8.婚約者は弱気な顔を見せる ~下校後~
本来なら車溜まりに停めておかなければいけない車が、昇降口を出てすぐ目の前に待機していた。コン・エスプレッシオーネ家の自家用車だ。
昇降口から飛び出した途端、運転手が後部座席の扉を開いてくれたので、私は彼からそこに有無を言わさず押し込まれた。続いて彼も私をぎゅうぎゅうと押し込んできて隣に座り、すぐさま「出してくれ」と感情のない声で言った。
私が慌てて振り返ると、ガラス越しに車溜まりで停まっている我が家の車が見えた。車外で起立したままの運転手がこちらを見ている。
「ねぇ、うちの車が……」
慌てて言うと、パストラーレは素っ気なく「大丈夫」と言った。
私が不安になってもう一度「でも」と言おうとした時、彼がひとつ大きな息を吐いた。
「大丈夫だよ、アリィ。彼がこの事を僕に知らせてくれたんだ。あらかじめ頼んでおいたからね。もしもの時はよろしく、と」
いつもの温かい微笑みで私を見つめてくるパストラーレ。
でも、私は疑問を持ってしまったのだ。
レッジェロが教えてくれた。
私の婚約者は、私に隠している姿がある、と。
「それってつまり、私の周りで何かが起きるということを、あなたは知っていたということね。運転手があなたの言うことを聞いて勝手に行動するなどあり得ないから、これは私のお父さまもご存知だということなのね」
押し黙るパストラーレ。
しばらく前を見つめ、そのまま車の揺れに身を任せていたが、私が彼をじっと見つめて動かなかったため、大きくため息をついて「そうだね」とつぶやいた。
「そうだね。きみのお父上にお願いして、こういう事態に備えてもらった」
「それは、レッジェロさんが私の所へ話しにくるって分かっていたということ?」
「そう。彼か、あるいは彼の父君が直接出てくるかも知れない、と危惧していた。彼の父君が現れたらきみのお父上に連絡が行き、レッジェロが接触してきたら僕のところへ連絡がくることになっていた」
「そうなの……」
車の中に沈黙が満ちる。
何から聞こうかとためらっていると、彼の方から投げかけてきてくれた。
「レッジェロから聞いてしまったんだね。彼の婚約騒動のことを」
「ええ、そうね。私が関わってくる問題なのに、あなたもお父さまもお母さまも、誰も教えてくれなかったわ。どうして? 私は意思の無いお人形? 皆が勝手に決めたことに素直に従うだけのマリオネット? その程度にしか存在を認められていないの?」
興奮して目頭が熱くなってきた。
いいえ、決してそんな風に思ってはいない。
父からも母からも、そしてもちろん婚約者からも、大切にしてもらっている自覚はある。
でも感情が高ぶって自分を抑えられない。
こんなに酷い言葉を、彼に投げつけたいなんて望んでいないのに。
「ごめん……ごめんよ、アリィ。そんなつもりじゃなかった。それにきみの父ぎみも母ぎみも、僕の願いを聞いてくれただけだ。僕の身勝手な思いに巻き込んでしまっただけ。だから、ご両親を責めないでくれ……全部、僕の責任だ……」
「そう、なの……色々説明して欲しいわ……全て、そう、全てを……」
謝ってもらったことで少し落ち着いた私は、彼の言い分を聞きたいと思った。
彼の心の内を、本当の言葉を、本来の姿を、知りたいのだ。
私に隠していて擬態した彼ではなく、真実の彼を。
パストラーレは、またもや大きく息を吐く。
膝の間で両手を組み、うなだれたように頭を下げている。
「レッジェロが言っていた通り、元老院の一部で、レッジェロとイントラーダさんとの婚約破棄、更に僕ときみとの婚約取り消し、それによってレッジェロときみが新たに婚約を結ぶ、という主張がされ始めている。それを推し進めようとしている筆頭は第二家レッジェロの祖父、そしてその一族だ。けれども、そんなことはさせない、許さない、と主張する者達もいる……第一家である僕の祖父やその一族だ。故に第一家と第二家という家同士の争いとなり、元老院は現在とても揉めている。第三家のきみの家は、祖父殿が既に亡くなっていらっしゃるので、きみのお父上の叔父ぎみが味方してくださっているらしい。更にきみの母上が第五家ご出身だから、事情を話して味方をしていただいている。残った第四家は、自然部の元長官と副長官、補佐官の他に、議長と副議長をされている方々もいる。魔法庁にいるイントラーダさんのご両親はレッジェロとの婚約を破棄できれば良いというだけの意見のようだが、元老院にいる祖父世代はもっと強硬に僕らの婚約破棄を進めようとしている。家の数の上では三対二で優位だから、今のところ僕ときみとの婚約が取り消されることはないだろうというのが、きみのお父上の見解だ。だがしかし、議長と副議長の意見は無視できない。安心するのは早いだろう」
私は「そう」とひとつうなずいて、先を促す。
「婚約が取り消されないままで済むのなら……それをきみに知らせたくないと望んだのは僕だ。きみのお父上は、きみにも伝えて自ら行動に注意するよう促した方が良いというお考えだったが、僕が反対したのだ。きみの心をわずらわせたくない、自分ひとりの胸にしまっておきたい、と」
「でも、それがおかしいわ。なぜあなたひとりの胸におさめたいと思うの? 私はそんなに頼りにならない? これからの人生を夫婦として力を合わせ共に歩もうとするならば、私も一緒に悩み、解決への道を探らなければならないはずよ。それとも……あなたにとって私は子供過ぎて、悩みを打ち明けるに値しない?」
私が疑問をぶつけると、彼は弾かれたように顔を上げた。
「違う! それは違うよ、アリア! きみのことを大事にしていない訳でもないし、きみを子供だと思っている訳でもない! 死ぬまで共に歩んでいくと誓っているし、頼りにならないと考えている訳でもない。ただ、ただ……僕は……」
そう言って、パストラーレは振絞るように言葉を紡いだ。
「きみに、知られたくなかったんだ……自分が、羊の擬態をしている狡猾な獣だということを……」
** ** **
狡猾な獣、という言葉が、パストラーレと結びつかない。
私の前ではいつだって彼は、冗談が多く、軽口だらけ、その上いつもうっかりしていて、そして時折拗ねてしまう……そんな姿ばかりを見せてきた。それが全て擬態だと言うのか。
そう言えば、先ほどレッジェロも「羊のようなパストラーレ」と言っていた。
彼が望んで、羊のように、私には見せていたということなのか。
それでは、本当の彼はどこにいるの?
私は一度もそれを見たことがないの?
そしてこれが彼だと信じて婚約関係を続けていたの?
「ねぇ……それでは、本当のあなたはどんな姿なの? 私には見せてくれないの? 私達……婚約者、よね?」
私がそう言うと、彼は泣きそうな声で答えた。
「嫌だ、見せたくないよ……嫌われたくないんだ、きみに……知られて、疎まれてしまったらと思うと……僕には耐えられない」
「でもね、パストラーレ。もう既に、私はあなたが擬態していると知ってしまったのよ? 知らなかった今までならばともかく、知ってしまったこれからは『この人は私に隠した姿があるのね』と一生怪しんで、探りながら生きていかないとならないわ。そんなのつらいもの。いっそのこと知ってしまった方がすっきりするわ」
組んでいた両手の指をギュッと握りしめたパストラーレは、より一層うなだれるように頭を垂れた。
「坊ちゃま、お嬢様、間もなくお館に到着します」
沈黙を破る運転手からの声掛けに、私は自宅に戻ってきたことを知ったのだ。
** ** **
車を降りて館の扉をくぐると、妹と弟が揃って心配顔で待っていた。
「良かった、お姉さま」というふたりからの言葉にたいした返事もせず「パストと一緒に自室の居間にいるから」と伝える。
「お父さまとお母さまから、必要ならばいつでも帰宅すると伝言があったわ。何かあったらすぐ言ってね。私、ふたりに連絡するから」
さっさと歩き出す背中に、妹が階下から大声で声掛けをしてきた。それに「ありがとう」と返し、私はパストラーレの手をひいて自室の扉をくぐった。
玄関からついて来た使用人も、部屋で待機していた侍女も、全員自室から追い出す。更に、本来ならば婚約者といえ、男女ふたりきりで締め切った部屋にこもることはご法度なので、廊下との境の扉を少し開けておくものなのだが、今日はしっかりと締め切って、その上鍵までかけてしまった。
廊下から「アリアお嬢様」と何度も声がかかるが、丸っきり無視を通した。
そしてパストラーレを居間のソファの前まで連れて来て腰掛けさせ、私もその隣に座る。
私に手をひかれるがまま、押されれば押されたままソファに腰を下ろした彼は、私の隣で脱力したように肩を落とした。
「アリア……なんだか強気だね……」
力なくつぶやく彼に、私は頑張って高姿勢で答える。
「そうよ。私、今日は怒っているのだもの」
私の言葉に、苦い顔で目線をそらすパストラーレ。
「違うわ、勘違いしないで。あなたが隠している姿が、あなたの言う『狡猾な獣』だということに嫌悪感を抱いている訳では無いの。そうじゃなくて、私が怒っているのは、婚約者だと言って六年も一緒にいながら、私に本当のあなたを見せてくれなかったということなのよ。これではとても、信頼し合える夫婦関係が築けるはずがないわ。それに、私に内緒で物事を進めようとしていたことにも腹を立てているの。私のことが信用できないと言われているみたいだもの」
「そういうつもりじゃ……」
「ええ、そうね。さっき、そう聞いたわ。だからね、今からあなたの本当の姿を見せてもらうわよ。観念してさっさと真実の姿を晒しなさい。それとも、呪いで本来の姿を変えられてしまったの? カエルにされた王子様のように。だとしたら、呪い解除の魔術でも使わないといけないかしら?」
私の言葉にポカンと口を開けたパストラーレは、まるでアホの子のように口を開きっぱなしでいたが、ハッと気づくと途端にクククと笑いだした。
「ああ、アリア。なんてきみは愛しい存在なんだ。そう来るとは思わなかったよ。まったくきみには敵わない」
震えながら笑う彼に「そうよ、だから早く呪われた身体から解き放たれて、本来の姿に戻って」と促す。そんな私に、彼は「そうだね」と小さく笑った。
婚約者は弱気でしたが、アリィがめっちゃ強気でした。(笑)
次話はパストの内面語りです。
良いところなのに週末でごめんなさい。
次回更新は5月21日(月)です。
皆様、良い週末をお過ごしください。




