第94話 町でできること
「今日は、肉が届かない」
食堂の台へ仕入れの紙を置き、ユスフが言った。
ミナは前掛けを結ぶ手を止めた。
「全部ですか」
「うちが頼んだ荷の分だ。通れない橋があって、荷車が別の道を回っている。夕方には来るそうだが、それを待って仕込みはできない」
ベルサから帰った翌日には、テントを広げて乾かし、道具を片づけた。
ギルドへ帰着を伝え、予定どおり一日休んだ。
今日は食堂の担当日だった。
ユスフの紙には、届いたものと、まだ来ていないものが分けてある。
麦と野菜は揃っていた。
「魚なら、いつもの店から分けてもらえる。今朝、舟で届いたものだ」
「見せてもらえますか」
ミナが尋ねると、ユスフは頷いた。
「一緒に行こう。使える大きさと、必要な数を確かめたい」
帳簿を閉じるユスフの横で、バスマが棚の香草を確かめていた。
「戻るまでに、麦の方を始めておくね」
*
魚屋の桶には、銀灰色の川魚が並んでいた。
サフィナと市場を回ったときに、名前を教わったものだった。
ミナは、腹と背の厚みを見た。
丸ごと焼くには、一人分として少し大きい。
切り身にすれば、皿へ載せやすそうだった。
「皮をつけたまま、焼こうと思います」
「なら、こっちの大きさが揃ってるよ」
店の人が別の桶を示した。
ユスフは値段を聞き、仕込みで落とす分も含めて数を決めた。
待っている間、店の前を荷車が通った。
いつもとは違う荷下ろし場を聞いているらしく、御者が道の先を指さしていた。
「あっちの倉も、今日は詰まってるんだよ」
魚屋の主人が言った。
「うちは川から来る分だから間に合ったが、陸の荷は遅れてる。明日は、どうなるかわからんけどね」
ミナは包みを受け取った。
林の地図に引かれた線が、こんなところにもつながっていた。
*
厨房へ戻ると、麦は茹で上がっていた。
バスマが湯を切り、広い器へ移している。
「べたつかないくらいで、止めたよ」
「ありがとうございます。野菜と炒めて、魚の下へ添えます」
魚の下ごしらえを済ませ、一切れずつ布で水気を取った。
皮へ浅く切れ目を入れ、塩を振る。
肉団子の予定で用意していた玉ねぎは、細かく切り直した。
バスマが鍋で野菜を炒める間に、ミナは試しの一切れを焼いた。
皮が鉄板へ触れると、細い音が続いた。
少し反る。
押さえすぎないよう、へらを添える。
触って動かしたくなったが、表面が焼けるまで待った。
「もう返す?」
「あと少しだけ」
端へへらを入れると、皮がきれいに離れた。
返した面は、薄く色づいている。
香草は最初から全部載せず、仕上げに油と合わせた。
魚を火から外す少し前に回しかけると、香りが立った。
麦と野菜の上へ置き、バスマと味を確かめる。
皮は香ばしく、中はほろりと割れた。
皿へ落ちた汁を吸った麦にも、塩気が移っている。
「これなら、魚が少し崩れてもおいしいね」
「崩さないようには、します」
「うん。私も、なるべく急かさない」
二人で笑った。
ユスフに一口分を渡し、出す量と値段を確かめた。
給仕の女性が、入口の献立を書き直す。
今日の皿は、香草焼きの魚と、野菜を混ぜた麦になった。
*
「今日は肉じゃないのか」
開店してすぐ、舟仕事の男が看板を見て言った。
「はい。届くのが遅れているので、今日は魚にしました」
「そりゃいい。川で働いてても、毎日魚を食ってるわけじゃないからな」
隣の男が笑った。
「お前、昨日も肉だっただろ」
「だから今日は魚だ」
注文を聞いた給仕の女性が、二人分、と厨房へ声をかけた。
ミナは切り身を二つ置いた。
いつもの平焼きとは、返す時刻も、一度に並べられる数も違う。
焼いている分と、次に入れる分を分けておく。
客席からは、荷の話が聞こえていた。
いつも寄る岸で積み替えられなかった。
帰りの荷が決まらず、もう一晩泊まることになった。
採取へ行く区画を変えたので、朝はいつもより早く出た。
誰もが同じことで困っているわけではなかった。
待つ時間が増えた人も、急に忙しくなった人もいる。
「魚は、あとどれくらい?」
給仕の女性に尋ねられ、ミナは手元を見た。
「こちらの二人分は、もう出せます。次の方は、少しお待ちいただいてもいいですか」
「伝えてくるね」
バスマが麦をよそった。
ミナは魚を載せ、皿の縁を拭いて渡した。
*
ダリヤが来たのは、最初の混み合う時間が落ち着いたころだった。
役所の職員を一人連れ、入口で献立を確かめている。
「今日は、こちらの都合で困らせていないかと思ってね」
ユスフが出迎え、仕入れの変更を説明した。
ミナも顔を上げ、挨拶をした。
「お帰り、小さな採取人さん。ベルサの仕事は終えられたそうだね」
「はい。見られなかった木もありましたが、採った分は受け取っていただきました」
「うん。立ち入りを控えてくれて助かった」
ダリヤは厨房の中へ入らず、台の向こうに立った。
「仕入れを変えて、余計な費用がかかったものは?」
「魚の代金はこちらです。今日は収まります。ただ、遅れた肉を、明日どこまで使えるか確認が必要です」
ユスフが紙を見せた。
ダリヤは職員へ目を向け、到着した荷の状態は受け取り側でも確かめるように、と言った。
ミナは、焼き上がった魚を一枚よけた。
その手を止めず、尋ねる。
「薬草も、採れない場所が増えると、足りなくなるのでしょうか」
「種類による。今は薬師たちに在庫を確かめてもらっているよ。別の採取地で補えるものもある」
「全部、同じではないんですね」
「そう。必要なものを先に知っておけば、行ける人に、行ける場所を頼める」
ミナは頷いた。
自分たちが林へ戻って、無理に数を増やせば済む話ではなかった。
ダリヤは空いた席へ座り、職員と同じ皿を頼んだ。
料理が届くまでの間にも、近くの客へ、待たされた荷が何だったのか聞いている。
*
「もう一つ、相談がある」
食事を終える少し前に、ダリヤがユスフを呼んだ。
「見回りと荷の整理で、普段と違う時刻に働く者が増える。早朝や夜に、食事を用意できる店を確かめているんだ」
ユスフは、すぐに頷かなかった。
「人数と時刻によります。今の担当に、そのまま時間を足すのは難しいかと」
「もちろん。働く者を増やすか、別の店へ頼むかも含めた相談だ」
職員が紙を出した。
食事を必要とする人数がわかる時刻。
連絡を受ける人。
材料と、働く分の支払い。
ユスフは一つずつ聞き、答えられるところだけを埋めた。
「私は夜遅くまでは残れません」
バスマが言った。
「子供たちがいるので。ただ、昼に仕込んで、次の人へ渡すことなら」
「では、その時間で数えておこう」
ミナも、自分の担当日の紙を見た。
「私も、仕込みを少し早めることはできます。採取へ出る日と重ならなければ」
ダリヤが顔を向けた。
「ありがとう。ただし、その場で全部を決めなくていい。ユスフと予定を確かめてから、返事をおくれ」
「はい」
「君が来られない時間にも、この町の人はお腹が空く。君一人を当てにした予定にはしないよ」
ダリヤはそう言って、皿に残った魚を一口食べた。
少し冷めていたが、皮の端はまだ香ばしかったらしい。
「……この麦が、いいね。魚の汁まで食べられる」
「ありがとうございます。水気を切ってから、野菜と炒めました」
「うん。小さな来訪者さんが、ずいぶん頼もしい料理人になった」
ミナが照れて俯くと、ダリヤの目元も緩んだ。
「ダリヤ様。返答の期限を、まだお伝えしていません」
職員の声で、ダリヤは紙へ目を戻した。
「ああ。明日の昼までに、引き受けられる範囲を教えてほしい。料理がおいしくて、肝心なところを忘れるところだった」
ユスフが小さく笑い、期限を書き込んだ。
*
営業を終えると、魚の残りと、使った麦の量を確かめた。
遅れていた肉は、店を閉めるころに届いた。
ユスフが仕入れ先と状態を確認し、翌日の料理人へ引き継ぐ。
ミナは、夜の食事を増やす場合の仕込みをバスマと考えた。
焼きたてを一人ずつ出す魚の皿は、今日の営業にはよかった。
けれど、時刻のずれる見回りの人たちへ、同じ方法が合うとは限らない。
「切っておける野菜と、火にかけるのを待つものを分けましょうか」
「それなら、引き継いだ人も困らないね。味を決めるところは、その人に確かめてもらおう」
ユスフは、ほかの担当者にも聞いてから返事を出すと言った。
ミナは自分の予定を伝え、今日はいつもの時間に帰ることにした。
戸を出ると、川沿いの荷下ろし場はまだ明るかった。
灯りの下で、箱を数えている人がいる。
その人たちも、このあと、どこかで夕飯を食べるのだと思った。
*
下宿へ戻り、短い配信を始めた。
今日は料理の手順を映す時間は取れなかったので、新しい帳面を脇へ置き、食堂で作ったものを話した。
「魚を焼いて、麦と野菜を添えました。予定していた肉の荷が遅れたので、献立を変えたんです」
〈川風:看板、見たよ。今日は間に合わなかったけど〉
「また魚が入った日に、作れたらと思っています」
〈舟待ち:こちらの市場にも魚が多く出ていました。うちは今日、揚げたよ〉
「揚げるのも、おいしそうですね。衣をつけるんですか」
〈舟待ち:薄く粉をつける。骨の少ないところは、子供もよく食べるので〉
ミナは、次に魚を買うときのことを考えた。
小さく切れば、少ない油でも作れそうだった。
採取のことを聞かれ、立ち入れない区画が増えたことも話した。
「今は、現地の方たちが調べてくださっています。私たちは、案内の出ているところを確認して、次の依頼を選びます」
理由を全部知っているわけではない。
けれど、教えてもらった道を守ることと、見たものを伝えることはできる。
「食堂でも、今できることを、相談しているところです」
文字板に、また今度食べに行く、と届いた。
ミナは笑って、はい、と答えた。
*
その記録を、アルセリア王国の小さな町で、キリルが見ていた。
水晶は、自分のものではない。
顔なじみの宿で、食堂の客が少ない時間に貸してもらったものだった。
宿の主人から、次の客が使うまでだぞ、と言われている。
『食堂でも、今できることを、相談しているところです』
キリルは肘をつきかけ、汚れた袖に気づいて引っ込めた。
午前中、町外れの練習場で魔法を使っていた。
火を大きくすることより、決めた場所で止める方が、思ったより難しかった。
「……もう、そんなことまでやってんのかよ」
ミナは、少し前まで目の強化について、自分へ尋ねていた。
教えたことを試して、できたときには、こちらまで嬉しくなる顔をしていた。
今は、知らない国の人たちと仕事をしている。
キリルは文字板を引き寄せた。
俺も練習してる。次に会ったら。
そこまで書いて止まった。
何を見せるつもりなのか、今はまだ決まっていない。
消して、短く書き直す。
〈飯、うまそうだな〉
送ってから、料理そのものは記録に映っていなかったことを思い出した。
でも、ミナの説明を聞いて、本当にそう思ったのだからいい。
「見終わったか?」
主人に呼ばれ、キリルは顔を上げた。
「うん。ありがとう。また、空いてるときに貸して」
水晶を返し、宿を出た。
練習場へ戻る道で、杖の握り方を少し変えてみる。
さっきは、止めようとする前に、力が入りすぎていた。
次に会ったら、ミナはまた何かを覚えているだろう。
「俺だって」
続きを言う代わりに、キリルは歩く足を速めた。
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