20.月の夜
その夜。
俺はマドリガーレに改めてお礼を言いたくて時間を取ってもらった。彼女は微笑んで俺をテラスへと誘う。サンルームから庭につながる扉を出て、石作りになった開けた場所だ。
外は春とは言え、まだ少し肌寒い。
それでもふたりは上着を着て、テラスに置かれたベンチに座った。
綺麗な丸い月が白く光っていて。
ガラス越しにそれを見るのがもったいないと思ったのだ。
明日は俺が日本へ戻る日。
午前中は先日会った子供達と遊び、お昼ご飯を食べたら帰ってしまうのだ。
「あーあ、なんか、十日間って、あっという間だったなー」
「そうね……」
俺のつぶやきに、小さく返事をするマドリガーレ。
「最初はさぁ、魔法なんか大っ嫌いだったんだよね。俺を日本から離れさせる魔法なんてなくなっちゃえば良いって思ってたんだ。それを押し付けようとするこの国も嫌いだった。大人達がみんな勝手なこと言って、俺の意思なんかてんで無視だったから」
「……今でもそう思ってる?」
「ううん、そんなことない。俺に魔法の訓練しろって言ってたのは、俺のためだったって分かったし。危ないことにならないためには訓練しなくちゃダメだったんだって……そういうの、ちっとも分かってなかったから。それに……」
「うん」
月を見上げるマドリガーレ。
その横顔が青白く照らされ、なんだか俺はいつまでもそれを見ていたいような気がした。
淡い光を浴びながら微笑む年上の従姉。
「この国で暮らすかどうかもさ、検討してから決めてくれって言われてるのに気づいたんだ。最初っから絶対に日本、他は考えられないってんじゃなくて、この国のことを知って、しばらく過ごしてみて、この国で生きていくことも選択肢に入れてくれないかって、そう言われてるんだって。元老院とかそういう訳わかんない組織の老人達はともかく、少なくともアル叔父さんやフォーナ叔母さん、それから父さんはそうだってことが分かった」
「……そう」
「三年前……もうすぐ小学校を卒業するって頃、うちのじいちゃんが死んじゃったんだよね。母さんの方のじいちゃん。ばあちゃんはもうとっくに死んじゃってるけど。それで日本に心残りがなくなった母さんがある日、俺と麗美に『コントラルト国で生活してみるのはどう?』って聞いてきたんだ。麗美はまだ小さかったから、どっちでも良いって言ったけど、俺が反対したんだ。友達と離れたくなかったし、中学に行って部活入りたかったんだ」
「そうなの……」
「こっちが嫌いな訳じゃない。嫌な人がいる訳でもない。でも、俺にとって大事な物は、みんな日本にあるから」
「……うん」
「だからこっちに来るのを嫌がった。三年間、駄々をこねて一度も顔を出さなかったんだ。頑張ればずっと日本にいられる……って、意地を張ってたんだな。でもそれで、父さんやアル叔父さん、フォーナ叔母さんをすごく心配させてたんだって、こっちへ来てようやく分かった」
「そうなの……分かってくれて良かったわ。あなたほど強い魔力を持っているなら、訓練しないと魔力暴走を起こしてしまうかも知れないものね。日本には魔素は少ないって伯父様から聞いたけど、自然にはなくても人間からは微量に発せられているみたいだし……」
「うん。今まで何度か父さんが説明しようとしてくれてたと思う。でも俺、聞く耳持たなかったんだ。魔法の話なんて聞きたくないって、いつもすぐ怒って部屋にこもっちゃったから……バカだったなって思う。悪かったなって、心配かけてたんだなって……」
心の中は後悔が渦巻いていた。
パストラーレから色々教わって初めて分かるようになった、空気の中に漂っている魔力。
目を凝らして念じれば、人からも魔素と言われる魔力の微粒子が立ち上っているのが見える。
人それぞれ違う色合いだけど、総じて淡く光っている。それがゆっくりとその人の中から揺らめきつつ立ち上り、その人の周囲をふんわりと覆っているのだ。
今も見える。
マドリガーレの周囲を、緑色のオーラのようなものが取り巻いている。
透き通った緑色の中に細いラベンダー色が幾筋も混じっていて、それが月の光に溶け込んでゆったりと揺らめき、とても綺麗だ。
彼女が感情を揺らす時は、このオーラのようなものも大きく揺れる。
激しく立ち上ったり、ぐるぐると高速で回っていたり。
逆に、落ち込むと足元や手先などの身体の末端の方に凝り固まっていくように見える。
マドリガーレの魔力はとても綺麗だ。
アリアの魔力も緑に薄っすら青い色が混じっていて綺麗だし、魔法長官であるアルマンドはさすがに強い光を発している。生命力あふれる緑色だ。そこに赤の筋が取り巻いている。
コン・センティメント家の家系は風系の魔法が得意らしく、緑は風の象徴色なのだそうだ。
それでこの家の人達は皆、緑色がベースの魔力をまとっているのだろう。
では、俺はどんな色の魔力なのかと思って見てみたが、全く分からない。
いくら目を凝らして頑張ってみても自分の色が見えなくて父親に質問してみたところ、人は誰でも己の魔力は見えないそうなのだ。
残念過ぎる。
だが、だからこそ自分の魔力の不調に気づかないので、バングルが必要なのだと言われた。
良くない魔力の流れ――黒い魔流を周囲から取り込み過ぎても、あるいは感情的に落ち込んで手足の先で己の魔力を凝り固まらせても、自分では見えないのだからどうしようもできない。そこを知らず知らずのうちにバングルが調整してくれるから、魔力の暴走も防げるという訳なのだ。
俺のバングルには緑色の魔石が埋まっている。
青がベースの魔力をまとうパストラーレのバングルには青い魔石が付いているので、恐らく俺も緑色の魔力なのだろう。
一度で良いから自分の魔力を見てみたいが、そう言ったら「誰でもそう思うのよ。でもダメだからあきらめるしかないわね」とマドリガーレは笑った。
楽しそうに笑うその笑顔が優しくて、綺麗だなと思った。
そんな会話を思い出しながら、俺は彼女を見つめ続けた。
そして、視線が合う。
月の光に照らされて、マドリガーレはとても綺麗だった。
「ソラ、今でも、絶対に日本で暮らさないと嫌だって思う? こっちで生活することはまったく考えられない?」
マドリガーレに問われて、俺は視線を落とす。
「……分かんない」
そう答えてから、慌ててつけ加えた。
「こっちが嫌いな訳じゃない。魔法の訓練も、やってみたら楽しかった。でも、でも……ずっと、日本で暮らしていくって思ってたから、急には気持ちを変えられないよ……魔法長官の仕事って、どんなもんか全然知らないし……」
ぽつりぽつりとこぼした言葉。
俺は膝の上に置いた両の手のひらをギュッと握り込んだ。
今まで将来のことなんて何も考えずに生きてきたのに、急に決めろと言われても困ってしまう。
そんな俺の手を、上からマドリガーレがそっと包み込んでくれた。
「混乱するのも分かるわ、ソラ。でもそれなら、これから考えていけば良いだけじゃない。魔法長官の仕事だって、これからお父さまやお母さまに聞いて知っていけば良いわ。それから決めれば良いのだから、そんなにつらく思わないで」
「マーレ…………うん、ありがとう」
「でも、あんまり長く悩まないでね。私の将来は、あなた次第なのだから」
「あっ……」
「あなたが日本を選べば私は魔法長官になるわ。でももしあなたが魔法長官になるのだとしたら、私は魔法副長官の道を選ぶか、魔道具開発部の長官になるか、ふたつの道のどちらかに進むのだと思うの。私はもう十七歳だから、成人ぎりぎりまで道を決められないのは困るのよ。それに従弟妹達や分家の子達も、本家の人間が職を決めた後じゃないと道を選べないから……だから、申し訳ないけど……できたら一年くらいで決めて欲しいわ」
「う、ん……ほんと、ごめん。俺、自分のことばっかりで……」
俺は彼女の手を握り返して心から謝罪した。
俺が逃げていたせいでマドリガーレも、それから第三家に連なる人達も、誰もが将来を決められないでいたのだ。こちらの人は職を決めるのが早く、十五歳で将来を決め、次の春にはその職業に合わせて専門の学校へ進学をし、成人までの五年間でしっかり準備や訓練をしていくのだ。それなのに俺のせいで何人もの人達が三年もの間、まったく先への準備ができずにいたのだから。
『これは、マドリガーレから嫌われても仕方ないかも……』
俺に対して怒り、冷たい目で見ていた彼女を思い出し、心から申し訳なく思う。知らなかったからなんて言い訳に過ぎない。父親は事あるごとに、俺に知らせようとしてくれていたのだから。それを拒否していたのは他ならぬ自分だ。
後悔の気持ちに苛まれ、心から謝罪をしながら真っすぐに彼女の瞳を見つめると、マドリガーレも俺を正面から見返してくれた。
マドリガーレは微笑む。
顔の片側だけ白い光に照らされて、アメジストの瞳が宝石のようにキラキラときらめいている。
ひらひらとしたリボンや襟がさやかな風にほんの少し揺れる。白いブラウスが淡く光を反射して、彼女の周囲を取り巻く魔力の流れが月の光に透けていた。
「良いの、良いのよ、ソラ。私も……あなたの気持ちを考えてこなかったわ。自分が魔法長官になりたいというだけで、ソラの意思などおかまいなしに、怒りと嫉妬ばかりを向けていたの。ごめんなさいね、ソラ」
「ううん、そんなことない、悪かったのは俺だって」
「いいえ、違うわ、私よ」
「いや、俺のせいなんだよ」
「そうじゃないわ、私のせいよ」
「いいや、俺だってば」
「私だって言ってるでしょ?」
「なんだよ、人がせっかく謝ってんのに」
「そっちこそ! 私が心から謝罪してるっていうのに、なんで受け入れてくれないのよ!」
「俺が悪かったからだって言ってるだろ!?」
「ううん、私だって言ってるじゃない!」
その時、ふいに庭の近くの茂みがガサガサ鳴った。
慌ててふたりして口を閉じる。
どこに何がいるのか、音がした辺りを、息をつめて見つめていると。
パタパタパタ……
鳥が一羽、飛び去って行った。
月に向かって羽ばたいていく鳥。
どんどん小さくなって、そうしていつか見えなくなった。
「なんか……ごめんね?」
「ううん、私こそ」
「いやいや、俺が……って言ってたら、またさっきと同じことになっちゃうな。ははっ」
「ふふっ」
揃って笑いだす。
月の光射すテラスのベンチで、俺達は並んでくすくすと笑い続け、そして。
「……俺さ、真剣に考えてみるよ。魔法のこと、それから魔法長官になるかどうかってこと」
「うん」
「一年かけて考える。次にこっちに来られるのは夏休みだろうし、それもサッカー部に入ったらあんまり長くはいられないと思う。多分、お盆休みの一週間くらい……かな。でも、日本にいても父さんに聞いて訓練は続けるし、こっち来たらもっと頑張る。それで、一年後までにどうするか決めるから。だから……」
「うん、それで良いわよ」
ありがとう、というマドリガーレの言葉に、なんだか急に照れくさくなった。
思えばマドリガーレとは、今回までこんな風に話したこともなかったし、笑いかけてもらったこともなかった。
そして「ありがとう」と言ってもらえることも。
魔術の練習をしていてもたくさん褒めてもらえた。
応援してもらえた。
彼女と一緒に過ごしてみて、鈍くて粗忽な部分も知った。
自分は本当に、今までマドリガーレの何を見ていたのだろう。
「へへっ」
笑ってごまかして、もう一度顔を上げた。
丸くて綺麗な月が出ていた。
とても静かな夜だった。
月夜の語らいってステキですよね。
夜は人を素直にさせると思います。
ソラとマーレも心のうちを話せました。
さて、次回は子供達との約束の日。城下町へ遊びに行きます。
次回更新は4月16日(月)です。
皆様、良い週末をお過ごしください。




