第62話 帰ってきました
出発の前日、ミナはナディムの滞在先を訪ねた。
宿の入口には、小さな木箱がいくつも積んであった。
ナディムは、その一つへ荷札を結んでいるところだった。
ミナとラグに気づくと、立ち上がって手を拭いた。
「明日の便だったね」
「はい。お世話になりました」
「こちらこそ。角兎を一緒に食べられて、うれしかったよ」
ナディムは荷物の間から、小さな包みを取った。
口を紐で縛り、その上から、もう一枚紙を巻いてある。
「持っていってくれるかな。あのときの香辛料だ」
ミナは、差し出された包みを見た。
「いただいて、いいんですか」
「餞別だよ。君なら、私とは違う使い方を見つけるかもしれない」
受け取ると、紙越しにも少し香りがした。
ミナは、潰さないよう両手で持った。
「湿らせないようにね。取り出す匙も、乾いたものを」
「はい。帰ったら、使ってみます」
その場で包みを開けたくなったが、こらえた。
代わりに、帳面から宛先の紙を出す。
「試したら、こちらへお手紙を書いてもいいですか」
「もちろん。私が旅に出ていても、店で受け取れる」
ミナは宛先を挟み直し、香辛料を袋の上へ収めた。
教わった味を、もう一度作れる。
それだけでなく、試してみたいこともあった。
*
翌朝、乗り場にはキリルが先に来ていた。
いつもの肩掛け袋とは別に、旅の荷物を背負っている。
外へ留めた毛布が、片側へ少し傾いていた。
「村へ、戻れたんですね」
「うん。荷物も取ってきた」
キリルは背負い直し、ミナの手元を見た。
試料の箱はラグが運んでくれていた。
ミナは、車内へ持ち込む小さな袋だけを持つ。
「腕は?」
「前より動きます。まだ、重いものはお願いしています」
「そっか」
係の人に荷物を渡すとき、キリルの毛布がずれた。
慌てて抱え直したところへ、ラグが声をかけた。
「片方の紐が緩んでいる。置いて直そう」
「さっき、締めたんだけどな」
キリルは荷を台へ下ろした。
ラグに教わって、結ぶ位置を少し変える。
ミナも横から見ていた。
自分も、出発前に袋を何度も詰め直した。
馬車へ乗ると、キリルが窓の方を見た。
動き始めても、しばらく町から目を離さなかった。
*
帰り道は、来るときに見た景色が逆の順番で現れた。
籠を積んだ荷車。
道の曲がるところにある石垣。
休憩の村へ着く前に、ミナには店の屋根がわかった。
「ここで、行きも休みました」
「パン買える?」
「はい。あちらの店です」
今日は自分が、キリルへ場所を教えた。
休憩では、座り続けた脚を少し動かした。
袋は必要なものだけ下ろす。
痛みが強くならないか、歩いて確かめてから戻った。
宿で一晩過ごし、二日目の馬車へ乗る頃には、キリルも荷物を渡す順番に迷わなくなっていた。
「リュネールって、宿、多い?」
昼の休憩で、彼が尋ねた。
「いくつかあります。私は下宿なので、短く泊まれるところは、ラグさんの方が詳しいと思います」
ラグが、王都行きの乗り場にも近い宿を挙げた。
空きがあるか、着いてから確かめようという。
「値段も、先に聞ける?」
「もちろん。食事をつけるかも含めてな」
「……じゃあ、そうする」
キリルは、硬貨をしまった袋へ手を置いた。
王都の魔法ギルドで何を習いたいか話すときとは、少し声が違っていた。
*
リュネールの門が見えたとき、ミナは窓へ顔を寄せた。
荷車が二台、順に門をくぐっている。
角を曲がった先には、見覚えのある看板があった。
「着きました」
「あれ、全部店?」
キリルは、通りの両側を見回した。
ミナは頷き、パン屋のある方を示す。
「あちらを進むと、私の下宿があります。ギルドは、反対の道です」
馬車が止まると、ラグが先に下りた。
ミナも足場を確かめて、地面へ降りる。
同じ石畳なのに、靴を置いたとき、少しほっとした。
帰る部屋までの道を、誰かに聞かなくてもよかった。
*
荷物を宿と下宿へ預けてから、ミナとラグは試料を工房へ届けた。
キリルは部屋が決まり、荷ほどきをして待つことになった。
王都行きの便まで、リュネールで少し過ごす予定だった。
工房の職人は、箱を開く前に、ミナの頬へ目を留めた。
「怪我をしたって、向こうから連絡が来ていたよ。もう、歩いて平気なのか」
「はい。荷物は、持っていただいています」
「では、座って説明してくれ」
椅子を出してもらい、ミナは帳面を開いた。
採った場所と日。
左右の区別と、取り出すときにつけた傷。
洗った後、どのように置いて乾かしたか。
職人は試料と図を見比べ、細い切れ目を指した。
「この印は、ここだね」
「はい。乾かす前からありました」
「それがわかれば、試すときに分けて考えられる」
ミナは次の紙を出した。
自分とは違う筆跡が並んでいる。
「途中からは、ラグさんと、向こうの職員さんに見ていただきました。私が見ていないところもあります」
「誰が、いつ確かめたか、書いてあるね」
職人は名前の欄へ目を通した。
「わからないところが出たら、そちらへも聞ける。助かるよ」
ミナは、膝へ置いた手を少し緩めた。
全部を自分で終えられなかったことを、ずっと気にしていた。
職人が、受け取った試料と記録を紙へ書いた。
加工して引いたときの具合は、これから調べるという。
今日は受領の控えを受け取り、ギルドでも納品の手続きを済ませた。
旅へ出る前に引き受けたものを、ようやくここまで届けられた。
*
下宿へ戻ると、管理人が階段の下で待っていた。
「落ち着いた? さっきは荷物だけだったでしょう」
「はい。納品も、終わりました」
「おかえり。手紙、預かってるよ」
渡された封筒に、マルタの名前があった。
王都からの印が押されている。
ミナは部屋へ上がり、窓を開けた。
机も寝台も、出発した朝と同じところにある。
封を開け、椅子へ座った。
宿が決まったこと。
王都では、思っていたより道が多く、最初は同じ広場へ戻ってしまったこと。
その後に、大きめの字で講習の話があった。
『こぐまさんが教えてくれた盾の講習、バルド様が先生だったよ!』
ミナは、そこをもう一度読んだ。
マルタが目を丸くしている顔が浮かんだ。
講習では、盾の後ろにいる人の足も見るように言われたという。
下がれるつもりで下がったら、後ろの人も同じところへ来てしまった。
次は、動く前に短く声をかけてやり直した。
『ミナとラグさんと練習したときのこと、思い出した。あのとき聞こえた声が、ちゃんと役に立ったよ』
最後には、こちらから手紙を送る宛先が書いてあった。
その下に、小さく一行、付け足されている。
『こっちのパン、丸くて大きいのがある。今度、一緒に食べたい』
ミナは笑った。
返事に書きたいことが、たくさんあった。
サハルの話も、香辛料のことも。
林で怖かったことは、まだ上手に書けるかわからない。
でも、無事に帰ったことは、先に伝えたかった。
*
夕方、ミナは机の上へ水晶を置いた。
窓から入る明かりは、ローデンの宿より横から差した。
水晶の向きを少し変え、配信を始める。
「リュネールへ帰ってきました。今日は、報告だけになります」
ほどなく数字が一になった。
〈帰り道:帰ってこられたんですね。いつものお部屋だ〉
「はい。荷物も、戻しました」
〈帰り道:記録を見ました。お怪我、大丈夫ですか〉
ミナは、今の腕と脚の状態を短く話した。
重いものを持つことと、戦う練習は、まだ控えている。
数字が二になり、違う名前が出た。
〈夕餉係:記録を拝見して驚きました。ご無事で何よりです〉
〈夕餉係:今は、どなたかにお食事を作っていただけていますか〉
「はい。宿でも作っていただきました。今日は、下宿でもお願いしています」
自分の食事まで気にしてくれていた。
ミナは、文字をゆっくり読み直した。
〈帰り道:今日は報告だけでも十分ですよ〉
挨拶をして、その人の表示が消えた後、今度はもふもふさんが来た。
〈もふもふ:こなべさん、おかえりなさい!〉
〈もふもふ:ラグさんもご無事ですか。途中、見ていられなくて……〉
「ラグさんも、一緒に帰ってきました。今は、ご自分の宿にいます」
〈もふもふ:よかった……案内していた男の子も?〉
「はい。手を少し怪我しましたけど、よくなっています」
ミナは、膝の上で指を重ねた。
林にいたときには、自分の近くのことしか見えなかった。
帰ってから記録を見て、心配してくれた人もいる。
「皆さん、ありがとうございます。お返事、遅くなってしまって」
〈夕餉係:こうしてお話しできれば、十分です〉
その言葉が残っているところへ、こぐまさんの名前が現れた。
〈こぐま:帰ったか。盾を持つ腕は、まだ休ませておけよ〉
「はい。盾も、傷んだところを見ていただきます」
ミナは少し迷い、マルタから手紙が届いたことだけ伝えた。
講習へ行けて、とても喜んでいたという。
〈こぐま:そうか。それはよかった〉
短い文字を見て、ミナも頷いた。
配信を終えようとしたところで、夕餉係さんからもう一つ質問が来た。
〈夕餉係:お元気になったらで構いません。旅先で使われていた香辛料、普通の鶏肉にも合うでしょうか〉
ミナは、机の端に置いた包みへ目を向けた。
「私も、試してみたいんです。少し、いただいて帰ってきたので」
肉へ振る。
煮汁に混ぜる。
それなら、焼く前に下味へ入れたらどうなるだろう。
「使ってみたら、またお話ししますね」
言ってから、口元が少し緩んでいることに気づいた。
次に作る料理のことを、考えていた。
*
夕飯のとき、ミナは管理人へ香辛料の包みを見せた。
「旅先で教わったものなんです。ナディムさんという商人さんに、餞別でいただきました」
「へえ。袋のままでも、いい匂いがするね」
「腕がよくなったら、鶏肉の下味に使ってみたいです。いつもの味と、二通り作るので、味を見てもらえますか」
「もちろん。いつもの分も残してくれるなら、違いがわかりそう」
管理人は、ほかの下宿人にも声をかけておこうと言った。
ラグと、まだ町にいるキリルにも聞いてみたい。
「まずは、そのご飯を食べてからね」
言われて、ミナは包みをしまった。
目の前の皿から、まだ湯気が上がっていた。
*
ミナが帰宅の配信を始める少し前、バルドは王都の家で、林の記録を見直していた。
無事に戻ったことは、先に確かめた。
それでも、牙が盾へ当たるところで、膝の上の手に力が入った。
「そうだ。押し返すな」
画面の少女は、盾を斜めに向け、足を引いていた。
相手の力を止め切ろうとはしていない。
自分の体で受け切れないことを、動きに織り込んでいる。
「……覚えていたか」
講座で話したことも、その後に練習してきたことも、あの一瞬に残っていた。
感心した直後、盾が大きく揺れる。
バルドは顎を引いた。
やり方を知っていても、腕へ来る力までは消せない。
妻が卓へ湯飲みを置いた。
「その子、帰れたんでしょう?」
「ああ。帰れた」
答えてから、ようやく手を開いた。
戻ってきた少女に伝えることを考える。
できた動きは、後で本人にも教えたい。
今日はまず、腕を休ませるようにと言おう。
*
同じ頃、リゼの工房には、ミナの報告が届いていた。
リゼは弟子へ次の修理を任せ、窓辺の机へ移った。
紙を横へ置き、指定された記録を開く。
盾で受け、膝が沈む。
画面が一度傾き、その後、横へ大きく移った。
「そこで使ったのね」
報告には、自分の身体強化も重ねたとある。
道具に押し出されるまま足を投げず、踏み直して次の動作へつないでいた。
試していた頃より、体の使い方が変わっている。
けれど、リゼはそこで記録を止めなかった。
魔物が倒れた後、少女の呼吸がいつまでも荒い。
補助帯を切ると、座り込むように画面が下がった。
「……そこまで使えば、重くもなるわ」
呟いた声は、小さかった。
帯の補助、本人の強化、走った分と戦った分。
画面だけで、消耗の理由を一つには決められない。
リゼは返信用の紙を引き寄せた。
最初に、報告への礼と、無事でよかったと書いた。
その後へ、帰宅後の帯の点検について続ける。
あの踏み直しは、よくできていた。
それを伝えるときには、休んだ後の足で、ゆっくり再現してもらおうと思った。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です
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カクヨムでも掲載しておりそちらでは各エピソードの挿し絵等も掲載しています。




