第9話 王認冠位会議のあと
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王城の門で、グレンは案内状を出した。
門衛は封の印を確かめ、顔を上げる。
「お待ちしておりました。万象冠」
「ありがとう。会議室は、いつもの?」
「はい。皆様、お集まりになっています」
旅の荷物は、王都の宿に置いてきた。
リュネールを出て三日。道中で直した車輪については、今日の報告には入れなくていい。
代わりに、迂回路のぬかるみは書き足した。
石の廊下を進むと、前を歩いていたリゼが振り返った。
脇に、薄い資料鞄を抱えている。
「間に合ったね」
「昨日のうちには着いたよ」
「食事は?」
「取ってる」
リゼは少し笑った。
「その返事、前は『あとで』だった」
グレンは否定できなかった。
*
会議室には、空いた椅子もあった。
それぞれの席の前に、冠位を示す小さな札が置かれている。
人のいない席には、封をした報告書。
遠征先から届いたものは、書記が読み上げることになっていた。
王認冠位。
武技、魔法、探索、技術。
王国が、その分野の最高峰として認めた者に授ける冠だった。
同じ部隊ではない。依頼を受ける場所も、普段の仕事も違う。
半年に一度、この部屋で互いの報告を聞く。
国王が着席すると、話が始まった。
グレンは、地図を机へ広げた。
「北の峠道は、荷車六台を一度に通すには狭すぎます。途中で止まると、後ろの車列まで逃げ道を失う」
指で、道の脇を示す。
「先に退避場所を二つ整えて、小分けに通す方がいい。古い迂回路も見ましたが、雨のあとには使えません」
「護衛を増やせば通せるか」
問いに、グレンは首を振った。
「魔物は抑えられても、車輪が沈むのは防げないので」
机の向こうで、大きな男がうなずいた。
「人を足すなら、護衛より道を直す方へ回せ」
バルドだった。
濃い髭と、眉を横切る古い傷。椅子の背が、肩の幅より狭い。
低い声が、部屋の端までよく通る。
「先頭を守れても、後ろで押し合えば怪我人が出る。止まったときに、どこへ下ろすか決めとけ」
盾冠。
彼の報告でも、討伐した数より、運び出した人の数と、逃げ道を確保するまでの時間が先に出てきた。
続いてリゼが、留め具を机に置いた。
新しいものと、古いもの。二つ並べると、形はよく似ている。
「厚い手袋でも外せるように、ここを広げました。ただ、枝に引っかかっただけでは外れない」
実際に手袋をはめ、指を入れて見せる。
「道具に詳しい人が使えるだけじゃ、現場には回せないから。寒さで指が動かなくても、同じ手順で使えるものにします」
国王が試作品を手に取り、仕組みを確かめた。
書記の筆が、紙の上を走る。
匠冠の資料には、製作数だけでなく、壊れた箇所と、直して使えた数も書かれていた。
議題は、昼を挟んで続いた。
*
最後の確認が終わると、椅子が引かれた。
次の依頼先へ向かう者。
王城の担当者と、別の相談へ移る者。
いつもならグレンも、資料をまとめてそのまま帰っていた。
今日は、鞄を閉じずに待った。
リゼが、別の紙束を取り出す。
「こっちは、まだ報告に入れられないんだけど」
包丁の形と、刃の付け根に見えた線。
いくつかの部分は空白のままだった。
「全部は読めない?」
「映ってないところもあるし、見えてても分からないところがある」
リゼは、短い線へ指を置いた。
「普通なら、ここに補助の印が入る。でも、ない。同じ働きを別のところで済ませてるのか、それとも、組み方そのものが違うのか」
「切れ味を上げてるんじゃなくて?」
「それだけなら、あの止まり方が気になる」
閲覧水晶を置く。
記録が動き、木の根が大きく映った。
その端で、包丁を握る小さな手が震えている。
グレンは、見やすい位置まで進めた。
「ここだね」
刃が止まる。
柄の向きが、少し変わる。
次の瞬間には、通っていた。
「このとき、力を足してないのよ」
リゼが紙へ目を落とす。
「料理でも同じ。膜を張って、刃を寝かせてる。包丁だけ渡されても、同じことができるとは限らない」
グレンはうなずいた。
「俺なら、そもそもそこへ入れようと思わない」
「私も。だから、一度実物を見たい。使ってる子の手元も」
水晶から、浅い息の音が聞こえた。
グレンは記録を止める。
「……声が届けば、と思ったんだ。あのとき」
リゼが顔を上げた。
「文字は送れたんでしょ?」
「送れた。でも、画面を見るまで待つしかなかった。目を離してほしくないときにも、読んでもらわなきゃいけない」
いつもの挨拶がない映像。
跳ぶ前の、低い姿勢。
間に合うか考えるより先に、声が出た。
聞こえるはずがないと、分かっていたのに。
「受話付きの配信水晶はあるよ」
リゼは、自分の仕事の帳面を開いた。
「最新型。持ち主が許可した相手の声だけ受け取れる。音を切る操作もできるから、台所で急に知らない人が叫ぶことはない」
「中古のに、部品を足せる?」
「型による。あの子のは、受ける側の回路がない。外付けで組むと、かえって重くなるし、魔石も余計に食う」
帳面の一行を、グレンへ見せる。
グレンは数字を読んだ。
もう一度、読んだ。
「……見習いが買う道具の値段じゃないな」
「普通は、遠征隊が共同で買うものだから」
「それで、その子は帰れたのか」
頭の上から、声がした。
バルドが立っていた。
鞄を片手に持ち、もう片方の手で、水晶を指している。
グレンは顔を上げた。
「帰れた。ギルドに報告して、手首も手当てしてもらった」
「そうか」
大きな肩が、わずかに下がった。
「お前ら、何の記録を見てる」
「見習いの、防犯用の配信」
バルドは止まった映像を見た。
小さな刃と、細い手首。
「これで戦う講座か?」
「違う。普段は、鍋が映ってる」
バルドがグレンを見た。
リゼが、横でうなずく。
「煮込みとか。パンとか」
しばらく、返事がなかった。
*
場所を、隣の控えの間へ移した。
茶が出され、グレンは記録の一覧を開く。
見せたのは、ガマの続きではなかった。
手袋の糸を引く手。
文字板へ目を向ける少女。
『ここまで、引けばいいですか?』
リゼが、指で画面を示した。
「これは私。糸の引き方を説明してる」
「どれがお前だ」
「文字の方。針しごと」
バルドは水晶へ身を屈めた。
修理を終えた少女が、軽い荷物を持ち上げてみる。
手袋を確かめ、小さく笑った。
『穴、開きませんでした』
バルドの視線が、少女の指に止まる。
「……直したのか」
「うん。自分で」
リゼは、茶を一口飲んだ。
次の記録では、鍋から湯気が上がった。
香草と、芋と、白い身。
『今日は、ご飯を食べられました』
「これが、さっきのガマ?」
バルドが尋ねる。
「そう」
グレンはうなずいた。
「俺は、一緒に飯を食ってみたいかな」
「ガマをか」
「それもある。けど、この子が落ち着いて飯を食ってるところを、画面の外で見たい」
リゼが、水晶の端へ目を向けた。
「まだ、会ったことはないのよね」
「ないよ。向こうは、俺を灰ねこだと思ってる」
バルドがゆっくりと顔を向けた。
「……灰ねこ?」
「前から使ってる閲覧名」
髭の奥で、口元が動いた。
「似合わんな」
「自分でも、そう思う」
グレンは茶の器を置く。
「水晶のことは、教えておこうと思ってる。必要かどうか決めるのは、この子だけど」
「支援はできるのか」
バルドが聞いた。
「できる。ただ、上限が低い」
グレンは、配信の案内を開いた。
一人が送れる額ではない。
その日の、全視聴者から届く合計額。
「みんな合わせて、一日分の食費くらいまで。配信を分けても、その日の枠は増えない」
「ずいぶん少ないな」
バルドが言うと、リゼがうなずいた。
「昔は、もっと送れたの。誰が一番多く送ったか、名前と金額まで並べてた」
「競わせてたのか」
「そう。生活費まで使う人が相次いで、今の仕組みになった。金額の順位も出なくなったよ」
バルドは、支援の表示を見直した。
「応援する方が、飯を食えなくなっても困るな」
リゼが帳面の値段を見直した。
「全部貯めても、数か月。配信しない日もあるし、食費に使う分もあるなら、もっとかかる」
「なら、俺が買って――」
バルドは言いかけて、止まった。
画面の中で、少女が器を両手で持っている。
名乗ったこともない相手だった。
「……いきなり届けられても、困るか」
「少なくとも、まず話してからだね」
グレンはうなずいた。
「助かった道具でも、使い方を覚える時間はいる。今のを、ちゃんと扱えるようになってきたところだし」
「買うときには相談に乗れる。機能を絞れば、値段も少し変わるかもしれない」
リゼは帳面を閉じた。
「それまでは、今日の食事に使ってもらったっていいよ。食べる分を削って、水晶を買ってほしいわけじゃない」
バルドは、黙って聞いていた。
「次に見られたら、少し送っておくか」
グレンが言う。
「私も。ずっと手袋の話だけしてたから」
バルドは水晶へ指を伸ばした。
まだ触らずに、止める。
「それは、どこを押す」
二人が、彼を見た。
「まず、配信を開いてから」
グレンが説明すると、バルドはうなずいた。
リゼが支援の表示を指す。
「でも、誰かが先に上限まで送ったら、その日はここを押しても送れないよ」
バルドの目が、少し細くなった。
「……先に?」
グレンは茶を飲みかけて、器を置いた。
「その辺は、争うところじゃないと思うんだけど」
「分かってる」
返事は、妙に早かった。
*
帰り際、バルドがもう一度だけ、ガマの記録を見たいと言った。
今度は、包丁が入る前。
少女が木のそばへ避け、立ち直ろうとしているところだった。
「刃じゃない。足を見てる」
グレンが記録を止めると、バルドは首を振った。
「動いてる方が分かる」
再び、映像が進む。
「避けたあと、足がそろう。次に動こうとして、また踏み直してる」
バルドは、床へ目を落とした。
椅子を避けるように立ち、一歩だけ足を動かす。
「力がなくても、変えられるところはある。荷物を離したあとの動きまで、練習しといた方がいい」
「本人は、留め具を外す練習はしてたんだ」
グレンが言う。
「それはよかった。袋を抱えたままなら、もっと遅かった」
バルドは、止まった少女の姿を見た。
「こいつだけじゃないだろうな」
リゼがうなずく。
「新人に売れる道具は増えてる。でも、買ったあとにどう動くかまでは、店じゃ教えきれない」
「王都のギルドに聞いてみるか」
バルドは、鞄を持ち直した。
「盾を買う前に覚えられることもある。講座を開けるなら、そこからだ」
グレンは顔を上げた。
「配信もすれば、ほかの町の新人にも届くね」
「撮る方は、誰かに任せる」
そこだけは、きっぱりと言った。
*
宿の部屋で、バルドは閲覧水晶を机に置いた。
大型の魔物が押しても動かなかった腕で、台座の向きをそっと直す。
横に置いた紙には、グレンに書いてもらった配信名があった。
こなべ。
検索欄へ、一文字ずつ入れる。
最後を押したつもりで、その隣に触れた。
一文字、消えた。
バルドの眉間に、深い皺が寄る。
「……小せえな」
もう一度、打ち直した。
見つかった配信は、今は休止中だった。
下に、記録が並んでいる。
テント。
パン。
手袋。
バルドは、最初の一つを開いた。
低く傾いたテントの前で、少女が水晶をのぞき込んでいる。
少女が挨拶をする。
返事をしようとして、口を閉じた。
記録だった。
少しして、文字が映る。
〈灰ねこ〉
バルドは、その名前を確かめた。
グレンは、最初からいたらしい。
少女が細い支柱を持ち、テントの入口を見直している。
大きな手が、机の上で止まった。
「……そこじゃ、頭が入らんぞ」
届かない助言を一つこぼしてから、バルドは椅子を水晶へ近づけた。
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