第45話 ここも持って帰ります
朝食のパンを食べ終えると、ミナは袋の中を確かめた。
水と、昼に食べる分。
素材を包む布と、小さな包み。
帰りに使う荷物は小屋へ残し、ラグが羽の箱を背負う。
寝不足というほどではなかったが、いつもの朝より目が開きにくかった。
顔を洗い、靴の紐を結び直す。
足を曲げてみると、昨日の坂を歩いた重さが少し残っていた。
「痛むところは、ありますか」
「痛くはないです。少し、重いです」
「では、最初はゆっくり歩きましょう」
ラグは、出発の前に地図を広げた。
宿営地へ戻る時刻を確かめ、鳥を探すのを切り上げる時刻も決める。
倒した後には、素材を整える時間が必要だった。
「見つけた時刻によっては、採らずに戻るのですよね」
「ええ。羽を箱へ入れるまでが、今日の仕事ですから」
ミナはうなずき、地図を畳んだ。
位置の共有と記録は動いている。
公開配信は始めず、槍を持って門を出た。
*
昨日、鳥が段差を越えた場所には、細い草が倒れていた。
足跡は、その先の土にもあった。
ミナは帳面の印と見比べる。
新しい跡が重なっているところもあったが、何羽が通ったのかまではわからなかった。
ラグが先へ進む。
ミナも周りを見ながら、斜め後ろへ続いた。
石の隙間で、何かが動いた。
草をつついていた頭が上がる。
太い嘴。その下に、膨らんだ胸。
石羽鳥だった。
昨日と同じ鳥かどうかは、わからなかった。
尾の長い羽が、草の上へ伸びている。
ミナの手が、槍の柄を握り直した。
まだ距離はあった。
けれど、相手がこちらを向いただけで、昨日の図より大きく見えた。
「右の道は、空いていますね」
ラグが小さく言った。
ミナは鳥から一度目を離し、二人が戻ってきた方を見た。
「はい。低い石の手前なら、下がれます」
「私が動いても、そちらを残してください」
ラグの右手へ、斧が移った。
ミナは槍の先を上げ、彼の腕が届く範囲から少し離れた。
鳥が、横へ走った。
*
ラグは、すぐには追わなかった。
鳥の行く方へ向きを変え、石の間を歩く。
ミナも一歩ずつ位置を変えた。
胸の奥が速く動く。
足腰へ回す魔力を強めすぎないように、息を吐いた。
鳥は草の向こうへ入り、また頭を出した。
ラグが進むと、今度は低い岩の方へ向く。
ミナは、その先を見た。
岩の左には、細い隙間がある。
右は低く、その向こうに土が続いていた。
鳥の羽が、少し開いた。
「右の、低い方へ行くと思います」
ラグが鳥へ目を向けたまま、足を止める。
胸が持ち上がった。
脚が曲がり、地面を蹴る。
鳥は岩の右端へ飛び乗り、羽を畳んだ。
ラグが、先の土へ回り込んだ。
一直線に追うより、短い道だった。
鳥が止まる。
頭が、ラグからミナへ向いた。
嘴の先が、こちらへ下がった。
「ミナさん、そこで止めようとせず、道へ下がってください」
「はい」
槍を持ったまま、一歩戻る。
次の足を置くところには、石があった。
ミナは踵を乗せず、少し横へずらした。
鳥が走り出した。
脚が動く前に、胸が低くなった。
ミナは槍の先を、その胸の前へ向ける。
突いて倒すためではなかった。
自分のところへ、そのまま飛び込ませないためだった。
鳥の足が、土を削った。
嘴が柄へ触れ、硬い音がする。
ミナは腕だけで押し返そうとせず、もう一歩下がった。
足と腰へ薄く力を回したまま、穂先の向きを戻す。
鳥が、槍を避けるように首を振った。
その横へ、ラグが届いた。
斧が短く動く。
鳥の胸が傾き、脚が地面を掻いた。
ミナは槍を下ろさなかった。
ラグが距離を保ったまま、もう一度、必要なところへ刃を入れる。
やがて、羽の動きが止まった。
*
「終わりました。まだ、近づかずに待ってください」
ラグの声で、ミナは息を吸った。
いつから、浅くなっていたのかわからなかった。
手の中の柄が、少し震えている。
鳥は、地面に横たわっていた。
ラグが周囲と、鳥の状態を確かめる。
ミナも来た道へ目を向けた。
草は動いていない。
遠くから聞こえる声も、先ほどより小さかった。
「足は、どうですか」
「立てます。……手が、少し」
「では、そのまま休みましょう。道は私が見ています」
ミナは力を緩め、穂先を地面から浮かせたまま待った。
体が重くなるほど、魔力を使った感じはない。
それでも、肩には力が入っていた。
「羽を開くところ、昨日と同じでした」
「ええ。言っていただけたので、向こうへ回れました」
「でも、こっちへ来るとは思っていませんでした」
「私が道を塞いだので、別の方を選んだのでしょう。次の動きは、私も確かめる必要がありました」
ミナは鳥を見た。
昨日見たことは、役に立った。
けれど、その後まで全部わかるわけではなかった。
「下がる方も、先に見ておいてよかったです」
「はい。槍の向きを戻せたのも、よかったですね」
ラグは、ミナの足元へ目を落とした。
石を避けた跡が、土に残っている。
練習では、何度も足が止まっていた。
今日は怖がりながらも、次に置く場所を選んでいた。
覚えたことを、その場で使おうとしている。
その変化を見て、ラグは小さくうなずいた。
*
ミナは槍を置き、布を広げた。
尾の付け根に、大きな傷はなかった。
倒す前に頼んでいた場所を、ラグが避けてくれている。
長さを確かめ、軸の曲がりと、根元の状態を見る。
一本、先が欠けていた。
けれど、依頼に書かれた長さは残っている。
根元にも裂け目はなかった。
「これも、使えると思います」
ミナは、帳面の見本へ指を置いた。
先だけで選んでいたら、脇へよけていたかもしれない。
包丁を取り、羽の付け根を確かめる。
力を入れて引き抜く前に、周りの組織を外していった。
刃が通る向きを探し、残したい軸には触れないようにする。
一本を布へ置く。
次の一本へ触れる前に、刃を拭いた。
ラグは、少し離れたところから周りを見ていた。
ミナが見ているのは、手元だった。
ここでは、それでよかった。
「四本、揃いました」
ミナは最後の羽を並べた。
根元をもう一度確かめ、箱の中で動かないように収める。
蓋を閉じると、ようやく肩が下がった。
「箱を、お願いします」
「承りました。無事に届けるまで、少し背の高いままでおります」
ミナは笑った。
昨日と違い、箱の中には仕事の品が入っていた。
*
ラグが箱を袋へ留めている間に、ミナは周りを見た。
「少しだけ、報告してもいいですか」
「ええ。私も映って構いません。手元の片づけは、終わってからにしましょう」
ミナは水晶を低い石へ固定した。
道の目印が大きく映らない向きにして、配信を始める。
「こんにちは。石羽鳥の尾羽を、採れました」
しばらくして、視聴者が一になった。
〈灰ねこ:こなべさん、二人とも無事かい〉
「はい。怪我はありません。羽も四本、箱へ入れました」
〈灰ねこ:よかった。これから戻るところかな〉
「はい。その前に、もう少しだけ」
ミナは、小さな包みを出した。
それから、包丁を持ち直す。
ラグの右手が、袋の紐から離れた。
「ミナさん。依頼の品は、揃いましたが」
「はい。ここも、持って帰りたいです」
「……何に使うのでしょう」
ミナは、鳥の腹の方を示した。
「ここ、おいしいですよ」
文字が、しばらく来なかった。
ラグも、鳥を見たまま止まっていた。
「食堂では、砂肝を薄く切って焼いていました。少し歯応えがあって、塩だけでもおいしいんです」
〈灰ねこ:羽とは別に、夕飯の分もあるんだね〉
「全部は運べませんけど、これなら少しです。宿営地で、先に火を通したいです」
時刻を確かめる。
まだ、戻るための時間はあった。
「もう少し、お待ちいただいてもいいですか」
ラグはミナの顔を見た。
先ほど槍を握っていたときより、ずっと落ち着いている。
「……はい。食堂で扱っていたものなのですね」
「生きているところは、あまり見ていませんでした。でも、ここからなら」
ミナは刃を入れる場所を確かめた。
ラグは、もう一度鳥へ目を向けた。
「私も、次に見るときは、少し違って見えそうです」
〈灰ねこ:それでも、生きているときは警戒してくれよ〉
「はい。それは、まだ怖いです」
*
配信が閉じると、グレンは帳面を開いた。
王国でも魔物を食べる話はあるが、王都では、食卓の話として聞くことは少なかった。
ミナは岩背ガマに続いて、石羽鳥も食べるつもりでいる。
珍しいものを試すというより、食堂で覚えた仕事を続けている様子だった。
――こなべさんが作るものだ。やはり、うまいのだろう。
砂肝を薄く切って焼く、という説明を思い返す。
自分も食べてみたい。だが、遠征で使うなら、それ以上の価値があった。
倒した魔物から食べる分を得られれば、補給が遅れたときにも、持ってきた食料を残せる。
以前、他国の認定を受けた冒険者たちと合同遠征をしたときも、魔物を食べる話はよく聞いた。
当時は、その土地の食事なのだと思っていた。
今、身近にも、それを知る者がいる。
グレンは、石羽鳥の名と、砂肝と書いた。
その下へ、取り除く部分、持ち帰る前の処理、と続ける。
倒すところならわかる。食べられる状態にする手順は、ミナに聞きたかった。
「次の料理も、見ておこう」
帳面へ印をつけてから、水晶をしまった。
*
報告を終えると、ミナは必要な分だけ取り分けた。
汚れのついたものと、持ち帰る部分を分ける。
食用の包みは、羽の箱へは入れなかった。
残すものの始末も、宿営地で聞いた決まりに従う。
ラグは、彼女の手元から道へ視線を戻した。
今回は、一羽だった。
進む先へ回り込み、ミナの方へ向かったところにも届いた。
もし、左右から同時に来ていたら。
一方へ斧を振る間に、もう一方がミナへ届く。
この斧でも横へ払うことはできる。
だが、何体も押し返しながら、広い範囲を塞ぎ続けるには届く幅が足りなかった。
以前は、両手で斧を握っていた。
大きく払って、近づけないように戦うこともあった。
その動きを、今の腕で繰り返そうとしてはいけない。
武器を変えれば、届く場所は増えるだろう。
それでも、自分が向いていない方角を、代わりに見てくれる者は増えない。
魚を追ったときも、そうだった。
こちらを塞ぐと、あちらが空いた。
二人で考え、捕まえた魚はあった。
逃した魚もいた。
今日は、逃がしただけでは済まない相手だった。
ミナは、これからも新しい場所へ行くだろう。
自分も、一緒に歩きたいと思っている。
ならば、昔から使っているからという理由だけで、手の中のものを選び続けてよいのか。
そして、二人で全部を受け持つことが、いつまでできるのか。
盾で受け止める者。
離れたところから、こちらに見えないものを知らせる者。
そうした者がいれば、自分が斧を振る間にも、ミナの隣を空けずに済む。
昔、組んだ者たちの顔が浮かんだ。
その顔を、今のミナの隣へそのまま置くことはできなかった。
――今の自分たちに合う、パーティー。
「ラグさん」
顔を向けると、ミナが包みの口を閉じていた。
「お待たせしました。帰れます」
ラグはうなずいた。
考えたことは、まだ、彼女へ伝えるほど形になっていない。
「では、戻りましょう。夕飯のご説明を伺いながら」
「焼く前に、硬いところを取るんです。厚く切ると、少し噛みにくくて」
歩き始めると、ミナの声が続いた。
ラグは足元と、先の草を見ながら聞いた。
羽の箱は、自分の袋へ。
食べる分は、ミナの包みへ。
二人で持ち帰るものが、予定より一つ増えていた。
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