第67話 あの国へ行くには
地図を広げると、いつも見ている採取地は、町の印に隠れてしまった。
ミナは、机へ顔を近づけた。
リュネールの名前がある。
ローデンも、王都も見つかった。
けれど、ナディムの宛先に書いてあった町は、まだ指で探さなければならなかった。
「サハルでしたね」
ギルドの職員が、地図の先を示した。
アルセリア王国の南東に、エルディア諸族国がある。
その中を流れる川に沿って、さらに南へ下ったところだった。
「ここですか」
「はい。こちらが国境で、サハルはその先です」
ミナは、二つの場所を交互に見た。
国境の線を越えれば、すぐにナディムの店があるような気がしていた。
その先にも、いくつもの町があった。
「どれくらい、かかりますか」
「使う道と便によります。荷を運ぶ商隊なら、積み替えや休みも入れて、二十日前後を見る行程がありますね」
ローデンへ向かったときは、途中で一晩泊まった。
今度は、その先も毎朝、荷物をまとめて出発することになる。
ミナは、帳面へ日数を書いた。
「すぐに出たいということですか?」
「いえ。まず、どうしたら行けるのか、知りたくて」
職員は頷き、別の紙を取り出した。
*
町を出るための準備だけでは足りなかった。
国境で示す身元の書類と、通行の手続き。
宿や船に払うお金。
持ち込む道具についても、確かめる必要があるという。
ミナが登録札を出すと、職員は、その横へ紙を置いた。
「こちらでの仕事歴は伝えられます。ただ、向こうの採取地へ、この札だけで自由に入れるわけではありません」
「着いた町のギルドで、聞けばいいですか」
「そうですね。入れる場所も、採ってよいものも、土地ごとに違いますから」
ミナは頷いた。
リュネールでも、札が変わる前には越えられなかった境界があった。
国が違えば、知っている葉でも、同じように採れるとは限らない。
「エルディアには、知っている方がいますか」
ナディムの店の宛先を見せた。
職員は読み、地図の川港に近い辺りへ目を移した。
「訪ねる先があるのはいいですね。お相手が戻っているか、先に確かめておくとよいでしょう」
「はい。今、料理のことでお手紙を出しているんですけど、旅のことも聞いてみます」
職員は、商隊の同行者を募る案内が別の窓口にあると教えてくれた。
護衛の仕事と、荷物や炊事を手伝う仕事では、条件が違うという。
ミナは紙を受け取り、もう一度地図を見た。
遠いことは、わかった。
それでも、そこまで続く道が描かれていた。
*
昼過ぎ、ラグと会い、ギルドで聞いた話をした。
いつもの食堂の、窓に近い席だった。
ミナは料理が来る前に、帳面と案内の紙を広げた。
「エルディアへ、行ってみたいんです」
ラグは紙へ目を通してから、ミナを見た。
「ナディムさんの故郷ですね」
「はい。サハルの市場を見て、料理や、素材の扱い方を教えてもらえたらと思って」
肝の食べ方を尋ねられたとき、自分には答えられなかった。
食堂で知っているつもりだった魔物にも、知らない使い方があった。
同じものを、別の町ではどう使っているのか。
話を聞くだけでは、まだ、思い浮かべられないところがある。
「いくつかお店を見て、できれば、少し仕事もしてみたいです。最初は、向こうに数週間くらいいられたら……」
「行き帰りにも、相応の日数がかかりますね」
「はい。思っていたより、ずっと」
ミナは、旅費を書くために空けた欄を指で押さえた。
二人分なら、どれくらいになるだろう。
そう考えてから、ラグの予定をまだ聞いていないことに気づいた。
「ラグさんは、この後のお仕事、決まっていますか」
ラグは椅子へ少し座り直した。
「いくつか相談をいただいています。私は、しばらくこの町を拠点に、仕事を続けるつもりです」
「……そうですか」
ミナは紙を見た。
ローデンの道を決めたときのように、次も一緒に地図をたどれると思っていた。
ラグが続けた。
「今の剣でできる仕事も、もう少し広げたいと思っています。慣れた道で、組む相手も変えながら」
「ほかの方とも?」
「ええ。私も、覚えることがありますから」
ミナは、右手で剣を構えるラグを思い出した。
前の斧と違う動きを、何度も確かめていた。
自分に付き添っていない時間にも、ラグの仕事は続いている。
「少し、寂しいです」
口に出すと、ラグの目が柔らかくなった。
「私もです。ですが、行ってみたい場所ができたのでしょう?」
ミナは、頷いた。
「はい」
店の人が、二人の料理を運んできた。
紙を端へ寄せ、温かい汁の器を置いてもらう。
ミナは匙を取り、一口飲んだ。
少し考えてから、ラグへ尋ねた。
「商隊と一緒に行くなら、何を聞けばいいですか」
*
商隊なら、どれも同じではなかった。
どこまで一緒に行けるのか。
護衛は、どの区間までつくのか。
町で荷を売る間、自分がどこで泊まるのか。
ラグは、ミナの持ってきた案内を指した。
「こちらは、国境の先の町で終わっています。サハルまでは、別の便を探すことになりますね」
「こっちは、川港で船に積み替えるって書いてあります」
「その先も同じ商会が手配するのか、聞いてみましょう」
ミナは、聞くことを書き足した。
紙を埋めているうちに、ふと顔を上げる。
「着いてから採取へ行くなら、まず案内してくださる方を探した方がいいですよね」
「ええ。初めての土地では、慣れている人に道を教わってください。誰と組むかも、そこで相談できます」
「その方が、どんなことをできるかも、先に聞きます」
ラグが頷いた。
「ご自分ができることと、まだ難しいことも伝えてくださいね」
ミナは、帳面へ小さく印をつけた。
ラグへ最初に仕事を頼んだときも、一つずつ話した。
キリルには、道と風の魔法を頼めた。
次に会う人にも、同じように聞いてよかった。
*
二日後、ギルドから紹介された商会を訪ねた。
倉庫の前では、荷車へ木箱を積んでいた。
車輪の下へ木を挟む人と、荷札を読んで数を確かめる人がいる。
ミナとラグが入口で待っていると、袖をまくった男が出てきた。
「同行の相談だね。私はトビアス。今度のサハル行きの取りまとめをしている」
「ミナです。お時間をいただいて、ありがとうございます」
男は奥の机へ案内し、行程を書いた紙を広げた。
リュネールから街道を進み、王都へ向かう道の途中で南東へ分かれる。
国境を越え、エルディア北西部の川港まで陸路で行く。
そこからは荷を船へ積み替え、南のサハルへ下る予定だった。
「積み替えの後も、うちの者がつく。君が途中の町で、船を探し直す必要はない」
ミナは帳面へ目を落とした。
ラグと考えた質問の一つに、答えがついた。
護衛について尋ねると、トビアスは陸路と船の担当を分けて説明した。
同行者にも、移動中に隊列から離れないことは守ってもらうという。
「護衛として働くつもりではありません。料理の手伝いができればと思って来ました」
「料理の経験は?」
「コルナの食堂で働いていました。今は下宿で作っています。この前は、倉庫の方から頼まれて、六人分のお昼を届けました」
トビアスは頷き、奥へ声をかけた。
「イネス。炊事の相談に来た子だ」
*
出てきたのは、髪を後ろでまとめた女性だった。
前掛けへ手を拭き、ミナの前へ座る。
「食堂では、何をしてた?」
「下ごしらえと、料理です。盛りつけや、洗い物も」
「火を起こす方は?」
「薪なら、できます。外でも、少人数の分は作っています」
イネスは机の横から、鍋の蓋を持ち上げた。
ミナがいつも使うものより、ずっと大きい。
「今度は十六人ほど。私は作る方を担当する。欲しいのは、その間に野菜を切って、水の残りを見て、使い終わったものを片づけられる人」
「はい」
「ただ、おいしいものを作りたくても、火を消す時刻が決まってる日もある。町みたいに、足りない塩を買いに戻れないこともね」
ミナは、鍋の蓋を見た。
食堂の大きな鍋には見覚えがある。
でも、店主が料理をしていたとき、水も薪も、同じ場所へ取りに行けばよかった。
「使えるものと、出発の時刻を、先に確かめるんですね」
「そう。あと、重い鍋は一人で動かさない。そこは別の人にも頼むから」
イネスは、ミナの細い腕を一度見てから、帳面へ目を戻した。
「届けた昼食は、何を作ったの?」
小判焼きとパン、蕪の酢漬けの話をした。
パンを別に運んだことも、最後の人が食べたときの感想も。
イネスは途中で、作り始めた時刻を尋ねた。
「その順番なら、豆を煮る時間を先に取ったわけだね」
「はい。肉を焼くときには、ほかを終わらせたかったので」
イネスが、トビアスへ顔を向けた。
「一度、ここの昼を手伝ってもらおうか。話だけでは、私と手が合うかわからない」
ミナは姿勢を正した。
「お願いしたいです」
「明後日なら、積み込みの人もいる。朝から昼の片づけまで。試しの仕事の分も、代金は出すよ」
トビアスが、日付を紙へ書き入れた。
*
旅費は、手伝えば全部なくなるわけではなかった。
道中の食事と、指定された宿や船の分を含めた金額がある。
炊事補助として同行することになれば、仕事代をそこから差し引く。
現地へ着いた後の宿代は、別に必要だった。
ミナは、示された数字を写した。
試しの仕事をしてから、正式な条件をもう一度確かめて決めることになった。
「出発は、三週間後を予定している。返事の期限は、ここまで。手続きが間に合うかは、ギルドでも確かめておいて」
急いで今日決めるようには言われなかった。
ミナは紙を畳み、袋へ入れた。
「配信をすることがあるんですけど、道中でも、してよいでしょうか」
最後に尋ねると、トビアスは少し考えた。
「毎回、場所を確認してくれれば。荷の中身や帳簿、映りたくない人もいる。宿営地で料理を映す程度なら、相談できる」
「わかりました。始める前に、聞きます」
隣で、ラグが静かに頷いた。
*
帰り道、ミナは商会でもらった紙を、袋の上から押さえた。
「話を聞けました」
「ええ。ご自分で、必要なことを聞いていましたね」
「ラグさんと、先に考えていたので」
ラグは少し笑った。
「では、その帳面は、私より身軽な同行者になれそうです」
「でも、剣は使ってくれません」
「そこは、別の方にお願いしましょう」
ミナも笑い、通りの端へ寄った。
後ろから荷車が通っていく。
商会を訪ねる前は、料理ができれば何とかなるかもしれないと思っていた。
今は、知らない仕事もあるとわかった。
それでも、明後日にやってみる約束ができた。
*
夜、ミナは机の上へ、お金の入った袋を出した。
今までの採取と、料理の仕事で残した分。
ここから下宿代と、出発までの暮らしに使う分を分ける。
サハルで数週間過ごすなら、どれだけ必要だろう。
向こうで仕事が見つかる前提では、まだ計算できなかった。
帰りのためのお金も、残しておきたい。
帳面の空欄に、サハルの宿代、と書いた。
ナディムへ、次の手紙で尋ねる。
その前に、白い紙を一枚出した。
『お姉ちゃんへ。
マルタが会いに来てくれたよ。王都で習ったことを見せてもらって、ラグさんと三人で練習した。腕も、もう普段は痛くないよ。
今日は、相談したいことがあって手紙を書いてる。
私、エルディアに行ってみたいんだ。』
ミナは筆を止めた。
姉が、ここを読んだときの顔を思い浮かべる。
遠い国だと知ったら、きっと心配する。
それでも、出発が決まってから初めて知らせるのは、違う気がした。
ナディムから教わったことと、自分でも見てみたい市場の話を書いた。
護衛のいる商隊へ相談したこと。
炊事を手伝う仕事を、まず一日試してみること。
ラグはこの町に残り、自分は現地でも仕事に合う仲間を探すつもりだということ。
『まだ、行く日を決めたわけじゃないよ。お金も、着いてから泊まるところも、もう少し調べる。
お姉ちゃんが遠くへ行くとき、気をつけていることがあったら教えてほしい。』
最後に、少し迷ってから書き足した。
『話を聞いていたら、見たいものがもっと増えちゃった。』
書き終え、最初から読み直した。
借りてきたような言葉には、なっていなかった。
*
翌朝、ミナは手紙をギルドへ預けた。
今わかっている姉への連絡先を確かめ、便に載せてもらう。
紙が自分の手を離れると、少しだけ胸が落ち着かなくなった。
窓口から離れ、明日の仕事の控えを出す。
持っていくものは、前掛けと、手を拭く布と、包丁。
集合の時刻も書いてある。
ミナは折り目を整えて、鞄へ戻した。
エルディアまでの道は、まだ長かった。
明日の朝に行く場所は、もう決まっていた。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です




