↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
93/117

第93話 いつもと違う跡

「北の沢へ下りる道です。前は、こんなところを通っていなかったんですが」


 野営場の管理人が、地図へ指を置いた。

 ザイードは火の明かりを避け、紙を少し傾けた。


「見たのは、いつだ」


「三日前です。荷を取りに戻った者が、草が広く倒れていたと。その翌日に、私も見ました」


「獣そのものは?」


「見ていません」


 ザイードは頷いた。

 そばにいた隊員の女性が、日付と場所を書き留める。


「明朝、先に確かめる。アミラたちは、それまで北へ入らないでくれ」


「手前の林も、止めますか」


「今夜、そこを閉じる根拠はない。ただ、朝の見回りで何か出れば変える。出る前に管理の者へ聞いてほしい」


 ミナは、自分の地図の端へ小さく印をつけた。

 明日の道順は、まだ決め直さなくていい。

 先に確かめてもらうのを待つ。


 ザイードが顔を上げ、ミナの手元を見た。


「君も、採取の一行か」


「はい。ミナです。サハルから来ました」


「そうか。今日はもう休んでいい。朝の話は、全員に伝える」


 言われて、ミナは帳面を閉じた。

 地図を見ているうちに、明日のことを、今すぐ全部決めなければならない気がしていた。


「ありがとうございます」


 ザイードは軽く頷き、管理人との話へ戻った。


     *


 テントへ入ると、外の声が少し遠くなった。


 敷いた布の上へ膝をつき、寝具を広げる。

 頭を起こしたとき、天井へ触れない場所を確かめた。

 槍は決めた位置へ置き、小盾と靴は入口のそばへ揃えた。


「ミナ、起きてる?」


 外からサフィナが呼んだ。


「はい」


「夜中に外へ出るなら、声かけてね。私、隣だから」


「サフィナさんも、呼んでください」


「うん。おやすみ」


 足音が離れた。

 今夜の見張りは、ハーシムも含め、慣れた者で交代することになっている。

 ミナは見張り役の位置と、何かあったときに集まる場所を思い出した。


 横になると、地面の硬さが肩に伝わった。

 布の向こうで、誰かが薪を動かしている。

 下宿の寝台とは、ずいぶん違う。


 しばらくは、小さな音のたびに目が開いた。

 それでも、次に聞こえたのは、朝の湯を沸かす声だった。


     *


「肩、固まった?」


 テントから出て腕を回していると、サフィナが笑った。


「少しだけ。でも、眠れました」


 朝露で、テントの表が湿っていた。

 すぐ畳まず、朝食と荷物の確認を先にする。

 ハーシムは交代のあとに休めたようで、湯を飲みながらアミラと話していた。


 ザイードたちが戻ってきたのは、そのころだった。

 外套の裾に、濡れた葉がついている。


「北の沢へ下りる区画は、今日は使わない。手前の採取地までなら通れる」


 地図が広げられた。

 隊員の女性が指した線は、ミナたちが回る予定の端にかかっていた。


「奥の六本は、やめておきましょう」


 アミラが言った。


「午前のうちに手前を終えて、町へ戻ります」


「ああ。人数をばらけさせずに進んでくれ」


 見つかったのは、複数の獣が沢へ向かった跡だったという。

 大きさの違う足跡が重なり、一部は斜面の高いところから下りていた。

 何から逃げたのか、ただ水を求めて移ったのかは、まだわからなかった。


「俺たちは沢の上を調べる。林の作業道には、別の見回りを置く」


 ザイードが言い終えると、管理人は掲示用の板を出した。

 使えない区画と、通れる道が書き込まれていく。


 ミナは自分の地図にも同じ線を引いた。

 奥の木を見られない分、採れる量は減る。

 けれど、依頼そのものがなくなったわけではなかった。


     *


 テントは、布の表を拭いてから畳んだ。

 縫い目のそばには、まだ少し湿り気が残っている。


「帰ったら、もう一度広げます」


 ミナが言うと、ハーシムは頷いた。


「そのまま袋へ入れっぱなしにしないようにな」


 杭を数え、抜いた場所に忘れ物がないか確かめる。

 広げる前と同じ地面へ戻ると、少し寂しかった。

 昨夜は、ここが自分の寝る場所だった。


 荷物を背負い直す。

 肩に紐が落ち着くのを待ってから、ミナは歩き出した。


     *


 午前の林は、昨日より涼しかった。

 持ち主の印が映らないよう水晶の向きを確かめ、手元を中心に配信を始める。


「今日は、見られる区画が少し変わりました。現地の方に確認していただいた道を通っています」


 細かな場所の説明はしなかった。

 文字板には帰り道さんの名前があり、気をつけて、と短く届いた。


 最初の木で、ミナは昨日借りた道具を取り出した。

 樹脂の下へ先を入れる前に、端の浮いているところを探す。


「そっちは残して。色が濃くても、まだ柔らかいよ」


 アミラの声に、手を止めた。

 別の塊へ道具の腹を軽く当てると、確かに、さっきより硬い感触があった。


「見た目だけでは、決められないんですね」


「日に当たる側と、陰でも違う。何本か触れば、わかってくる」


 ミナは頷き、採れた分を容器へ入れた。

 サフィナが番号を確かめて蓋をし、籠へ収める。


 二人の間で、昨日ほど容器が行き来しなくなった。

 先に次の札を用意しておくと、樹脂のついた手で紙に触れずに済んだ。


「この順番、いいね。手袋が紙にくっつかない」


 サフィナが言った。


「昨日、少し破いてしまったので」


「見た。こっそり裏返してたでしょ」


 ミナは笑って、次の容器を受け取った。


     *


 四本目の木へ近づいたとき、アミラが足を止めた。


「ここもか」


 根元の草が倒れていた。

 幹の採取口より下には、泥が擦れたような跡がある。


 ハーシムが前へ出て、地面を見た。

 現地の見張り役は、少し離れて周囲を確かめている。


「皆、そこで待ってくれ」


 ミナは道具をしまい、サフィナの隣へ戻った。

 何の足跡なのか、自分にはわからなかった。

 昨日見た沢の話が頭に浮かんだが、同じものとも限らない。


「アミラさん、この木は、前にも採ったんですよね」


「九日前。この列は、私が見た」


「そのとき、幹の泥はありましたか」


 アミラは首を傾げた。


「これほど広い跡なら、気づいたと思う。ただ、根元までは書いてないね」


 ミナは帳面を開いた。

 前回の採取では気づかなかった、と書く。

 なかった、と書きかけたところは、直した。


 草の倒れている範囲は、作業道の幅より広かった。

 人が籠を下ろして踏んだだけなのか、何かが通ったのか。

 ミナは考えながら、今立っている場所から見える形を描いた。


 ハーシムが戻ってきた。


「いくつか足跡がある。俺だけでは種類を決められない。ここから先は、いったん止めよう」


 アミラは迷わず頷いた。


「戻り道の三本は、見ながら帰れますか」


「さっき通った範囲までなら。ただ、時間はかけずに」


 見張り役が合図の笛を短く吹いた。

 返事が、作業道の向こうから聞こえた。

 朝、配置された見回りが近くにいる。


 ミナは帳面を閉じた。

 地面に近づかなくても、今書けることは書けた。


     *


 来た道を戻ったところで、見回りの二人と合流した。

 一人が一行について歩き、もう一人が跡を確かめに向かう。


 帰りに見た三本のうち、採れたのは一本だけだった。

 残りは柔らかく、まだ外せない。

 ミナは昨日と同じように、採取せず、と書いた。


 今日の紙には、それとは別の欄もできた。

 立ち入らず、未確認。


 採れなかった木と、見られなかった木を分ける。

 どちらも容器の中身は増えないが、次に来る人へ伝えることは違っていた。


 林の入口まで戻り、アミラが人数と籠を確かめた。

 ここで配信を終えると伝えると、文字が届いていた。


〈帰り道:無事に戻れてよかったです〉


「ありがとうございます。量は少なくなりましたけど、採った分は、これから届けます」


 ミナは蓋の閉じた籠を見せた。

 その横で、サフィナが肩の紐を直していた。


     *


 野営場へ戻ったところで、ザイードたちと会った。


 朝とは別の道から来たらしく、靴には赤茶色の土がついている。

 報告を聞くと、ザイードはアミラに木の番号を確かめた。


「前回の採取日は、残っているか」


「町の台帳にあります。九日前です」


 ミナも帳面を差し出した。


「今日見た範囲は、こちらです。足跡の種類は、私にはわかりませんでした」


 ザイードは絵を見て、隣に書いた時刻へ目を移した。


「木のこちら側から見たんだな」


「はい。地面には、近づいていません」


「それでいい。跡を調べる者が、あとを引き受ける」


 隊員の女性が必要なところを写し、ミナへ帳面を返してくれた。


「これ、預けなくていいんですか」


 ミナが尋ねると、ザイードは少し笑った。


「まだ君たちの仕事で使うだろう。こちらは写しで足りる」


 確かに、町へ戻って納品するときにも必要だった。

 ミナは帳面を受け取り、礼を言った。


「見つけたときに止まってくれて助かった。踏み荒らされる前なら、わかることもある」


 その言葉で、ミナは少し息を吐いた。

 何も突き止められなかったのに、戻ってよかったのだと思えた。


     *


 ベルサの倉へ着くと、容器は一つずつ開けられた。

 受け取りの男が色と硬さを見て、混じった樹皮を確かめる。


 落として土がついた分は、別の皿へ移された。

 きれいな分とは値が違うと説明され、ミナは頷いた。


「この番号は、空か」


「柔らかかったので、採っていません。こちらの六本は、立ち入りを止めた区画です」


 アミラが紙を示した。

 男は読み比べ、台帳へ印をつけた。


「なら、全部を同じ日に回り直す必要はないな」


 採取した量に応じた分と、確認して記録する仕事の分。

 最初に決めた条件どおりに精算され、三人にも報酬が渡された。


 ミナは硬貨をしまい、借りていた道具を返した。


「次は、落とさないようにします」


「最初より、手の力は抜けてたよ」


 アミラが道具を受け取った。


「また来るなら、違う季節にもおいで。同じ木でも、採れるものの様子が変わるから」


 ミナは顔を上げた。


「はい。見てみたいです」


 いつ来られるかは、まだわからない。

 それでも、次にベルサの名を聞いたときには、あの林と、甘い匂いを思い出すだろうと思った。


     *


 帰りの船では、サフィナが先に眠った。

 袋を抱え、肩を船室の壁へ預けている。


「ミナも休んでいいぞ」


 ハーシムに言われ、ミナは帳面をしまった。

 今日は、船の中で書き足さなくてもよかった。

 必要なことは、林と倉で残せている。


「ハーシムさんは、休まなくて大丈夫ですか」


「サフィナが起きたら、代わる」


 ミナは頷き、背もたれへ体を預けた。

 荷物の下に、畳んだテントがある。

 町へ戻ったら広げることだけ、忘れないようにした。


 目を閉じると、昨日の焚き火の音が浮かんだ。

 今は、その代わりに船の横で水が鳴っていた。


     *


 その日の夕方、ザイードは野営場の机へ、二枚の地図を並べていた。


 一枚は、今朝歩いた沢沿いの道。

 もう一枚には、周辺の採取人や見回りから届いた報告が書き込まれている。


「水場を移っただけなら、この尾根を越える必要はありません」


 隊員の女性が指した。

 確認できた足跡には、種類の違うものが混じっていた。

 すべてが同じ方向へ向かっているわけではない。

 だが、以前は通らなかった場所を使い始めた群れが、ひとつではなかった。


「追っているものの跡は?」


「今のところ、見つかっていません」


 ザイードは、地図の上から手を離した。


「たまたま見つからなかったのか、いないのか…。まずは水と餌、それに魔力の観測記録を照会する」


 サハルでは、先日の調査を引き継いだ者たちが、観測を続けている。

 そちらへ送る紙に、確認した場所と日付を記した。

 昼に受け取った採取記録の写しも、一緒に重ねる。


「ファリドに届けてくれ。こちらは明日、東側を回る」


 返事をした隊員が、紙を筒へ収めた。

 野営場の外では、見張りが夜の交代を始めていた。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。