↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
58/130

第58話 故郷の味を教えてください

 宿の台所を借りられたのは、夕食の支度がひと段落してからだった。


 宿の人に角兎の肉を見せると、少しだけ眉が上がった。

 ミナは、自分たちで食べる分を料理したいと伝えた。

 使う場所と道具を決め、油と薪の代金も確かめる。


「終わったら、ここまで拭いておいてね」


「はい。ありがとうございます」


 肉は、預けていた涼しい保存箱から出してもらった。

 ミナは包みを開き、状態を確かめた。


 キリルは入口の近くへ立っている。

 ラグが席を勧めたが、まだ腰を下ろそうとしなかった。


「肉なら、近くの店でも売ってるぞ」


「玉ねぎも買ってきます。そちらは、持っていないので」


「……そういう話じゃなくて」


 ラグが小鍋を台へ置いた。


「お買い物の間、こちらは任せていただけますか。私は、少し座っておきます」


 キリルも、ようやく椅子を引いた。

 ミナは財布を持ち、宿の人に教わった通りへ出た。


     *


 市場では、店先の品を片づけ始めていた。


 ミナは玉ねぎと、今夜使う分の香草を買った。

 隣には、見慣れない形の豆が並んでいる。

 値札を読もうと足を止めたとき、後ろから声がした。


「仕事は、終わったのかな」


 ナディムだった。

 藍色の上着の袖を少し折り、店の人から受け取った紙を袋へ収めている。


「はい。乾かすところまでできました。あとは、明日も状態を見ます」


「それはよかった。私は、仕入れの相談をしてきたところだ」


 ミナは、彼の革袋へ目を向けた。

 昨夜使っていた、調味料入れのことを思い出した。


「これから、角兎を料理するんです」


「ほう。今日は、採れたんだね」


「よかったら、ご一緒にどうですか。昨日お話しした食堂では、香草と玉ねぎを使っていました」


 ナディムは店先の時計を見た。


「それなら、ぜひ。食事の場所は、まだ決めていなかった」


 ミナはうなずき、宿までの道を説明した。

 さっき、同じ道を歩いてきたばかりだった。


     *


 キリルは、知らない男が一緒に戻ってきたので、椅子から立ちかけた。


 ミナが紹介すると、ナディムは挨拶をして、その隣へ腰を下ろした。

 今日の案内役だったと聞き、歩いた道の様子を尋ねる。

 キリルは、橋の先を右へ進んだことを答えた。


 ミナは手を洗い、肉を切り分けた。

 煮る時間を揃えるため、大きさを近づける。

 玉ねぎは、肉と一緒に食べられるくらいに切った。


 鍋へ油を薄く引く。

 水気を拭いた肉を入れると、小さく音がした。

 底へ重ねず、焼き色がついたものから皿へ移す。


「全部、ここで焼いちまうの?」


 キリルが椅子から身を乗り出した。


「この後、蒸し煮にします。まだ、中までは火が通っていません」


 空いた鍋へ玉ねぎを入れた。

 肉を焼いた跡を、少しの水で溶かす。

 そこへ肉を戻し、塩と香草を加えて蓋をした。


 キリルは、入口へ戻らなかった。


「……魔物の匂い、しないな」


「角兎の匂いはしますよ」


「そういう意味じゃねえよ」


 ラグは、右手で皿を一枚ずつ並べていた。

 ミナが振り返ると、四人分が揃っている。


「こちらは、いつでも準備できています」


「もう少し、待ってくださいね」


 ミナは火を弱めた。

 蓋の隙間から、香草の匂いを含んだ湯気が出ていた。


     *


 煮えるまでの間に、ミナは水晶を出した。


 同席している三人と、宿の人に配信してもよいか確かめる。

 キリルは文字板を覗き込み、ナディムはほかの客が映らない向きを見てくれた。


「今日は、ローデンの宿で料理をしています。角兎の素材を採ってきたので、お肉も持ち帰りました」


 数字は、しばらく零のままだった。

 ミナは、台へ水晶を置く。

 鍋の中を確かめ、添えるパンを切った。


 途中で数字が一になった。


〈湯のみ:こんばんは。旅先でも、料理をしているんだね〉


「こんばんは。台所をお借りできました。今日は、食べ方を教えてくださる方もいるんです」


 ナディムが、水晶へ少し顔を向けた。

 ミナは、彼がエルディアから来た商人であることを話した。


〈湯のみ:それは楽しみだ。今日は、どんな香りになるのかな〉


「まず、私が作っていた味で食べていただこうと思います」


 蓋を開け、肉の火の通りと柔らかさを確かめた。

 玉ねぎも、匙で分けられるようになっている。

 汁を少し味見してから、塩を足した。


「できました」


 皿へ肉と玉ねぎを取り、煮汁をかける。

 ラグが皿を寄せ、キリルも自分の分を受け取った。


     *


 ナディムは、一口食べてからゆっくりうなずいた。


「懐かしいな。角兎をこうして食べるのは、久しぶりだ」


「故郷でも、煮るんですよね」


「ああ。私の家では、もっといくつかの香りを重ねる。この香草だけで食べるのも、肉の味がよくわかるね」


 ミナは、顔を上げた。


「そちらの味も、教えていただけますか」


「では、一皿分だけ。食べ比べてみよう」


 ナディムが革袋から調味料入れを出した。

 ミナは宿の人から小さな鍋も借り、少量の肉と煮汁を移した。

 乾かした実と香草を混ぜた粉を加え、弱い火で温め直す。


 湯気の匂いが変わった。

 昨日、焼いた肉へ振ったときとは、また違っていた。


〈湯のみ:その調味料は、煮終わってから入れるのかい?〉


 ミナが読み上げると、ナディムは鍋を見た。


「家では、煮ている途中にも入れるよ。これは少量だから、まず香りを見ながら足している。長く煮ると変わるものもある」


「最初から全部は、入れないんですね」


「配合による。私の妻なら、ここで、もう少し別のものを足すかもしれない」


 ミナは、匙へ煮汁を取った。

 口へ含むと、肉の味の後に、甘いような香りが残る。

 舌へ感じる辛さだけではなかった。


「同じ鍋から分けたのに……違う料理みたいです」


「故郷では、これに近い匂いが台所からしていた。今は、子どもたちが食べやすいようにも変えているけどね」


 ラグも味見をして、皿の肉へ目を落とした。


「旅へ持っていきたくなるお気持ちが、わかりました」


 キリルは、パンを煮汁へ浸していた。

 ミナが顔を向けると、少しだけ手を止めた。


「……こっちも、うまい」


「どちらが好きですか」


「両方。パン、まだある?」


 ミナは残っているパンを寄せた。

 彼の皿には、もう肉がなかった。


     *


「肝は、どうした?」


 ナディムの問いに、ミナは匙を止めた。


「今回は、持って帰りませんでした」


「そうか。うちでは、あれも料理にするんだ」


「角兎の肝も、食べるんですか」


 食堂では、肉を分けて料理することが多かった。

 石羽鳥の砂肝のように知っている部位もあれば、扱ったことのないものもある。


「玉ねぎと炒める店もあるよ。ただ、私が普段買うのは、処理する人が確かめて店へ出したものだ。採ったものの状態を見分けるところは、その人たちに教わった方がいい」


 ミナは帳面を開いた。

 ナディムに聞いたことと、自分で確かめる必要があることを、分けて書く。


「次に扱う前に、聞いておきたいです」


「サハルなら、話のできる店を紹介できる」


「サハル?」


「私の住んでいる町だよ。エルディアの南にある。川港と街道が交わるところで、小さな店をやっている」


 ナディムは卓の上で、川の流れる向きを指で示した。

 荷を下ろす場所があり、その先の少し高い土地に、市場や家が並ぶという。

 香辛料、染めた布、乾いた果物。

 周りの村から届くものを、町で加工して、さらに遠くへ運ぶ。


「石羽鳥も、羽と肉で行く店が違う。市場の裏には、処理をする場所がある」


 ミナは、今日分けた容器を思い出した。

 同じ角兎でも、腱は工房へ、肉は台所へ行く。

 持って帰らなかったものにも、別の行き先があるのかもしれない。


「エルディアでは、どこでも同じように料理するんですか」


「いや。北の山へ行けば、冬に食べるための保存の仕方も変わる。川沿いの町では、船で届く穀物や果物も多い。私の知らない食べ方だってある」


「ナディムさんでも、ですか」


「もちろん。私が暮らしているのは、そのうちの一つの町だからね」


 ミナは、サハル、と書いた横へ、小さく市場の印を描いた。


     *


「諸族国って、亜人が多いんだろ」


 キリルが、空いた皿を卓へ置いた。

 ナディムはうなずいた。


「人間も、いろいろな亜人も暮らしているよ。森や山の領、川沿いの町が、道を守ったり、洪水のときに助け合ったりして繋がっている」


「王様が、全部決めるんじゃないんだ?」


「各地の代表が集まる評議会がある。町の中のことは、その土地の領主や評議会が決める。商いをする私には、通れる道と、どこで何を確かめてもらうかが大事だね」


 ラグが尋ねた。


「採取の決まりも、土地で違うのでしょうか」


「そうだね。私の取引先でも、どこから仕入れたかは確かめる。よその土地へ行けば、そこの案内人や窓口に聞くのがいい」


 ミナは、昨日ローデンのギルドで聞いたことを思い浮かべた。

 同じ王国の町でも、知らない道はキリルに教わった。

 国を越えれば、食べ方だけでなく、仕事の仕方にも知らないことが増える。


〈湯のみ:教わる相手が増える旅になるね〉


「はい。食べてみたいものも、増えました」


 ミナが答えると、ナディムは笑った。

 彼の妻も、店で新しい仕入れを確かめるそうだった。

 乾き具合や混ざったものを見て、売れる状態か判断する。


「面白いものを持ち帰ると、最初に、誰にどれだけ売るつもりか聞かれるんだ」


「食べてみるより、先にですか」


「先に。娘も帳簿を見ながら、同じことを言うようになった。息子は、食べられる土産かどうかしか聞かないけどね」


 ミナは笑い、帳面の下へ一行足した。

 サハルのナディムさんに教わった食べ方。

 帰ってから読み直しても、どこで聞いたか、わかるようにしておきたかった。


     *


 配信を終える前に、ミナは明日も試料の乾き方を見ることを伝えた。

 湯のみさんへ挨拶をし、水晶を止める。


 皿を片づけると、キリルが空いた鍋を運んでくれた。

 ラグは布で卓を拭いている。

 ミナも使った場所を掃除し、宿の人に確かめてもらった。


 食堂の端へ戻ると、ナディムが調味料入れをしまっていた。


「ありがとうございました。また、違う食べ方も教えてください」


「私も、君の香草の使い方を家で話してみるよ」


 ミナは、帳面を胸の前へ持った。

 地図で名前を見たときには、どんな場所なのか、ほとんど思い浮かばなかった。

 今は、川港へ届く荷と、店で待つナディムの家族がいる。

 角兎の肝を料理する人もいる。


「サハルへ行くには、どんな準備が必要ですか」


 ナディムは、すぐに日程を勧めなかった。


「旅費と、通行のための書類。それから、行く季節と道を相談できる人が必要だね。採取をするなら、その準備も別にある」


 ミナは、一つずつ書いた。


「店や取引先のことなら、私から話を繋げられる。手紙を送る先も、書いておこう」


「お願いします」


 ナディムが別の紙へ、店の宛先を書いた。

 ミナはそれを受け取り、帳面へ挟む。


 明日は、今日採ったものを確かめる。

 今回の仕事を終え、まずリュネールへ帰る。


 その先に、準備して行きたい場所ができた。

 ミナは宛先の文字をもう一度読んでから、帳面を閉じた。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。