第89話 根の下にあるもの
掘り具の先が、小石に当たった。
ミナは手を止め、土の隙間を覗いた。
白い根が石の下へ潜り、その向こうで少し太くなっている。
「そっちへ曲がってる?」
隣のサフィナが尋ねた。
「はい。引くと、ここで折れそうです」
ミナは掘り具を置き、指先で石の周りを崩した。
上から見ただけなら、まっすぐ下へ伸びていると思っただろう。
葉を握って抜こうとすれば、ナイラに見せられた、裂けた根になっていた。
土を少しずつ除き、石を横へ動かす。
隠れていた根が、ようやく見えた。
*
宿を出たのは、町の水路にまだ薄い靄が残っている時刻だった。
支所で最新の目撃情報を確かめ、リフナの外へ向かう。
沢沿いには、板のような背を持つ沢鎧蜥蜴がいると教えられた。
背を斬ろうとせず、長い尾にも近づかないこと。
ハーシムは通る道を確かめ、ミナたちにも、出会ったらまず距離を取るよう伝えた。
町を離れてから、防犯のための公開配信を始めた。
今は、水晶が土とミナの手元を映している。
最初に訪れたのは、ナイラが新しく丸をつけた、低い区画だった。
沢には近いが、水際そのものではない。
落ち葉を払うと、黒い土の下に細かな砂が混じっていた。
指で押すと湿り気はある。
けれど、掘った穴へ水が染み出してくることはなかった。
「ずっと水が溜まる場所では、なさそうです」
「今日は、ね」
サフィナが、少し下の窪みを指した。
「雨の後は、そっちを流れると思う。ここまで上がるかは、見ただけじゃわからないけど」
ミナは頷き、帳面へ言葉を足した。
今朝、掘った範囲では、水は溜まらない。
近くには、細い葉を出した若い株がいくつもあった。
依頼に使えそうな大きさのものは、その中に少しだけ混じっている。
根を掘り上げてみても、目につく腐りはなかった。
なぜ増えたのかは、わからない。
ミナは若い株には触れず、成熟したものを選んで、周りから土を掘った。
*
石の下から外れた根を、手のひらで支える。
最後に細い根が少し残ったが、教わったとおり、無理に全部を追わなかった。
「取れました」
サフィナが籠を寄せてくれた。
土の塊を軽く落とし、布の上へ寝かせる。
付け根は割れていない。
「包丁は、使わないんだね」
「見えないところを切ると、欲しい根まで切ってしまうので」
ミナは腰の鞘に触れた。
よく切れることは、今日の仕事を簡単にはしてくれなかった。
刃を入れていい場所がわかるまで、待たなければならない。
土を崩すときにも、力は弱くてよかった。
体を支える足腰へ薄く魔力を通し、指先は根に触れた感触を確かめる。
「こっちの土、除けるよ」
「お願いします。この白いところは、残してください」
二人で手を動かすと、さっきより根の周りがよく見えた。
ハーシムは少し離れた場所で、沢の向こうと帰り道を交互に見ていた。
何本か掘ったところで、ミナは立ち上がった。
膝を伸ばし、水を飲む。
〈やまみち:下の土まで見られたね。雨の後にも同じかは、次に見る人へ残しておくといいよ〉
文字板を見て、ミナは笑った。
「はい。今日わかったところまで、薬師さんにお渡しします」
〈やまみち:うん。それで、次の人が確かめる場所も決まる〉
ミナは、沢からの距離がわかるよう、地図へ目印の岩を描き足した。
*
以前から採られている斜面の区画では、育った株がもう少し離れて生えていた。
土には落ち葉が多く、根の周りに絡む細い木の根もあった。
こちらも、急いで引き抜ける場所ではなかった。
籠の中を布で分け、低い区画の分とは別の札をつけた。
採取した時刻を書き終えると、ハーシムが空を見た。
「あと一株にするか」
ミナは手元と、残っている株を見比べた。
大きいものは、木の根の間にある。
掘り始めたら、どれだけ時間がかかるかわからなかった。
「今日は、ここまでにします」
サフィナが籠の蓋を閉めた。
依頼で示された量の範囲には入っている。
余分に詰めるより、この状態のまま持ち帰りたかった。
「じゃあ、下りよう」
道具を拭き、しまう。
ミナは槍を右手へ持ち替え、帰り道へ向いた。
*
沢の音が近くなったところで、ハーシムが止まった。
「前にいる」
道の先の岩から、灰色のものが下りてきた。
犬ほどの胴に、重なった硬い背板。
その後ろへ、胴より長い尾が続いている。
沢鎧蜥蜴だった。
「ゆっくり戻る。サフィナ、さっきの広いところへ」
サフィナが籠を抱え直し、後ろへ下がった。
ミナも、足元を確かめながら距離を取る。
魔物は、すぐには追ってこなかった。
岩の上へ前脚を置き、首を持ち上げる。
その肩が、沈んだ。
「来ます」
ミナの声と重なって、石を蹴る音がした。
ハーシムが左の盾を斜めに構える。
噛みつこうとした頭が盾へ当たり、硬い音を立てた。
受け流された胴が、道の片側へ流れる。
脇が見えた。
ミナは右足を出しかけた。
けれど、魔物の後脚はまだ土を掴んでいた。
腰が捻れ、長い尾が持ち上がる。
「尾が来ます。まだ、入れません」
「待て。そのままでいい」
ハーシムが短く答えた。
尾が低く薙いだ。
ミナは一歩引く。
さっきまで足があったところを、石と土が跳ねていった。
目へ通した魔力の中で、魔物の動きが細かく見えた。
前脚が滑る。
開いた爪が、もう一度地面を探す。
「左、空いてる!」
後ろからサフィナの声がした。
籠を岩陰へ置き、ミナが下がれる場所を空けている。
ハーシムが盾を押し出した。
頭がこちらへ戻ろうとするのを止め、短く言う。
「今だ」
足腰と腕へ、魔力を通す。
ミナは踏み込み、前脚の後ろ、背板の下へ穂先を入れた。
硬いものに当てない。
伸ばしきらない。
手へ伝わる抵抗に息が詰まったが、足を戻す動きと一緒に槍を引いた。
魔物の口が、ミナの方へ向く。
左の小盾を前へ置きながら、教えられた側へ下がる。
その間へ、ハーシムが入った。
盾が頭をそらし、右手の剣が首の横へ落ちた。
魔物の脚が崩れた。
尾が一度、大きく地面を叩く。
ミナは槍を向けたまま、近づかなかった。
沢の音が戻ってきた。
*
「ミナ、怪我は?」
「ありません。ハーシムさんは」
「こっちもない」
返事を聞いてから、ミナは息を吐いた。
胸は速く動いていた。
槍を握った右手を、少しだけ緩める。
「待てたな」
ハーシムが周囲へ目を向けたまま言った。
「見えたので。尾が、まだ……」
「ああ。言ってくれたから、俺も踏み込まずに済んだ」
ミナは、土に残った尾の跡を見た。
攻撃できそうな場所を見つけても、すぐに入っていいわけではなかった。
待っている間、ハーシムの盾が前にあった。
サフィナが戻り、籠の中を確かめる。
「根も無事。布、ずれてないよ」
その言葉で、ようやくミナは笑えた。
水晶は動いたままだった。
文字がいくつも来ているのに、今になって気づく。
「三人とも、怪我はありません。これから町へ戻ります」
伝えてから、配信を終えた。
残りの道も、気を抜くわけにはいかない。
魔物の場所と特徴を記録し、支所へ報告することにした。
採取物をその日のうちに届ける必要があるので、解体はしない。
武器を拭く布も、根に使った布とは分けてしまった。
立ち上がると、膝はしっかり体を支えた。
緊急用の補助帯は、使わずに済んでいた。
*
ナイラは籠の蓋を開けると、一本ずつ根を取り出した。
ミナは、手を洗って台の向かいに立った。
サフィナも隣にいる。
ハーシムは、先に支所で魔物との遭遇を報告していた。
「この二つは、場所が違うんだね」
「はい。こちらが、地図に新しく書かれていた方です」
ミナは札を示し、帳面を開いた。
低い区画の土には砂が混じっていたこと。
掘った穴に水が溜まらなかったこと。
若い株が多く、その中から使える大きさのものを選んだこと。
「雨の後も同じかは、わかりません」
「ええ。それは、こちらでも確かめてもらいましょう」
ナイラは根を持ち上げ、付け根へ指を添えた。
「ここを残してくれたのは助かります。傷んだところを大きく除かずに済む」
別の根では、小さな擦り傷を示された。
掘り具が触れたところだった。
「これは分けて、先に使います。次は、もう少し外から掘るといいね」
「はい」
全部がきれいにできたわけではなかった。
それでも、ナイラの手は、受け取る方の皿へ根を並べていった。
「場所を分けてくれたから、使うときにも比べられる。見た目だけで、同じとも違うとも言えませんから」
ミナは、低い場所の根を見た。
切り口の中身や、すり潰したときの状態までは、自分にはわからない。
ここから先を、確かめてくれる人がいる。
ナイラは受領の紙へ、重さと状態を書き込んだ。
「また募集を出したら、都合の合うときにお願いします」
「はい。こちらこそ、ありがとうございました」
ミナは空になった籠を返した。
持ってきたときより軽いのに、手を離すのが、少し惜しかった。
*
支所で三人分の精算を終えたあとも、船までは時間があった。
魔物の報告も受け付けられ、回収できる者を探すという話になっていた。
「市場、寄れるね」
サフィナが言うと、ミナは顔を上げた。
「いいんですか」
「そのために、ちゃんと戻ってきたんでしょ」
「船着き場までの時間は、残すぞ」
ハーシムが付け加えた。
薬や染料の店を覗いたあと、香ばしい匂いに足が止まった。
平たい菓子へ、炒った種がびっしりついている。
表面を薄い蜜で固めたものだった。
三枚買って、帰りの船で分けた。
「硬いから、小さくかじってね」
サフィナに言われ、ミナは端を少し噛んだ。
ぱき、と割れたあとに、種の香りが広がる。
蜜は思ったほど甘くなかった。
「……これ、おいしいです」
「持って帰りやすいしね」
サフィナは膝の上へ落ちた欠片を拾って食べた。
ハーシムも一口かじり、残りを紙へ包む。
帰りの川は、行きより速かった。
布を干す柱が遠ざかり、見覚えのある分岐を過ぎる。
ミナは帳面を開こうとして、やめた。
指に蜜がついていた。
今は、景色を見ながら食べることにした。
*
サハルへ着くころには、通りの店で夕食の支度が始まっていた。
荷車の横で縄を畳んでいた男が、ミナを見つけた。
「お帰り、小さな店主。いい仕入れだったか?」
「店主じゃ…今日は、薬草のお仕事です」
「おう。うまくいったかい」
ミナは、今度はすぐに頷いた。
「はい。受け取っていただけました」
「そりゃよかった」
男が笑い、また縄を畳み始めた。
店主ではないと伝える前に話が終わってしまい、サフィナが隣で笑った。
「今日は、そのままでもいいんじゃない?」
「でも、薬草も採るので……」
「どっちも、覚えてもらえばいい」
ハーシムが言った。
ミナは少し考えて、そうですね、と答えた。
夕飯は、三人で川沿いの店へ入った。
炙った魚に、酸味のある刻み野菜が添えられている。
温かい麦の皿を受け取り、ミナはようやく袋を足元へ下ろした。
明日は、道具を手入れして、少し休む。
その後には、食堂の相談がある。
宿へ戻って帳面を開くと、船代と宿代を書いた下に、今日の報酬を書き足した。
菓子の代金も忘れずに引いた。
机の端には、出発前に置いた、次の担当日の紙があった。
ミナはその横へ、ナイラの受領票を広げた。
根を傷つけた場所へ、小さく印をつける。
次にリフナへ行くときは、この頁を持っていこうと思った。
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