第83話 今の私にできること
食堂で試し作りをしてから、三日が過ぎた。
再開に向けた準備は、まだ続いている。
ミナの最初の担当日も決まり、ユスフに渡された予定の紙は、宿の机に置いてきた。
今日は、採取の仕事だった。
船着き場へ着くと、サフィナとハーシムの隣に、レオンが立っていた。
肩から下げた袋は、調査のときに見たものより小さい。
「おはようございます」
「おはよう。今日は、よろしく頼む」
冠位にそう言われると、少し不思議な気がした。
サフィナはいつもと同じように、帰りの船の時刻を確かめている。
「今日は川を渡って、少し上の林まで。足元が濡れてるところもあるから、道はあたしが先に見るね」
「わかった」
レオンが素直に頷く。
ハーシムは、いつも通り盾の紐を確かめた。
「警戒はこちらで続けます。気づいたことがあれば、声を」
「ああ」
強い人が一人増えても、出発前にすることは変わらなかった。
*
午前に採るのは、染料に使う木の実だった。
枝についているものを、全部取ればいいわけではない。
殻の色と硬さを見て、使えるものを選ぶ。割れて濡れたものは、別にする。
「色が同じでも、こっちはまだ早い」
サフィナが、二つを並べて見せた。
ミナは指で触れ、押したときの違いを確かめる。
「先に集めてから分けるのでは、駄目なのか」
レオンが尋ねた。
「混ぜると、傷んだものの汁がつくことがあるそうです。あと、持って帰れない分まで、木から外してしまうので」
教わったことを答えながら、ミナは次の実を見た。
レオンも一つ手に取り、サフィナへ見せる。
「これは?」
「もう少し。こっちならいいよ」
「難しいな」
あっさり言って、枝へ戻した。
ミナは少し笑った。
大きな魔法を使う人でも、一つずつ教わるのだった。
籠の底へ、乾いた実が増えていく。
作業の途中で腰を伸ばし、ミナは離れた場所の袋を取ろうとした。
目に通していた魔力を少し落とす。
脚へ回し、根をまたいで、しゃがんだ。
「今のは、いつもそうしているのか」
背後から声をかけられた。
ミナは袋を持ったまま振り向く。
「どこですか?」
「目から脚へ、切り替えたところだ」
*
採取を一区切りつけてから、少し開けた場所で休憩を取った。
レオンに聞かれ、ミナは身体強化を習い始めたころのことを話した。
最初は弱く通すだけでも、どこへ力を入れればいいのかわからなかった。
目へ集中すると疲れること。急ぐと、腕や脚の方が追いつかなくなること。
「全部に、たくさん流すと、後で動けなくなりそうで」
「なるほど。だが、魔力の余裕に対して、ずいぶん控えめに使っている」
「控えめ、ですか」
ミナは自分の掌を見た。
控えているというより、それで精いっぱいだと思っていた。
「少し動いてみてもらえるか。普段の強さでいい」
荷物を下ろし、平らなところに立つ。
ハーシムが周囲を見ている間に、ミナは一歩横へ動き、止まった。
今度は足腰へ魔力を通して、同じことをする。
レオンは、足と肩を順に見ていた。
「もう一度。そこで、ぐっと」
「……ぐっと」
「そう。目の方は細く残して、下をぐっと。止まるときは、ぎゅっとしすぎない」
ミナは、動きかけて止まった。
「ぐっとと、ぎゅっとは、違うんですか」
「違う」
迷いのない返事だった。
サフィナが水筒から口を離した。
「そこ、もう少し詳しく聞きたいかも」
レオンは考え、今度は自分でゆっくり動いて見せた。
足を出す。腰が運ばれる。止まる。
「力を固めるのではなく、動くところへ通す。……今の方が伝わるか?」
「少し、わかりました。もう一度、お願いします」
頼むと、何度でも繰り返してくれた。
説明は難しかったが、急かすことはなかった。
ミナは水晶を出した。
位置と記録は出発から残しているが、公開配信は始めていない。
「教わったことを、あとで見直したいです。少し、配信してもいいですか」
レオンは頷いた。
「構わない。俺の顔は外しておいてくれ。調査の話も、今はなしで」
ミナは自分の足元と体が入る位置に水晶を置いた。
始めたばかりの画面には、まだ誰の文字もなかった。
*
目へ、いつもの細い流れを残す。
足腰にも、弱く魔力を通した。
両方を使ったことはある。
ローデンで魔物と向き合ったときも、補助帯を使いながら必死に動いた。
けれど、あのときの苦しさを思い出すと、体が先に構えてしまう。
息を吸い、肩まで固くしたところで、レオンに止められた。
「今は、目をそこまで強くしなくていい。目の前の動きは見えているだろう」
「はい」
「なら、その分は上げなくていい。必要なのは、脚を使うときに、目を消さないことだ」
ミナは少し考えた。
「火を、全部強くするんじゃなくて……弱くつけたまま、別のところにも火を入れる感じですか」
「ああ。その言い方なら、近い」
今度は、息を止めずに動いた。
足が地面を押す。
目は、サフィナが置いた小石を捉えたままだ。
腰を運び、石を踏まずに止まる。
「もう一歩」
逆へ動く。
できた。
魔力を強く増やしたつもりはない。
でも、片方を切るのを待たずに、次の動きへ移れた。
「そのまま、腕にも」
槍を持つ右腕と、盾を支える左腕へ、少しずつ通す。
構えて、歩く。
足を止め、槍を出して戻す。
一度目は、戻す手が遅れた。
二度目には、穂先が下がりすぎなかった。
〈帰り道:足、軽くなった?〉
文字が出たのは、動きを止めて水を飲んだときだった。
「……前より、止まりやすいです」
ミナは自分で答えながら、その言葉に驚いた。
速く動けることばかり気にしていた。
でも今は、次に動ける姿勢で止まっている。
「ここ数か月、練習はしていたんだろう」
「はい。採取に行かない日も、少しずつ」
「なら、体も魔力の扱いも、最初と同じではない。君の方が、昔のできる量を覚えすぎている」
ミナは、脚を見下ろした。
歩いて帰って、翌日も歩いた。
槍を持ち、盾を構え、疲れたら休んで、また練習した。
少しずつ変わっていたのは、帳面に書いたことだけではなかった。
「ただ、君は十三だったな」
「はい」
「元の力は、まだ弱い。魔力に余裕があるからと、大人と同じ重さを受け止めようとするな。腕も脚も、傷めれば治るまで使えない」
レオンは、ミナの盾を指した。
「無理はしないこと。そのうえで、今の自分に何ができるかは、時々確かめ直すといい」
*
練習を終えると、水晶を肩の留め具へ戻した。
そのまま採取の様子を配信し、午後の分も揃えて、帰り道へ出ようとしたときだった。
ハーシムが足を止めた。
ほとんど同時に、道の先の茂みが揺れる。
「左。近い」
低い声で、全員が動いた。
サフィナが籠を持ち、木の後ろへ退く。
ハーシムは盾を上げ、その前へ入った。
茂みから出てきたのは、大きな犬ほどの魔物だった。
低い体に、硬そうな灰色の毛が生えている。
口の両脇から、短い牙が上を向いていた。
「葦牙獣。一頭だけとは限らない」
サフィナが名前を告げた。
講習と図鑑で確かめた、この辺りに出る魔物だった。
ミナは槍を構え、木から離れすぎないように退いた。
包丁は鞘に収まっている。補助帯にも、まだ魔力は入れていない。
魔物の顔が、こちらへ向いた。
前脚が、沈む。
ミナは目へ魔力を通した。
背中の毛ではなく、その下の肩を見る。
土を押す足が見えた。
来る。
横へ一歩、動いた。
目を消してから脚を動かす必要はなかった。
牙が、さっきまで膝のあった場所を通る。
盾を斜めに置き、かすめてきた頭を外へ流した。
重い。
受け止めず、左足を引いて逃がす。
「右へ出るな。根がある」
ハーシムの声が聞こえた。
足元を一瞬見て、次に踏む場所を変える。
魔物はすぐに向き直った。
ミナは槍を突き出しかけて、止めた。
首が上がったのではない。
頭を振るために、肩ごと寄せている。
待つ。
牙が横へ走った。
届く場所から半歩退く。空振りした頭が下がり、前脚が開いた。
図鑑で見た、硬い背中の下。
前脚の付け根に、穂先を通せる隙間ができた。
ミナは足を踏み、槍を出した。
右腕だけで押すのではなく、腰から前へ運ぶ。
手に抵抗が返ったところで、踏み込みを止める。
すぐに引き戻した。
魔物が短く鳴き、横へ跳ねた。
追わない。
まだ動く。
まだ、こちらを見ている。
盾を戻す。槍先を向ける。
口が開き、荒い息が聞こえた。
ミナの息も、速くなっていた。
けれど、槍を持つ指には力が残っている。
もう一度、前脚が土を掻いた。
さっきよりも浅く、体が右へ傾く。
ミナは軸をずらして構えた。
魔物が来る。
牙の届く線を外し、低くなった胸元へ槍を合わせた。
今度は、魔物の方から穂先へぶつかった。
腕だけで耐えず、足を引いて衝撃を逃がす。
重さが下へ落ちた。
ミナは槍を離さず、距離を取り直した。
魔物の脚が一度動き、それきり止まった。
*
「そのまま、待って」
ハーシムが周囲を確かめてから近づいた。
レオンは少し離れたところで、別の茂みへ視線を向けていた。
杖は、すでに手の中にあった。
危なくなれば、いつでも入れる位置だったのだと、ミナは後から気づいた。
「ほかは見当たらない。傷は?」
「ありません」
左腕を動かして確かめる。
盾をかすめた衝撃はあったが、痛みは残っていない。
喉は渇いていた。
鼓動も、まだ速い。
でも、膝に手をつかなくても立っていられた。
「……前より、疲れていません」
口にしてから、もう一度自分の息を聞いた。
「目も、まだ痛くないです」
「ずっと強くしていなかったからな」
レオンが杖を下ろした。
「必要なところでよく見て、動くところへ力を通していた。さっきの練習だけで身についたわけじゃない。今までの分が、使えたんだ」
ハーシムも頷く。
「一度目のあと、追わずに戻れたのがよかった。周りも見えていた」
ミナは槍を見た。
突いた場所へ穂先を置いたまま、動けなくなることはなかった。
戻して、もう一度構えられた。
「できましたね」
誰に言うでもなく、言葉が出た。
サフィナが、木の後ろから籠を持ってくる。
「うん。でも、水は飲もう。あたしも飲みたい」
それを聞いたら、少し笑えた。
配信を続けていた水晶には、心配する文字が届いていた。
ミナは怪我がないことを伝え、座って水を飲んだ。
今日はここで終わると挨拶をして、公開配信を切る。
まだ、素材を持ち帰る仕事が残っていた。
*
魔物の処理は、足場のよい場所へ移してから行った。
買い取りの対象になる牙と皮の扱いは、サフィナが教えてくれた。
知らない部位まで、無理に持ち帰ろうとはしなかった。
包丁を持つ右手へ、薄く魔力を通す。
左手で押さえ、目で境目を確かめる。
脚を踏ん張ったままでも、手元の流れは乱れなかった。
けれど、力が入るからと刃を押しつけると、切る向きがずれそうになる。
ミナは一度、手を止めた。
余計な力を抜き、刃を入れ直す。
レオンが、その手元を見ていた。
「強くなっても、丁寧にするところは変わらないんだな」
「押せばいいわけではないので」
「ああ。よくわかる」
採った実と、処理した素材を分けて包む。
時刻を確かめると、予定の船にはまだ間に合った。
帰り道、サフィナの後ろを歩きながら、ミナは袋の重さを背中で受け直した。
「自信を持っていい」
隣で、レオンが言った。
「食堂でも、役に立つはずだ」
「……槍が、ですか?」
「それを厨房で使うつもりなら、止めるが」
前を歩くサフィナの肩が揺れた。
ミナは慌てて首を振る。
レオンも、少し笑った。
「今の自分に何ができるか、知っていることがだ。任せるところも、引き受けるところも、決めやすくなる」
バスマが包んだ生地を、鉄板へ置いたときのことを思い出した。
自分で全部作るより、焼き色をよく見られた。
ミナは頷いた。
船着き場へ着くころには、息はすっかり落ち着いていた。
そのことも、帰ったら帳面へ書こうと思った。
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