第92話 川の向こうの仕事
「十四歳になったんだって? 言ってよ」
待ち合わせ場所へ着くなり、サフィナに言われた。
ミナは背負い袋の紐から手を離した。
「ありがとうございます。配信で、少しお話ししただけだったので」
「あとから見た。甘いもの、おいしそうだったね」
「今度、作ります」
「それは食べたい。でも、私がお祝いした後にね」
サフィナが笑い、ミナも笑った。
袋の口を開いて、青緑色の小さな布袋を見せる。
「これは、お姉ちゃんが送ってくれたんです」
「可愛い。花がついてる」
サフィナが覗き込み、白い刺繍を眺めた。
ミナは少しだけ胸を張ってから、濡れないよう奥へしまった。
「おめでとう」
荷物を確認していたハーシムも、顔を上げた。
「年が増えても、荷物を急に増やすなよ」
「増やしてはいません。鍋は、少し重くなりましたけど」
「必要な分ならいい。こっちの紐、もう一度締めておこう」
袋の下には、畳んだテントがくくりつけてあった。
ミナは紐を引き直し、結び目を確かめた。
今回は、町の外で一泊する仕事だった。
*
依頼を紹介されたのは、誕生日から数日後だった。
サハルより少し上流、対岸にあるベルサという町。
そこから内陸へ歩いた林で、染め物に使う樹脂を採り、採取した木の状態を記録する。
現地の採取人が作業を教えるので、初めて扱う者でも相談できるとあった。
「量を採る人手だけでなく、木ごとに分けて持ち帰れる人を探しています」
ギルドの職員は、ミナが書いた記録を一枚添えてくれた。
「先方へ、こういう記録を残せる方がいると伝えたところ、話をしてみたいと」
ミナは、地図に並んだ小さな印を見た。
採取する林は二つあり、その間に共同の野営場がある。
一日目の午後に手前の林、翌朝に奥の区画を回る予定だった。
町へ戻って泊まると、往復で作業の時間がほとんどなくなる。
現地の一行も、野営するという。
ハーシムが警備と水場について尋ね、サフィナは船の発着を確かめた。
ミナは帰着予定と、食堂の担当日を並べた。
一日の余裕を残して戻れる。
「樹脂は、採ったことがありません」
「それは伝えてあります。現地で方法を確かめ、難しければ任せる範囲を変える約束です」
ミナはもう一度、木の印を見た。
知らないものを、知っている人と採りに行ける。
「やってみたいです」
報酬と役割を三人で確認し、依頼を受けた。
*
ベルサの船着き場には、長い木箱が積まれていた。
サハルのように人が流れ続ける場所ではなく、荷車が一台通ると、次の一台は端で待つ。
川沿いの倉には、乾いた木と、少し甘い匂いがあった。
迎えに来ていたのは、髪へ茶色の布を巻いた女性だった。
腰には、小さな道具が何本も差してある。
「アミラです。採り方は私が教えます。こちらの三人と一緒に回りましょう」
荷を担ぐ二人と、槍を持った見張り役が待っていた。
ハーシムが挨拶を交わし、歩く順番を相談する。
アミラはミナの袋へ目を落とした。
「包むものは?」
ミナは布と、口を縛れる小袋を出した。
アミラは一つを指でつまみ、頷いた。
「柔らかい樹脂は、それに直接入れないでね。くっついて、布ごと納めることになる」
現地で用意された浅い容器を渡された。
内側には、つるりとした葉が敷いてある。
「固いものでも、日が当たると粘る。蓋をして、籠の中へ。使ったことのない葉でしょう?」
「はい」
「これもあとで、一本見せるよ」
ミナは自分の布をしまい直した。
持ってきたものが全部、そのまま使えるわけではなかった。
*
林へ入る前に、ミナは配信をしてよいか尋ねた。
アミラは少し考えてから、手元と道具なら構わないと言った。
「木につけてある持ち主の印は、近くで映さないで。場所も、細かく言わないようにね」
ミナは頷き、水晶の向きを直した。
仕事の手順を聞いている間は、文字板を見ないことにする。
ダイラという木の幹には、琥珀色の塊がついていた。
光を通すところと、砂や樹皮が混じって濁ったところがある。
近づくと、船着き場で感じた甘い匂いがした。
「そのままで色がつくんですか」
「これは、色を布へ留めたり、にじみ方を変えたりする材料。何と合わせるかは、染める人の仕事だね」
アミラは幹の横へ立ち、丸みのある薄い道具を出した。
「今日は、新しく傷をつけて樹液を出す作業はしない。前に管理の者がつけた採取口と、その周りを見ていく」
先端を、固まった塊の下へ入れる。
表へ垂れた部分だけを少しずつ外すと、幹には薄い層が残った。
「木に貼りついているところまで、きれいに剥がさなくていい。傷を広げないこと」
ミナは腰の包丁へ伸ばしかけた手を止めた。
あの刃なら、境目へ入れることはできるかもしれない。
けれど、どこまで残すべきかは、まだ自分では決められなかった。
「貸していただいても、いいですか」
渡された道具は、包丁より先が鈍かった。
同じように差し込んでも、塊はすぐには動かない。
「押すより、端を探して。浮いているところがある」
ミナは顔の位置を変えた。
木漏れ日が横から入ると、細い影が見えた。
「ここですか」
「そう。その下」
道具を入れ、少しだけ手首を動かす。
ぱき、と小さな音がして、指の先ほどの塊が離れた。
受け皿へ落とすと、サフィナが蓋を寄せてくれた。
「お菓子みたいだね」
「食べませんよ」
「まだ何も言ってないんだけど」
サフィナが笑い、アミラまで笑った。
ミナは少し赤くなって、容器の札へ木の番号を書いた。
*
次の木では、同じくらいの塊がついていたのに、アミラは採らなかった。
「まだ柔らかい。ここは残す」
ミナは番号を書き、その横へ理由を添えた。
採取量の欄には、何も入れないでおこうとして、筆を止める。
「採らなかったことがわかるように、線を引いてもいいですか」
「どういうふうに?」
「何も書いていないと、見ていない木と、同じになるので」
アミラが紙を覗いた。
見た時刻。塊の状態。採った量。
ミナは、採取せず、と短く書いた。
「いいね。明日の人が、また確かめに戻らなくて済む」
「もし、もう一度見た方がいいなら、そちらも書きます」
「じゃあ、ここは数日置く、とお願い。雨が来たら、また変わるけど」
後ろでは、ハーシムと現地の見張り役が、少しずつ位置を替えていた。
ミナは次の木へ進む前に、二人の姿を確かめる。
見えるところで待ち、声がかかってから移動した。
一度、樹脂を受け損ねて、落ち葉の上へ落としてしまった。
拾うと、細かな土がついている。
「そっちは別に。使い道はあるから」
アミラに言われ、ミナは新しい容器へ入れた。
きれいな方へ混ぜず、落とした分と書く。
いくつかの木を回るうちに、最初ほど強く道具を押さなくなった。
手袋についた樹脂を見て、次はもっと早く気づいて拭こうと思った。
*
日が傾く前に、共同の野営場へ入った。
林から少し離れた高い場所で、杭の囲いと、水を汲む場所がある。
荷車を置く屋根はあったが、人が寝る小屋はなかった。
焚き火の場所には石が並び、先に着いた作業の一行が湯を沸かしていた。
ハーシムが管理の者へ話を聞き、夜の見張りの分担を確かめに行った。
ミナとサフィナは、案内された区画へ荷を下ろす。
「ここ、少し窪んでますね」
ミナは地面を見て、二歩横へ移った。
雨が流れた跡のない場所を選び、下にある小石を除く。
木の真下を避け、入口が火の方へ近づきすぎない向きにした。
畳んだ布を広げる。
支柱を通し、まず片側を留める。
紐を手に取ると、最初に練習した日のことを思い出した。
どれを引けばいいかわからず、せっかく立った布を、また倒してしまった。
今日は、引く前に反対側を見た。
張りすぎないところで結び、杭を打ち直す。
〈灰ねこ:こなべさん、その位置なら入口の前にも余裕があるね〉
文字板を見て、ミナは笑った。
「はい。最初は、立てるところだけで、いっぱいだったので」
〈灰ねこ:覚えているよ〉
短い文字だった。
ミナは手元の紐を見て、結び目を一度引いた。
「あのときは、ありがとうございました」
サフィナが、自分の荷を下ろしながら覗き込んだ。
「最初から知ってる人?」
「はい。最初に、教えてくださった方です」
「じゃあ、今日は安心して見ていられるね」
ミナは立ち上がり、テントを一周した。
布の端と、地面の隙間を確かめる。
戻ってきたハーシムにも見てもらってから、荷物を入れた。
小さな屋根の下に、寝る場所ができていた。
*
夕飯には、持ってきた干し肉を細く裂いた。
新しい小鍋で湯を沸かし、硬いパンを手で割って入れる。
肉の塩気が移ったところへ、町で買った葉野菜を加えた。
アミラが、隣から鍋を見た。
「パンを煮るんだね」
「はい。今日は、歩いている間に少し乾いてしまったので」
「うちは、焼いてから汁に浮かべるよ。柔らかくなりきる前に食べる」
ミナは袋に残したパンを見た。
一切れ渡すと、アミラは串へ刺して、火の端であぶってくれた。
鍋の中のパンは、汁を吸ってとろりとしている。
上に載せた一切れは、噛むと香ばしかった。
「同じパンでも、違いますね」
「乾いたからって、悪いことばかりじゃない」
ミナは頷いて、もう一口食べた。
今夜の火は共同で使っているので、食べ終えた鍋はすぐに外し、次の人へ場所を空けた。
配信を終える前に、明日は奥の区画を回ると伝えた。
詳しい場所は言わず、今日教わったことを、少しだけ話した。
「木に残すところを、間違えないようにしたいです」
水晶を収めると、少し離れた入口で、馬の足音がした。
*
入ってきたのは、四人の一行だった。
先頭の男は、馬から下りると、自分で手綱を杭へ結んだ。
日に焼けた首へ藍色の布を巻き、長い外套の下に、傷のある金属の腕当てが見える。
こめかみには、少し白いものが混じっていた。
「ザイードさん」
管理の男が声をかけた。
ハーシムも顔を上げ、姿勢を正した。
「こちらまで来られていたんですか」
「橋と、林道の確認だ。邪魔をする。火を少し借りても?」
ザイードと呼ばれた男は、席を空けようとした者へ、そこまでしなくていいと片手を振った。
同行者の一人が、水筒へ湯を分けてもらっている。
ミナがそっとハーシムを見ると、低い声が返ってきた。
「共同評議会から派遣される討伐隊の隊長だ。大きな魔物が出たとき、あの人に助けられた町はいくつもある」
男は、その説明を聞いてはいなかった。
管理の者が広げた地図へ膝をつき、指で道をたどっている。
「東の橋は、荷車を止めておいてくれ。下の支えが浮いている。修繕の者には、こちらから知らせた」
「明日の荷は、どう回します」
「南の道が使える。歩きの者も、暗くなってから橋を渡らせるな」
同行した女性が、通れる道を紙へ写し、管理の男へ渡した。
ハーシムもそばへ行き、明日回る区画と帰りの道を確認した。
自分たちの予定する道には、今のところ変更はないという。
ミナは洗った鍋を拭きながら、やり取りを聞いていた。
誰かが迷いかけると、次に何を確かめるかが決まる。
答えを待つ者も、話し終えた者も、少しずつ自分の仕事へ戻っていった。
アミラが容器を片づけていると、ザイードが顔を向けた。
「明日は、北側も回るのか」
「手前の区画まで。奥には入らない予定です」
「わかった。もし足跡を見たら、採取を続ける前に見張りへ伝えてくれ」
アミラの手が止まった。
ザイードは地図の端を押さえ、尋ねた。
「獣道が変わったというのは、この先か?」
焚き火が、小さく音を立てた。
ミナは鍋を袋へ収め、明日の地図を、もう一度取り出した。
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