第6話 今日は、二人です
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机の上に、針と糸と手袋を並べた。
ミナは配信水晶を置き、文字板で映る範囲を確かめる。
糸が、机と似た色で見えにくかった。
下に白い布を敷くと、今度は針もよく見えた。
題名は「手袋を直します」。
まだ夕飯の支度には早い。
窓の外では、向かいの家が洗濯物を取り込んでいた。
「帰りました。怪我はないです」
まず、昼の続きの報告をする。
手袋を裏返して、布の上へ置いた。
「針と糸は、これです」
配信を始めたばかりの数字は、ゼロだった。
ミナは焦らず、ほつれたところをもう一度見た。
引っ張ると隣まで緩むと言われた糸は、そのままにしてある。
しばらくして、文字板が光った。
〈針しごと:お帰り。手元、よく見えるよ〉
「こんにちは。あの、糸は、使えそうですか?」
〈針しごと:服を繕う糸だね。手袋には、もう少し丈夫なものが欲しい〉
ミナは糸巻きを見た。
上着の袖を直したときには、これを使った。
今のところ、そこはほどけていない。
でも、袖の縫い目で、毎日籠を持ち上げるわけではなかった。
「買ってきた方が、いいですか?」
〈針しごと:下宿に、裁縫箱はある? 持ち主に聞いてみてもいいと思う〉
ミナは扉の方を見た。
管理人が、廊下で誰かと話している。
「聞いてきます。少し、お待ちください」
針を布へ刺し、机に置いた。
水晶の向きを、扉が映らない方へ少し変えてから立つ。
管理人は、話していた住人を見送るところだった。
「どうしたんだい?」
「手袋を直す糸を、少し分けてもらえますか。持っているのだと、弱いそうで」
「誰に聞いたの?」
「配信を見ている方です。道具に詳しくて」
管理人は、ミナの手袋を受け取った。
親指の付け根を見て、縫い目を軽く開く。
「そうだね。よく使うところだ」
帳場の棚から、小さな裁縫箱を下ろす。
何色もある糸の中から、茶色いものを取り出した。
「袋の口を直すときに使ってる。これでいいか、聞いてごらん」
「ありがとうございます。使った分は、買ってお返しします」
「まず、どれだけ使うか見てからにしな」
ミナは糸巻きを両手で受け取った。
*
グレンが帰宅すると、干しておいた鍋は、もう乾いていた。
朝、リゼに直してもらった鞄の留め具を確かめる。
肩ひもを引いても、余計なところが動かない。
道具箱を片付けながら言われた、革の傷み方の話を思い出した。
早く気づけば、金具だけで済むことがある。
そのまま使えば、直すところが増える。
鞄を棚へ置き、水を飲んでから閲覧水晶を開いた。
こなべの配信に、光がともっている。
題名は、手袋を直します。
「今日は、修理か」
開くと、白い布と、裏返した手袋が映った。
少女が、新しい糸巻きを持って戻ってくる。
「こちらは、どうでしょうか」
〈針しごと:うん。それなら使えそう〉
グレンは視聴名を見た。
それから、朝、自分の鞄を直していた手を思い出す。
料理を教わっているつもりで紹介したが、先に気になったのは道具らしい。
いかにも彼女だった。
グレンは椅子へ座り、文字を送った。
*
〈灰ねこ:こんばんは。帰れたみたいだね〉
ミナは、針へ糸を通す手を止めた。
「灰ねこさん。こんばんは」
文字板の隅を見る。
視聴者、二。
もう一度、見た。
数字は変わらなかった。
針しごとの言葉があって、その下に、灰ねこの言葉がある。
昨日は一人になって、またゼロになった。
今日は、二人ともここにいる。
「……今日は、二人ですね」
〈灰ねこ:うん。こんばんは〉
〈針しごと:針を持ってるから、画面はあとで見ていいよ〉
「あ、はい」
ミナは先に針を置いた。
それから、少しだけ水晶の方へ座り直す。
「針しごとさんに、手袋を直すのを教わっています」
〈灰ねこ:頼りになりそうだ〉
「はい。買い替えなくても、使えそうなんです」
うれしくて、手袋まで持ち上げかけた。
もう裏側は見せていたので、布の上へ戻す。
「お二人とも、ありがとうございます」
〈針しごと:まだ直してないよ〉
「……そうでした」
ミナは糸巻きを手元へ引き寄せた。
今度は、針の穴を見る。
*
針しごとの説明は、細かかった。
開いたところだけを閉じるのではなく、その隣の、まだほどけていない縫い目も確かめる。
残った糸を引き抜く前に、どこまでが緩んでいるかを見る。
革に残っている穴を使えば、新しい穴を無理に開けずに済む。
ミナは言われた場所へ指を置いた。
隣へ移し、もう一度戻る。
「こちらから、ですか?」
〈針しごと:そう。そこで糸を留めて、元の穴を拾いながら、緩んだ部分の向こうまで――〉
文字が続いた。
ミナは針を持ったまま、最初の文へ目を戻す。
向こうまで、というのは、どの向こうだろう。
〈灰ねこ:まず、最初の一針だけ教えてもらおう〉
新しい文字が、下へ加わった。
〈針しごと:そうね。ちょっと先まで言いすぎた〉
今度の説明は、一つだけだった。
ミナは手袋を少し傾け、言われた穴へ針を通す。
通らないかと思ったが、向きを直すと、先が裏へ出た。
「出ました」
〈針しごと:そこ。糸を、ゆっくり引いて〉
引く。
開いていた縁が、少し近づいた。
「このくらいですか?」
〈針しごと:もう少し緩く。引きつれてる〉
ミナは、糸を戻した。
革の表面が平らになったところで止める。
次の一針は、少し早くできた。
その次は、違う穴へ入りかけた。
止めて、見る。
戻して、やり直す。
時間はかかったが、ほつれていたところが、だんだん閉じていった。
〈灰ねこ:さっきより、針を入れる前によく見てるね〉
「違うところに入れると、また戻すので」
〈針しごと:それ、修理でも大事〉
ミナは小さくうなずいた。
包丁を入れる前にも、そうしていた。
同じように気をつければいい、と考えると、針を持つ指の力が少し抜けた。
*
最後の糸を始末して、手袋を表へ返した。
縫い目は、少し不ぞろいだった。
店主の直した柄や、針しごとの説明のようには、きれいにいかなかった。
それでも、親指を広げたときに見えていた穴は、閉じている。
「できました」
〈針しごと:一度、はめてみて〉
指を入れる。
握って、開く。
親指の付け根は、強く引かれていなかった。
〈針しごと:窮屈なところはない?〉
「大丈夫です」
〈針しごと:じゃあ、軽いものを持って確かめよう。いきなり荷物いっぱいの籠は持たないでね〉
ミナは、空の採集袋を持った。
持ち手を握り、机の上から少し浮かせる。
直したところが、指に沿って曲がった。
「これなら、明日も使えそうです」
〈針しごと:使ったあとも見てね。糸が緩んでないか〉
「はい」
机へ下ろした袋の留め具が、小さく鳴った。
ミナはそれを見て、昼間、聞こうと思っていたことを思い出す。
「あの。もう一つ、聞いてもいいですか」
〈灰ねこ:何かな〉
「採集路で魔物を見たら、袋は置いて逃げてもいいんでしょうか」
文字板の隅には、まだ二と出ていた。
ミナは、その下の言葉を待つ。
「講習では、荷物より、自分が帰る方を先にって習いました。でも、置いていくと、袋もなくなるので」
言い終えると、少し恥ずかしくなった。
危ないときの話なのに、袋の値段を考えている。
灰ねこの返事は、すぐに来た。
〈灰ねこ:逃げるのに邪魔なら、置いていい。袋を取りに戻るのも、あとで係員に相談してからにしよう〉
「採ったものも、ですか?」
〈灰ねこ:うん。採ったものも〉
ミナは、袋の持ち手を見た。
〈灰ねこ:何かに遭ったら、まず距離を取れるか、戻る道があるかを見る。荷物のことは、そのあとだ〉
採集路の曲がり角を思い浮かべる。
帰るとき、いつも確かめている標識。
薬草を見つけると、少し長く下を向いてしまう場所。
「……採る前にも、戻る方を見ておきます」
〈灰ねこ:それがいい〉
別の文字が届いた。
〈針しごと:その袋、腰にも留める形?〉
「はい。揺れると、脚に当たるので」
〈針しごと:留め具も見せて〉
机の上へ広げる。
背負い袋とは別に、採集袋を腰へ添わせるための紐が付いていた。
〈針しごと:外すところ、覚えてる?〉
「こちらを引くと……」
引いた。
反対の紐が張った。
ミナは、止まった手元を見つめる。
〈針しごと:そっちは長さを変える方〉
「……こっちでした」
金具を開くと、紐が離れた。
いつも、座って両手で外している。
だから、急いだときにどちらへ手を伸ばすかまでは、考えたことがなかった。
〈灰ねこ:今、分かってよかったね〉
「はい」
留め直して、もう一度外した。
今度は、正しいところへ指が行く。
〈針しごと:手袋をはめたままでも、一度やってみて〉
言われたとおり、直した手袋を使う。
指の感触は、素手より少し鈍かった。
それでも、金具は開いた。
ミナはその場所を、親指で確かめた。
*
グレンは、少女が紐を畳むのを見ていた。
講習で聞いたことと、実際に荷物を手放せることは、同じではない。
自分が採ったものなら、なおさらだった。
明日、すべてを忘れずにできるかは分からない。
ただ、今、部屋の中で確かめておけば、外で初めて迷うことは一つ減る。
〈灰ねこ:まだ見ていない魔物を、図の印象だけで決めつけないでね。浅層でも、知らないものには近づかないように〉
少女が、うなずいた。
「分かりました。戦うのは、できないので」
そう言って、採集袋を机の端へ寄せる。
背伸びをした返事ではなかった。
グレンは、そこには言葉を足さずにおいた。
*
〈針しごと:時間、まだ大丈夫? 昼の包丁を、もう少しだけ見せてもらいたい〉
ミナは窓の明るさを見た。
台所へ行くまでには、まだ少しある。
「はい。今、持ってきます」
針を布へ戻し、手袋を外した。
棚から小さな包丁を取ってくる。
机にまな板を置き、その上へ刃を寝かせた。
昼に見せた面と、反対の面。
刃の背と、柄の端。
針しごとは、置く向きを一つずつ頼んだ。
〈針しごと:刻まれたところは、研ぐときに触らないよう教わった?〉
「はい。店主さんが、あとで見ていました」
〈針しごと:使っていて、手が疲れることは? 握る力とは別に、魔法を使ったあとの感じがすること〉
ミナは少し考えた。
火種を作ったあとには、使いすぎると、頭が重くなる。
包丁でその感じがしたことは、思い出せなかった。
「私は、分からないです。長く使うと、指は疲れますけど」
文字板を見直す。
「これも、魔道具なんですか?」
〈針しごと:術式は刻まれてる。どんな働きかは、まだ確かめたい〉
ミナは刃の付け根を見た。
店主が、包丁の仕事だと言っていた印。
「あの、何でも切れるわけではないです」
〈針しごと:うん〉
「力を入れても、止まるときがあります。違うところに入れてるからって、よく言われました」
魚を扱ったときのことを説明する。
骨の脇を見直したこと。
刃を押すより先に、向きを直したこと。
「そうすると、力はあまり要りません」
返事を待つ間、灰ねこの言葉が届いた。
〈灰ねこ:芋の厚さだけじゃなくて、そういうことも教わってたんだね〉
「はい。お芋も、そろえないと、同じ鍋で煮えないので」
〈灰ねこ:それは、よく分かった〉
ミナは少し笑った。
「煮込み、おいしくできましたか?」
〈灰ねこ:うまかったよ。鍋底は少し焦がしたけど〉
「お芋ですか?」
〈灰ねこ:茸も〉
「……次は、少し火を弱くしてもいいと思います」
〈灰ねこ:そうする〉
針しごとの言葉が、少し遅れて届いた。
〈針しごと:ありがとう。包丁は、いつもどおり手入れして使ってね。気になるからって、硬いものを試しに切ったりはしなくていい〉
「はい。傷めたくないので」
ミナは布を取り、刃を拭いた。
それから、棚へ戻す。
*
リゼは、紙に書いた線の横へ言葉を足した。
入れる場所と、角度。
力を増やしても通らない。
使い手は、魔力の消耗をほとんど感じていない。
反対の面にも、予想した補助の印はなかった。
術式が足りないのではない。
同じ働きを、別の形で成立させているのかもしれない。
リゼは、余白へ指を置いた。
刃の向きを直せば、少ない力で離れるもの。
少女が慣れた手つきで見つける、その場所。
道具だけを見ていたときには、足りなかった情報だった。
記録の中の刃と、書き写した線を見比べる。
まだ、答えには届かない。
それでも、何を確かめればいいかは、昼より少し見えていた。
「使う方まで、考えてあるのね」
誰に向けたものでもない言葉が、作業台へ落ちた。
*
「今日は、ありがとうございました」
ミナは机の上へ手袋を戻した。
包丁の代わりに、二つ並べる。
「ちゃんと直せました。明日、帰ったら、糸も見ます」
〈針しごと:うん。緩んでいたら教えて〉
〈灰ねこ:夕飯も忘れずに〉
「今から作ります。今日は、採ってきた茸があります」
文字板の隅は、まだ二だった。
ミナはもう一度、そこを見た。
初めての人が一人増えた日も、うれしかった。
でも、知っている二人が同じ時間に来てくれた今日は、話し終えるのが、少し惜しい。
台所を使える時間には、限りがある。
ミナは背筋を伸ばした。
「では、ここまでにします。お二人も、ご飯を食べてくださいね」
〈灰ねこ:うん。俺も作るよ〉
〈針しごと:私も、もう少しで仕事を切り上げる〉
終了のボタンを押す。
配信中の光が消えたことを確かめてから、水晶を片付けた。
明日の荷物を、棚の下へまとめる。
直した手袋。
採集袋と、すぐ外せる留め具。
もう一度だけ、金具を開いてみた。
迷わず外れたので、元へ戻す。
「使わずに帰れたら、その方がいいですね」
小さく言って、立ち上がった。
今日の夕飯を作るために、包丁と鍋を持っていく。
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