第65話 六人分のお昼ご飯
「仕事場のお昼を、頼めないかな」
夕食の皿を洗っていると、隣に立った下宿人が言った。
先日、キリルたちと鶏肉を食べ比べた人だった。
ミナは水を止めた。
「お昼ご飯、ですか」
「うん。布の倉庫で帳面をつけてるんだけど、今度、荷を入れ替える日があってね。六人、順番にしか休めないの」
いつもなら、外で食べたり、家から持ってきたりするという。
その日は皆の分をまとめて頼もうと話していて、ミナの料理を思い出したらしい。
「この前のご飯、おいしかったから。もちろん、お代は払うよ」
ミナは、濡れた手を布で拭いた。
六人分なら、食堂で作っていた量より少ない。
けれど、鍋からそのまま出せるわけではなかった。
「いつ、召し上がりますか」
「三日後。昼の鐘が鳴る頃に、最初の二人が休む予定」
「最後の方は、どれくらい後になりますか」
相手が、少し考えた。
「そこは、聞いてくる。届いたら全員すぐ食べるわけじゃないものね」
「あと、使えるお金と、苦手なものも……」
聞きたいことが増え、ミナは机から帳面を取ってきた。
管理人にも、台所を使える時間を相談する必要がある。
器は借りられるだろうか。
六人分を運ぶ方法も、まだ決めていない。
「少し、考えてからお返事してもいいですか」
「もちろん。無理なら遠慮なく言ってね」
ミナは頷き、日にちを書いた。
その下へ、小さく『六人』と足した。
*
翌日、ミナは倉庫を見せてもらった。
台車の通る床には、ところどころ布の繊維が落ちていた。
食事をする部屋は、荷を置くところとは別にある。
机と長椅子、水を汲んだ桶。
奥には湯を沸かす小さな火床があった。
「鍋を温め直すのは、難しいですか」
「湯なら沸かせるけど、料理の面倒を見る人は置けないな」
倉庫の責任者が答えた。
六人の休憩は、最初から最後まで、鐘一つ分も空かないようにするという。
食べられないものを確かめ、予算も聞いた。
皆、よく動くので、腹にたまるものがいいらしい。
帰り道、ミナはパン屋と肉屋の前で値段を確かめた。
料理の候補を二つ考えていたが、汁物はやめることにした。
温め直せず、運ぶ器も重くなる。
下宿へ戻り、材料を書き出す。
豚肉と白豆の小判焼き。
パン。
蕪の酢漬け。
肉だけで作るより、白豆を混ぜた方が予算に収まり、量も出せる。
食堂でも、肉が少ない日に使っていた組み合わせだった。
「白豆は、ちゃんと潰した方がいいね」
管理人が帳面を覗いた。
「はい。粒が大きいと、分けるときに崩れやすいので」
朝食の片づけが済んだ後なら、台所を使ってよいと言ってもらえた。
薪と油は、使った分を払う。
運ぶときは、倉庫の空いている手押し車を借りられることになった。
材料代に、包む紙の代金を足した。
薪と油の分も入れる。
残る金額を見てから、ミナはもう一度、作る量を数えた。
「これなら、できます」
その日のうちに、献立と代金を伝えに行った。
*
試しに作る分は、自分の昼食にした。
柔らかく煮た白豆を潰し、細かく刻んだ豚肉と、炒めて冷ました玉ねぎを混ぜる。
塩と香草を加え、手の中で平たく整えた。
厚すぎると、真ん中まで火が通るのを待つ間に表面が乾く。
薄すぎても、白豆のところから割れやすい。
ミナは一つを少し押し直し、鍋へ並べた。
焼き色をつけて返し、蓋をして中まで火を通す。
最後に蓋を外すと、肉の匂いに、甘い豆の香りが混ざった。
焼きたてを一口、味見する。
柔らかいが、匙で触れただけでは崩れない。
塩も、これでよさそうだった。
残りは、実際に使う蓋付きの箱へ入れた。
紙を敷き、パンも隣へ置く。
倉庫まで運んで、最後の人が食べ始める頃まで待つことにした。
待っている間に、蕪を薄く切った。
塩をして置き、出てきた水を絞って、酢と少しの油で和える。
こちらは、下宿の夕飯にも添えられる量にした。
時刻を確かめ、箱の蓋を開ける。
「……パンが」
底の方が、少し湿っていた。
肉の汁だけではない。
箱にこもった湯気が、紙にも回っている。
食べられないわけではなかった。
でも、パンの皮を噛んだときの感じが、買ってきたときとは違った。
食堂では、客の来る順に皿へ盛っていた。
同じ食材を同じ量使っても、この箱へ一緒に入れると、別の仕上がりになる。
ミナは帳面へ、二つの四角を描いた。
小判焼きの箱と、パンの籠。
荷物は一つ増えるけれど、分けて運んだ方がよかった。
*
夕方、残しておいた材料で、もう一度だけ試した。
今度は短く配信もする。
「今日は、運んでから食べるお昼ご飯を考えています」
最初の一人が入ってきた頃、ミナは焼き上がった小判焼きを台へ移した。
〈帰り道:お出かけ用ですか?〉
「お仕事場へ、届ける分です。今日は、その前に試しています」
頼んだ人の名前や倉庫の場所は出さず、食べるまで少し時間があることを話した。
「お昼に、パンも同じ箱へ入れてみたんですけど、湿ってしまって」
〈帰り道:前に教わったパンの温め方とは、逆のことを考えるんですね〉
ミナは頷いた。
「今回は、パンに湯気が回らないようにします。熱いものと分けて、こちらは別の籠に」
数字が二になった。
夕餉係さんの名前が出る。
〈夕餉係:お届け先では、お皿へ移せますか〉
「はい。お皿と匙は、あります」
文字を読んで、ミナは空いた小皿を並べた。
小判焼きを二つ。
パンを一つと、蕪の酢漬けを端へ添える。
酢漬けは、運ぶ間も別の小壺へ入れておくことにした。
盛るための匙も一緒に渡す。
〈夕餉係:取り分ける方が迷わずに済みそうですね〉
「はい。私が帰った後にも、同じくらいずつ取れるようにしたいです」
自分が皿へ盛るところまでしか、考えていなかった。
届いた後に、誰が蓋を開けて、どれを取るのか。
そこまで想像すると、用意するものが少し変わった。
ミナは、食べる順番を確かめるように小判焼きを割った。
湯気が落ち着いても、豆の入った中身は柔らかかった。
「温かさが少しなくなっても、こちらは大丈夫そうです」
今度は、別に置いたパンを一口食べた。
皮は、まだ歯に当たった。
*
届ける日の朝、ミナは目が覚めると、窓より先に時刻を見た。
まだ、慌てなくていい時間だった。
台所へ下り、朝食を食べる。
皆の片づけが済んでから、自分の材料を広げた。
白豆は、戻すところから時間を見て用意してある。
買っておいた肉を涼しい保存箱から出した。
玉ねぎを切り、炒めている間に、豆を潰す。
六人分。
一人に二つずつなので、小判焼きは十二個だった。
まず同じくらいの大きさへ分ける。
最後の一人だけ小さくならないよう、全部並べて見比べた。
少し大きいものから、小さいものへ足す。
食堂の台にも、こんなふうに皿が並んでいた。
店主が鍋を見ている間に、ミナが順に添え物を置く。
今日は、鍋を見るのも、出す時刻を決めるのも自分だった。
蕪の壺を閉じ、パンの数を確かめた。
焼き始める前に、洗える道具は洗ってしまう。
鍋に入るのは四つずつ。
試したときと同じ間隔を空け、最初の四つを焼いた。
空いているところへ、もう一つ押し込みたくなる。
けれど、それでは返すときに隣へ当たりそうだった。
火を見て、返す。
蓋をしている間に、次の四つを置く場所を空けた。
「いい匂いだね」
管理人が入口から声をかけた。
「あと、二回焼きます」
「手は足りてる?」
ミナは台を見回した。
今、手を止めると困るのは、鍋の前だった。
「手押し車が届いたら、入口の内側へ置いていただけますか」
「わかった」
頼むことを一つ決めると、鍋へ目を戻せた。
最後の四つを焼き終え、中まで火が通っていることを確かめた。
箱へ収める前に強い湯気を逃がし、二つずつ取れるよう並べる。
パンは別の籠へ。
壺は布で包み、車の中で動かないところへ収めた。
六人分を数え終えてから、もう一度時刻を見た。
予定していた出発の時刻に、間に合っていた。
*
手押し車の取っ手を握り、通りへ出た。
背負う荷物とは、重さの掛かり方が違う。
石畳の継ぎ目では歩く速さを落とし、箱が跳ねないようにした。
曲がるときも、内側へ急に寄せない。
道を見に来た日に、幅の狭い裏道を避けておいてよかった。
少し遠回りでも、こちらなら車を押して通れる。
倉庫の入口で声をかけると、下宿人が出てきた。
「ありがとう。ちょうど、手を洗い始めたところ」
食事の部屋へ運び込み、箱と籠を置いた。
小判焼きは一人に二つ。
酢漬けはこの匙で取り、パンは隣から取ってもらう。
最初の二人へ説明していると、一人が皿を持ったまま尋ねた。
「これ、何が入ってる?」
「豚肉と白豆、玉ねぎです。豆は潰してあります」
「ああ、だからこの大きさなんだ」
男は腰を下ろし、一口食べた。
ミナは、空いた車の取っ手へ手を置いて待った。
「うん。柔らかいな。肉だけのより、これ、食べやすい」
隣の人は、蕪を食べてからパンへ手を伸ばした。
「こっち、もう少し取ってもいい?」
ミナは壺の中を見た。
皆へ行き渡るよう、少し余裕を持たせてある。
「はい。少しでしたら」
「口がさっぱりする。これ、いいね」
ミナの肩から、少し力が抜けた。
小判焼きだけでなく、一緒に食べるものも選んでよかった。
全員が食べ終わるまで、ここで待つ必要はなかった。
空の器と車は、夕方に引き取りに来る約束だった。
「では、また後で伺います」
そう言って外へ出たところで、昼の鐘が鳴った。
*
夕方、箱の中は空になっていた。
「最後の人、どうでしたか」
ミナが尋ねると、下宿人は奥へ声をかけてくれた。
布の束を置き終えた人が、手を拭きながら来る。
「私が最後。ちゃんと二つ残ってたよ」
「冷たくなって、硬くなっていませんでしたか」
「焼きたてほど熱くはなかったけど、硬くはなかった。パンも、べたべたしてなかったし」
そこで少し考え、付け足した。
「よく食べる人には、パンがもう少しあると嬉しいかも」
ミナは帳面を開いた。
全員の量を増やすのか、欲しい人だけ一つ足せるようにするのか。
次に頼まれたら、そこも先に聞こうと思った。
責任者が来て、約束の代金を渡してくれた。
ミナは数を確かめ、受け取ったと伝える。
「時間通りで助かった。また、こういう日があったら聞いてもいいか」
「はい。その日の予定と、人数を伺ってからになりますけど」
「それでいいよ」
ミナは頭を下げ、空の器を車へ載せた。
*
下宿へ戻ると、借りた器を洗った。
薪と油の代金を管理人へ渡し、残りを帳面と見比べる。
肉。豆。玉ねぎ。パン。
紙と、そのほかの材料。
全部を引いた後に残る分が、今日の仕事の報酬だった。
すぐにもう一度作れば、試作の時間は減らせるだろう。
でも、人数や場所が変われば、また考えることが増える。
ミナは、料理の分量の下へ書き足した。
パンは、別に運ぶ。
追加が欲しい人がいるか、先に聞く。
曲がり角では、車をゆっくり押す。
レシピだけでは、今日と同じ昼食を届けられなかった。
階段を上がろうとすると、管理人に呼び止められた。
「手紙が来てるよ。渡すの、食べ終わってからにしようと思ってたんだけど」
ミナは振り返った。
まだ、自分の夕飯を用意していなかった。
「先に、ご飯ですね」
「そう。六人には届けたんだから、自分の分も忘れないで」
差し出された封筒には、マルタの名前があった。
ミナは椅子へ座り、夕飯が温まる間に封を開けた。
講習のことや、王都で会った人の話が続いている。
その先の一行で、顔を上げた。
『家へ帰る前に、リュネールへ寄ってもいい?』
ミナは、机の上の料理の帳面を引き寄せた。
今度食べてもらいたいものが、また一つ増えていた。
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