第81話 その時間だけ、王国の食堂
「本当? 絶対行く」
サフィナの返事は、ミナが話し終わるより早かった。
領主の館を訪ねた翌日、ギルドの近くで待ち合わせをしていた。
次の採取の依頼を相談するつもりだったが、その前に食堂のことを話すと、サフィナは食べかけのパンを持ったまま身を乗り出した。
「いつから?」
「まだ、決まっていません。厨房を見せていただいて、一度、皆さんと作ってみることになっていて」
「じゃあ、決まったら教えて。最初の日」
「最初の日、ですか」
「うん。間に合うように仕事を終わらせる」
向かいでハーシムが笑った。
「採取を早く切り上げる理由ができたな」
「帰りの船に乗り遅れるよりいいでしょ」
言い返したサフィナが、ようやくパンを口へ運んだ。
ミナは膝の上で帳面を開く。
「あの食堂は、何を出していたんですか」
「豆の煮込み。肉が入ってるやつ。魚を焼いたのもあった。あと、麦のご飯」
「麦は、多かったな」
ハーシムが両手で器の大きさを作った。
「一日荷物を運んだ連中が食べるから。少なめと言わないと、あのくらい来る」
「ハーシムは言わなかったでしょ」
「足りないよりいい」
煮込み。魚。麦。
ミナは順番に書き留めた。
「味つけは、どんな感じでしたか」
「日によって違ったよ。煮込みは、前の日よりおいしいときもあった」
「肉が柔らかくなっていたんでしょうか」
「たぶん。あたし、小さいころは豆をよけて食べてたから、あんまり偉そうに言えないけど」
ハーシムは、通りを行き交う人へ目を向けた。
「あそこが開いていたころは、仕事が終わっても、河岸に人が残っていた。飯を食いながら、次の船の話をしたりな」
遅れて来た仲間のために、席を詰める。
食べ終えた人が、新しく入ってきた人へ声をかける。
ミナは、暗かった窓の向こうに、その様子を思い浮かべた。
「また灯りがつけば、帰り道も少し賑やかになるだろう」
ハーシムが言う。
サフィナも、今度は黙って頷いた。
ミナは、書いた献立へ線を引いた。
豆の種類を聞こうと顔を上げると、サフィナが帳面を覗いていた。
「ねえ、ミナ。全部、同じにしようとしてない?」
「皆さんが、好きだったものならと思って」
「別に、昔のままにしなくてもいいよ」
指が止まった。
「あたし、ミナの国のご飯も食べてみたい」
「王国の、ですか」
「そう。いつも食べてたものとか、お店で作ってたもの。今まで食べさせてもらったのも、おいしかったし」
ミナは帳面を見下ろした。
コルナの食堂で作っていたものなら、いくつも思い浮かぶ。
寒い日に増やした汁物。昼にすぐ出せるもの。店主が、今日はこれを使うぞと台へ置いた食材。
「全部が、王国でよく食べる料理というわけではないですけど」
「じゃあ、ミナのいた町のご飯」
サフィナは、気軽に言い直した。
「その日、その時間だけ、外国の食堂になるんだ」
「アルセリアまで行かずに食べられるな」
ハーシムが言うと、サフィナが嬉しそうに頷いた。
「それ、看板に書こうよ」
「味付けだけエルディア風とかもいいね」
「まだ、引き受けると決めたわけでは……」
ミナが慌てると、二人とも笑った。
「わかってる。でも、食べたいって言うのは、先にしてもいいでしょ」
*
その日の夕方、ナディムの店で同じ話をした。
「アルセリアの食堂か」
彼は帳場の横に置いた袋へ目を向けた。
こちらで買った豆や香辛料が、量ごとに分けられている。
「こちらの材料で、作れそうかな」
「似たものなら、いくつか。粉は、使ってみないとわからないところもあります。でも、前のお店のものを全部揃えるのは、難しいと思います」
「何が違う?」
ミナは、粉へ水を入れたときのまとまり方や、干した肉の塩気について話した。
ナディムは途中から、自分の帳面を開いた。
「急に全部取り寄せる話ではないよ」
ミナの顔を見て、先に言う。
「王国の商人に、保存の利くものを少量送れるか、聞いてみようと思ってね。値段と、届くまでの日数も」
「私のために、ですか」
「君の話で、商売になりそうだと思ったんだ」
ナディムは笑った。
「外国の料理を食べてみたいという人がいる。なら、作ってみたい料理人もいるかもしれない。君の担当日だけで使い切るつもりではないよ」
聞いた食材の横に、小さく印をつける。
「もちろん、運び賃の方が高くなるなら考え直す。まずは返事をもらおう」
ミナが帰ったあと、ナディムは新しい紙を取った。
書き出しは、いつもの取引の挨拶だった。
続けて、粉や乾物の名前をいくつか並べる。
最後に、サハルで王国の料理に関心を持つ者がいると書いた。
あの小さな採取人が、食材の違いを説明するときの手つきを思い出す。
売り方まで考えられる話を、また持ってきてくれた。
封をする前に、妻にも仕入れ候補を見てもらおうと、紙を帳場へ置いた。
*
「今日は、ご相談があります」
宿の部屋で配信を始めると、ミナは机の上へ帳面を置いた。
食べ終えた夕飯の包みは、もう片づけてある。
「料理はしないんですけど、食堂で、週に一度だけ作らせていただくかもしれなくて」
文字板に、すぐに返事が出た。
〈川風:河岸の?〉
「はい。前にお話ししたところです。いろいろな方が交代で働くそうで、今は再開の準備をしています」
〈川風:あそこ、開くんだ。助かるなあ〉
ミナは顔を上げた。
「お仕事が終わるのは、何時ごろですか」
〈川風:船次第。早い日は夕方。遅いと市場の店が閉まってる〉
聞きたかったことが、一つわかった。
帳面の隅へ、船次第、と書く。
〈川風:遅くても汁物が残ってると嬉しい〉
〈夕餉係:王国の料理なら、肉を挟んだ平焼きもよさそうですね〉
「コルナのお店でも、作っていました。玉ねぎを刻んで、お肉と一緒に入れるものですか」
〈夕餉係:そうです。うちでは香草も少し〉
ミナは、その隣へ平焼きと書いた。
熱い鉄板に並べたときの匂いが、少し蘇る。
〈灰ねこ:料理を担当する話なんだね。店は何人で回すんだい?〉
「給仕の方と、お金を扱う方と、仕込みを手伝ってくださる方もいます。次に、厨房でお会いする予定です」
〈灰ねこ:それなら、最初の献立も一緒に相談できそうだ〉
「はい。いくつか、考えていこうと思って」
煮込み。魚。麦。平焼き。汁物。
遅い時間にも出せるもの。
持って帰れるものは、どうだろう。
〈川風:辛いのは、卓に置いといてくれたら自分で足すよ〉
「そうですね。この前も、お好みが違ったので」
書き足しているうちに、頁の下まで埋まってしまった。
〈夕餉係:全部用意する必要はないですよ。今、食べたくなったものを言っただけですから〉
「はい。……でも、おいしそうだなと思って」
ミナが笑うと、川風から、腹が減ってきた、と返ってきた。
今はまだ、店を開ける日も、出す料理も決まっていない。
そのことを最後にもう一度伝え、お礼を言って配信を終えた。
水晶を置いてから、帳面の頁をめくる。
明日の依頼の紙が挟んであった。
まずは、こちらの仕事。
ミナはそう思って、採取用の布を袋へ入れた。
*
翌朝は、サフィナとハーシムと一緒に、川沿いの採取地へ向かった。
今日集めるのは、乾燥させて薬材にする葉だった。
何度か納めたものではあるが、株の大きさも葉の状態も揃ってはいない。
裏を見て、傷を確かめ、採れるものを選ぶ。
午前の作業は、順調だった。
昼に短い休憩を取り、残りを揃えるころ、風に乗って、どこかで焼いているものの匂いがした。
川向こうの家からだろうか。
平焼きなら、焼きたてを出したい。
でも、鉄板に何枚並ぶだろう。
汁物をよそう人と、皿を運ぶ人が同じだったら――。
指が、紐を引いた。
葉の束が、きゅっと細くなる。
「……あ」
ミナは手を止めた。
外側の葉に、紐の跡がついていた。
すぐに緩めたが、一枚の縁が折れている。
もう一枚も、重なったところが潰れていた。
「どうしたの?」
サフィナが振り向いた。
「強く、結びすぎました」
束をほどき、布の上へ戻す。
傷んだ葉を別にした。
採るときには、ちゃんと見たものだった。
「厨房のこと、考えてた?」
「……はい」
「やっぱり。さっきから、鉄板がどうとか、小さく言ってた」
ミナは顔が熱くなった。
ハーシムは周囲へ目を配ったまま、口元だけを緩めた。
「鍋は逃げない。帰ってからでも間に合う」
「はい。すみません」
ミナは布を広げ直した。
まだ結んでいない束も、一つずつ見る。
足りなくなった分は、近くの株から補えた。
傷んだ二枚は、納品するものへ戻さなかった。
帳面に理由を書く。
採取中の傷ではなく、束ねたときの傷。
自分でつけた傷だった。
*
帰りの船着き場に、見覚えのある外套があった。
レオンは調査員と一緒に、道具の箱を船から下ろしていた。
ミナたちに気づくと、箱を置いて片手を上げた。
「採取の帰りか」
「はい。レオンさんも、お仕事ですか」
「今日は、もう終わった。早く戻れた」
調査員たちは荷車へ箱を積み、先に作業場へ向かった。
レオンは、こちらの籠へ目を落とす。
「よく揃っているな」
「……二枚、傷めてしまいました」
褒められたばかりで、黙っていられなかった。
別に包んである葉を見せ、結びすぎたことを説明する。
食堂の献立を考えていたと話すと、レオンは少し眉を上げた。
「あの話、進んだのか」
「厨房を見に行くことになりました。でも、昔の料理も、王国の料理も、皆さんが食べたいものを聞くと、いろいろあって」
ミナは昨日の頁を開いた。
レオンは並んだ献立を、上から下まで見た。
「これは、何日分だ?」
「まだ、候補です」
「なるほど」
彼は少し考えた。
「誰もが好きな料理を、最初から全部作るつもりか」
「……喜んでもらいたくて」
「俺は、この前の肉で嬉しかったぞ。全部の食べ方を知らなくても、君は出すものを決めていた」
あのときは、買った玉ねぎと、手元の香辛料を見ていた。
食べる人は、目の前にいた。
「今日はこれを作る。それを決めていいんだ。決めたら、自信を持て。食べた人の話は、そのあとで聞けばいい」
レオンが、傷んだ葉へ視線を移す。
「ただ、採取をしている間は、こっちだな」
「はい」
ミナは帳面を閉じた。
まだ見ていない厨房で、まだ来ていない人のために、何度も鍋を動かしていた。
手の中にあった葉を、見なくなるくらいに。
「君たちは、次もこの辺りへ来るのか」
レオンがサフィナに尋ねた。
「依頼次第だけど。この先にも、案内できるところはあるよ」
「一度、同行させてもらえないか。調査が予定より進んでいて、日を合わせられそうなんだ」
ミナは顔を上げた。
「私たちの採取に、ですか?」
「ああ。記録は見せてもらったが、実際にどう選んで採るのかも見てみたい」
サフィナがハーシムを見る。
彼は頷き、行き先と日程を決めてから知らせようと言った。
「仕事が延びたら、そのときは先に行ってくれ。こちらから誘っておいて悪いが」
「いえ。ご一緒できたら、嬉しいです」
ミナが答えると、レオンは頷いた。
「では、約束だ」
*
納品を終え、ミナは宿へ戻って帳面を開いた。
食堂の頁に書いたものは、消さなかった。
その代わり、隣の頁へ一つだけ書く。
肉と玉ねぎの平焼き。
コルナでは、仕事の途中に寄った人にも出していた。
粉を薄くのばして具を包み、平らにして両面を焼く。噛むと、中の玉ねぎと肉の汁が出てくる。
ここにある粉なら、どれくらい水を入れるだろう。
冷めたものも食べて、確かめておきたい。
添える汁物は、一緒に働く人へ相談しよう。
こちらで使い慣れた野菜を、教えてもらえばいい。
ミナは、平焼きの文字を丸で囲んだ。
最初の試し作りには、これを持っていく。
決めてみると、明日買うものが、ようやく三つに減った。
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