↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
66/118

第66話 会ってから、帰りたくて

 馬車が止まる前から、丸い耳が窓に見えていた。


 ミナは乗り場の端で手を上げた。

 窓の向こうでも手が動き、明るい顔が近づく。


「ミナ!」


 呼ばれたところで、馬車が少し揺れた。

 マルタの顔が引っ込み、しばらくして、今度は扉から現れた。


「最後、転びそうになっちゃった」


「まだ動いてたから」


「うん。降りる前に落ちたら、格好つかないね」


 地面へ下りたマルタは、ミナの前で足を止めた。

 蜂蜜色の毛に、旅の埃が少しついている。

 ミナの頬と左腕へ目を向けてから、両腕を開いた。


「もう、抱きついても大丈夫?」


「うん」


 返事をすると、柔らかい胸元へ包まれた。

 背中に回った手は、前に別れたときより、少し遠慮がちだった。


「手紙、読んだ。配信の記録も」


「心配かけて、ごめんね」


「うん。したよ」


 マルタは離れてから、もう一度ミナの顔を見た。


「だから、会ってから帰りたくて」


 ミナは頷いた。

 用意していた挨拶より先に、別の言葉が出た。


「ご飯、作ってある」


「それ、すごく嬉しい」


 笑った顔が、ようやくいつものマルタに戻った。


     *


 手紙で決めていた滞在は、二晩だった。


 宿へ荷物を預けたら、昼はミナの下宿で食べる。

 翌日はラグも交えて、短く練習をする。

 その次の朝には、故郷へ向かう馬車へ乗る予定だった。


「母さんにも、寄ってから帰るって書いた。宿の手伝いも、戻ったらするからって」


 マルタが歩きながら言った。

 袋の外へ留めた毛布は、きちんと収まっている。


「今度は、ちゃんと入ったんだね」


「一回出して、底から平らにした。教わった通り」


 マルタは肩の紐をつまんだ。


「ただ、王都で紙が増えたの。習ったこと、捨てて帰れないでしょ」


「どんなこと書いてあるの?」


「あとで見せる。字が曲がってるところは、歩いた後に書いたからね」


 ミナは笑った。

 聞きたいことが、もういくつもあった。


     *


 下宿の食卓に、豚肉と白豆の小判焼きを並べた。


 今日は、運ぶための箱は要らなかった。

 鍋から皿へ移し、パンと蕪の酢漬けを添える。

 マルタは手を洗って戻ると、椅子へ座るより先に皿を覗いた。


「これ、記録で見たやつだ」


「うん。仕事で、六人分作ったの」


「食べる方なら、六人に入りたかったな」


「今日は、二人分」


「じゃあ、半分は私のだ」


 マルタが嬉しそうに匙を取った。

 一口食べ、すぐには次を取らず、切ったところを見ている。


「豆が入ってるのに、ぱさぱさしないね」


「潰し方を、少し変えたの。大きい粒を残すと、割れやすくて」


「これも、家で作っていい?」


 ミナは頷いた。


「あとで、書いたものを渡すね」


「また紙が増える。でも、これは入れる」


 マルタはパンをちぎり、小判焼きと一緒に食べた。

 ミナも自分の皿へ匙を入れる。

 相手が食べ終わるのを待たず、一緒に温かいうちに食べられた。


「王都、どうだった?」


「広かった。手紙にも書いたけど、同じ広場に戻っちゃうの、ほんとにあるんだよ」


「道を間違えたの?」


「道じゃなくて、入口。大きな建物を抜けたら近道になると思って。出たら、さっきの店があった」


 ミナが笑うと、マルタもつられて笑った。


「でも、魔法と盾の講習はちゃんと行けた。バルド様、近くで見ると、すっごく大きかった」


「ラグさんより?」


「どっちだろ。並んでもらわないと、わかんない」


 マルタは、自分の肩から少し離したところへ手を置いた。


「盾を構えたら、もう、向こうが見えなくなるの。なのに、こっちの足が出たのは見えててさ」


 盾の後ろへ隠れたつもりでも、足先が横へ出ていた。

 直そうとして下がると、今度は守る相手とぶつかったという。


「二回目は、先に言った。下がるよって」


「手紙で読んだ」


「うん。それからね、言う前にも見なさいって。空いてると思ってた方へ、相手がもう動いてることもあるから」


 マルタは匙を置き、机の上で指を二つ動かした。

 一つが下がる前に、もう一つが横へずれる。


「前は、盾の向こうを見ようとするだけで、いっぱいだったんだよね」


 ミナは、石羽鳥のいた斜面を思い出した。

 マルタの後ろで、自分がどこへ槍を出せるか考えたことも。


「明日、一緒にやってみたい」


「うん。そのために、盾も持ってきたんだから」


     *


 食後のお茶を飲みながら、マルタが小さな包みを開いた。

 王都で買った、薄い焼き菓子だった。

 割れないよう、服の間へ挟んで運んできたという。


「キリルにも会ったよ」


 ミナが菓子へ伸ばした手を止めた。


「ほんとに?」


「ミナの手紙が届いてから、魔法の講習の受付で、伝言を預かってもらったの。返事が来て、休みの日に会えた」


「元気だった?」


「元気。最初に、火より風の方を練習してるって教えてくれた」


 マルタは、菓子の割れた方を自分の皿へ置いた。


「狭いところを狙うのが難しいんだって。的の外の紐まで揺らしちゃうって言ってた」


「近くの人へ当てないようにしたいって、言ってたから」


「うん。ミナのことも、いろいろ聞かれたよ」


 ミナは顔を上げた。


「何を?」


「一緒に仕事したときも、ちゃんと休んでたか、とか。料理してると、自分のご飯を忘れないか、とか」


「……この前は、少し忘れた」


「管理人さんに言われたんでしょ。私もさっき聞いた」


 マルタが笑い、お茶を飲んだ。


「あとは、私がミナに何て呼ばれてるか」


「マルタは、マルタだよね」


「そう言ったら、ふうんって。それから急に、講習の話に戻っちゃった」


 ミナは首を傾げた。

 キリルには、ずっと『キリルさん』と呼びかけていた。

 名前の呼び方にも、何か気になることがあったのだろうか。


「なんかね。弟みたいだった」


「キリルさん、私たちより一つ上だよね?」


「そうなんだけどねえ」


 マルタは菓子の端を噛んだ。


「大丈夫、知ってるって言ったすぐ後に、これどうするんだって聞くの。知ってなくてもいいのに」


「でも、知らないことも教えてくれるよ」


「うん。私が魔法のこと聞いたら、ちゃんと説明してくれた。待ち合わせの帰りも、馬車が来てるって教えてくれたし」


 明るかった声が、少し落ち着いた。


「あの子供を背負った話も、少し聞いた。怖くなかったのって聞いたら、怖かったに決まってるだろって」


 ミナは、匙から手を離した。


「それでも、運んでくれたんだね」


「うん」


 マルタは頷き、もう一枚、ミナの皿へ菓子を寄せた。

 それから、王都の店で道を尋ねた話をした。

 ミナは聞きながら、膝の上に置いていた手を卓へ戻した。


     *


 翌朝、ラグは練習場へ先に来ていた。


「お久しぶりです。王都はいかがでしたか」


「習うこと、いっぱいありました。ラグさん、今日は見てもらえますか」


「ええ。私の方も、剣に少しは覚えてもらいましたので」


 腰の剣を右手で示すと、マルタが笑った。


「ちゃんと聞いてくれました?」


「時々、腕の方から訂正が入ります」


 最初は、武器を当てない位置取りだけにした。

 ラグが正面から近づく役。

 マルタが盾を持ち、ミナはその後ろへ立つ。


 前ならすぐに盾を上げていたところで、マルタは一度、肩越しに振り返った。


「ミナ、右にいる?」


「うん。槍も、右から出す」


「わかった。そっちは空けとくね」


 マルタが半歩ずれた。

 ミナの前に、穂先を動かすための幅ができる。


 ラグがゆっくり右へ動く。

 マルタの盾が、その向きへ変わった。

 ミナも足を運び、盾の縁と重ならないところで止まる。


「一歩、下がるよ」


「空いてる」


 二人で下がった。

 マルタの踵が、ミナの靴へ触れることはなかった。


 ラグが止まると、マルタは盾を少し下ろした。


「今、すぐそこにいたよね。ぶつかるかと思った」


「マルタが向きを変えたから、私も動いたの」


「前より、すっと動くね」


 ミナは自分の足元を見た。

 今日は、補助帯を使っていない。

 弱い身体強化も、この練習ではまだ使っていなかった。


「マルタも、下がる前に見てくれたから、わかった」


 丸い耳が、少し起きた。


「じゃあ、もう一回。今度は左も」


 次はラグが左へ回り込んだ。

 マルタは盾を追わせすぎて、ミナの前まで塞いでしまった。


「止めよう。これ、私が回りすぎた」


 自分で言って、元の位置へ戻る。

 ミナも槍を引き、足の置き場を変えた。


 何度かやり直すと、声をかける前にも、相手がどこへ行こうとしているかわかる瞬間があった。

 全部ではない。

 でも、前にはなかった余裕だった。


 休憩でマルタが盾を置くと、ラグが頷いた。


「守る相手を、よく見ていましたね」


「王都で、後ろの人にも動いてもらうんだって、やっと少しわかりました」


「ええ。盾だけで、全員を運ぶわけにはいきませんから」


 ミナが笑い、マルタも肩を揺らした。


 その後は三人で、治療へ移るときの交代を確かめた。

 マルタが場所を空ける前に、ラグの返事を待つ。

 ミナは二人の足元と、残された道を見る。


 盾を下ろすところまで終えて、マルタが息を吐いた。


「家でも、これ忘れないようにしなきゃ」


     *


 午後は買い物をして、宿で荷物を詰め直した。


 弟への土産が、袋の上へ入った。

 母親へ渡す料理の紙は、濡れないよう、別の布で包む。

 ミナの書いた小判焼きの分量も、そこへ加わった。


「家、楽しみ?」


「うん。早く話したい。弟、私より盾の話を聞きたがるかもしれないけど」


 マルタは袋の口を締め、寝台へ腰を下ろした。


「ミナは? また、ローデンへ行くの?」


「依頼があれば、相談してみたい。採ったもの、今度はもっといい状態で持って帰りたいから」


「うん」


「それと……もう少し遠くも、行ってみたい」


 ミナは膝の上で手を重ねた。


「エルディアっていう国。旅先で会った商人さんが、そこの方だったの」


 角兎を懐かしいと言って食べたこと。

 自分の知らない部位の食べ方があったこと。

 サハルの市場には、香辛料も、乾かした果物も、いろいろ集まるらしいこと。


 話しているうちに、マルタの目が丸くなった。


「行く日、決めたの?」


「まだ。道も、どれくらいお金がかかるかも、調べてないから」


「そっか。でも、行きたいんだね」


 ミナは頷いた。


「教えてもらった味を作るのも楽しいけど、その場所で食べたら、もっと違うのかなって」


 窓の外から、夕方の通りの声が聞こえた。

 マルタは、荷物の上へ置いていた手を離した。


「行くことになったら、手紙ちょうだい。どんなの食べたかも、ちゃんと書いてね」


「うん。マルタの家のご飯も、教えて」


「いいよ。母さんの煮込み、鍋いっぱい作るとおいしいんだ。私が少しだけ真似すると、なんか違うんだよね」


「それ、聞きたい」


 ミナが身を乗り出すと、マルタは笑った。


「ほら、もうその顔。帰ったら聞いてくるから」


     *


 その夜、下宿から短く配信をした。

 マルタも隣へ座り、寄り道して会いに来たと挨拶する。


〈こぐま:おお。講習はどうだった〉


「行けました! 教えてくださって、ありがとうございました」


 マルタは水晶へ顔を向けた。


「今日は、ミナとラグさんにも見てもらいました。まだ、回りすぎちゃうこともありますけど」


〈こぐま:止まって直せるうちに、何度でもやっておけ〉


「はい」


 横でミナも頷いた。

 練習場で言われたことと、同じだった。


 配信を終えると、マルタは立ち上がりかけて、振り返った。


「ねえ。食べ物の話ばっかりじゃなくて、困ったことも書いてね」


 ミナは、水晶から手を離した。


「マルタも」


「うん。盾で後ろの人を踏みそうになった話とか」


「それ、もう聞いたよ」


「じゃあ、次は別の話にする」


 二人で笑った。

 うまくできたことだけで、手紙をいっぱいにしなくてもよかった。


     *


 翌朝、マルタは故郷へ向かう馬車へ乗った。


 手を振る前に、ミナは言った。


「寄ってくれて、ありがとう」


「うん。また寄る。ミナがここにいるか、先に手紙で聞くね」


 ミナは頷いた。

 次も必ずこの町で会うとは、もう決まっていなかった。


 車輪が動き出す。

 窓から振られる大きな手を、ミナは見送った。


 下宿へ帰ったら、地図を見ようと思った。

 マルタの帰る場所と、ナディムの店がある場所。

 名前だけだった遠くの町に、手紙を受け取ってくれる人がいた。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。