3.婚約者はふざける ~フレイムタウン帰宅後~
「そう言えば、きみに相談があったんだ」
「まぁ、何かしら」
フレイムタウンからの帰り道。
車の中で思い出したように唐突に彼が切り出した。
「先日、連絡があったんだけど、下の兄上のところに赤ちゃんができたらしい」
「まぁ! 素晴らしいわ! おめでとう!」
パストラーレの家は男ばかり三人兄弟だ。三人とも年子で、年齢がごく近いにもかかわらず、不思議と私はパストラーレばかりと接していて、彼の兄達とはあまり親しくしていない。長男は結婚して、奥さんと生まれたばかりの子供と一緒に実家に残り、次男は結婚して家を出ている。パストラーレに会うためにコン・エスプレッシオーネ家を訪ねると時折顔を合わせる長兄はともかく、次兄は節目の時しか会っていないのでほとんど話したことがない。
「それで、兄上の奥さんに何かお祝いの品をあげたいと思っているんだけど、何が良いのかちっとも分からないんだ。きみが何かアドバイスをくれないかと思って。母に聞くより若い女性の意見の方が良いかと思ったんだ」
「そうね……協力したいけど、子育てに必要な物なんて私には分からないわ。上のお兄さまの奥様にアドバイスはいただけないのかしら?」
「うーん……上の兄上は独占欲が強くて、僕が奥方と話すのを嫌がるんだよね。でも、まぁ、兄上に間に入ってもらって義姉上から間接的にアドバイスをもらえば良いか。そうだね、そうしてみるよ」
私はコン・エスプレッシオーネ家に行った時のことを思い浮かべてみた。そう言われてみれば、何度も訪ねて行っているが長兄の妻を見かけたのは数えるほどしかない。しかも少し距離を開けたまま会釈する程度の交流しかなかったことを思い出した。
あれは長兄の独占欲からくる囲い込みだったのか。
「それにしても……赤ん坊か。きみと初めて会った時のことを思い出すよ」
私は覚えていないけれど、私が生まれた時、生誕の祝いにコン・エスプレッシオーネ家は一家で来てくれたらしい。
「生まれて一ヶ月だと聞いたから、どんなに愛らしくてお人形のようなのかと思って楽しみにしていたのに、ベビーベッドを覗いてみたら中にいた赤ん坊は、顔に赤い湿疹がいっぱいあって、おでこにかさぶたみたいなカサカサしたのがついていて、しかも笑顔ならともかく、ふにゃふにゃ泣いてて不細工で、四歳の僕には衝撃的だったなぁ」
「嫌だわ、パスト。赤ん坊はみんな脂漏性湿疹が出るって知ってるじゃないの」
生後一ヶ月から二歳くらいまでの赤ちゃんは、母親の体内のホルモンに影響されているため、皮脂の分泌が盛んで湿疹が出やすいらしい。
私もそうであったらしく、治るまで数週間かかったと聞く。
「ははは、でも、その後も色々酷かったよ。一歳の誕生日のお祝いの時は、ひとりで歩こうとして何度でも立ち上がるんだけど、その度尻もちをついてばかりで、しまいには顔から突っ込んで転んで大泣きしてたもんな。あの時のアリィの顔といったら」
「はいはい、もう何度も聞かされたわよ。毎年の誕生日に会うたびに、私は泣いてばかりで不細工だったってことをね」
我が家とコン・エスプレッシオーネ家は元々仲が良く、私の誕生日に必ず一家がお祝いに駆けつけて来てくれた。それでも一番年が近いパストラーレでも四つ年が離れているし、あちらは男の子ばかりなので、普段から子供同士で遊んでいたわけではないのだが。私の誕生日と、パストラーレの誕生日という一年に二度、顔を合わせていた。
「そうだね。二歳の誕生日には庭の植え込みの中からカエルが跳び出してきたと言って泣いていたし、三歳の誕生日にはいつの間に登ったのか、階段を五段ほどゴロンゴロンと転がり落ちて大騒ぎだったよね。大人はみんな悲鳴をあげるし、僕ら兄弟は固まって動けなかった。それなのにきみときたら、きょとんとした顔で何事もなかったように首を傾げていてさ。きみの母上が泣きながら駆け寄って慌てて抱き上げた途端、大泣きしたのがまたおかしかったよ」
「そうね……そういうことも、あったと聞くわね……」
「四歳の誕生日には、蝶を追いかけて庭の植え込みに頭から突っ込んで、身動き取れずに泣いていたね。植え込みの中から二本の足だけがバタバタしていて、大笑いしちゃったよ。それから五歳の誕生日では……」
「もういい、もういいわ、パスト! 何度も聞いて、聞き飽きているから!」
私がいたたまれなくて止めてみせても、悔しいことに、彼は楽しそうに話し続けてやめてくれる様子はない。
「五歳の誕生日では魔力測定をして上機嫌で、初めて誕生日に泣かなかったと思ったら、お祝いのご馳走を食べ過ぎて夜にお腹が痛くなり、夜中じゅう泣いていたと後から聞いたっけ。六歳の誕生日には……」
「もう、本当にやめてちょうだい、パスト。お願い」
「え、まだまだあるのに、話したいよ」
「パストラーレ」
「はい」
興に乗って、私の小さい頃の話を面白おかしくしゃべり続けているのに、私に止められて不満そうであった彼は、私が愛称でなくきちんとした名を呼んだことでピシッと固まって動きを止めた。
「ごめん。きみが慌てるのが可愛らしくて、頬を染めるのが愛らしくて、つい調子に乗ってしまったよ。許してくれる? 僕のアリア」
困ったように微笑みながら、私を窺うように見つめてくる。瞳の奥に私を気遣う様子が見えて、仕方ないかとため息をついた。
「もう良いわ、パスト。でも……お願い。あまり困らせないで」
そう伝えると、彼は私の肩に腕を回し、いつもより少し力を込めて私を引き寄せた。
「きみを困らせたい訳ではないよ。いつも、いつも、アリィのことは愛しくて仕方がないんだ」
「もう、パストったら」
そう言って茶目っ気を出して微笑むパストラーレに、つられて私も笑ってしまう。
そう。
彼のこうした軽口を聞くと、なんだか私はいつもごまかされてしまう。
気分を害していても、困っていても、落ち込んでいても。
私の笑顔を引き出してくれるのは、いつもパストラーレだ。
彼と一生を過ごすのは、そんなに悪いことではない気がする。
** ** **
「お帰りなさい、アリィ姉さま!」
フレイムタウンから帰宅すると、すぐさま弟のスピリトーゾがパタパタと走り寄って来た。ワクワクと期待感に満ちた笑顔で私に飛びついてくる。それを笑顔で受け止めて「ふふっ」と笑った。
「お帰りなさい、お姉さま。スーゾ、アリィお姉さまは華奢だから飛びつくのはおやめなさい。だんだんあなたは身体が大きくなってきているのだから、いつかお姉さまにお怪我をさせてしまうわよ」
「はあい、マーレ姉さま。分かっているけど、嬉しくって!」
はじける笑顔の弟に、妹は苦笑してため息をついた。
「あなたが嬉しいのは、お姉さまの買って来てくださったお土産でしょう?」
「へへっ」と笑ってごまかす弟にクスクスと笑って、私は鞄の中からスピリトーゾへのお土産を取り出した。
「はい、今日はこれよ、スーゾ」
「わーい! ありがとう、アリィ姉さま! ね、今すぐやって良い?」
「ええ、良いわよ」
「やったー!」
ワクワクを隠せないように、その場で駆け足の足踏みしていた弟に許可を出すと、弟は一目散に居間まで走って行った。マドリガーレが「もう、仕方ないわね、あの子は」と笑った後「お姉さま、疲れたでしょう。夕食前だけど、少しだけお茶でもいかが?」と言うので、私は微笑んでうなずいた。
妹と連れだって居間に入ると、スピリトーゾが説明書を一生懸命読んでいた。何度もやっている物だが、一度きりしかできないおもちゃなので失敗したくないからと毎度真剣に説明書を読んでからやり始めているようだ。
マドリガーレが使用人にお茶を頼んでくれたので、スピリトーゾの隣のソファに座る。
今日のお土産は“魔力あぶり出し”だ。フレイムタウンで売っている土産物で、四角い紙の角から炎の魔力を少しずつゆっくりと注いでいくと、白い紙の上に焦げたような茶色の線が出て絵が浮かび上がってくるのだ。
小さい紙なら値段は安く、右下の角からのみの魔力注入となり、絵柄も単純な物となる。
それが倍の大きさになると、右下と左上の二箇所から魔力を注入し、絵柄も少し複雑になってくる。
一番大きいサイズの物は中くらいの大きさの倍のサイズで、四隅全ての角から炎の魔力を注入する形になる。
大きいサイズの何が難しいかというと、四隅からそれぞれ魔力を注入していく形になるので、それが交わる十字の部分の絵の線を上手く合流させるのに、魔力調整をしなければならないということなのだ。多く入れ込み過ぎてしまうとインクをボトッと落としたように十字部分の線が太くなってしまうし、線の色の濃淡が綺麗に合流できないこともある。
難易度的には一番初めに取り組むレベル一の用紙は紙も小さく、一定の魔力を流し続ければ絵が綺麗に浮かび上がるという物で、説明書に完成イラストは描かれていない。だからお土産にもらった子供は「どんな絵が出てくるのだろう」とワクワクしながら魔力を通すこととなる。
そして今回スピリトーゾに買ってきたお土産はレベル二の物で、同じ小さいサイズだが、完成イラストが添えられている。線の太い所と細い所があるので、完成見本を見ながら線を浮かび上がらせる時に入れ込む魔力量を調節していかなければならない。
スピリトーゾは完成イラストをよく見て、どこまで浮かび上がってきたらどの程度の調節をするのか、真剣に考えている。
紅茶を飲みながらその様子を見ていて思う。
魔法庁は、こんな小さい子供のうちから魔力調節を練習させようとし、しかも楽しみながら子供がやる気を出してどんどん自分自身で取り組む作戦を考えるなんて。どれだけ魔力の底上げを図っているのか、どれだけ人材育成に力を入れているのか。
魔法庁の思惑は何か。
どうしてこんなに人を育てているのだろう。
なんだか少しだけ、怖いような、不安なような、そんな落ち着かない気分になった。
** ** **
しばらくするとスピリトーゾの絵が完成した。まあまあ上手くできたようで、スピリトーゾは躍り上がって喜んでいる。完成した絵は、馬が草原を走っている様子を描いたものだった。馬の輪郭は太く躍動感を表していて、なびく鬣や草原の草は細い線で風にそよぐように描かれている。なかなか完成イラストに似せてできた感じだ。
スピリトーゾもさすが第三家に生まれただけのことはある。七歳という年齢で、もうここまで上手に魔力を扱っているとは。レベル三のお土産を購入する日が来るのも近いかも知れない。
「アリィ姉さま、次もまた買って来てね!」と喜ぶ弟に、微笑んで「ええ、きっと」と約束をする。
「ねぇねぇ、レベル二だと、他にどんな絵があった?」
「そうね……確か、親鳥がヒナに餌をあげている絵と、花に蝶が止まっている絵と、あとは……海辺の砂浜に置かれた浮き輪とボール、というのもあったわね。あとは……どんな絵があったかしら。昆虫、もあったような気がするけど、なんという名の虫なのか、私には分からないわ。今度パストに聞いておくわね」
私がそう言うとスピリトーゾは「ありがとう!」と元気に言った。
「ねぇ、お姉さま、今日もフレイムフラワーを作ってきたのでしょう? 見せて欲しいわ」
マドリガーレがそう言うので、私は鞄の中を探しながら「あなたにも今度何か、お土産を買って来ましょうね」と言った。すると妹は笑って首を横に振り「これを見せてもらうだけで良いわ」と、私から受け取ったガラスの器を目の少し上にかざし見た。
「綺麗ね……ちょっと魔力を通してみて良い?」
「良いわよ」
マドリガーレが魔力を通すと、バラの花びらがちらちらと揺れる。それを見て妹が真剣な瞳でガラスケースを縦にしたり横にしたりし始めた。
「何かあった?」
「いいえ、お姉さま。これはいつも通り、パストが作ったものよね?」
「ええ、そうよ。気に入ったのならあげましょうか? 私の部屋には同じような花がたくさん並んでいるから」
フレイムタウンが完成してから三年。二ヶ月に一度はパストラーレと共に通っているので、私の部屋には炎の花が入ったガラスケースがあふれている。出窓に全て並べて置いてあるのだが、もうそこもいっぱいで机の上に置き場を作らなければと思っていたところだ。ひとつくらい妹にあげてしまっても構わない。
……そう思って軽く提案してみたのだが、妹は驚いた顔で手をぶんぶん振っている。
「何を言い出すのよ、お姉さま! そんなことできないわ!」
「そうだよ、アリィ姉さま。パスト兄さまが可哀想だよ」
勢いよく断る妹。弟までがこちらを責めるような瞳で見つめてくる。
「そ、そう……かしら? なら、また部屋に飾っておくわね」
笑ってごまかすようにそう口にすると、ふたりは揃って大きく息を吐いた。
マドリガーレが居住まいを正してこちらを真っすぐに見る。
「お姉さま。このバラは……特に大切にしてください。出窓の所にただ置いておくだけでなく、何度も触ってよく観察してくださいね」
妹の真剣な様子に、なんだか不安感が募ってきた。
「これに……何かあるの?」
「何かあるかはお姉さま次第です。意味を持たせるか、それとも他と変わらない普通の花と思うのか、それを決めるのはお姉さまです。私に言えるのは、大事にしてください、それだけです」
マドリガーレから受け取ったガラスケースをじっと見つめる。今までの花と何が違うのか私には分からなかった。
「あのね、アリィ姉さま。ぼくにはその花がどんな意味を持つのかよくわからないけど……でも、大好きなドレミにぼくが一生懸命作った物をあげたら、ドレミにはそれを大切に持っていて欲しいと思うよ? 誰かに簡単にあげちゃって欲しくないなぁ」
スピリトーゾはソラの妹である従妹のレミが大好きだ。レミの愛称をドレミと付けて、他の誰にも呼ばせないくらい独占欲丸出しで、常に「ドレミ」「ドレミ」と言っている。一年に三度しか会えない従妹に夢中の弟は、レミのことが大、大、大好きなのだ。
私とパストラーレは、元老院で決められた婚約者同士とは言え、ふたりとも、信頼し合える夫婦を目指して関係を築いているのだ。相手をないがしろにして良いはずがなかった。
「分かったわ。ふたりとも、ごめんなさいね。婚約者からもらった物を簡単にあげるなんて言ってしまって悪かったわ。今度から気をつけるから許してね」
私がそう言うと、マドリガーレが「謝るならパストに言って欲しいわ。あ、いえ、こんなことを姉さまが言ったなんて知ったらパストがショックを受けるかも知れないから、内緒にしておいた方が良いわね、きっと」などとぶつぶつ言っている。
私もパストラーレを無暗に傷つけたい訳ではないので、彼には話さないことに決めた。
けれども、妹に言われてふと気づいた。
彼の本当につらそうな顔は見たことがない。
困っていても、大変なことがあっても、大げさに嘆いてみせたり、あるいはふざけて茶化してみたり。そうでなければ何事もなかったように穏やかに微笑んでいる様子しか、私は知らない。
だからマドリガーレが言う「ショックを受けたパストラーレ」とは、両手で頭を抱えて「酷いよ、アリィ!」と大げさに叫ぶ姿しか、私には思い浮かばなかった。
彼は……とてもつらい時、あるいは本当に大変なことが起きた時、どんな表情をするのだろうか。
私はもしかして、彼の表面しか知らないのではないのか。
そんな風に、ふと思った。
ハンドメイドはとても楽しいですよね。
アリィと同様、私も何か作るととても凝ってしまいます。
次話は風の遊園地へ行きます。
次回更新は5月9日(水)です。




