第57話 採るために戦います
町を出る前に、ミナは袋の口を開けた。
昨日受け取った容器が、一つ多く入っていた。
作業小屋へ置いておくものまで、朝の支度で包んでしまっていたらしい。
借りた宿の部屋へ戻してから、背負い直す。
「それ、一つ減らしただけで変わるのか?」
キリルが、乗り場の端で待っていた。
「帰りに増えるので。空けておきたいんです」
袋を軽く揺らして、仕切りが動かないことも確かめた。
ラグは腰の剣を直し、町を出る人の流れを見ている。
「では、お願いします」
ミナが言うと、キリルは道の先へ顔を向けた。
「こっち。最初は荷車と一緒の道だ」
*
橋までの道は、地図で見たときより緩く曲がっていた。
畑の間を抜け、石垣に沿って上る。
キリルは、荷車が来ると横へ寄れる場所を教えてくれた。
道の端は、草に隠れた溝になっている。
「そこへ下りるより、少し先の広いところで待った方がいい」
ミナは足元を見てから、彼の後ろへ続いた。
袋を背負ったままでも、立って待てる場所だった。
古い石の橋を渡ると、昨日聞いた分かれ道があった。
左にも、歩いた跡がある。
けれど、少し下ったところから土の色が濃くなっていた。
「今日は、右ですね」
「そう。左も先では合流するけど、そっちは靴が汚れる」
「教わっていなかったら、歩きやすそうな方を選んでいました」
キリルは、右の道へ足を向けた。
「まあ、見ただけじゃわかんないところもあるから」
張り出した根を越える前に、今度は自分から振り返った。
ミナが越えたのを見て、先へ進む。
途中で袋を下ろしたとき、肩は重かった。
それでも、水を飲み、紐の位置を直すと、また歩き出せた。
上り坂では歩幅を小さくした。
ラグに追いつこうと、大きく踏み出さなくてもよかった。
*
角兎を見かけたという場所には、何もいなかった。
低い草の向こうを風が通る。
キリルは、木の根元を示した。
「この辺。前は、あそこから出てきた」
ラグが先に周囲を確かめた。
ミナは、草の切れたところと、柔らかい土を見る。
小さな足跡があったが、自分だけでは、いつのものか決められなかった。
「まだ探すのかよ。向こうまで行けば、いるかもしれないぞ」
キリルの指した先は、昨日決めた区画の外へ続いていた。
ラグは首を振った。
「今日は、ここまでだ。まず、音を聞け」
キリルが口を閉じた。
ミナも、帳面を袋へ戻す。
しばらくは、葉の擦れる音しか聞こえなかった。
その後で、少し低いところから草が揺れた。
茶色い背中が見えた。
普通の兎より大きい。
額から伸びた角が、草の間を動いた。
「いた」
キリルの声と一緒に、指先へ赤い光が集まった。
ミナは、すぐに顔を向けた。
「脚の腱を採りたいので、焼かないでください」
「当てるところを――」
「まだ使うな。ミナさんの位置を見ろ」
ラグが、二人の前へ出た。
ミナは槍を持ち、袋を後ろの木の根元へ置く。
逃げる道と、キリルの立つ場所を確かめた。
角兎が頭を上げた。
長い耳がこちらを向く。
ラグは剣を抜いた。
「キリル。こちらの横を通るような魔法は使うな。風で、進む向きを逸らせるか」
「できる」
「今は待て。使うときは、言え」
角兎が体を低くした。
ミナは後ろ脚を見た。
草に隠れていた膝が畳まれ、背中の形が変わる。
「来ます」
言いながら、左後ろへ下がった。
弱く魔力を通していた足が、土を踏む。
槍の先を、ラグの動く方へ出さないように戻した。
角兎が跳んだ。
「右から風!」
キリルが短く叫んだ。
草が、一つの帯のように倒れる。
角兎の体が横へ流れ、着こうとしていた場所からずれた。
ラグは、そちらへ一歩入った。
剣が走る。
角兎が地面へ落ちた後も、ラグはすぐには近づかなかった。
動きが止まったことを確かめ、周囲へ目を向ける。
「ほかには、見えるか」
ミナは、草の間を見渡した。
「こちらには、見えません」
「俺の方も」
キリルの手から、赤い光は消えていた。
*
ラグが剣を収めてから、ミナは袋を取りに戻った。
キリルは、自分の指先を見ていた。
「火を使わなくても、倒せたな」
「お前の風で、こちらが入る場所ができた」
ラグが言うと、キリルは顔を上げた。
「もっと強くもできたけど」
「今の強さで足りた。先に声をかけたのもよかった」
キリルは、口元へ手をやった。
ミナは角兎の脚を見た。
採りたいところには、刃が入っていない。
「素材も残っています。ありがとうございます」
「……そのための仕事だろ」
答えてから、キリルはミナの槍へ目を移した。
「お前、跳ぶ前に下がったよな。今の、よく見えたな」
「脚を曲げたので。目にも、少し身体強化をしています」
「目に?」
ミナがうなずくと、キリルは少し考えた。
「そこまでできんなら、もっと目に魔力を集中させたら?」
ミナは顔を上げた。
教わったときには、まず弱く通すところからだった。
見たいところへ視線を向けるだけで、強さを変える練習は、あまりしていない。
「強くしたら、見え方も変わりますか」
「そりゃ、変わるだろ。ただ、いきなり増やすなよ。目に通すの、俺は普段やらないし」
ラグが、木の間へ顔を向けた。
「試すのは、周りを確かめてからにしましょう。素材の処理が先です」
ミナはうなずき、槍を置いた。
今の動きと、聞いたことだけ、帳面の端へ書き留めた。
*
作業する場所には、平らな石のそばを選んだ。
ラグが立つ位置からも、三人の後ろの道が見える。
ミナは手を洗い、道具を布へ並べた。
角兎の左右を確かめ、容器へ印をつける。
「こっちが右なんだ」
キリルが、倒れた角兎を見た。
「こちらから見た右ではなくて、角兎の右です。後で同じところを比べられるようにします」
包丁を入れる前に、工房で写した図を見た。
白い筋が見えるところまで、周りを少しずつ分ける。
無理に引くと、欲しいところまで裂けてしまう。
刃を傾けたとき、抵抗が軽くなった。
ミナは進める手を止め、筋の続く向きを見直した。
料理で肉を分けるときにも、同じように確かめていた。
「その容器、開けてもらえますか」
キリルが蓋を外した。
ミナは採ったものを収め、紙へ、取り出すときについた傷を記す。
小さな切れ目も、消しておかなかった。
「それも書くの?」
「はい。乾かした後で傷んでいたら、最初からかもしれないので」
キリルは紙を覗いた。
少し待ってから、空いた容器を手元へ寄せた。
「次、これ?」
「はい。布を、中へ敷いてください」
布の端が、蓋の留め具へ掛かった。
ミナは隣へ寄り、指で示す。
「ここまで折ると、閉めるときに挟まらないです。そこ、押さえてもらえますか」
「わ、わかってるって」
キリルの指が、布の少し上で止まっていた。
「……まだ押さえてないです」
「今、やる!」
急いで押さえたので、今度は反対の端が立った。
ミナは容器を回し、もう一度折り込む。
キリルは、やけに背筋を伸ばしていた。
「暑いですか。顔が赤いです」
「別に。いいから、次やれよ」
変なの。
ミナは少し首をかしげ、手元へ戻った。
周囲を見ていたラグが、口元を緩めた。
けれど、何も言わずに、道の先へ視線を戻した。
*
試料を収めると、ミナは刃と道具を拭き、包み直した。
時刻を確かめる。
予定した帰り道を使えば、作業小屋で続きをする時間も残っていた。
ラグが周囲をもう一度確かめている間に、ミナは目へ通す魔力を少し増やした。
彼が右へ向きを変えようとした。
その前に、靴の内側へ体重が寄った。
膝の向きが変わり、上着の下で腰が動く。
いつもなら一つの動きとして見ていたものが、短く分かれた。
次に出る足の場所へ、視線が先に行く。
ミナは息を止めていた。
「ミナさん?」
呼ばれて、魔力を弱めた。
目の奥が、少し重い。
遠くを見ようとすると、もう一度目を細めたくなった。
「……足を出す前の動きが、さっきより見えました」
「疲れましたか」
「少し。長くは、見ていられません」
ミナは、しばらく近くの石を見た。
魔力にはまだ余裕があった。
でも、同じ見方をすぐ繰り返したいとは思わなかった。
今の足の動きは、練習で何度も見ている。
知らない相手でも、同じように次がわかるかは、まだわからない。
「戻ったら、ゆっくりした動きから試しましょう」
ラグの言葉に、ミナはうなずいた。
キリルも、横から顔を向けた。
「最初から、ずっと強くしとくなよ」
「はい。教えてくれて、ありがとうございます」
キリルは、肩掛け袋の紐を引いた。
「別に、大したことは言ってないけど」
あれだけでできちゃう、お前がすげえんだよ。 そう続けかけて、キリルは口を閉じた。
*
目の重さが引いてから、ミナはもう一枚、きれいな布を出した。
依頼の試料を入れたものとは分け、角兎の肉を包む。
キリルは、自分の袋を背負いかけて止まった。
「それ、依頼にあったっけ」
「ありません。これは、夕飯に使います」
ラグが袋を下ろした。
「今夜の分は、どちらへ収めますか」
「こちらにお願いします。帰ったら、先に宿へ預けたいです」
キリルは、二人を交互に見た。
「……食うの?」
ミナはうなずいた。
「食堂でも、料理していました」
「今の、角兎を?」
「はい」
キリルは、額の角へ目を落とした。
それから、包まれた肉を見た。
何か言おうとしたが、ラグが先に口を開いた。
「さて。帰りの坂で休む場所も、案内を頼む」
「……わかってる」
帰り道では、キリルが昨日話した平たい石で休んだ。
ミナは袋を下ろし、水を飲む。
増えた重さに合わせて、肩の紐を少し直した。
日が傾く前に、ローデンの門が見えた。
脚には疲れがあったが、歩幅を急いで広げずに、最後まで歩けた。
町へ入ると、宿に食材を預け、三人で作業小屋へ向かった。
ミナは借りた机に容器を並べた。
「ここから、まだやるんだな」
「はい。採ったままでは、持ち帰れないので」
キリルは包みを見てから、空いた桶を寄せた。
「……こっちは、何に使う?」
ミナが説明すると、彼は途中で口を挟まずに聞いた。
棚へ試料を置くところまで終え、時刻を記す。
肉を受け取った宿の人にも、台所を借りられるか聞かなければならない。
「この後、料理をするんですけど」
ミナが声をかけると、キリルの手が止まった。
「見ていきますか?」
彼は、返事をする前にラグを見た。
ラグは、ごく穏やかにうなずいた。
「私なら、見た後も残りますよ」
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