第75話 サハルで初仕事
川葦の芽は、皮をむくと、思っていたより細くなった。
ナディムの家の台所で、ミナは一本をまな板に置いた。
薄く切って、油を引いた鍋へ入れる。塩を少し振り、火を通したものを小皿へ取った。
噛むと、しゃきりとした。
青い香りのあとに、わずかな甘さが残る。
「おいしいです」
「先の方は、もう少し厚くてもいいわよ」
様子を見に来たナディムの妻が、残してある芽を指した。
「そこは柔らかいから。全部薄くするより、違いがあって私は好き」
ミナは、根元と先を指で確かめた。
次は切り分け、根元を先に、柔らかい部分をあとから加える。
同じ一本なのに、口に入れたときの感じが違った。
台所へ顔を出した男の子は、小皿から二つ続けて取った。
「こっちがいい」
厚く切った方を指す。
ミナは頷き、帳面へ書きかけた。
「でも、こっちも好き」
今度は薄い方だった。
「……両方、ですね」
「うん」
迷いのない返事に、母親が笑った。
ミナも笑って、筆を置いた。
自分の分がなくなる前に、もう一口食べておこうと思った。
*
翌朝、青と白の旗を見つけた。
サハルのギルドには、長い窓口があった。
籠を持った人の隣で、革を丸めた男が順番を待っている。壁の地図には川が太く描かれ、船着き場の印がいくつもついていた。
ミナは受付で登録札と旅の書類を出した。
こちらで採取の仕事をしたいと伝えると、職員は札の印を確かめ、滞在先を尋ねた。
「普段、受けている仕事は?」
「薬草や食材の採取です。魔物の素材を集める依頼も、何度か」
持ってきた依頼の控えと、帳面を開く。
職員は討伐の記述より先に、葉の束数が並んだ頁へ目を留めた。
「採取を続けているんですね。根を乾かさずに持ち帰る依頼も?」
「はい。ただ、こちらの草は、まだ教えていただかないとわかりません」
「それは皆、土地が変われば覚え直します。ここでも採取を主に引き受ける人は必要ですから、まず扱えるものを増やしていくといいですよ」
職員が依頼板の一角を示した。
薬屋、染料を扱う工房、食材の卸先。依頼主の名前が違っていた。
「魔物は肉も皮も売れますから、狩りを仕事にする人はいます。けれど、薬草の種類や時期を覚えて、必要な分を定期的に納めてくれる人は足りていません」
ミナは紙の一枚を読んだ。
締め切りの横に、分けて納める場合の条件も書かれている。
一度に山ほど必要なのではなく、何度も必要になる仕事だった。
登録の確認が済むと、滞在中の仕事を記す紙を受け取った。
採取地ごとの決まりは別に確かめること。王国の札で引き受けられる範囲も、地図を見ながら説明を受けた。
「それと、図鑑をお借りできますか」
「閲覧用は奥にあります。貸し出すものは、預かり金と返却日の記入が必要です」
ミナは財布を確かめた。
返せば戻るお金でも、借りている間は使えない。
まず棚を見せてもらい、今日必要になる一冊を選ぶことにした。
*
表紙には、川辺の植物が描かれていた。
ミナは頁をめくった。
見覚えのある葉がある。
けれど、挿絵の下に書かれた名前は、王国で借りた図鑑と違っていた。
小さな文字で記された別名を追い、ようやく知っている呼び方を見つける。
「同じ……?」
葉の裏と、茎の節の図を見比べた。
王国の図鑑では、乾燥させる葉の選び方が詳しかった。こちらには、若い茎の扱いと、採ったあとの傷み方まで載っている。
採取の時期も、覚えているものより長い。
知らない植物が増えるだけではなかった。
知っている植物についても、読むところが違う。
「もう仕事、選んでる?」
サフィナが、机の向こうから覗き込んだ。
今日は籠を背負い、腰に短い刃物と巻いた紐をつけている。
「図鑑を見ていました。王国では、葉だけ使うと教わったものがあって」
「ああ、水縁草。こっちでは薬屋にも、料理屋にも納めるよ。今日はそれの葉を採る相談なんだけど」
ミナは顔を上げた。
「ご一緒できそうですか」
「受付で条件を聞いてからね。それと、一人紹介する」
サフィナが振り返った。
少し離れたところに、盾を足元へ置いた男がいた。
短い巻き毛に、日に焼けた顔。薄い布の上着の肩と胸を、革で補強している。
腰の剣は、鞘に収まっていた。
「ハーシム。今日の護衛を頼んでる。何度か一緒に行ってるから」
「よろしく。ミナさん、でいいかな」
「はい。よろしくお願いします」
近くで見ると、思っていたより若い人だった。
ハーシムはミナの槍と小さな盾を見てから、机へ置かれた図鑑に目を移した。
「今日は町に近い岸だけど、草で見えにくいところはある。気づいたことがあれば、まず声をかけて。判断に迷っても、見えたものを教えてくれればいい」
ミナは頷いた。
ラグと出かけるときにも、そうしてきた。
けれど、今隣にいる人には、改めて自分から伝える必要があった。
「槍は使えます。でも、強い相手を一人で引き受けられるとは思っていません。走るのも、お二人ほど速くないと思います」
「わかった。離れるときの合図も、先に決めよう」
それから三人で、依頼の紙を見た。
*
水縁草の葉を、決められた量だけ。
乾燥する前のものを薬屋へ納める依頼だった。
サフィナが普段から扱う種類で、昨日、市場で断っていた葉とは違うものだと聞いた。
報酬から護衛の分と必要な費用を引き、採取の分をどう分けるかも決めた。今日のミナは現地で教わりながら働くので、その分を考えた取り決めになった。
借りた図鑑は布で包み、濡れにくい袋の内側へ入れる。
町を出ると、川の匂いが近くなった。
大きな水の流れから離れ、低い土手に沿って歩く。サフィナは川へ直線に下りず、少し遠回りをした。
「ここ、昨日まで水があったんだ。表が乾いて見えても、下はまだ柔らかい」
ミナは足を置きかけて止めた。
靴の先だけで、土が沈んだ。
「草のところの方が、いいですか」
「草の種類にもよるよ。今は私の通ったところを来て」
同じ緑に見えても、歩けるところは同じではなかった。
ミナは足を引き、サフィナの踏んだ跡を見た。
少し高いところへ上がると、小さな葉が群れていた。
中央を走る筋と、縁の浅い切れ込みに見覚えがある。
サフィナは一本を示し、似た別の草をその隣で指した。
「遠くからだと似てるけど、茎のここが違う。裏も見て」
ミナは屈み、図鑑の図と確かめた。
知っている葉だと思った途端に、見なくなるところがありそうだった。
一つずつ、声に出して確認する。
「こちらなら、合っていますか」
「うん。それ」
サフィナに頷いてもらってから、採り始めた。
*
配信については、出発前に二人へ聞いてあった。
ハーシムは警戒中に話しかけられても応じられないと伝え、サフィナは顔が映るのは構わないが、採取地の細かな道順は映さないでほしいと言った。
ミナは水晶の向きを調整し、葉と自分の手元を映した。
「今日は、サハルで初めての採取です。土地を知っている方に、教わっています」
最初の束を布へ並べたころ、文字が出た。
〈やまみち:水縁草だね。そちらの呼び方も覚えた?〉
「はい。図鑑に別の名前も載っていました。若い茎は、料理にも使うそうです」
〈やまみち:下ごしらえをして、酸味のある汁物に入れる食べ方があるね。葉を薬材にするものと、採りどころが違う〉
ミナは少し顔を上げた。
「ご存じだったんですね」
〈やまみち:知ってるよ。でも、こういうことを学びに来たんだろう? どれを採るか、そこで暮らす人がどう使うか。実際に見ておいで〉
サフィナが手を止め、文字板を覗いた。
「その人、こっちに来たことあるの?」
「詳しい方なんです」
ミナが答えている間に、続きが届いた。
〈やまみち:知らなかったことが一つわかる。いい旅をしてるね〉
ミナは、葉を持っていない方の手で、帳面の端を押さえた。
聞けば教えてくれる人がいる。
けれど、今は自分の前に本物の草が生えていて、教えてくれたサフィナも隣にいた。
「はい。来てよかったです」
そう返事をしてから、周りを見た。
水際の一番低いところには生えていない。少し上の、湿っているけれど水に浸かり続けない場所に多かった。
「これ、雨が少なくなると、下の方にも増えますか」
「水が引いて土が落ち着けばね。でも流れが当たるところには、あまり出ないよ」
サフィナが答えた。
ミナはリュネールで歩いた水辺を思い出した。
川そのものより、そこへ注ぐ小さな流れ。その脇の、木陰になりすぎない場所。
「私の町の近くにも、似たところがありました。あの支流の、少し高くなった岸なら……」
帳面へ、小さく道の形を描いた。
「帰ったら、探してみたいです。食べる方に使える時期も、同じなのか知りたいので」
〈やまみち:いいところに目をつけたね。ただ、こちらとは暖かい時期の長さが違う。生えているかと、使える育ち方をしているかは、分けて見よう〉
ミナは、描いた場所の横へ「候補」と書いた。
まだ見つけたわけではない。
それでも、帰ってから見に行きたい場所が増えた。
水晶へ一度礼を言い、作業へ戻った。
*
葉は、重ねすぎないようにした。
傷のあるものは最初から納品分へ混ぜず、残す葉を確かめて切る。
ひとまとまり採るたび、場所と量を帳面へ書いた。土手の上と下では葉の大きさが違ったので、包みも分ける。
「それ、別の種類じゃないよ」
サフィナが言った。
「はい。でも、大きさで乾かす時間が変わるかもしれないので。混ぜていいかは、納めるときに聞こうと思って」
ミナは布の間へ薄い仕切りを入れた。
「次に来るとき、同じ大きさを頼まれるかもしれませんし」
サフィナは、開いた帳面を見た。
日付だけでなく、採り始めた時刻もある。今の水際からどれくらい離れているか、教わったことと自分で気づいたことも、分けて書いてあった。
「いつも、そこまで残してるの?」
「全部は書けませんけど。帰ってからだと、どちらだったか迷うので」
ミナは少し首を縮めた。
「遅くなっていますか」
「ううん。今のところ、予定どおり。来週も同じ葉を頼まれたら、それ、役に立つね」
サフィナは自分の籠を下ろし、仕切りの端を指した。
「その入れ方、見せて。私の川葦も、帰りに下の方が寄ることがあるんだ」
ミナは布を一枚外した。
試験の帰り道で葉がずれたことを話しながら、荷物の隙間を埋める位置を見せる。
教えてもらったばかりの手で、今度は自分が布を折った。
少し離れたところで、ハーシムが川上を見ていた。
ミナは顔を上げ、二人がいる場所を確かめてから、次の株へ移った。
*
昼を少し過ぎて、三人は町へ戻った。
ギルドの納品台で包みを開くと、担当の女が、葉を持ち上げた。
上だけでなく、下の方も確かめる。
「押された跡が少ないですね。こちらの包みは?」
「小さい葉を分けました。同じ区画ですが、採ったところが少し違います」
ミナは帳面を開いた。
女は説明を聞き、記録へ目を移したところで、葉を台へ戻した。
「この記録も、納品の控えに写させてもらえますか」
「はい。必要なところでよければ」
「採った時刻と場所、包みの対応がわかれば十分です。よく残してありますね」
女が別の紙を取った。
「持ち込みは混ざった袋で来ることも多くて、まず広げて選り分けるんです。この状態なら、その手間がかなり減ります。採ったあとの時間も、推測しなくて済む」
ミナは、布の端を押さえていた指を緩めた。
特別なものを用意したつもりはなかった。
いつも使う布と、いつも持っていく帳面だった。
「こういう納め方のできる方は、助かります。継続の依頼を紹介してもよければ、記しておきますが」
「……お願いします。まだ、知らないものが多いですけど」
「そこは扱えるものを確認してから。今日の仕事は、こちらで受領します」
印が押された。
ミナの名前の横に、サハルで最初の仕事が残った。
*
報酬を分け、借りた図鑑の返却日を確かめた。
今日は持ち帰って、もう少し読みたい。
外へ出ると、サフィナが籠を背負い直していた。
「ミナ、次はいつ空いてる?」
ミナは受け取った硬貨をしまいかけ、顔を上げた。
「また、ご一緒してもいいんですか」
「こちらから聞いてるんだけど」
サフィナが笑った。
ハーシムも、盾の紐を直しながら頷く。
「出発前に、できることを話してくれたのもよかった。次もそうしてくれると、こちらも動きやすい」
ミナは袋から帳面を出した。
仕事の予定を書ける頁を開く。
聞きたいことばかりだった朝の頁より、一枚先だった。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です
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カクヨムでも掲載しておりそちらでは各エピソードの挿し絵等も掲載しています。




