第53話 また一緒に行こう
採取の翌朝、ミナは寝台から下りて、脚を伸ばした。
ふくらはぎに少し張りがある。
けれど、立ってしまえば、窓まで普通に歩けた。
今日は採取へ行かない。朝食を済ませ、乾かしておいた布を畳んだ。
帳面には、昨日の二羽のことを書き足してある。
その下に、マルタの出発の時刻があった。
ミナは、細い紐と、料理を書いた紙を袋へ入れた。
午前のうちに、宿へ来てほしいと言われていた。
*
マルタの部屋では、寝台の上に荷物が並んでいた。
「来てくれてよかった。入ったはずなのに、閉まらなくなっちゃった」
袋の口が、毛布で押し広げられている。
ミナは挨拶をして、空いている腰掛けへ座った。
「先に入れたもの、何?」
「着替え。あと、使わない方の布。最後にこれを押したら、こうなった」
マルタが毛布を抱える。
ミナは袋の中を見せてもらい、底で丸まっている布を指した。
「ここを平らにしたら、少し入るかも。毛布は、外へ留めてもいい?」
「馬車の荷物係の人に聞いたら、離れなければいいって。あと、座席へ持っていく袋は分けておいてって言われた」
毛布を広げ、二人で畳み直した。
着替えと布を重ねると、袋の口には余裕ができる。
マルタは紐を通しながら、卓の紙へ目を向けた。
「紹介状は、こっち。こぐまさんが教えてくれた講習の日も、同じところへ入れとく」
ミナは封筒と、折った紙を重ねた。
乗合馬車の予約の控えも、その横にある。
荷物を一つずつ分けると、寝台の上が広くなった。
昨日まで着て歩いていた革鎧も、留め具を確かめて置かれている。
ここにあるものが、明後日には全部、町を出ていく。
「これ、家へ送る手紙?」
ミナが卓の端を示すと、マルタはうなずいた。
「うん。昨日も仕事ができたって書いた。ちゃんと食べてることも。砂肝の話は、もう少し後にしようかな」
「びっくりする?」
「たぶん。母さん、まずお腹を壊してないか聞くと思う」
マルタが笑う。
ミナも料理の紙を出した。
薄焼きパンの作り方と、具を挟む場所を、簡単な絵で書いてある。
「これ、持っていって。全部、覚えなくてもいいように」
大きな手が、紙を受け取った。
「いいの? 家にも見せたい。うち、宿だから、お昼に持って出る人もいるんだ」
「じゃあ、作ってもらえたら嬉しい」
マルタは絵の端を指でたどり、紹介状とは別のところへ大事に置いた。
*
盾の帯を確かめていると、マルタの指が止まった。
「私ね。ここへ来る前にも、何回か、誰かと仕事に行ったんだ」
ミナは畳んでいた布を膝へ置いた。
「王都へ来る途中の町で。荷物を運ぶのとか、採る人についていくのとか。小さい傷なら手当てできるって言ったら、喜んでもらえて」
マルタは盾を壁へ立てかけた。
「嬉しくて。盾も持ってるから、前も守れますって言っちゃった」
丸い耳が、少し横へ向いた。
「そのとき、後ろの人が怪我して。血が見えたら、先にそっちへ行かなきゃって思ったの」
盾を持つ位置から離れ、傷へ手を当てた。
けれど、魔物はまだ動いていた。
ほかの仲間が、マルタと怪我人を一緒にかばうことになったという。
「急いでたのに、手当ても遅くなった。周りが気になって、ちゃんと集中できなくて」
ミナは、講習でマルタが前を離れかけたところを思い出した。
手当てをする間は、誰かが代わりに見ている必要があった。
「帰ってから、治療は助かったって言われた。でも、前を任せるには、まだ難しいって」
マルタが盾の縁へ触れた。
「嫌な人たちじゃなかったよ。包帯を買う場所も教えてくれたし。次に一緒に行くなら、治療の方でって言ってくれた」
「……うん」
「でも、私、守る方もやりたかったから。ちゃんとできますって、もう一回言うのが怖くなっちゃった」
部屋の外で、誰かが階段を下りていく音がした。
ミナは布を畳み終え、袋の脇へ置いた。
「昨日は、前にいてくれたよ」
マルタが顔を上げる。
「私、右の鳥を見てた。マルタが守ってくれてたから、そっちを見られたの」
「でも、盾、押されちゃったし」
「そのとき、後ろが空いてるか聞いてくれたでしょ。私も下がれた。ラグさんが戻ってくるところも、空けられた」
ミナは、手に残っていた槍の感触を思い返した。
目の前を全部、自分で見なければと思っていたら、あんなふうには声を出せなかった。
「私、助かったよ」
マルタは盾を見てから、ミナへ目を戻した。
「……うん。今回は、ラグさんが戻ってくるまで待てた」
声に出して、もう一度うなずく。
「次は、手当てするときも、ちゃんと交代したい。王都で治療を習って、盾の講習にも行く。まだ、覚えることいっぱいあるね」
「私も、いっぱいある」
「帰ってきたとき、ミナだけ上手くなってたら困るな」
ミナは少し笑った。
「じゃあ、マルタも教えて」
「うん。習ったこと、持って帰ってくる」
マルタは盾の帯を留めた。
今度は、その手が途中で止まらなかった。
*
手紙を出し、馬車の乗り場をもう一度確かめた。
帰りには、マルタが泊まっている宿の主人へ、翌日の台所を使わせてもらえないか頼んだ。
出発の前日、二人は粉の包みを持って台所へ入った。
作るのは、旅の最初の日に食べるパンだった。
「卵も挟む?」
「明日の昼なら、朝に作って挟めるよ。でも、今日はパンだけ焼いておこうか」
「じゃあ、明日はこっちで。卵を焼くのも、お願いしてあるんだ」
マルタが椀へ粉を入れた。
ミナは水を少しずつ足し、混ざり具合を見る。
乾かした香草を指で崩して加えると、マルタが顔を近づけた。
「この匂い、パンにも合うんだね」
「塩を少し入れて、そのまま食べてもいいようにする」
鍋へ生地を広げる。
マルタの持つ匙が、真ん中から端へ動いた。
少し厚くなったところを、ミナが示す。
「ここ、もう少し薄くできる?」
「こっち? ……あ、触りすぎると、引っ張っちゃう」
「固まる前に、少しずつ」
焼けるのを待つ間、マルタは匙を置いた。
端が離れるのを見てから、裏へ返す。
薄い焼き色が出ると、二人で皿をのぞいた。
「できた。今の、ちょっと丸い」
「前のも、持っていけるよ」
「じゃあ、丸くない方は、馬車が揺れたことにしよう」
ミナは笑って、次の生地の椀を渡した。
失敗したところも、次の一枚で少し直せる。
マルタが焼いたパンが、皿の上へ増えていった。
全部焼き終えると、熱が抜けるまで重ねずに置いた。
宿の主人に皿の場所を確かめ、台を拭く。
今日は配信をしなかった。
ミナはマルタの横で、鍋に残った粉を洗い落とした。
*
台所を出ると、マルタはミナへ、小さな紙を渡した。
故郷の町と、宿の名前が書いてある。
「王都で泊まる場所が決まったら、そっちも書いて送るね。家に送ってくれても、手紙は取っておいてもらえるから」
ミナも、下宿の住所を渡した。
「管理人さんに、私宛ての手紙は預かってもらえるよ」
「わかった。着いたら書く。講習の話も」
紙を畳み、ミナは帳面の間へ挟んだ。
マルタの部屋へ戻ると、昨日より荷物が少なく見える。
袋へ収まり、出発のために並んでいた。
「明日、乗り場まで行くね」
「うん。寝坊したら、私、迎えに行くから」
「それだと、馬車に遅れるよ」
「じゃあ、寝坊しないで」
マルタが笑い、ミナもうなずいた。
別れの挨拶は、まだしなかった。
*
出発の朝、乗り場には、もう馬車が来ていた。
荷物を積む人の声と、馬の蹄の音がする。
ミナは人の間を探し、大きな袋と丸い耳を見つけた。
「ミナ!」
マルタが右手を上げた。
昨日焼いたパンは、小さな袋へ収まっている。
「ちゃんと起きたね」
「マルタも」
「今日は、紙、何回も見た」
予約の控えを見せて、マルタが笑う。
その隣にはラグもいた。
荷物係が袋を受け取るところを確かめ、彼は二人へ向き直った。
「食事の袋は、預けずに持ってくださいね」
「はい。そこは、忘れません」
「ええ。大切な荷物です」
マルタは袋を持ち上げて見せた。
ミナは、馬車に積まれた盾へ目を向けた。
帯を直した場所は、ここからは見えない。
王都では、また別の人に見てもらうことになる。
「ラグさん。ありがとうございました。練習も、採取も」
マルタが少し姿勢を正した。
「王都で、もっと習ってきます」
「ええ。私も、次にお会いするときまでに、剣へ説明を済ませておきましょう」
「手にも、ですよね」
ラグが右手を開くと、マルタが笑った。
係の人が、乗るように声をかけた。
マルタは馬車を見て、それからミナへ顔を戻す。
「ミナ。帰ってきたら、また一緒に行こうね」
ミナはうなずいた。
すぐに言おうとした返事が、少し遅れた。
「うん。今度は、私から誘う」
「じゃあ、行きたいところ、考えといて。私も探してくる」
マルタが両腕を少し開いた。
ミナが近づくと、柔らかな毛と、旅の服の匂いがした。
背中へ回った手が、一度だけ、そっと押さえる。
離れてから、マルタは目元を指で拭いた。
「着いたら、手紙。忘れないから」
「待ってる」
馬車へ上がり、座席へ収まる。
小窓から出た手を、ミナも振って見送った。
車輪が動き始める。
マルタの顔が、少しずつ遠くなった。
角を曲がる直前まで、丸い耳と手が見えていた。
*
馬車が見えなくなっても、ミナは少しだけ道を見ていた。
ラグは隣で待ってくれた。
通る人のために端へ寄り、ミナも袋の紐を持ち直す。
「……行っちゃいましたね」
「ええ。学びに行かれました」
ミナはうなずいた。
王都へ着いたら、治療院へ行く。
盾の講習もある。家族へ手紙を書き、自分にも送ってくれる。
知っている予定を一つずつ思い浮かべると、見えなくなった先にも、マルタが歩く場所があった。
「私も、次に行くところを考えたいです」
ラグが顔を向けた。
「では、ギルドへ寄りましょうか。今日は、案内を読むだけでも」
「はい」
ミナは帳面を開いた。
マルタの出発の時刻へ、小さく印をつける。
隣の紙には、家の宿へ手紙を送れる住所がある。
次の予定を書くところを探すと、まだ白いページが残っていた。
ミナはそこへ、二人で確かめる依頼、と書いた。
それから、マルタが戻ってきたときに話せることも、増やしておこうと思った。
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