5.謁見室(えっけんしつ)にて
そしてやって来た星の曜日の午後。
ブリランテ王女とレッジェロと待ち合わせしていた場所に行くと、ふたりはまだ来ていなかった。約束の時間まではもう少しある。案内された部屋で落ち着かないまま、立ったり座ったりしながら待っていると。
廊下から何だか、やいのやいの言う声が聞こえてきた。なんだろうと思って皆で顔を見合わせていると、扉がバタンと開いて、王女が入室してきた……何やらロープのような物を掴んで。
そのロープの先には手錠がかかっていて、その手錠に捕まえられているのは、なんと兄王子のカデンツァであった。
「ブリランテ! この手錠を外せ!」
「駄目じゃ、と申し上げておる」
「兄に対してこの仕打ちはなんだ!」
「妹に対して非道を行うのじゃから、報復されても仕方あるまい」
激昂する兄に対して妹は冷静に対応し、冷めた目で兄を見つめていた。
「我は第一王子ぞ! 不敬は許さぬ!」
「その地位を捨て去ると宣言されたは誰ぞ。間もなく吾と立場が逆転し、吾は王太女となるのじゃ。不敬と言うなら兄上の方じゃの」
「ぐっ……! し、しかし、アマービレ姫まで連行するとはどういうつもりだ! 姫を離せ!」
「吾は姫に強制してはおらぬ。我が婚約者殿がエスコートしておるだけではないか」
扉から入室してきた兄妹の後ろから、にこにこしているレッジェロと、その腕にちょこんと手を添えているアマービレ王女が静かに入って来た。
「姫。姫がカデンツァ殿下とご一緒にいらっしゃったので、成り行きで一緒にいらしていただきましたが、あなた様は今からでもお父上の元に戻られますか? それともカデンツァ殿下と共に行かれますか?」
にっこり、と吹き出し文字が見える笑顔でレッジェロがアマービレ王女に問うと、少しだけおどおどした様子で周囲を見回し、彼女は「あたくしも共に参ります……」と小さく答えた。
「という訳だ、兄上。先ほども言うたが、これから父上と話をする。兄上も当事者。共にいてもらおう」
ブリランテ王女の尊大な物言いに、王子は「くっ……!」と悔しそうな顔をした。
** ** **
謁見の予約時間の少し前に手前の部屋で控えたが、時間になっても声がかからない。
ブリランテ王女はイライラした様子で同室していた侍従に「今、謁見しておるのは誰じゃ」と問うた。
すると、返って来た答えは。
「ただ今陛下は、ノービリタ王妃とテンペストーゾ・コン・スピリトゥオ様とお話をされております。今しばらくお待ちくださいませ」
座っていた席から、皆が一斉に腰を浮かせる。
「退け」
進むブリランテ王女の後ろ姿からは異様な気配が立ち上っている。
「し、しかし……」
扉の前を守る護衛騎士は、一見とても屈強そうな体格で、目つきも鋭く普段ならばどんな相手にもひるむことはないであろうに。
この時ばかりは相手が悪く、明らかに腰が引けていた。
「たとえ王女殿下とは言え、陛下のお邪魔を許す訳には……」
「退けと言っておる」
しどろもどろの騎士に対し、王女の魔力がドッと噴き上がった。
「ひっ……!」
「聞こえぬのか」
とうとう思わずといった様子で一歩横によろめいた騎士を放置し、ブリランテ王女は謁見室の扉を開けた。そして「父上、お話し中、失礼いたします。時間になりましたゆえ、入らせていただきました」と言い放った。
** ** **
謁見室の中にいたのは三人だけ。壇上の豪華な椅子にグランディオーゾ王。その隣にノービリタ王妃。そして壇の下でテンペストーゾが跪いていた。
「まだ前の謁見が終わらぬ。外で待て」
王が静かにそう言うと、ブリランテ王女は王の正面にすっと膝をつき、艶やかに笑って返した。
「聞かれてはまずい相談ですか?」
レッジェロが王女の隣に控える。続いて俺達もふたりの後ろで頭を垂れ、胸の前で腕を交差し、片膝をつく跪礼をした。そうして深く頭を下げた後、そっと窺うようにこっそりと視線を上げる。
斜め後ろから見るブリランテ王女は、膝をつきながらも背筋をピンと伸ばし、堂々と王の前に対峙していた。
そんな王女の問いに対し、王は訝しげに問い返した。
「何を」
「元老院議長と、どんな悪巧みをしておるのです、父上?」
「……そなたは何か誤解をしておるようじゃの、ブリランテ。少し頭を冷やしなさい。すぐ終わるゆえ、外で待ちなさい」
「いいえ、待ちませぬ。議長がいるのなら好都合。此度の事と次第、全て説明していただきましょう。議長が諸悪の根源でしょうか?」
「ブリランテ……そなたは何を言っておるのか分かっておるのか? そんな根拠のない妄想で議長を責めるでない。そのように大勢の者達を引き連れて何をしておるのじゃ。立場をわきまえ、身を慎み、王女として相応しい行動を心得よ」
「王様ッ!」
腹が立った。
もう、頭にきた。
我慢できずに声を上げてしまった。
思い余ってすっくと立ち上がってしまう。
「立場、立場って、それって本当に父親が娘に言うことなんですか!? なぜ自分の娘がこんなに怒っているのか分からないんですか!? 王女は、悲しんでるんです! 悲しくて、悲しくて、それでとうとう怒ってしまったんです! なぜだと思いますか!? 父親である王様が、彼女と正面から向き合ってあげないからです!」
「そ、奏楽……!」
父レチタティーヴォが慌てて俺を止めに入る。
片方の手で俺の腰を掴み、もう片方の手で袖を引き、俺を再び跪かせようとする。
王様に対して不敬なんだってさ。
でも俺は止まんない。
だって、納得いかないんだ。
「俺、学校の道徳の授業で習いました! 思春期の心の流れで世の中の全てを嫌になってしまったり、親に反抗してしまったり、場合によってはつい万引きとか犯罪をしてしまいたくなったり、ついには自ら命を捨ててしまおうとしたり……悪感情によって色んな後ろ向きな行動をしてしまう時期があるって! でもそういう時は自分を受け止めてくれる存在がいることを思い出して、心の中で感謝して、いつか心が落ち着いた時に『ありがとう』って言えると良いって! いつでも見守って助けてくれる存在が必ずいるから、その人を大切にして世を悲観せず、決して命を粗末にせず、乗り越えていきましょうって! その受け止めてくれる存在って、親がいるなら親がならなきゃいけなんじゃないですか!? 王女がこんなに悲しんで怒っているのに、父親に向かって『なんとかしてくれ』って叫んでるのに、立場に相応しい行動をしろって! 冗談じゃないよ! 納得できない! 王様には、彼女の『助けて』って心の悲鳴が聞こえないの!?」
ブリランテ王女はマドリガーレと同じ十八歳になったばかりだ。日本で言うと高校三年生。俺よりふたつ上っていうだけの女子が、こんなに苦しんでる。日本では、クラスの女子が悩んでいるのは進学のことや将来の夢、それから恋愛とか、そういう自分自身のことだ。国を背負う責任を負い、恐怖に打ち勝ち、凛として立つ女子なんてそうそういない。みんな希望に満ちた将来を見据え、夢を追って頑張っている。それなのに王女は“王家に生まれた”というだけで生まれた時から立場を考えて生きろと言われ続けてきた。そして彼女には産んでくれたお母さんがいない。頼りになるのは父親と、同母の兄しかいないのに。
それなのに、そのふたりから今、彼女は見捨てられたような気持ちでいるのだと思う。
「だって……泣いてたよ、ブリンちゃん。一昨日、マーレのところに来て……涙は見せなかった、でも、俺には彼女が泣いてるように見えたんだ……彼女の魔力が……泣いてるように、すすり泣くように……」
くそう、鼻から水が垂れる。
王城を訪問するのだからと、いつも以上に上等な服を着させられているなんてこと、お構いなしに袖で鼻をぐいっと拭う。
その時、ノービリタ王妃がそっと声を出した。
とても、とても小さい声で。
「……陛下、ここはどうか、掟を曲げていただけませんでしょうか? この青年が言うとおり、これではあまりにブリランテ王女が可哀想です……」
少し高めの、若々しさを感じる王妃の声は、澄んで優しく、周囲の空気に沁み入るようで、小さな声なのにそこに居る者達の耳にきちんと届いた。
「ノービリタ……しかし……」
「わたくしはこの国の生まれではございませんから、古の昔から王家が秘してきた経緯を存じ上げません。しかし何も説明せず、つらいお役目ばかりを押し付けるのでは……あまりに王女が哀れでなりませぬ……話して差し上げてはいかがでしょうか……」
その言葉を聞いて、王妃は隣国を手引きしていた悪者だとずっと思っていたけれど、それが勘違いだと分かった。なさぬ仲の王女に対してあの同情した表情。あれを見て、王妃が悪人だなんて思う人はいないと思う。
きっと、アルマンド叔父や父レチタティーヴォ、それからセリオーソも理解してくれたと思う。
王妃にそう提案された国王は、迷うように目線を左右に流して「じゃが、しかし……」とつぶやいた。そしてテンペストーゾの方を向き「どう思うか、そなた……」と問うた。しかしテンペストーゾは静かに頭を下げたまま「陛下の思し召すとおりに」としか言わなかった。
それを見て、とうとう感情を吐露したのは思いもよらなかった人物だった。
第一王子カデンツァだ。
「ブリランテ……! 悪かった、申し訳ない、そなたにはつらい思いをさせてしまうことを重々承知していながら、このような選択しかできなかった! だが許して欲しいとは言えぬ! 己の言葉を撤回することもできぬ! なぜならわたしは選んでしまったのだ! 誰よりも、どんなもの、どんなことよりも、アマービレ姫を選んでしまったのだ! 彼女がわたしにとって一番大切なのだ! 他の何を犠牲にしようとも、それだけは変えられぬ! 彼女がわたしの運命の女性なのだ、だからわたしが守らねばならぬと決めたのだ! すまない、ブリランテ……!」
それを聞いたアマービレ王女は「え、あたくしのせいでございますか……? 何があったのでございましょう……」とおろおろし始めてしまった。それを王子は「きみのせいじゃない、きみのせいではないんだ、アマービレ姫!」と感情を抑えきれぬように、両手で顔を覆いながらうずくまり首を振った。
王子の告白を聞いても何ひとつ理解ができず、俺は周囲の人達に視線を移し続けるが、誰もその答えを出してくれそうにない。そして理解できていないのはブリランテ王女も同じようで「兄上……」と言ったきり、どうして良いのか分からず戸惑っているようであった。
その時、勝手に謁見室の扉が開き、悠々と中に入って来た人物がいた。
「失礼いたします、陛下。恐れながら、同席させていただきます」
「父上!」
セリオーソが叫ぶ。
そう、元老院の第一家代表、レンタンド・コン・エスプレッシオーネであった。
「そなた、どうしてここに……」
テンペストーゾがつぶやくように問うと、レンタンドは人の良さそうな顔で微笑みながらテンペストーゾの横に並び、同じように恭しく跪礼をした。
「きみの孫娘であるイントラーダが突然、血相を変えて連絡を取ってきたんだ。今すぐここに向かって欲しいと。来てみたらこの始末……第四家本家の長女は優秀だね。女性なのが悔やまれる。ぜひとも血を残させたかった」
「そうか……イントラーダか」
テンペストーゾが難しい顔をすると、王が大きく深く、そして唸るように長くため息をついた。
「……そうか、彼女がみたのか。では、今回の騒動は大ごとになることが確定した訳だ。ならばなおの事、話すことができぬ」
「父上、それは一体どういうことでございましょうか……?」
ブリランテ王女の問いに、王は心なしか青ざめた顔で、それでも強い瞳で「決まりである、教えられぬ」と断じた。
「決まり、決まり……そればかり!」
吐き捨てるようなブリランテ王女。
ノービリタ王妃の同情の視線、唇を噛み締め苦悩の表情を浮かべるカデンツァ王子の姿が悲しい。
「陛下、我らがお邪魔なようでしたら御前を辞しますが……」
アルマンド叔父が恐る恐る提案してみたが、王は「そういうことではない」と苦い顔だ。
すると、今まで王女を支えるのみで一言も口をきかなかったレッジェロが、進み出て頭を下げた。
「陛下。では、どうにか代替案をいただけませんでしょうか? 何も説明されず王位を継ぐよう言われ、しかも即位後数年先にはお役御免になると言われても、彼女も納得できないでしょう。何か彼女が納得できる、少なくとも心を収められるような何かを、彼女に与えてやれませんでしょうか?」
真剣な瞳をするレッジェロに、王女はほんの微かに寄り添う。
王はしばし逡巡の様子を見せたが……やはり、目を閉じ、ゆるく首を横に振るばかりであった。
それを見てレンタンドが寂しそうに微笑みながら、言い聞かせるように言葉をかけた。
「レッジェロ、そなたが婚約者を思いやる気持ちは分かる。しかし陛下にもお考えがあるのだ。そなたも第二家本家跡取りとして生を受けたのだ、その立場と責任を幼い頃から背負わされて生きてきたはず。ブリランテ王女とて、そんなことは百も承知しているはずだ。今は少し混乱しているけど、落ち着けばきっとご自分のお立場を思い出すはずだ。レッジェロ、きみが王女をしっかり支えてあげるのだよ。さあ、第三家の者達も、第一家の者達も、皆、今日は引きなさい」
レンタンドの言葉に、王女が膝をついたままがっくりと項垂れた。
あきらめの表情。
もう、何を言っても届かない、父親に思いが伝わらない。
そして彼女は王女なのだ、責任を忘れず、立場を思い出し、相応しい行動を……。
そういう彼女の表情の裏で、俺には彼女の心の叫びが聞こえた。
苦しくて、悲しくて、誰か、どうにかして欲しい、と叫ぶ声が。
助けて!
誰か助けて欲しい、誰か!
――俺の意識は吹き飛んだ。
とうとう敵対視していたテンペストーゾ&レンタンドとの直接対決です。
国王もあちら側の人の様子。
どうやって乗り越えるのでしょうか。
そしていつも、ソラの大きな魔法は章のラストで発動していましたが、今回は既に5話で意識が飛んでいます。
つまりこの章は、これからずーっとクライマックスです。
どうぞお付き合いくださいませ。
次回更新は11月26日(月)です。
皆様、良い週末をお過ごしください。




