↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
77/121

第77話 川の向こうへ

「その持ち方なら、船に乗るときに引っかからないね」


 サフィナが、ミナの荷物を横から見た。

 袋の口から出ていた布は収め、槍は手に持っている。盾も、身体から大きく浮かないように締め直した。


 食事を一緒にした二日後、三人は船着き場に集まっていた。

 今日は川向こうの採取地へ渡る。

 サフィナがいつも仕事に使う舟と、その船頭に乗せてもらう予定だった。


 対岸は見えていた。

 それでも、渡った先の道をミナは知らない。

 地図を見ていると、後ろから声をかけられた。


「今日は、そちらへ?」


 振り向くと、レオンがいた。

 肩には鞄を掛け、杖を持っている。少し離れた桟橋では、測定具らしい箱を船へ運び込んでいた。


「はい。サフィナさんたちと、採取に」


「俺たちは上流だ。岸から少し入ったところを回る」


 レオンが、ミナの地図へ目を落とした。

 採取地の印よりも、その横に書き足された帰りの時刻を見ているようだった。


「昨日、ギルドで君の納品の話を聞いた。記録がわかりやすいと」


「こちらの名前を覚えるのに、まだ時間がかかっていて……」


「褒められた話だぞ」


 横でサフィナが頷いた。

 ミナは地図を少し下げた。


「……ありがとうございます」


 レオンは、小さく笑った。


「教わったことを、自分のやり方に直すのは大事だ。教える方が、うまく言えるとは限らないからな」


「レオンさんも、教えていらっしゃるんですか」


「王都で一度。バルドさんが講師を育てる話をしていて、自分もやってみようと思った。出発前に、魔法ギルドの講習を一枠引き受けたんだ」


 ミナは顔を上げた。

 盾の講座で覚えた足の運びを、今でも練習している。

 あの講座から、別の人が教える話へも繋がっていた。


「どうでしたか」


「人によって、引っかかるところが違った。君と同じくらいの年の男の子もいたな。火と風を使う、青黒い髪の」


 ミナの頭に、一人の顔が浮かんだ。


「キリルさん、というお名前では?」


「そうだ。知り合いか?」


「はい。ローデンで、一緒にお仕事をしました。私にも、魔法を教えてくださって」


 王都で冠位に教わるのだと、キリルは言っていた。

 本当に、この人の講習を受けていたのだ。


「なかなか筋がいい。風を出すより、止めるところを何度も確かめていた。一度で済ませず、できたときとできないときの違いを聞きに来る」


「キリルさんが」


「ああ。最後には、隣の受講者にも説明していた。あれは伸びると思う」


 ミナは、地図を畳みながら笑っていた。

 知らなかったキリルの姿なのに、少し想像できた。

 口では面倒そうに言いながら、手を動かして見せてくれそうだった。


「今度会ったら、聞いてみます」


「俺も、また見せてもらいたい」


 桟橋から、レオンを呼ぶ声がした。

 ミナも船頭に手招きされる。


 それぞれの舟へ向かう前に、ミナはもう一度礼を言った。

 自分が褒められたわけではないのに、足取りが少し軽かった。


     *


 キリルにとって、その講習は忘れようのないものになっていた。


 王都を発つ前、宿の部屋で帳面を開いたときも、最初に出たのは深い溜息だった。


「なんだよ、ビッ、とかギュッ、とかよ……」


 講習の題目は、放った術の範囲と勢いを調整することだった。

 天災冠が杖を動かすと、細い風が三つの輪を抜け、最後の布だけを揺らした。

 手前に下がる薄紙は、ほとんど動かなかった。


『ここでギュッとまとめて、ビッと通す。終わりは、こう、すっと抜く』


 見れば、すごいことはわかった。

 だが、すごいことしかわからなかった。


『……まとめるのは、どこまでですか』


『このくらい』


 指で示された幅はわかった。

 そこへ至るまでが、依然としてわからなかった。


 結局、キリルは講習のあとも残り、一つずつ聞いた。

 レオンは嫌な顔をせず、同じ術を何度も見せてくれた。速度を落としてもらい、途中で止めてもらうと、ようやく魔力の扱いが見えてきた。


 帳面には、何度も線を引いた跡があった。

 最後の頁だけ、隣の受講者に貸したため、別の筆跡が混じっている。


『お前の説明の方が、わかった』


 そう言われたのは、少し嬉しかった。

 ただし、自分の説明だけでは、あの術を見せることはできない。


「……すげえのは、すげえんだけどさ」


 キリルは帳面を閉じかけて、開き直した。

 ミナに聞かれたら、どう説明すれば伝わるだろう。


 少なくとも、ビッとギュッだけでは済ませないつもりだった。


     *


 舟が岸を離れた。


 ミナは座ったまま、流れていく町を見た。

 サハルへ来た船より、水面がずっと近い。櫂が入るたび、小さな泡が後ろへ残った。


「あそこへ真っすぐ行くわけじゃないんですね」


 対岸の舟を寄せられそうな場所を指すと、サフィナが頷いた。


「流される分があるから。帰りは、また少し違う」


 船頭は斜め上流へ舟を向けていた。

 陸の道なら近く見える方へ歩けるが、水の上には、別の進み方がある。


 岸へ着くと、ハーシムが先に下りた。

 舟を支える間に、サフィナが荷物を渡す。

 ミナも足場を確かめて下り、振り返った。


「帰りも、ここですか」


「うん。昼過ぎに迎えが来る。水が増えたら、上の石段の方。さっき見えた白い柱、覚えてる?」


「はい」


 ミナは木立の間から、柱の位置を確かめた。

 舟が離れても、慌てて追いかける必要がないように、迎えを逃した場合の連絡先も聞いてあった。


 今日の依頼は、根を使う薬草と、棘脚蟹の甲殻だった。

 薬草の採取地は、サフィナが何度も来ている。

 蟹は乾いた水路の縁にいることがあり、決められた大きさのものが見つかった場合に狙う。そちらは、採れなければ持ち帰らなくてよい条件だった。


「先に草。籠の下へ入れるものから」


 サフィナが道を選び、ハーシムが周りを見る。

 ミナは二人の間を歩いた。


     *


 根は、思っていたより横へ伸びていた。


 サフィナが土を少し払うと、細い根の先に、指ほどの太さの膨らみが現れた。

 ミナは図鑑の頁へ目を移す。

 地上の葉と、地下の形を別々に描いた図があった。


「引っ張ると、ここで切れるんだ」


「周りから、掘った方がいいんですね」


 土を崩し、伸びる向きを追った。

 王国で扱った根とは違うが、先に道を空けてから持ち上げる手順は似ている。


 一本目は時間がかかった。

 二本目は、最初から広めに土を払った。


「そう。そのくらい」


 サフィナが頷いた。

 ミナは、途中で折れていない根を布へ載せた。


 今日は配信も始めていた。

 水晶に映すのは掘った手元で、細かな道筋は映さない。

 作業の区切りに文字板を見ると、一つコメントが届いていた。


〈帰り道:根っこって、抜けばいいわけじゃないんですね〉


「はい。途中で切れると、残った分が見つけにくくなるので。これは、使うところが横にあるんです」


 根を持ち上げ、曲がっている部分を見せた。

 背後からハーシムに声をかけられ、すぐに下ろす。


「二人とも。その窪みの先、動いた」


 サフィナの手が止まった。

 ミナは根を布で覆い、槍を取った。


     *


 棘脚蟹は、土と同じような色をしていた。


 丸い甲羅の両側から、尖った脚が張り出している。

 桶の蓋ほどある身体が、枯れ葉を押して横へ動いた。

 ハーシムが盾を前へ出し、二人から少し離れる。


「この大きさなら、条件に合う」


 サフィナが言った。

 その目は、甲羅の後ろにある暗い穴へ向いていた。


「奥へ追うと、脚を取られるよ」


「ここで止める。ミナさん、右へ抜けそうなら教えて」


「はい」


 ミナは、蟹の脚を見た。

 ハーシムの盾へ正面から来るのかと思ったが、身体を傾け、低い草の方へ回り込もうとしている。

 目へ少し魔力を集めた。

 片側の脚が踏ん張る。次に動く側が、一瞬軽くなった。


「右です」


 ハーシムが半歩移った。

 鋏が盾を叩き、乾いた音がした。


 ミナは飛び込まなかった。

 盾の向きが変わる先を空け、自分も位置をずらす。


 蟹が再び横へ動こうとしたところへ、ハーシムの剣が入った。

 脚の付け根を損ない、姿勢が崩れた瞬間、彼は盾で鋏を押さえた。

 次の一突きは、甲羅の下へ向けられた。


 動きが止まっても、すぐには近づかなかった。

 ハーシムが周囲を確かめ、サフィナが穴の奥を見てから、ようやくミナは槍を下ろした。


 息は少し速かった。

 けれど、腕にも脚にも、まだ余裕があった。


「見やすかった?」


 ハーシムに聞かれ、ミナは頷いた。


「動く前に、脚が浮いたので。でも、知らない動きだったら、わからなかったと思います」


「今のは助かった。盾を置く方を、早く決められた」


 ミナは自分の右側を見た。

 サフィナがいて、その後ろに採った根の籠があった。

 蟹だけを見るより、見るものは多い。

 それでも、さっき三人がどこにいたかは、思い出せた。


     *


 甲殻を扱う前に、サフィナが蟹を裏返して見せた。


「内側の膜は残さないでって依頼だけど、脚は別にしていい。持ち帰れる?」


「食べられるんですか」


「うん。胴はほとんど食べるところがないけど、脚は茹でる。ここ、棘の向きに気をつけて」


 教わった箇所を確かめ、ミナは包丁を入れた。

 関節で分ければ、長いまま籠へ突き出さずに済む。


 サフィナが手元を見た。


「そこ、そんなにすっと外れるんだ」


「間があります。無理に曲げるより、先にこちらを切ると」


 切り口を見せてから、次を渡した。

 サフィナは自分の刃物で同じ場所を探した。ミナほどすぐには入らなかったが、しばらくすると、脚が離れた。


「本当だ。甲羅も割らずに済むね」


 ハーシムが周りを見ている間に、二人で必要な分をまとめた。

 薬草と蟹は別の包みにする。

 帰りの荷物は増えたが、予定していた重さには収まった。


 文字板に、またコメントが出ていた。


〈帰り道:それも、夕飯ですか?〉


 ミナは、包んだ脚を見た。


「はい。今日は、食べ方も教えていただきます」


 サフィナが横から付け足した。


「茹でるだけだけどね」


「茹でる時間を、まだ知りませんから」


 そう返すと、サフィナは少し笑った。


「じゃあ、そこから」


 戻る途中、白い柱が木立の向こうに見えた。

 ミナは、自分から二人に知らせた。


     *


 同じ日の午後、上流の調査地で、木が折れた。


 最初に見えたのは、枝の間を持ち上がる大きな角だった。

 次に、土を掻く太い脚。

 岩場へ這い出た巨角蜥蜴は、荷馬車より長い身体をしていた。


 その後ろから、もう一体が現れた。

 節の重なる黒い胴。鎌のような前脚が、倒れた木を踏み越える。


「鎧百足まで……!」


 エルディアの調査員が息を呑んだ。

 護衛が盾を上げ、班長が測定具を置いて退くよう叫んだ。


 二体は争いながら、岩の斜面を下りてきていた。

 その先に調査団がいる。


「皆さん、岩の後ろへ。荷物は置いて」


 レオンは杖を持ち替えた。

 調査員の最後尾が岩陰へ入るのを見届け、風を確かめる。

 魔物の向こうには、木の生えていない崩れた斜面があった。


「あれは、食べられるのでしょうか」


 隣の案内役が、レオンを見た。


「……昔の話ですが、巨角蜥蜴の方は、美味だと聞いたことが。もう片方は食べられないと思います! それより、早く――」


「わかりました」


 杖の先で、光が細く絞られた。


 巨角蜥蜴が口を開けた。

 その足元から、白い亀裂が走った。


 違う。

 岩が割れたのではなかった。


 氷だった。


 腹の下からせり上がった氷が、太い四肢を呑み込む。尾が地面を叩くより早く、背の上で幾重にも重なった。

 開いた顎まで、透き通る塊の中に閉じる。


 巨体を包んだ氷山が、斜面に立っていた。


 鎧百足が身を反らした。

 前脚を引き、凍った蜥蜴から離れる。


 その一瞬で、レオンの杖が横へ動いた。


 今度は、赤い線が地を囲んだ。


 輪の内側から火柱が上がった。

 黒い巨体が炎に隠れ、空気が低く鳴る。調査員は思わず顔を覆ったが、熱風は岩陰へ吹き込んでこなかった。

 炎は、魔物のいる場所から上へ伸びていた。


 硬い甲殻の裂ける音がした。

 持ち上がった鎌が崩れ落ちる。


 炎が細くなり、消えた。


 そこには、炭になった残骸があった。

 隣の巨大な氷は、崩れていなかった。


 誰も、すぐには動けなかった。


 レオンは杖を下ろさず、木立と斜面の上を見た。

 さらに待ってから、ようやく息を吐く。


「ほかに動きはありません。怪我をした方は?」


 班長が、我に返ったように人数を数え始めた。

 全員の返事を聞き、レオンは杖を支えに、一度肩を緩めた。


「戦闘前の測定値は、保存できていますか。今の二術の範囲は、後で記録に加えます」


「は、はい。記録板はこちらに」


「よかった。あの氷には、まだ近づかないでください」


 案内役が、氷の中の巨体を見上げた。

 そして、すぐ隣の炭へ目を移した。


 同じ男が、ほとんど間を置かずにやったことだった。


「……食べられる方を、残されたんですか」


「どちらも止める必要がありましたから。使えるなら、残る方がいいと思って」


 レオンは凍った蜥蜴を見た。


 甘唐の中に詰まっていた、石羽鳥の肉と豆。

 安い切れ端でも、あの少女はおいしい食事にした。

 こちらなら、どんな料理になるのだろう。


「ただ、食べてよいかは、詳しい方に確認を。噂だけで誰かに食べさせるわけにはいきません」


 班長は頷き、回収の応援を呼ぶよう指示を出した。

 運ぶ人数も、解体する場所も要る。


 レオンはその相談を聞きながら、氷の高さを見直した。


 あの店の鍋には、どう考えても入らなかった。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。