第3話 走れ桃介
いつの時代かは分からないけれど、ある山にお婆さんとお爺さんと男の子が住んでいました。
あ、このくだりはもういいですか?
そうですか、わかりました。
というわけで、
「────っ!」
桃介はひたすら走っていました。
はじめて出会った同い年の御令嬢。
ドギマギした一瞬の恋心。
しかし、「ムキムキとかキッモ、早く走れる方がカッコイイのよ」という御令嬢の言葉に、今までやってきた全てを否定された気がした桃介は、ひたすら走ることで今まで鍛えた筋肉をカタボリックさせようとしていました。
それを離れた木の後ろからこっそり見ているお婆さんとお爺さん。
「桃介……さぞかし辛かろうに……」
お爺さんは目尻に涙を浮かべていました。
そんなお爺さんとは対照的に、お婆さんは着眼点が違いました。
「一見走ることで筋肉がカタボリック……分解されると思いきや、桃介の過剰に鍛えられた筋肉は無駄を省き引き締められていってる気もするわい」
え、そんなとこ見てたの? とお爺さんは思いましたが、口には出しませんでした。
というかお爺さん、思ったことを口に出さな過ぎてストレス溜まったりしないんでしょうか?
来る日も来る日も、桃介はひたすら走り続けました。
最初は今までの努力を否定された悲しみで走っていましたが、少しずつ意識が変わっていました。
走り続けることで、いかにもっと早く、いかに体に負担なく、と考え始めました。
そして今では、もっと早く、もっと早く、もっと早く、もっと早くと、半ばランナーズハイというか、狂人の域に1歩踏み込んだ状態になっていました。
まだ5歳なんですけどね。
桃介の体はみるみる引き締まっていきました。
無駄をなくし、引き締まった体は、5歳児とは思えない程の彫刻のような美しさがありました。
100メートル走の記録はなんと9秒28。
世界記録を知らぬ間に更新していたのでした。
ただ走っていたからこうなれたのではなく、お婆さんによって鍛えられた強靭な脚力、体幹があってこそのものでした。
ある日、桃介が軽く走っていると、馬車に乗った件の御令嬢と出くわしました。
御令嬢は馬車の窓から顔を出し、
「あら、ご機嫌よう。桃姫様と桃太郎様のところの……桃介さんでしたわね」
意外にも、御令嬢は桃介のことを覚えていました。
御令嬢は馬車から降りてくると、
「以前と比べて、だいぶお体が引き締まったのではなくて? 前より今の方が良いと思いますわよ」
桃介は嬉しさ半分、悔しさ半分でした。
「あの、僕結構走るの早くなったんです。よかったら見てもらえませんか?」
「構いませんことよ。あなたの走り、どの程度か見せていただきましょう。では、あそこの木にタッチして戻ってくるまでの時間を測ってさしあげますわ」
御令嬢が言う木は、今いる場所から片道100メートル、往復200メートル程の距離でした。
桃介は軽く体をほぐす動作をすると、クラウチングスタートの姿勢を取りました。
準備は万端です。
「いきますわよ。ヨーイ、ドンですわ!」
御令嬢の合図と共に、桃介は駆け出しました。
強靭な足はバネの役割を果たし、桃介が駆けた後の地面はえぐれていました。
見る見るうちに木に到着し、タッチします。
桃介自身は軽くタッチしたつもりでしたが、木の幹には桃介の手形がくっきりと残っていました。
来た道を速度を落とすことなく走り、御令嬢の元に戻ります。
「はやっ!」
御令嬢は思わずお嬢様言葉を忘れて驚きました。
さすが桃介、知らぬうちに世界記録を更新していただけはあります。
桃介は息が上がることなく、落ち着いた様子で御令嬢に話しかけました。
「足、速くなりましたよね。僕、カッコよくなりましたか?」
やはり今でも御令嬢に言われた言葉を気にしていたのでした。
御令嬢はフフンと笑うと、
「たしかに以前と比べたらマシになりましたわ。でも、今はやはり勉強が出来る人がカッコイイのですわ。筋肉をつけようが、足が早かろうが、頭が良くないと社会に出てから苦労しますからね」
お前何歳だよ、と馬車の御者は思いました。
しかし口に出したらクビになりそうなので黙っていました。
そして桃介は新たな難題に、その場で膝から崩れ落ちたのでした。
大丈夫、桃介ならやれる!
なお、御令嬢の要求に終わりはない。




