第58話 故郷の味を教えてください
宿の台所を借りられたのは、夕食の支度がひと段落してからだった。
宿の人に角兎の肉を見せると、少しだけ眉が上がった。
ミナは、自分たちで食べる分を料理したいと伝えた。
使う場所と道具を決め、油と薪の代金も確かめる。
「終わったら、ここまで拭いておいてね」
「はい。ありがとうございます」
肉は、預けていた涼しい保存箱から出してもらった。
ミナは包みを開き、状態を確かめた。
キリルは入口の近くへ立っている。
ラグが席を勧めたが、まだ腰を下ろそうとしなかった。
「肉なら、近くの店でも売ってるぞ」
「玉ねぎも買ってきます。そちらは、持っていないので」
「……そういう話じゃなくて」
ラグが小鍋を台へ置いた。
「お買い物の間、こちらは任せていただけますか。私は、少し座っておきます」
キリルも、ようやく椅子を引いた。
ミナは財布を持ち、宿の人に教わった通りへ出た。
*
市場では、店先の品を片づけ始めていた。
ミナは玉ねぎと、今夜使う分の香草を買った。
隣には、見慣れない形の豆が並んでいる。
値札を読もうと足を止めたとき、後ろから声がした。
「仕事は、終わったのかな」
ナディムだった。
藍色の上着の袖を少し折り、店の人から受け取った紙を袋へ収めている。
「はい。乾かすところまでできました。あとは、明日も状態を見ます」
「それはよかった。私は、仕入れの相談をしてきたところだ」
ミナは、彼の革袋へ目を向けた。
昨夜使っていた、調味料入れのことを思い出した。
「これから、角兎を料理するんです」
「ほう。今日は、採れたんだね」
「よかったら、ご一緒にどうですか。昨日お話しした食堂では、香草と玉ねぎを使っていました」
ナディムは店先の時計を見た。
「それなら、ぜひ。食事の場所は、まだ決めていなかった」
ミナはうなずき、宿までの道を説明した。
さっき、同じ道を歩いてきたばかりだった。
*
キリルは、知らない男が一緒に戻ってきたので、椅子から立ちかけた。
ミナが紹介すると、ナディムは挨拶をして、その隣へ腰を下ろした。
今日の案内役だったと聞き、歩いた道の様子を尋ねる。
キリルは、橋の先を右へ進んだことを答えた。
ミナは手を洗い、肉を切り分けた。
煮る時間を揃えるため、大きさを近づける。
玉ねぎは、肉と一緒に食べられるくらいに切った。
鍋へ油を薄く引く。
水気を拭いた肉を入れると、小さく音がした。
底へ重ねず、焼き色がついたものから皿へ移す。
「全部、ここで焼いちまうの?」
キリルが椅子から身を乗り出した。
「この後、蒸し煮にします。まだ、中までは火が通っていません」
空いた鍋へ玉ねぎを入れた。
肉を焼いた跡を、少しの水で溶かす。
そこへ肉を戻し、塩と香草を加えて蓋をした。
キリルは、入口へ戻らなかった。
「……魔物の匂い、しないな」
「角兎の匂いはしますよ」
「そういう意味じゃねえよ」
ラグは、右手で皿を一枚ずつ並べていた。
ミナが振り返ると、四人分が揃っている。
「こちらは、いつでも準備できています」
「もう少し、待ってくださいね」
ミナは火を弱めた。
蓋の隙間から、香草の匂いを含んだ湯気が出ていた。
*
煮えるまでの間に、ミナは水晶を出した。
同席している三人と、宿の人に配信してもよいか確かめる。
キリルは文字板を覗き込み、ナディムはほかの客が映らない向きを見てくれた。
「今日は、ローデンの宿で料理をしています。角兎の素材を採ってきたので、お肉も持ち帰りました」
数字は、しばらく零のままだった。
ミナは、台へ水晶を置く。
鍋の中を確かめ、添えるパンを切った。
途中で数字が一になった。
〈湯のみ:こんばんは。旅先でも、料理をしているんだね〉
「こんばんは。台所をお借りできました。今日は、食べ方を教えてくださる方もいるんです」
ナディムが、水晶へ少し顔を向けた。
ミナは、彼がエルディアから来た商人であることを話した。
〈湯のみ:それは楽しみだ。今日は、どんな香りになるのかな〉
「まず、私が作っていた味で食べていただこうと思います」
蓋を開け、肉の火の通りと柔らかさを確かめた。
玉ねぎも、匙で分けられるようになっている。
汁を少し味見してから、塩を足した。
「できました」
皿へ肉と玉ねぎを取り、煮汁をかける。
ラグが皿を寄せ、キリルも自分の分を受け取った。
*
ナディムは、一口食べてからゆっくりうなずいた。
「懐かしいな。角兎をこうして食べるのは、久しぶりだ」
「故郷でも、煮るんですよね」
「ああ。私の家では、もっといくつかの香りを重ねる。この香草だけで食べるのも、肉の味がよくわかるね」
ミナは、顔を上げた。
「そちらの味も、教えていただけますか」
「では、一皿分だけ。食べ比べてみよう」
ナディムが革袋から調味料入れを出した。
ミナは宿の人から小さな鍋も借り、少量の肉と煮汁を移した。
乾かした実と香草を混ぜた粉を加え、弱い火で温め直す。
湯気の匂いが変わった。
昨日、焼いた肉へ振ったときとは、また違っていた。
〈湯のみ:その調味料は、煮終わってから入れるのかい?〉
ミナが読み上げると、ナディムは鍋を見た。
「家では、煮ている途中にも入れるよ。これは少量だから、まず香りを見ながら足している。長く煮ると変わるものもある」
「最初から全部は、入れないんですね」
「配合による。私の妻なら、ここで、もう少し別のものを足すかもしれない」
ミナは、匙へ煮汁を取った。
口へ含むと、肉の味の後に、甘いような香りが残る。
舌へ感じる辛さだけではなかった。
「同じ鍋から分けたのに……違う料理みたいです」
「故郷では、これに近い匂いが台所からしていた。今は、子どもたちが食べやすいようにも変えているけどね」
ラグも味見をして、皿の肉へ目を落とした。
「旅へ持っていきたくなるお気持ちが、わかりました」
キリルは、パンを煮汁へ浸していた。
ミナが顔を向けると、少しだけ手を止めた。
「……こっちも、うまい」
「どちらが好きですか」
「両方。パン、まだある?」
ミナは残っているパンを寄せた。
彼の皿には、もう肉がなかった。
*
「肝は、どうした?」
ナディムの問いに、ミナは匙を止めた。
「今回は、持って帰りませんでした」
「そうか。うちでは、あれも料理にするんだ」
「角兎の肝も、食べるんですか」
食堂では、肉を分けて料理することが多かった。
石羽鳥の砂肝のように知っている部位もあれば、扱ったことのないものもある。
「玉ねぎと炒める店もあるよ。ただ、私が普段買うのは、処理する人が確かめて店へ出したものだ。採ったものの状態を見分けるところは、その人たちに教わった方がいい」
ミナは帳面を開いた。
ナディムに聞いたことと、自分で確かめる必要があることを、分けて書く。
「次に扱う前に、聞いておきたいです」
「サハルなら、話のできる店を紹介できる」
「サハル?」
「私の住んでいる町だよ。エルディアの南にある。川港と街道が交わるところで、小さな店をやっている」
ナディムは卓の上で、川の流れる向きを指で示した。
荷を下ろす場所があり、その先の少し高い土地に、市場や家が並ぶという。
香辛料、染めた布、乾いた果物。
周りの村から届くものを、町で加工して、さらに遠くへ運ぶ。
「石羽鳥も、羽と肉で行く店が違う。市場の裏には、処理をする場所がある」
ミナは、今日分けた容器を思い出した。
同じ角兎でも、腱は工房へ、肉は台所へ行く。
持って帰らなかったものにも、別の行き先があるのかもしれない。
「エルディアでは、どこでも同じように料理するんですか」
「いや。北の山へ行けば、冬に食べるための保存の仕方も変わる。川沿いの町では、船で届く穀物や果物も多い。私の知らない食べ方だってある」
「ナディムさんでも、ですか」
「もちろん。私が暮らしているのは、そのうちの一つの町だからね」
ミナは、サハル、と書いた横へ、小さく市場の印を描いた。
*
「諸族国って、亜人が多いんだろ」
キリルが、空いた皿を卓へ置いた。
ナディムはうなずいた。
「人間も、いろいろな亜人も暮らしているよ。森や山の領、川沿いの町が、道を守ったり、洪水のときに助け合ったりして繋がっている」
「王様が、全部決めるんじゃないんだ?」
「各地の代表が集まる評議会がある。町の中のことは、その土地の領主や評議会が決める。商いをする私には、通れる道と、どこで何を確かめてもらうかが大事だね」
ラグが尋ねた。
「採取の決まりも、土地で違うのでしょうか」
「そうだね。私の取引先でも、どこから仕入れたかは確かめる。よその土地へ行けば、そこの案内人や窓口に聞くのがいい」
ミナは、昨日ローデンのギルドで聞いたことを思い浮かべた。
同じ王国の町でも、知らない道はキリルに教わった。
国を越えれば、食べ方だけでなく、仕事の仕方にも知らないことが増える。
〈湯のみ:教わる相手が増える旅になるね〉
「はい。食べてみたいものも、増えました」
ミナが答えると、ナディムは笑った。
彼の妻も、店で新しい仕入れを確かめるそうだった。
乾き具合や混ざったものを見て、売れる状態か判断する。
「面白いものを持ち帰ると、最初に、誰にどれだけ売るつもりか聞かれるんだ」
「食べてみるより、先にですか」
「先に。娘も帳簿を見ながら、同じことを言うようになった。息子は、食べられる土産かどうかしか聞かないけどね」
ミナは笑い、帳面の下へ一行足した。
サハルのナディムさんに教わった食べ方。
帰ってから読み直しても、どこで聞いたか、わかるようにしておきたかった。
*
配信を終える前に、ミナは明日も試料の乾き方を見ることを伝えた。
湯のみさんへ挨拶をし、水晶を止める。
皿を片づけると、キリルが空いた鍋を運んでくれた。
ラグは布で卓を拭いている。
ミナも使った場所を掃除し、宿の人に確かめてもらった。
食堂の端へ戻ると、ナディムが調味料入れをしまっていた。
「ありがとうございました。また、違う食べ方も教えてください」
「私も、君の香草の使い方を家で話してみるよ」
ミナは、帳面を胸の前へ持った。
地図で名前を見たときには、どんな場所なのか、ほとんど思い浮かばなかった。
今は、川港へ届く荷と、店で待つナディムの家族がいる。
角兎の肝を料理する人もいる。
「サハルへ行くには、どんな準備が必要ですか」
ナディムは、すぐに日程を勧めなかった。
「旅費と、通行のための書類。それから、行く季節と道を相談できる人が必要だね。採取をするなら、その準備も別にある」
ミナは、一つずつ書いた。
「店や取引先のことなら、私から話を繋げられる。手紙を送る先も、書いておこう」
「お願いします」
ナディムが別の紙へ、店の宛先を書いた。
ミナはそれを受け取り、帳面へ挟む。
明日は、今日採ったものを確かめる。
今回の仕事を終え、まずリュネールへ帰る。
その先に、準備して行きたい場所ができた。
ミナは宛先の文字をもう一度読んでから、帳面を閉じた。
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