いや、おめぇも両親亡くしてからてーへんだな……これからも互いに頑張ろうや。ほい、代金」
「はい、ありがとうございます、これ、お釣りです」
そうやり取りをしてふたりは支払いを済ませると、釣り銭を渡したチェレスタが、ふと眉をひそめて「おやっさん」と声をかけた。そして大将の手を取ると、両手で上下に挟み込むようにして真剣な目をした。
「おやっさん。いつもうちに声をかけてくれてありがたいです。でも……無理してるんじゃないですか? ずいぶん疲れてるように見えます。もしうちに注文するのが大変なら、うちを切ってくれて構わないです……おやっさんの身体の方が心配だから」
そう言った後、ふわりと彼が微笑むと、大将はきゅうにへにゃっと笑った。
「おめぇのそういう優しいとこ、父親ゆずりだねぇ。あいつもこうして、時折オレの手を取って『疲れてんのか?』って聞いてくれた。そうするといつだって、なんだか心があったかくなって、疲れなんか吹き飛んじまうんだよ……ありがとな、元気出たわ」
「いえ、別に何も」
「ま、正直うちも苦しいけど、おめぇんトコと縁は切りたくねぇやな、少なくともオレの代では」
「……ありがとうございます」
そう言って去っていくチェレスタの後ろ姿を、じっと見つめるレッジェロとパストラーレ。
その後、ふたりで視線を交わして何やらアイコンタクトをしていた。
酒瓶の入った箱をひょいと持ち上げる大将に「重くないのか」と思ったけど、聞いてみたらチェレスタの酒屋では酒を運ぶ木箱に全て物質軽量化の魔術がかかっているらしい。
レッジェロは大将に挨拶してその場を離れ「急ぐぞ、一度魔法庁に戻る」と言って駆け出した。意味が分からず走りながら聞いてみると。
「『眠る穴熊屋』の家族、三人共バングルが必要だ。多分経営が苦しいんだろう。従業員もふたりとも辞めてて、もういないんじゃないかな。従業員がいる店で、店主自ら薪割りなんて普通しないもんだし。カンジーラばかりに気を取られていたけど、家族ぐるみで様子がおかしいなら、相乗効果である日突然、一気に事態が悪化するかも知れないし、両親のちょっとした変調でカンジーラがあっと言う間に魔力暴走を起こしてしまうかも知れない。危険だから三人いっぺんにバングルを着けた方が良い例だ。ぼくは常時、バングルは貴族用ひとつと一般用ひとつしか持ち歩いていないんだよ。取りに帰らないとならないんだ」
そう説明を受けながら転移装置の前にたどり着く。
「でも、経営が苦しいならバングルみっつなんて、到底支払いできないんじゃないですか?」
転移装置に乗り込みながら俺が聞くと、レッジェロは顔をしかめて「貸し出しだから、そこまで高額じゃないけど……今の『眠る穴熊屋』だと、ちょっと大変かなぁ」と腕を組んだ。
するとマドリガーレが「ラルゴの試作品、まだできてないかしら?」と言い出したので、全員で「それだ!」と声を揃えた。転移装置を降りるとそのまま魔法庁の中を走る。北棟の前まで走って来た時、レッジェロがパストラーレに「そっちは頼んで良いかい?」と聞いたので、パストラーレは「分かり次第追いかけるよ」と答えた。何を頼んだのか、頼まれたのか、さっぱりだけど、大人達には何か分かり合えることがあるのだろう。パストラーレは総務部の中に消えて行った。
走るレッジェロの後に付いて、マドリガーレと手を繋ぎながらラルゴの工房まで走る。レッジェロが扉をドンドンと叩くとマドリガーレが「それじゃ聞こえないはずです」と横の窓へ回り、窓から手を少しだけ差し入れてカッと手のひらを光らせた。
そうか、ラルゴは集中すると周囲の音が聞こえなくなるタイプだっけ。
「あ、レッジェロ様、ちょうど良いところへ。試作品、できましたよ」
「おお、話が早い! どれ? いくつある?」
「え……なんか急ぎなんですか? えと、ちょっと待ってください。えー、こっちが金属製で、こっちが木製です。穴を開けたのでここに紐を通せばペンダントとして使えます。効果もちゃんとあるようです。まだ一度だけしか実験できてませんが、多分一般人ならきちんと作用しますよ」
レッジェロが目を輝かせてそれを受け取る。「紐はないか?」と聞くとラルゴが革紐をくれたので、俺とマドリガーレで穴に通して端を結んだ。
「なぁ、もう一個、余計には無いよな……?」
「えーと、試作段階でもうちょっと大きな物なら作りました。でもそっちより少し大きいから、効果も倍以上ある代わりに、値段的にも跳ね上がってしまいます。もちろん貴族用バングルほどじゃないけど……これです」
そう言って、ラルゴは自分の胸元から大ぶりのペンダントを引き出した。直径五センチメートルほどの大きさで、確かに、今紐を通したペンダントの倍くらいの大きさがある。
それを見てレッジェロは喜び叫んだ。
「これ、みっつともぼくに売ってくれ! 言い値で買うよ! 申し訳ないけど上に報告する試作品はもう一回作って! それじゃ、急いでるからこれで! ありがとうーーー!」
そう言ってラルゴの返事も聞かずに飛び出す。
俺もマドリガーレも走り出しながらラルゴに慌ただしく挨拶をすると、必死になってレッジェロの後を追った。
転移装置の前まで来るとレッジェロは立ち止まって息を整える。そして俺達に向かってくるりと振り返るとにっこり笑顔で「ここで注意事項を」と言い出した。
「これからが治安部の本当の勝負だ。今までは下準備に過ぎない。君達には今回ちょうど良い事例だと思って、連れてきて一部始終を見てもらっているけど、少し離れた場所から見学すること。危なくなったら絶対に逃げること」
「はい」
「それから、ここを出発したら、常に微笑みを顔に浮かべていること。心配や恐怖など、マイナスの感情を表情に浮かべないように。相手に不安感を与えてしまうからね。態度も歩き方も、全てゆったり、を常に気をつけて。急に動くなど突然の行動は厳禁。でもぼくが合図したら何を置いても走って逃げる……できるね? お互いに支え合えるように、注意し合えるように、手はそのまま繋いでいた方が良いな」
「はい」
「じゃあ、出発するよ」
そう言ってレッジェロが転移装置に乗り込むのに続いて、俺達も手を繋いだまま足を踏み入れた。
第二章も佳境に入ってきました。
ソラもマーレも、緊張しながら事にあたろうとしていますが、実はこれから何をするのか、どうなっていくのか分かっていません。分からないからこその緊張、というのでしょうか。
皆さんもふたりと一緒に、ドキドキしながらこの先を見守っていただけたら嬉しいです。
次回更新は7月27日(金)です。




