第55話 知らない町へ
ラグの剣が出来上がったのは、ミナが工房の見本を写してから、数日後だった。
武器屋の台には、剣と、それに合わせた鞘が置かれていた。
柄の巻き方が変わり、握る場所の端が、右手へ当たりにくくなっている。
「留め具も、着けてみてくれ」
店主に言われ、ラグは帯へ鞘を留めた。
右手で柄を取り、途中で引っ掛からないか確かめる。
戻すときも、口の位置を見ながら収めた。
ミナは、前に借りた剣を思い出していた。
同じ長剣でも、こちらは手元の刀身が厚い。
そこには刃がなく、その先から、切るための刃が続いている。
「重さは、どうだ」
「この握り方なら、前より指を掛け直さずに済みます」
ラグが右手を開き、もう一度握る。
店主は鞘の留まる位置を見て、紐を少し直した。
「使ってから気になるところが出たら、帰ってきて教えてくれ」
「ええ。私も、帰る用事を一つ増やしておきます」
店主が笑い、手入れの布を添えた。
ラグは剣を収めて、ミナへ向き直った。
「では、もう少し付き合っていただけますか」
「はい。練習場ですよね」
今度は、返すために借りているものではなかった。
自分で選び、代金を払い、旅へ持っていく剣だった。
*
ギルドの練習場では、最初に立つ場所を確かめた。
ミナは穂先のない棒を持つ。
ラグは木剣で横へ出て、ミナの前へ戻る。
マルタがいないので、盾の横を通る場所はなかった。
代わりに、ミナが退く道を空けたまま前へ入る。
「私がこちらへ動いたら、そちらは?」
「左へ下がります。袋は、もう少し後ろへ」
ミナが示すと、ラグは一度戻ってやり直した。
振る動きだけでなく、剣を戻したところで誰の前へ立つのかも確かめる。
その後、ミナは場の外へ移った。
ラグが新しい剣を抜き、的へ向かう。
刃を入れ、止める。向きを変えて、戻る。
休憩を挟んで繰り返すと、最後の方では足が少し広くなった。
「疲れてくると、戻る一歩が大きくなりますね」
ミナが言うと、ラグは足元を見た。
「ええ。明日も、そこを見ていただけますか」
翌日も短い練習をした。
手元の厚い部分で受ける向きは、職員にも相手をしてもらい、ゆっくり確かめた。
盾のように正面を全部塞げるわけではない。
受けた後に、刃をどちらへ戻すかで、立つ場所も変わった。
ラグは仕事の斧を、宿へ預けていくことにした。
旅では、この剣を使う。
手入れの道具も、それに合わせて袋へ収めた。
*
ミナは、旅の間に使うものを床へ並べた。
着替えと、雨を防ぐ布。
包丁、槍、小さな盾。
水晶と、予備の魔石。
身体強化の補助帯は、すぐ取り出せる場所へ入れる。
使わずに済めば、そのまま持ち帰るものだった。
試料の処理に使う道具は、工房で教わった順に包んだ。
記録帳に加え、濡らしたときのための紙も少し。
素材を収める容器は現地で受け取れるので、大きな箱を町から持っていく必要はなかった。
袋を閉じ、背負ってみる。
立てる。歩くこともできる。
けれど、台所へ水を汲みに行って戻るだけで、肩へ重さが集まった。
ミナは袋を下ろし、中身をもう一度広げた。
替えの布は、全部は要らない。
粉も、旅の日数を全部ここで用意しなくてよかった。
町へ着けば、買えるものがある。
ラグと荷物を確かめたとき、ミナは小鍋を示した。
「こちらをお願いしても、いいですか」
「ええ。私の袋には、まだ入ります」
右手で包みを受け取り、卓へ置いた袋へ収める。
ミナも、ラグが出し入れしやすい位置になるよう、ほかの布を寄せた。
自分の袋を背負い直すと、呼吸が前より楽だった。
立てる重さだけで、決めなくてよかった。
*
下宿の管理人には、帰る予定と、遅れたときに知らせることを伝えた。
部屋は、その間も借りておく。
「鍵は、いつものところね。帰ってきたら、顔を見せて」
「はい。手紙も来るかもしれません」
「マルタちゃんから?」
ミナはうなずいた。
管理人は、わかったと言って笑った。
姉へも、行き先と仕事の内容を書いた。
王国内の、馬車で二日ほどの町。
ラグと一緒に行き、現地では案内役にも同行してもらう。
帰るまでの日数には、試料を乾かす分の余裕も入れた。
書き終えてから、最後へ一行足す。
そこの市場と、食事も見てきたいです。
封をして、転送先へ届けてもらう窓口へ出した。
姉が読む頃には、自分はもう町を出ているかもしれない。
それでも、何をしに行くのかは、自分の言葉で伝えておきたかった。
*
出発前にギルドへ寄ると、現地の支部から返事が来ていた。
案内役の手配ができたこと。
到着したら窓口へ来ること。
乾燥のための作業場所も、支部で相談できるという。
ミナは依頼の控えと、現地へ渡す紙を受け取った。
行き先はローデンという町だった。
リュネールで見たものと同じ印が、紙の端へ押されている。
乗り場へ着くと、係の人に荷物を渡した。
昼食と水、依頼の紙は、座席へ持っていく袋へ残す。
ラグの剣とミナの槍も、運行中は勝手に動かないよう、係の指示に従って収めた。
ミナは窓際へ座った。
出発を待つ人の声と、荷物を留める音が聞こえる。
前にこの町へ来たときは、着いてから暮らせる場所を探すためだった。
今日は、戻ってくる部屋がある。
そこで待っていてくれる人もいる。
馬車が動き出すと、ミナは窓から町を見た。
店の看板が流れ、見慣れた門が近づく。
「行ってきます」
小さく言ってから、膝の上の袋へ手を置いた。
*
道は、途中からミナの知らない景色になった。
遠くの畑に、低い棚が並んでいる。
休憩に寄った村では、店先のパンの形が違った。
ラグが飲み水を確かめている間に、ミナは店の人へ値段を聞いた。
全部は買わなかった。
昼食は持っている。
でも、どんな粉を使うのか聞くと、店の人は焼く前の生地を少し見せてくれた。
馬車へ戻り、帳面の端へ書く。
依頼の素材とは違う、旅の記録が増えた。
短い休憩の間に、水晶でも出発の報告をした。
位置の共有と記録は、町を出る前から動いている。
公開配信は、周りの人が映らない向きで始めた。
「今日は、馬車で移動しています。これからローデンへ行きます」
数字が一になり、文字が出た。
〈針しごと:準備は間に合ったようね〉
「はい。案内役の方も、お願いできました」
〈針しごと:補助帯は持った?〉
「持っています。今は、使っていません」
〈針しごと:そう。到着してから、荷物の位置が変わったら、帯に重なっていないか見ておいて〉
ミナは服の上から位置を確かめ、うなずいた。
馬車へ戻る声がかかり、挨拶をして配信を終えた。
今日は、長く話す時間はなかった。
*
一日目の宿へ着くと、ミナは袋を抱えて下りた。
座っていた脚が、最初だけ少しこわばる。
歩くうちにほぐれ、荷物を部屋へ運ぶ頃には、普段の歩幅へ戻っていた。
寝台へ袋を置き、水筒と食べ終えた包みを出す。
翌朝使うものを上へ移してから、靴を脱いだ。
疲れていた。
でも、荷物をそのままにして倒れ込まずに済んだ。
顔を洗って食堂へ下りると、ラグが卓の端へ座っていた。
同じ馬車の客も、何人か食事を待っている。
「ここは、空いているかな」
声をかけたのは、藍色の長い上着を着た男だった。
襟と袖口には、細い幾何学模様の刺繍がある。
赤茶の織り帯に、薄い布を巻いた頭。
深い褐色の顔には、黒い髭が短く整えられていた。
ラグが席を示すと、男は礼を言って腰を下ろした。
卓へ小さな革袋を置く。
その留め金にも、ミナの見慣れない模様があった。
運ばれてきたのは、麦と野菜を煮た汁と、焼いた肉だった。
男は一口食べ、少しうなずく。
それから革袋を開き、小さな調味料入れを取り出した。
蓋を外したとき、甘いような、少し鋭いような香りがした。
ミナは思わず、そちらへ顔を向けた。
「それは、香草ですか」
「実を乾かしたものも入っているよ。私の家で使う混ぜ方だ」
男は小さな蓋へ少量を出し、見えるように置いた。
「ナディムという。香辛料や染料、乾物を商っている」
「ミナです。こちらは、ラグさん」
ラグも挨拶をした。
ナディムの共通語は、聞き取りやすかった。
ミナが調味料へ目を戻すと、彼は笑った。
「料理が好きなのかな」
「はい。食堂で働いていました」
「なるほど。こちらの料理もうまいが、故郷より穏やかな味だ。旅が長くなると、少しだけ、いつもの香りを足したくなる」
「故郷は、どちらですか」
「エルディアだよ。諸族国の南の方から来た」
ミナは、その名を知っていた。
地図で見たことがある。
けれど、どれくらい歩き、どんな道を通れば着くのかは知らなかった。
ナディムは肉の小さな一切れへ調味料を振った。
「試してみるかい。全部に掛けずに、このくらいから」
ミナは礼を言い、自分の皿でも一切れを分けた。
少量を振り、口へ運ぶ。
肉の匂いの後に、別の香りが広がった。
塩を増やしたわけではないのに、後に残る味が変わる。
「……おいしいです。噛んだ後にも、香りがします」
「脂のある肉にも合う。故郷では、角兎を煮るときによく使っていた」
ミナは匙を止めた。
「魔物の、角兎ですか?」
「そうだよ」
「そちらでは、魔物を食べるんですか」
ナディムは、不思議そうな顔もせずにうなずいた。
「食べるとも。食用になるものは、市場でも売っている。うちの近くなら、角兎や石羽鳥も並ぶよ」
ミナはラグへ顔を向けた。
彼も、ナディムの話を聞いていた。
「石羽鳥も……普通に買えるんですね」
「羽を扱う店と肉を扱う店が、隣にあるところもある。全部が食べられるわけではないが、売る人も買う人も、扱い方を知っているものならね」
「私も、砂肝を料理したことがあります」
「ほう。あれはいい。どんなふうに?」
「薄く切って焼いたり、芋と合わせたりしました」
ナディムの目元が緩んだ。
「それは、食べてみたいな」
ミナは皿へ目を落とした。
魔物を食べると言ったとき、驚かれることが多かった。
ここでは、何をどう料理するか、先に聞かれた。
同じ石羽鳥の名前から、知らない市場の景色が浮かぶ。
どんな部位が並び、どんな人が買っていくのだろう。
*
ラグは、ナディムが通ってきた道を尋ねた。
途中で川を渡り、荷を積み替えたこと。
雨の季節には、いつもと違う街道を使うこと。
ナディムは食事をしながら、旅の話をした。
「今回は、ローデンでも仕入れをする。工房と、乾物を扱う店に用があってね」
「私たちも、ローデンへ行きます」
ミナが言うと、ナディムは顔を上げた。
「そうか。では、明日も一緒の道だ」
「ギルドで、素材を採る仕事を受けています」
「仕事の後で時間があれば、市場を見ていくといい。店が開く時間も、こちらとは少し違う」
ミナは、聞いておきたいことを思い浮かべた。
でも、食堂では次の客が料理を待っている。
今夜、全部聞かなくてもよかった。
「また、お話を聞いてもいいですか」
「もちろん。私も、君の食堂の話を聞きたい」
ナディムは調味料入れを閉じた。
明日の出発を確かめてから、三人は席を立った。
部屋へ戻り、ミナは帳面を開いた。
宿代と、使った水の記録の下に、エルディア、と書く。
その横へ、石羽鳥を売る市場、と続けた。
ローデンまでは、あと一日。
今回の仕事をする町よりも、さらに遠くへ続く道がある。
ミナは明日の袋を枕元へ置いた。
出発するときには知らなかった、聞いてみたいことが増えていた。
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