第97話 連携
「……ミナ。あの灰ねこさんって、万象冠の?」
サフィナの声が、小さくなっていた。
ミナは水晶を支えたまま頷いた。
「はい。リュネールにいたときに、一度、会いに来てくださいました」
「会いに」
サフィナが、そこで言葉を止めた。
ハーシムは受付の奥を見ていたが、少しだけ眉を上げた。
ミナには、見慣れた名前だった。
料理の手順を尋ねたり、道具の置き方を教えてくれたりする人。
町で会ったときの声も、顔も知っている。
けれど、職員へ名前を伝えてから、周囲の話し方が変わった。
離れた国でも、それだけの重さを持つ名なのだと、今になって感じていた。
文字板には、いくつかの短い言葉が続いていた。
本当なのか、と聞く人もいる。
ミナが返事を探していると、奥から職員が戻ってきた。
「こちらで確認を進めています。守備隊からも担当者が来ますので、もう少しお時間をいただけますか」
「はい」
ミナは水晶へ顔を向けた。
「これから、ギルドの方に詳しくお話をします。配信は、いったん終わりにしますね」
〈灰ねこ:分かった。こちらも、正式な連絡先へつなぐ〉
「ありがとうございます、グレンさん」
光を落とす前に、もう一度文字板を見た。
いつもの名前の下に、短く返事があった。
〈灰ねこ:こなべさんたちは、そこで待っていてくれ〉
*
待っている間にも、ギルドは動いていた。
守備隊の担当者が来て、ハーシムから場所を聞いた。
サフィナには、最後にその岸を歩いた時期を尋ねる。
職員が紙へ書き留め、元の報告と合わせて奥へ運んだ。
「確認の者を出します。川岸で働いている人たちにも、戻る支度を始めてもらう」
「まだ、来ると決まったわけではないんですよね」
ミナが尋ねると、担当者は頷いた。
「はい。今は、仕事を切り上げてもらう段階です。道具を片づけている間に危険が近づくと、帰るのが遅くなりますから」
ミナは、川岸へ並んでいた荷を思い浮かべた。
あれを全部積み直してから帰るなら、すぐには動けない。
グレンの身元の確認が済む前に、伝えられることは伝わっていた。
地図に示した岸と、そこで人が働いているという話だけでも、確かめる理由にはなった。
しばらくして、別の職員が入口へ出てきた。
「ミナさん。お三方とも、こちらへ」
案内されたのは、奥の連絡室だった。
机に据えられた水晶の横で、書記が文字を写している。
ギルド同士の連絡に使うものだと、職員が簡単に説明した。
「王都側の窓口から、グレン様ご本人であるとの確認が取れました。今はそちらの連絡室へ移られています」
机の上には、配布用とは違う、大きな地図が広げられていた。
*
ダリヤが来たとき、ミナは慌てて椅子から立った。
「そのままでいい。地図を押さえておいておくれ」
いつもの穏やかな声だった。
ただ、今日は笑みを向けた後、すぐに机へ視線を移した。
「先に知らせてくれてありがとう。守備隊から話は聞いたよ」
外套を従者へ渡し、守備隊の担当者と並んで立つ。
ダリヤは書記へ、こちらの名と同席者を伝えるよう頼んだ。
ほどなく、返事が届いた。
『突然の照会で失礼した。こちらには、レオンが持ち帰った調査報告がある。最新の状況と照らして、気になる経路があった』
書記が読み上げる。
ダリヤは頷いた。
「レオン殿の帰還報告でしたか。こちらでもファリドたちが観測を続けています。ザイード隊からの報告も、昨夜届きました」
その言葉が送られる間に、守備隊の担当者が地図へ印を置いた。
町へ入る街道。
人が集まる荷下ろし場。
すでに見張りを増やした場所。
「谷へ続く道は、ここで通行を止めています。街道から来るものには、こちらの見張り所が対応します」
もう一つ、川沿いの作業場へ小さな印を置いた。
「この岸にも巡回は入れています。ただ、常駐ではありません」
ダリヤが尋ねた。
「最後に通ったのは」
「昼前です。報告では、異常なし。それ以降は、確認中です」
書記が、時刻も含めて伝えた。
ミナは地図の端を押さえながら、返事を待った。
『巡回後に、上流から入る可能性は残る。街道を避けて岸を進んだ場合、町側で最初に止められる場所を確かめたい』
守備隊の担当者が、沢と道の交わるところを指した。
「ここには、水が深い場所があります。普段、人はこの橋へ回る」
「でも、その上なら渡れます」
サフィナが口を開いた。
全員の視線が向き、少し背筋を伸ばす。
「今の水量なら、上に浅いところがあるんです。岸へ下りるのが大変だから、荷物があると使わないけど。石の多いところを越えれば、向こうへ出られる」
「最後に見たのは?」
「五日前です。舟から。水は、膝より下くらいに見えました」
担当者は否定せず、その場所にも印を置いた。
「人が荷を持って使う道だけでは、足りませんね」
「うん。そこも確かめておくれ」
ダリヤが言った。
職員が部屋を出ていく。
*
王都の連絡室で、グレンは新しい紙へ線を引いていた。
地図を丸ごと受け取れたわけではない。
送られてくる地点の説明を、広域図の横へ書き足している。
現地と同じ番号を振り、距離や道幅には、分かる範囲の数値を添えた。
背後で戸が開いた。
「グレン」
バルドだった。
呼びに行かせた職員へ礼を言い、机へ近づいてくる。
「町へ出るかもしれん、と聞いた」
「まだ確認中だ。ただ、出たときに人が残っている場所がある。退く間を作るなら、どこが使えるか見てほしい」
バルドは紙へ身を屈めた。
いつもの笑みはなかった。
「こちらの川幅は」
「広い。正確な数字は照会している。今見たいのは、その手前の通りだ」
グレンが指す。
バルドは、送られた説明を一つずつ読んだ。
「狭いところに盾を置けばよい、というだけでもないな。後ろから人が来るなら、逃がす幅が要る」
「ああ。ここで止めると、作業場から戻る人まで塞ぐ」
「人を通してから閉じる場所と、その間、受け持つ場所を分けたい。脇へ抜ける道はあるか?」
グレンは書記へ質問を渡した。
返事が届くまでの間に、別の紙を引き寄せる。
遠くの町へ、今から駆けつけることはできない。
自分たちが立つつもりで線を引いても、そこにいる者の数や腕が違えば役に立たない。
「使える人数も、先に聞こう。前に立つ者を集めて、ほかを空にしては意味がない」
バルドが頷いた。
大きな指が、まだ何も書かれていない町の内側を押さえた。
*
サハルの連絡室へ、次の報告が入った。
川岸の作業場では、仕事を切り上げ始めている。
手前の道を通った見回りからは、まだ魔物の報告はない。
上流側へ回った組は、戻っていなかった。
ダリヤは壁に掛けられた時刻を見た。
「作業場の人を戻そう。道具や荷は、その場へまとめておいていい。持ち帰るために残らせないように」
「承知しました」
「町の外で働く者の名簿も、帰ってきた人数と合わせて。日雇いで入った人を落とさないでおくれ」
職員が書き留めた。
書記が、王都から届いた質問を読み上げる。
盾を置く場所だけでなく、そこから人を逃がす道を確認したいという。
「バルド殿も加わられたそうです」
ハーシムが顔を上げた。
「盾冠の?」
書記が頷く。
ダリヤは一度、ミナへ目を向けた。
「君の配信には、ずいぶん頼もしい人たちがいるんだね」
「……はい」
それだけを答えると、ダリヤは地図へ戻った。
「助言はありがたく使わせていただこう。こちらの地形と人数を伝えて、実際に置く者は守備隊で決める」
担当者が頷いた。
町のあちこちへ置かれていた印が、少しずつ動いた。
全部を川岸へ寄せることはしない。
人が戻る道、舟の着く岸、町中で集合を待つ者。
ミナが知らなかった役目が、地図の上に並んでいった。
「私たちは、何をすればいいですか」
ミナは尋ねた。
ダリヤがこちらを見る。
「まずは、明日の採取を見合わせてほしい。今から岸へ確かめに行く必要もない」
「はい。それは、グレンさんにも言われました」
「うん。そのうえで、手伝ってもらえるなら、戻ってくる人たちの案内を頼みたい。ギルドで受付をするから、できることを伝えておくれ」
ハーシムが言った。
「自分は、護衛と盾を使った防衛ができます。二人とは普段から組んでいます」
「では、それも担当へ。三人一緒に動ける場所を考えてもらおう」
ミナは頷いた。
大きな地図のどこを守るか、自分で決めるわけではない。
けれど、自分たちにできることを、聞かれるまで黙っている必要もなかった。
*
連絡室を出た後、ミナたちはギルドで名前を記した。
サフィナは川沿いの道と作業場を知っていること。
ハーシムは護衛の経験と、使える装備。
ミナは採取人の資格に加えて、槍と小盾を使うことを伝えた。
「大きなものを、一人で受け止めることはできません」
「分かりました。勝手に持ち場を離れず、難しいと感じたら担当者へ伝えてください」
渡された集合場所は、川岸そのものではなかった。
作業場から町へ戻る道の途中、荷車を待たせるための広場。
そこへ来た人を、町の内側へ案内する役目だった。
守備隊の班がつき、三人はその補助に入る。
装備を取りに戻る前に、ミナは職員へ水晶を示した。
「配信で、作業を切り上げる案内を伝えてもいいでしょうか。川岸で働いている方も、見てくださっているので」
「公表した案内の範囲なら。ご自分で危険な場所を映しに行くことは、しないでくださいね」
「はい」
外の腰掛けへ戻り、短く配信を始めた。
今度は地図を広げなかった。
「ギルドから、新しい案内が出ています。川岸の指定された作業場では、今日は仕事を終えて、町へ戻ってほしいそうです」
案内の場所を、紙のとおりに読む。
分からなければ、近くの見回りかギルドへ確かめてほしいと続けた。
〈川風:分かった。まだ向こうにいる知り合いがいるから、知らせる〉
「お願いします。知らせに行くために、戻らないでくださいね。連絡を取れる方に」
返事が届いた。
舟待ちからも、荷を受け取る予定を確かめる、と文字が来た。
灰ねこの名前は、増えなかった。
今はギルドの奥で、あの人の言葉を別の誰かが受け取っている。
「私たちも、町へ戻ってくる方の案内を手伝います」
ミナはそう伝え、配信を終えた。
*
下宿から装備を持ち出すとき、槍の柄が戸口へ当たりそうになった。
ミナは立ち止まり、先端の覆いを確かめてから、斜めにして外へ出た。
身体強化の補助帯。
小盾。
いつもの包丁。
水筒と、布を入れた袋。
採取用の籠は、部屋に置いてきた。
広場へ着くと、すでに荷車が端へ寄せられていた。
守備隊の兵が人の通る幅を空け、作業着の男たちが杭と太い板を運んでいる。
サフィナとハーシムは、担当の兵から説明を聞いていた。
「まだ、慌てて走らせなくていい。こちらを通して、町の中へ。脇の道へ戻ろうとする人がいたら、声をかけてくれ」
ミナは示された道を見た。
先には、食堂へ向かう曲がり角があった。
そこへ、馬の足音が近づいた。
見回りの一人が広場で手綱を引き、担当の兵を呼ぶ。
馬の首には、汗が浮いていた。
「上の浅瀬に、新しい足跡。複数です」
ミナは、槍を持つ手を止めた。
「岸の草が倒れている。街道へは上がらず、川に沿って下っているようです」
担当の兵が、後ろの者へ伝令を命じた。
板を運んでいた男たちの歩みが速くなる。
ハーシムが、盾の帯を締め直した。
「二人とも、今聞いた場所から離れるな」
「はい」
ミナはサフィナと目を合わせ、道の内側へ寄った。
町へ戻ってくる最初の一団が、曲がり角の向こうに見えた。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です




