第88話 川上からの依頼
依頼書の地名を、ミナは地図の上で探した。
サハルから川を遡り、途中の分かれ道を西へ。
細い流れの先に、リフナという町がある。
ミナがこの国へ来たときに乗った船は、その分岐を本流に沿って下っていた。
「リフナ…には、まだ行ったことがありません」
受付の職員に伝えると、脇からサフィナが地図を覗いた。
「リフナね。染め物の布が、川沿いにいっぱい干してある町」
「市場の奥に、薬を作る工房もある」
ハーシムが言い、依頼書へ目を移した。
レオンが帰国の途について、二日が過ぎていた。
その間にも、三人で近くの採取地へ出かけ、葉と樹皮を納めている。
今日の報告を終えたところで、職員から別の仕事を紹介されたのだった。
「川上の支所から、応援の募集が届いています。シロスジソウの根を、生のまま納める仕事です」
ミナは名前の下に描かれた、小さな絵を見た。
長い葉の中央に白い筋が一本ある。
知っている薬草だったが、実際に掘ったことはなかった。
「乾燥したものなら、見たことがあります」
「今回は、乾かしていないものが必要だそうです。採取した日のうちに、リフナの工房へ。サハルまで持ち帰る依頼ではありません」
傷の少ない根。
泥は軽く落とす程度。
日光へさらさず、容器の中で押し潰さないこと。
数よりも、持ち帰る状態についての文字が多かった。
「先日までの納品も、採った場所と時刻が揃っていましたから。こうした仕事にも向いているのではと思いまして」
職員は、ミナの記録を添えた受領票を示した。
「もちろん、行き先が違います。こちらで受けられる仕事もありますよ」
ミナは、すぐには返事をしなかった。
依頼書をもう一度、上から読んだ。
*
「泊まりになるな」
壁際の机へ移ると、ハーシムが最初に言った。
「朝の船で昼前に着く。現地で話を聞いて、採取は翌朝。午後の便で戻れれば、一泊だ」
「船が遅れたり、帰りの便に乗れなかったら?」
ミナが尋ねると、サフィナが地図の道を辿った。
「陸の道もあるけど、歩いた方が早いとは限らないよ。慣れない道を夕方から急ぐより、もう一晩泊まろう」
宿代を二晩分、食費も余分に見ておく。
それでも帰着の翌日は空けられ、食堂の仕込みには間に合う予定だった。
報酬の欄には、同行する三人の仕事と、船代の扱いも書かれていた。
採取地の案内と警戒を含む、小さな一組を募っている。
根の受領量によって変わる分は、別だった。
「採れなかったときのことも、聞いておきたいです」
「そうだな。現地へ行ってから、危険でも掘れと言われては困る」
ハーシムが頷いた。
受付で確認すると、現地の状況を報告し、採取を見送る場合の決まりもあった。
依頼は急いでいるが、危険な場所へ踏み込む仕事ではない。
まずは紹介された区画で、条件に合うものを探す。
ミナは、二人へ顔を向けた。
「行ってみたいです。生の根をどう使うのかも、聞いてみたいので」
「じゃあ、今回は川上だね」
サフィナが笑った。
ハーシムは出発時刻を紙へ書き、明日の朝までに揃えるものを確認した。
*
食堂へ寄ると、ユスフは翌週の仕入れを書き出していた。
「リフナへ? 仕事の紹介かい」
「はい。明日出て、明後日には戻る予定です。船の都合で遅れたら、もう一泊します」
ミナは、次の担当日までの予定を見せた。
仕込みの相談と、買う材料を決める日も書いてある。
「そこに戻れるなら、問題ないね。もっと遅れることになったら、向こうの支所から知らせを頼んでおいで」
「はい」
「船を早くするために、川へ飛び込んだりしないように」
「しません」
真面目に返すと、ユスフは笑った。
「それならいい。次の献立は、戻ってから一緒に決めよう」
店を出る前に、明日の料理人が台の上へ豆を広げているのが見えた。
バスマとは別の人が、器を拭いている。
自分が川上にいる間も、ここでは食事が作られる。
ミナは二人へ挨拶をして、宿へ戻った。
いつもの袋へ着替えと帳面を入れる。
根を入れる浅い籠は、現地で工房から借りられることになっていた。
布と細い紐、小さな掘り具は自分で用意する。
包丁を確かめ、槍の穂先へ覆いをつけた。
盾の紐も、いつもの長さへ戻しておく。
最後に、次の食堂担当日を書いた紙を、机の端へ置いた。
帰ってきたら、最初に目に入る場所だった。
*
「おう、小さな店主! 今日は仕入れか?」
翌朝、川沿いの道で声がした。
ミナが振り向くと、荷車へ縄を掛けていた男が手を上げていた。
食堂に来た顔だった。
皿を受け取るとき、腹が減った、と笑っていた人だ。
「おはようございます。今日は、薬草を採りに……あと、店主ではないです」
「そうかい。次も食いに行くよ」
男は縄を引き、結び目を確かめ始めた。
訂正が伝わったかどうかは、わからなかった。
「ありがとうございます」
ミナは頭を下げ、少し早足で二人へ追いついた。
すると今度は、店先を掃いていた女性から声をかけられた。
「あの薄いパン、今度はいつ作るの?」
「次も、同じ曜日の夕方です。献立は、決まったらお店に出します」
「この前は息子が食べてきたのよ。自分だけ食べたって言うからさ」
「よかったら、ご一緒に」
「そうする。気をつけてね」
返事をしていると、道の先からサフィナが呼んだ。
「ミナ、続きは帰ってから! 船、出ちゃう!」
「はいっ。行ってきます!」
「いってらっしゃい」
箒を持った手が上がった。
ミナは荷物を揺らさないように歩幅を広げた。
最初にこの道を歩いたときは、どこを見ても知らない顔だった。
今は立ち止まるたびに、挨拶が一つ増える。
船着き場へ着くと、ハーシムが荷を預ける場所を確かめていた。
「間に合ったな」
「すみません」
「帰りも同じ道を通るなら、その分、時間を見ておこう」
からかう声ではなかったので、ミナは少し照れて頷いた。
*
船頭は、サフィナを見るなり眉を上げた。
「今日は、ちゃんとリフナまで行くんだな」
「行くよ。三人、お願い」
「昔は一つ手前で降りて――」
「その話、今しなくていいから!」
ミナは乗りかけた板の上で、足を止めそうになった。
後ろに人がいるので、先に渡りきる。
座る場所を決めてから、サフィナを見た。
「船着き場を、間違えたんですか」
「小さいころね。岸にいた犬を見てたら、みんなが降りるから、私も降りちゃったの」
「それで、どうしたんですか」
「次の便まで、その犬と待ってた」
船頭が、繋いであった縄を外しながら言った。
「探しに来た母親には、ひどく叱られたらしいがな」
「もう、覚えたから。今は間違えないから」
ミナは頷いたが、口元が緩んでしまった。
ハーシムは荷を固定した紐を、静かに確かめている。
「ハーシムさんは、ご存じだったんですか」
「ああ」
「そこは知らないって言ってよ」
「さっき聞いたばかりなら、そう言えたな」
サフィナは諦めたように座り直し、ミナへ川の先を示した。
「ほら、これから行くのは、あっち。分かれた先は流れが浅いところもあるから、真ん中を通るとは限らないんだよ」
話し始めると、いつもの案内役の顔になった。
舟の影が水底に近くなる場所と、杭の印を教えてくれる。
ミナは岸を見比べた。
川を行く道にも、知っている人にしかわからない曲がり角があった。
*
船頭へ断り、岸の景色が映る向きで、短く配信を始めた。
ほかの客の顔と、積まれた荷の札は入れないようにした。
「今日は、サフィナさんたちと、川上の町へ向かっています。薬草の根を採る仕事を、紹介していただきました」
〈帰り道:今度は船なんだ。店はお休み?〉
「食堂は開いています。私の担当は週に一度なので、それまでに戻る予定です」
〈舟待ち:リフナの方? 布を干す柱が見えた〉
「はい。行かれたことがあるんですか」
〈舟待ち:親戚がいます。そこの染め布は、濡れているときと乾いたときで色が違って面白いよ〉
ミナは、もう一度岸を見た。
遠くに見える長い布は、風を受けて膨らんでいた。
日陰では深い青だったものが、光を透かすと明るくなる。
「……本当ですね」
サフィナが、これからもっと見える、と笑う。
船が桟橋へ近づいたところで、配信を終えた。
水晶をしまい、槍を持ち上げる。
今度は、三人とも間違えずに降りた。
*
リフナの町では、水路に小さな橋が何本も架かっていた。
川沿いに干された布の間を抜けると、通りの左右に薬や染料の材料を扱う店が並ぶ。
ミナは、店先の籠を見て立ち止まりかけた。
サフィナと目が合い、今度は自分から歩き出した。
「帰りに、見てもいいですか」
「もちろん。まず、仕事の話ね」
ギルドの支所で紹介状を見せ、三人の到着を届けた。
そこから教えられた工房は、市場の裏にあった。
出迎えたのは、灰色の髪を短く切った、年配の女性だった。
袖口を紐で留めた腕に、乾いた葉の欠片がついている。
「薬師のナイラです。よく来てくれたね。まず、根を見てもらおうか」
年齢を尋ねるより先に、作業台へ案内された。
ミナは袋を下ろし、手を洗ってから台の前へ立った。
浅い皿に、二本の根が置かれていた。
一方は皮が滑らかで、もう一方には裂け目がある。
「どちらも同じ草です。こっちは、掘るときに引っ張られたもの。乾燥用に回せる部分はあるが、今回欲しいものとは違う」
ナイラは傷のない方を持ち上げた。
「生のうちにすり潰して、粘りを使います。乾かした根とは、調合を分けているんです」
ミナは二本を見比べた。
依頼書の、傷の少ない根、という言葉が、急にはっきりした形になった。
「細い根も、全部残した方がいいですか」
「使うのは、主に太いところです。細根が少し切れるのは構わない。この付け根を割らないようにしてほしい」
指で示された場所を、ミナは絵に描いた。
泥はこすり落とさず、工房で洗う。
籠の布は乾燥を防ぐために使うが、水が溜まるほど濡らさない。
採った場所と時刻ごとに分けるのは、ナイラにも都合がよかった。
「一度に山ほど届いても、その日のうちには処理できませんからね」
「少ない方が、いいんですか?」
「少なすぎれば困るけど。頼んだ量を、使える状態で届けてもらえるのがいちばんです」
ミナは帳面へ目を落とし、最初に書いた目標の数へ線を引いた。
大きさによって違うので、本数だけでは決められなかった。
「明日、現地の株と土を見てから、採る量を決めてもいいですか。戻る時間までに、傷をつけずに掘れる分を」
「ええ。難しければ、少ない分を先に納めてください。残りは別の日の依頼に回せます」
ハーシムが、引き返す時刻を確かめた。
サフィナは工房から採取地までの道を聞く。
午後の下り船に間に合わなければ、宿へ戻り、翌朝の便にする。
ミナは借りる籠へ手を添えた。
持ち上げて、深さと底の固さを確かめる。
中へ何を入れるか、出発前よりよくわかっていた。
*
最後に、ナイラが採取地の地図を広げた。
「例年なら、この斜面の途中です。ただ、このところは、下の方でも見つかっています」
古い印より、沢に近い場所へ、新しい丸が二つ書かれていた。
「水が増えたんですか」
サフィナが尋ねる。
「大きく増えたとは聞いていないけれど。私も、まだ見に行けていなくてね」
ミナは、図鑑から写した頁を開いた。
湿り気のある斜面。ただし、水が長く溜まる場所を避ける、と書いてある。
「この丸のところは、雨の後も水が残りますか」
「そこまでは、報告にありません」
ナイラは少し考え、地図をミナの方へ寄せた。
「見られたら、教えてもらえますか。生えている場所が違っても、使える根かどうかは、別に確かめたい」
「はい。まず、地面を見てみます」
ミナは二つの丸を写した。
図鑑と違うと決めるには、まだ早い。
沢の近くでも、根のある場所だけ少し高いのかもしれない。
明日見ることが、一つ増えた。
帳面を閉じると、外から布を取り込む人たちの声が聞こえた。
通りの向こうで、大きな青い布がゆっくり畳まれていく。
今夜は、この町に泊まる。
ミナは籠を持ち直し、二人と一緒に宿への道を歩き始めた。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です




