10.婚約者は過去の言葉の続きを言う ~自室にて2~
「……そんな訳だよ。知らなかっただろう、僕がこんなことを考えてきみのそばにいただなんて」
「ええ……本当に驚いたわ……」
長い、長い話を聞き、まるで想像もしていなかったことを次から次へと耳にして、恐らく私は全部を消化できてはいない気がする。
ともかく、全て聞いて、受け止めた。
ああ、ようやく、彼の本当の姿を見た気がする。
すぐに冗談を言う彼。
軽口をたたいてばかりの彼。
うっかり屋さんの彼。
――それらの彼を愛しいと思い、一生そばで生きていくのだと承知はしていたけれど、どこかで違和感を覚えていた。
完全に寄り添い身を預けることができず、ほんのわずかな距離を空け、そこから彼を見ていた。
これが原因か。
彼が、本当の自分を見せてくれていなかったから、なのか。
初めて彼の心に触れた気がする。
これで私も、ようやく彼に心の全てを預けられる気がする。
「そうだね、それは驚いただろう。でも、あの、その……」
気まずげに言いよどむ彼に「今更、まだ言えないことがあるの?」と笑う。
それに対して彼は「そうだね、今更、か」とため息をついた。
そうして、しばしまぶたを閉じ、口をキュッと引き結んだ後、ゆっくりと……様子をうかがうように尋ねてきた。
「それで……幻滅したかい? 穏やかな羊のふりをして、本当は狡猾な獣だった僕を、きみは……嫌いになったかい……?」
視線を外し、所在無げに手をもてあそぶ彼に、私はまたもや口を開けた。
今日、何度目の「何を言っているのだろう、この男は」だろうか。
突然笑い出した私に、彼はギョッとして「アリア!」と呼んだ。
私は懸命に笑いを収めながら彼の方に向き合った。
「ごめんなさいね、パスト。でも、ふふふ……あなた、そんなことを心配していたのね。だから、一生懸命に裏の顔を私に隠していたなんて……うふふ、考えたらおかしくって」
「アリア。僕の……愛称を、まだ呼んでくれるんだね……」
「そうよ。だって私達、婚約者でしょう?」
「ああ、ありがとう、アリィ。愛しい僕のアリィ。僕の狡猾さを知られても受け入れてもらえるなんて思っていなかった。いや、妄想はしたよ、今まできみが色々なことを受け止めて許してきている姿を間近で見てきたからね。でも……期待はしていたけれど、まさか本当にそうなるとは……」
慌てたそぶりで行動に落ち着きがないパストラーレを見て、心が浮き立つのを感じた。
――ああ、私は本当に、この人が愛しい。
「そうね。許したくないわねぇ。私の幼い頃の失敗を、あんなにも散々悪く言ってくれるなんて。どれもこれも小さな女の子の可愛らしい失敗じゃないの」
私がそう言うと、彼は一層慌てて私の両肩をガシッと掴んだ。
「ごめん、ごめんってば! でも、きみのことが好きだと気づいてからは、あれらのことも思い返して、全部、全部、可愛いなって思い直したんだよ! きみのドジも、天然ボケも、抜けてるとこも、鈍感な部分も、みんな愛しい! きみの全てを気に入ってるし、目が離せないし、手を貸してやりたいし、守ってあげたいし、とにかく、この世で一番きみが大切なんだ! 分かってくれよ、お願いだ!」
やっぱりそうだ。
今までは、彼の言葉ひとつひとつに違和感を覚えていた。
でも今日、それが全て取り払われたんだ。
彼の言葉が、素直に私の心に届く。
「そうね。そこまで言うなら許してあげても良いわ。でも、最後にひとつだけ。これだけは許したくないことがあるの。もう六年も前だけど、私、今でも根に持っているのよ?」
「え、な、なんだろう……僕、何かしたかい?」
「まあ! 覚えていないのね。私はあんなに傷ついたのに」
「えっ! 何!? 謝るから許して!」
何も心当たりがないと慌てる彼に、私は人差し指を立てて説明をした。
「いい? あなたは十一歳の幼気な女の子に最低な言葉を発したのよ? 初めて婚約を知らされた夢見る少女の私に『良いんじゃない? 家格も、年回りもちょうど合うし』と言って笑ったんだから!」
「えっ、そ、それは……!」
「五家に生まれたからには自由な恋愛や結婚はできないと分かっていたけど、それでもいつか私だけの王子様が現れて、溺れるような恋愛の果てに、夢のようなプロポーズをされて幸せな結婚式をする、という憧れを持っていたのよ? それなのに『家格も、年回りもちょうど合うし』って、何? 私の夢を全部ぶち壊してくれちゃって、こればかりは謝ってもらっても許してあげないわ」
私がそっぽを向くと、パストラーレは弱りきった顔で私の髪に触れてきた。
「それは悪手だったな……僕としたことが、とんだ作戦ミスだ。父上に知られたらあの時以上に叱り飛ばされること請け合いだな。はぁ……ごめんね、そんな風に受け取られちゃったんだね。実はさ、その言葉、続きがあったんだよね」
「え、続き?」
「そう。『家格も、年回りもちょうど合うし、何よりきみと一緒にいるのは楽しいし』って。ねぇ、全然覚えてない?」
「お、覚えてない……」
聞かされた言葉は全然聞き覚えが無く、記憶をいくら探っても思い当たらない。
「そっか……突然のことで、きっと思考が閉じちゃったんだね。婚約話が急すぎて、周囲の言葉が耳に入ってこなかったんだろう」
「そうなのね……」
「ああ、本当に失敗した……あのね、あの時は僕もまだ十五歳で、大切な女の子への接し方なんてよく分からなかったんだよ。それに、たった十一歳の女の子のことが好きだなんて正直に言うのは気まずくて、つい、何気ない風を装ってしまったんだ。実際は半年近く前から婚約の実現に向けて策を弄していたほど執着していたのに、いざきみを目の前にしたらさ、こっぱずかしくなっちゃって……思わず本音よりも建て前を先に並べ立てちゃったんだよね。でも、最後にちょっとだけ本音を混ぜたつもりだったんだ……女性に対して不慣れな十五歳としては、精一杯男心を込めたつもりだったんだけど……聞いてなかったとは……」
呆れてため息しか出ない。
思い返せばあの時。唇を噛みしめ、視線を落として震える私に、彼は慌てふためいて、なんだかあれこれ言っていたけれど、それも何ひとつ頭に入ってこなかったという覚えがある。
どうしようもないわね、私達。
ふたりとも。
再び笑いがこみ上げてきて、ふふっと思わず声が漏れてしまった。
「過去の僕が最悪だったのは理解したから……お願いだから許して。きみに嫌われたら生きていけないよ……」
「まぁ、大げさね」
「本当のことだよ。十歳できみが掛け替えのない相手だと気づいてから、今まで一度もその判断が間違っていたとは思っていない。ま、その当時きみはまだ六歳だったからね、母上からは呆れられたよ、コン・エスプレッシオーネ家の執着はこんなに幼いうちから発動するのか、とね」
「まぁ、うふふ」
「でも父上には後で叱られたよ。きみが十歳になった年の春になり、中等部へ通い出してから、きみの周囲に男達がうろつくようになったんだ。全員一般学生のようだったけど、第三家であるコン・センティメント家のお姫様に近づくなんて、憧れにしたって許せないよ。だから慌てて婚約できるように動き出したんだけど、その時、父上から鼻で笑われたんだ。『アリアがお前の執着対象だと分かった時点で動かないからこういうことになる。これに懲りて、物事には多角的に、かつ先々まで見通して素早くあたるように』って」
パストラーレの一族の話は、本当に薄ら寒い。
私も将来その一員となるのだ。
もちろん、彼らと同等に知略を練られる気は微塵もしないが。
「でも、良かった。今日はレッジェロさんから青天の霹靂のようなことを聞かされて、どうしようかと思っちゃったけど。それがきっかけで、あなたの本当の姿を知ることができたわ」
災い転じて福となす、ね、と私が笑うと、彼は「まだその問題が残っていたっけ……」とつぶやいた。
「でも我が一族の力を借りれば、きっと何事もなく終わるよ。大丈夫、大丈夫」
大丈夫と繰り返す彼に、少しだけ不安を覚えて聞いてみる。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
彼はこちらを向いて、微妙な顔をして口を尖らした。
「平気……僕がなんとかするから。だから、ちょっとだけ……元気を補充させて?」
そう言って彼は私に両腕を回し、首元に顔を埋めてきた。
「私は何もしなくて良いの?」
「うん。僕がちゃんとやるよ」
そう答える彼に不満が募る。
「でもそんなのは嫌だわ。私も何かしたい。させて欲しい。だって、私達は婚約者でしょう? これから一生共に歩んでいくのでしょう?」
そう言うと、パストラーレは顔を上げてにっこりと笑った。
「そうだね。ふたつ、重要な役目があったよ。きみにしかできない、大切なお役目だ」
そう言って彼は私のやることを教え「頼んだよ、任せたからね」と笑った。
そしてもう一度強く抱きしめられ、髪を優しく撫でられた。
この腕の中が心地良いと、この場所から離れたくないと、こんなにも感じたのは初めてだった。
** ** **
階下に降りると、侍女が慌てて奥の部屋へと向かった。
侍女から知らせを受けた母が居間から顔を出し「ふたりとも、こちらへいらっしゃい」と言う。両親が帰宅していたことを初めて知った。
母の言葉に素直に従い、私達は手を繋いだまま居間の扉をくぐる。
「良かったわ。雨降って地固まるとなったのね」
微笑む母の言葉が少し照れくさい。父も母の隣でホッとしたような顔をしていた。
「お父さまもお母さまも、今日はお帰りが早いのですね……心配をおかけしてしまったのですね。ごめんなさい」
私がそう言うと、隣でパストラーレが九十度に頭を下げた。
「おふたりにはご迷惑をお掛けしましてすみませんでした。僕の我がままで事態がこじれたこと、反省しています」
彼の謝罪に、父は「とにかく座りなさい」と言った。
ふたりで両親の前に腰を下ろすと、父が「それで……娘にはどこまで話したのかな」と聞いてきた。
「はい。全て話しました。今回の件はもちろんのこと、コン・エスプレッシオーネ家の執着の話も、婚約に至るまでの話も」
「そうか。やっとだな。セリオーソ……きみの父君だが、彼と長年付き合ってきて、コン・エスプレッシオーネ家の者達はなんて孤独なんだろうと感じていた。特に男性にこの傾向が強いらしいが、無理もないと思ったよ。国を支える第一位の家に生まれ、その責務の重圧に耐えながらも、裏での暗躍も果たしている。働き過ぎだし、過酷すぎる。どこかで羽を休める場所を探し求めたって不思議はない。そうだろう?」
「はい……」
父の言葉に神妙にうなずく彼。
「きみが一年に一度と言わず、この家を時折訪れるようになって気づいたんだ。常に、きみの目が娘の姿を追っていることに。その時、我が娘がきみの止まり木になるのかと感慨深かった。きみの父親……セリオをできるだけ手助けしてやりたくても、彼には一族という後ろ盾があるからね。わたしは年下だし、兄と違ってそんなには役に立てない。だから彼の息子であるきみの助けになれるなら、力を貸そうと、そう思ったんだ。だが……婚約話を進めた時に、アリィがあれほどショックを受けるとは思わなかった。パストを助けたいばかりに、自分の娘の心を蔑ろにした。すまない、アリア」
苦笑を浮かべて謝罪する父に、私は首を振って微笑んだ。
「いいえ、お父さま。先ほどパストともその話をしました。私は婚約話にショックを受けたのではありません。お父さまのせいでは無いのですよ。そして彼との誤解も解けました。彼のせいでもなかったのです」
「いえ、すべて僕が下手を打ったからでした。父に知られたら、また叱り飛ばされてしまう案件ですよ」
そう言って笑いながら頭を掻くパストラーレに、父はホッと息をついた。
「そうなのか。だがしかし、きみはセリオによく仕込まれている。立派なコン・エスプレッシオーネ家の男だ。安心して良い」
父の言葉に、彼は一瞬目を見開いて頭を下げる。
「ありがとうございます……更に精進したいと思っています」
「いや、それもそうだがね。休息も取らずに飛び続けられる鳥はいない。時折はきちんと羽を休め、そして力を得たらまた飛んでいく、それを忘れずにいて欲しい。ボロボロになるきみの一族の姿を見るのは……忍びない」
苦笑する父の隣で、母が優しく微笑んでいる。
隣り合った側の手を握り合う両親。
力を合わせて生きてきたふたりの軌跡を見た気がした。
「アリア。お前には大変な役目を振ってしまったと思っている。だが今のふたりの様子を見る限り、先行きに不安は無いと感じる。お前は大事な娘だが、ずっと成長を見守ってきたパストラーレも、わたしにとって既に大事な息子なのだ。よろしく頼むよ。大丈夫、お前ならきっと頑張れる。何しろ、わたしの愛しい妻が手塩にかけて育てたのだから」
父の言葉に胸が熱くなる。
パストラーレの方を振り向いて一度視線を交わした後、私はしっかりとうなずいて答える。
「大丈夫です、お父さま。彼と共に歩む決心はついております。弱い部分のある彼を支えたいと思っています。私達は、力を合わせて一緒に歩いていくのです」
そう言うと、隣でパストラーレがくしゃりと顔を歪めた。
笑っているのか、泣いているのか、分からない。
私の顔を見ているのか、それとも瞳を閉じたいと思っているのか、それも分からず、思わず繋いだ手をギュッと握りしめた。
「心配はしていませんよ、アリア、そしてパストラーレ」
母が優しく微笑んだ。
「わたくしは、最初から心配などしていませんでした。パストがアリィをとても大切に思ってくれていることは初めから分かっていたし、アリィもちょこちょことパストの後を付いて回っていました。パストの方からいつも寄って来てくれるので分かりづらかったかも知れませんが、アリィもパストの後を追っていたのですよ。だから婚約の話が出た時にも、わたくしは不安には思いませんでした。きっと上手くいくと信じていたからです」
「そうだったのね……」
思い返せば、幼い頃の私は、パストラーレに飛びついて笑っていた覚えがある。いつも「パスト」「パスト」と言って腕を差し伸べていた。
そうして気づく。
婚約話の時、あれほど悲しかったのは。
私との婚約を、彼が心から望んでいるわけでは無いと思い込んだからだ。
押し付けられた結婚を仕方なく受け入れる彼の姿に、とてつもなくショックを受けたのだ。
自覚すれば、なんとも恥ずかしい。
自分と同じように、彼が私に恋をしていて欲しいと願っていただなんて。
そしてその願いはとっくに叶っていて、いつも私の前に彼の愛は差し出されていたのに、それに気づかなかっただなんて。
「それにね、アリィ、そしてパスト。今回の件で、この人は『真相をアリィに話した方が良い、パストはいつ話すんだ、あいつは何をしているんだ』と毎日うるさかったのだけれど、わたくしはちっとも心配していませんでしたよ。わたくしの娘は賢く、しっかりした観察眼を持つ子です。パストの態度の違和感に首をひねり続けていました。いつかきっとパストの隠している姿に気づくはず。そして本当の意味で信頼し合う婚約者となるだろうと。わたくしは娘を信じていました。そしてそれは正しかったのです」
母の言葉に涙が溢れた。
パストラーレもうつむいて鼻をすすっている。
「おめでとう、ふたりとも」
「ふたりの幸せを祈りますね」
両親の言葉に、頬を伝う雫がこぼれ続けた。
パストとアリィはようやく本当の意味で心がつながった婚約者となりました。
これからは様々な困難にも手を取り合って解決への道を歩んでいくでしょう。
次話からは、この騒動の収束に向けて動き出します。
次回更新は5月25日(金)です。




