↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
61/119

第61話 今日は、作ってもらいます

 宿へ戻ったときには、食堂の灯りがついていた。


 町の治療所で、頬の傷と左腕を診てもらった。

 腕の骨には異常がないと言われたが、盾を受けたところは腫れていた。

 脚の重さも残っている。

 目を強く使ったことも話し、今日は魔法の練習をせず、休むように言われた。


 ミナは、入口に近い椅子へ座った。

 ラグが道具を部屋へ運んでくれている。

 食堂から台所へ続く扉が開き、匙と器の触れる音が聞こえた。


 体が、少し強張った。


 そちらを見ると、宿の人が皿を重ねているだけだった。

 剣の音ではなかった。


「少し、食べられそう?」


 声をかけられ、ミナは頷いた。


「はい。何か……」


「今、持ってくるね」


 立とうとしかけた足を、そのまま椅子の下へ戻した。

 今日は、自分が台所へ入る必要はなかった。


     *


 運ばれてきたのは、乳で柔らかく煮た麦の粥だった。

 小さく切った黄瓜が入っている。

 匙を動かすと、湯気と一緒に甘い匂いがした。


「熱かったら、少し待って」


「ありがとうございます」


 ミナは右手で匙を持った。

 指が、思ったより曲がらなかった。

 握り直すと、手のひらが痛い。


 器を持ち上げようとした左腕にも、鈍い痛みが走った。

 机へ置いたままにして、一口分をすくう。


 口に入れると、麦の粒が柔らかくほどけた。

 黄瓜は、噛む前から舌で崩せた。


「……おいしいです」


 宿の人は頷き、台所へ戻った。


 次の一口を飲み込んだところで、ミナは息を吐いた。

 さっきよりも、長く吐けた。


 隣の卓で、明日の馬車について話している人がいる。

 パンを追加で頼む声もする。

 入口の扉が開いても、誰かが食事に来ただけだった。


 器の底が見える頃には、肩が少し下がっていた。


     *


 ラグが戻ってきた後、キリルも食堂へ来た。


 外套の裂けたところを、畳んで腕へ掛けていた。

 掌には、巻き直した布がある。


「座っていい?」


「はい」


 ミナが答えると、彼は向かいの椅子を引いた。

 ラグは少し離れた席で、自分の食事を受け取っている。


 キリルは布の端を指で触った。

 ミナも、匙を器へ置いた。


「……助かった」


 キリルが言った。


「お前が、あいつ引き離してくれて」


 ミナは顔を上げた。

 彼は、こちらを見ていた。


「子供を運んでくれて、ありがとうございました」


「あれくらいしか、できなかったけど」


「ラグさん、一緒には動けなかったので。岩の後ろへ行けて、よかったです」


 キリルは黙った。

 少しして、自分の掌へ目を落とした。


「最初、何もできなかった。転んだとき」


 ミナは、裂けた外套を見た。

 近くを通った牙のことを思い出し、匙から手を離した。


「私も、槍を離した後、すぐには包丁を抜けませんでした」


「……そうなのか」


「はい」


 しばらく、二人とも話さなかった。

 台所から、新しい料理の匂いがしてきた。


 キリルは立ち上がり、外套を抱え直した。


「次は、もっと周りを見る」


 言ってから、ミナの器へ顔を向けた。


「食えたなら、よかった」


 ミナは頷いた。

 今度は、彼が目をそらす前に返せた。


「キリルさんも、手を休めてくださいね」


「わかってる」


     *


 部屋へ戻ると、槍と盾が壁際に置かれていた。


 盾には、牙が滑った傷がある。

 ミナはそれを見たところで、足を止めた。


「道具は、明日にしましょう」


 ラグが言った。


「槍は、使う前に点検してもらいます。包丁の汚れは、落としてあります」


「ありがとうございます。試料も、夕方に見に行くつもりだったんですけど……」


「職員の方へ頼んであります。時刻も残していただけます」


 ミナは寝台へ腰を下ろした。

 自分の帳面は、荷置き場へ残した袋と一緒に戻ってきていた。

 開こうとして、やめる。


「明日、聞きます」


「ええ」


 ラグが水差しを、手の届く場所へ移した。

 ミナは靴を脱ぎ、足を寝台へ上げた。


 目を閉じると、槍の柄が跳ねるところが浮かんだ。

 もう一度目を開ける。

 窓には布が掛かり、卓の上には水差しがあった。


 今、そこにあるものを確かめてから、横になった。


     *


 翌朝は、立つ前にしばらく寝台へ座っていた。


 脚は、昨日ほど重くなかった。

 けれど、廊下へ出るだけでも歩幅が小さくなった。

 朝食は、部屋へ運んでもらった。


 昼前、ギルドの職員が短い確認に来た。

 捜索へ加わった経緯と、配信を始めた場所を尋ねられる。

 ミナは、思い出せる順に答えた。


「配信を見ていた方からも、連絡がありました。魔物の種類と人数がわかったので、向かう組へ伝えられました」


 グレンからの連絡だったと聞き、ミナは頷いた。

 文字を読むことはできなかった。

 それでも、水晶の向こうで動いてくれた人がいた。


 職員が帰った後、ミナは卓へ水晶を置いた。

 今日は、座ったまま話す。


「昨日は、ご心配をおかけしました。町へ戻って、治療も受けました。今日は、宿で休んでいます」


 数字が一になっても、すぐには文字が来なかった。

 ミナは、怪我をした子供も家族と一緒にいると伝えた。


〈灰ねこ:顔を見られて安心した。腕は、動かせる?〉


「はい。まだ痛いので、重いものは持たないように言われています。救援の連絡、ありがとうございました」


〈灰ねこ:向こうでは、もう捜してくれていたよ。私は見えたことを伝えただけだ〉


 ミナは、水晶の縁へ目を落とした。


「コメント、読めませんでした」


 槍を握っていたとき、文字が出たことはわかっていた。

 何か言ってくれている。

 そう思っても、顔を向けられなかった。


〈灰ねこ:あのときは、目の前を見ていてよかった。こうして話せてよかったよ〉


 ミナは頷いた。

 一度頷いただけでは足りず、もう一度、少しだけ頭を下げた。


「はい。ありがとうございます」


 報告を終えたところで、配信を切った。

 戦いの全部を、今日話すことはできなかった。

 それでも、無事だということは、自分の声で伝えられた。


     *


 リゼへは、補助帯を使ったことを書いて送ることにした。


 ミナは紙へ、使い始めた場面を記した。

 盾で受けた後、姿勢を戻すために動かしたこと。

 自分の身体強化も一緒に使ったこと。

 止めてから、立って帰れなかったこと。


 どれくらいの時間、動かしていたのかはわからない。

 そこには、わからないと書いた。

 配信の記録も見てもらえるよう、その日の記録を指定する。


 書く手が疲れると、休んだ。

 翌日、治療所で確かめてもらった状態も足してから、ラグにギルドの窓口へ届けてもらった。


 補助帯は、まだ袋へ戻していなかった。

 命を助けてもらった道具だった。

 次に使う前に、伝えておきたいことがあった。


     *


 ラグは手紙を預けた後、武器の点検を頼んだ店へ寄った。


 ミナの槍は、穂先の留まりに緩みが出ていた。

 柄には、木へ打ちつけた跡もある。

 必要な直しを頼み、自分の剣も受け取った。


 今の手に合うものを選んだ。

 それは、役に立った。

 短く受けて刃を戻す動きも、できた。


 それでも、岩の前から離れられなかった。


 子供を動かしたのはキリルだった。

 風が横道を塞いでくれたから、前へ踏み込めた。

 その間、ミナはもう一頭を引き受けていた。


 ミナさんは、戦えるようになっている。


 そう認めると、胸が少し痛んだ。

 まだ守っていなければ、と思う気持ちは消えない。

 けれど、できるようになったことまで、見ないふりはできなかった。


 必要なのは、あの戦いをもう一度任せることではない。

 あの子が一頭を引き受けなくても済む立ち方を、考えることだった。


 前を受け持つ者。

 周囲を見て、動けない者へ手を貸せる者。

 離れた場所から、進む道を変えられる者。


 マルタの盾の横を通ったときのことを思い出す。

 同じ場所へ、二人で戻る必要がなかった。


 誰とでも、すぐに組めるわけではない。

 技量だけでなく、声が届くか、互いの動きを知っているかも違う。

 それでも、二人でできるようにすることばかりを考えていては、見落とすものがある。


 ラグは、直してもらう槍を店へ残した。

 宿へ帰る道で、次に相談したいことを一つずつ考えた。


     *


 ミナが作業小屋へ行けたのは、さらに翌日だった。


 ラグと一緒に、ゆっくり歩いた。

 袋は持たず、帳面だけを手にしている。


 棚には、自分の書いた印が残っていた。

 その横へ、別の筆跡の紙が置かれている。


「この日は、雨が来そうだったので、窓を閉めました。こちらは、置く向きを変えた時刻です」


 職員が説明してくれた。

 ラグが確認したときの様子も、その下へ書き足してある。


 ミナは紙を順に読み、自分の帳面へ写した。

 自分で見たところと、人に聞いたところがわかるよう、名前も添える。


「ありがとうございました」


「帰ってから使う記録でしょう。これも、一緒に持っていってください」


 紙を受け取った。

 自分が寝ている間にも、試料は少しずつ乾いていた。

 見て、確かめて、書いてくれた人がいた。


 夕方には、キリルも小屋へ来た。

 巻いていた布が小さくなり、外套の裂け目は縫われていた。


「これ、もう持って帰れる?」


「職員さんにも見ていただきます。中まで乾いていれば」


 キリルは手を伸ばしかけ、先に手を洗いに行った。

 戻ってきてから、容器の蓋を開けた。

 布を挟まない折り方を、覚えていてくれた。


     *


 出発の便を相談したのは、その翌日だった。


 試料は持ち運べる状態になり、処理の記録も揃った。

 工房での評価は、リュネールへ戻ってからになる。

 ミナ自身も、休憩を取りながらの馬車移動ならよいと言ってもらえた。


 ローデンのギルドで、キリルが案内の報酬を受け取った。

 初めての仕事の分だった。

 机の上で硬貨を数え、袋へ入れる前に、もう一度確かめていた。


「これも、王都へ行くのに使うんですね」


 ミナが言うと、キリルは袋の口を結んだ。


「うん。……そう」


 いつものように大きく言わず、内側の袋へしまった。


 帰りの馬車の時刻を聞いていると、キリルも窓口へ寄ってきた。

 一度村へ戻り、王都へ行く荷物を持ってくるという。


「リュネールまでなら、俺も同じ道なんだけど」


 ミナは顔を向けた。

 キリルは時刻表を見たままだった。


「準備が間に合えば、この便に乗れる」


「じゃあ、一緒に行きましょう」


 今度は、すぐに答えられた。

 キリルがこちらを見て、それから頷いた。


「……そうする」


 ラグが、乗り場へ集まる時刻を確かめた。

 三人分の予定を、ミナは帳面へ書く。


 その下には、ナディムへ出発を知らせることも足した。

 帰る前に、お礼を言いたかった。


 帳面を閉じると、表紙の間から、サハルの宛先を書いた紙が少し見えた。

 ミナはそれを挟み直した。


 今回は、戻る町への道を三人で行く。

 乗り場で待ち合わせる約束をして、ギルドを出た。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

読んでいただきありがとうございます。評価、レビュー、応援いただけると幸いです。

カクヨムでも掲載しておりそちらでは各エピソードの挿し絵等も掲載しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。