第37話 届く距離を覚えます
練習用の槍は、壁へ立てかけてあった。
ミナは、その中から一本を取った。
前に武器屋で持たせてもらったものより、少し短い。
先端には厚い布が巻かれ、尖った刃の代わりに、丸めた木がついている。
魚を焼いた翌日は休み、その次の日に、ラグとギルドへ来た。
今日は採取の依頼を入れていない。
練習場を使える時間も、受付で確かめてあった。
「まず、盾は置いてみましょう」
ラグが、区画の隅を示した。
ミナは小盾を外し、袋の横へ置く。
補助帯は服の下につけていたが、まだ動かしていなかった。
槍を両手で持つ。
持つ場所を変えると、先端の重さも変わった。
「こうですか」
「前の手は、もう少しこちらへ。握りすぎず、後ろの手との間を残してください」
言われた場所へ動かす。
ラグは自分の右手で位置を示し、ミナが持ち直すのを待った。
前に伸びた先端を見た。
包丁を持つときより、ずっと遠い。
「ここまで、届くんですね」
「ええ。ただ、届いた後にも、続きを考える必要があります」
ラグが、布を巻いた的を示した。
ミナは足を置き、槍を前へ出した。
*
先端は、的へ当たった。
少し嬉しくなり、槍を引こうとする。
身体が前へ残っていた。
後ろの足を踏み直すと、引き戻した先端が横へぶれた。
「……戻す方が、難しいです」
「当たるところで、終わってしまったのですね」
ラグは、ミナの足元を見る。
「もう一度、同じ位置から。今度は、戻るところまでを一つにしてみましょう」
ミナは槍を構え直した。
的へ出す。
引く。
今度は身体を残しすぎないようにした。
すると、先端が手前で止まった。
的には、届かなかった。
「届かせようとすると、前へ行ってしまいます」
「腕だけで遠くへ出そうとしているのかもしれません。足で運ぶ分を、少し分けてみましょう」
ラグは槍を持たず、足の動きだけを見せた。
前へ出た後も、上体が足の外へ残らない。
次に下がるとき、足を置き直していなかった。
ミナは、床の線へ目を落とした。
講座で覚えたものと、同じところがある。
けれど、手には長い道具があった。
先端へ気を取られると、自分の身体の方を忘れていた。
*
小盾も、持ってみた。
左腕へ帯を通し、握りを取る。
右手だけで槍を支えると、先端が少し下がった。
持つ場所を前へ寄せれば、重さはましになる。
その分、届く距離は短くなる。
「両方持てば、いいわけじゃないんですね」
「使い方と、場所によります。今のミナさんには、槍を両手で扱う方が、向きを確かめやすそうです」
盾がいらなくなったわけではない。
狭い道や、すぐ近くから爪を受ける場面もある。
どちらを先に使うかは、出かける場所に合わせて考える。
ミナは盾を置き、もう一度槍へ両手を添えた。
「一つ増えると、持つ順番も変わりますね」
「ええ。採るときには、手を空ける必要もありますから」
ラグは袋の方へ目を向けた。
ミナも、槍を置く場所を見た。
川で網を扱ったときの、蓋のことを思い出した。
*
休憩を挟んでから、水晶を出した。
練習場の職員に聞くと、ほかの利用者が映らない向きなら、記録も配信も構わないという。
ラグにも、練習の様子を残してよいか確かめた。
「私も映って構いません。後から足元を見られるようにしましょう」
水晶を台へ置き、ミナが動く範囲を確かめる。
槍先も、両足も、映る位置へ。
ラグが台の脇で文字板を見てくれた。
「今日は、武器を試しています。槍です」
ミナは一度、構えたところを見せた。
視聴者の数字は零だった。
そのまま、練習へ戻る。
ラグが、ミナの前へ立った。
彼の手には短い練習用の棒がある。
「私が近づきます。今は当てようとせず、先端をこちらへ向けて、下がってください」
ミナはうなずいた。
ラグが一歩、前へ出る。
ミナも一歩、下がる。
槍の先端が、ラグの肩より外へ動いた。
直そうとして、腕を横へ振る。
足が止まった。
「そこで、一度やめましょう」
ラグが止まり、棒を下ろした。
「相手を見ているのは、よいのですが。先端だけ追わせると、身体が残りますね」
ミナは、槍の先と、自分の足を見比べた。
「どちらも動かしたいんですけど」
頭の中では、間に合う気がする。
でも、足を運んだ後で、上体が揺れた。
直している間に、相手は近くなる。
*
数字が、一になっていた。
〈針しごと:こんにちは。今日は、練習場なのね〉
ミナは文字板へ顔を向けた。
「こんにちは。ラグさんに、見ていただいています」
作った人が、見てくれている。
帯の話も、聞けるかもしれない。
ただ、配信では違う名前で呼ぶ約束だった。
ミナが休んでいる間、ラグは腰の帯が覗くところへ目を向けた。
「その補助で、踏み直さずに動けたことがあったのですね」
「はい。前に、使い方を確かめたときです」
「でしたら、よい動きの感覚を確かめるためにも、使えないでしょうか。補助のある動きを覚えてから、切って、ゆっくり繰り返すのです」
ミナは、停止の印へ手を当てた。
危ないとき、帰るために使うもの。
練習を速く終わらせるために、使ってよいのかは聞いていなかった。
「作った方に、聞いてみたいです」
文字板へ向き直る。
「針しごとさん。今のような練習に、補助帯を使っても大丈夫でしょうか」
少し間があった。
ラグは答えを急がせず、ミナの槍を立てかける場所を空けた。
〈針しごと:以前、動きを確かめたときの低い補助で、短く試すなら。まず、足運びだけにしましょう〉
〈針しごと:速さを上げるのではなく、足と身体が動く順番を見るの。切った後は休んで、それから補助なしで、ゆっくり同じ動きをしてみて〉
ミナは、一つずつ声に出して読んだ。
ラグもうなずく。
〈針しごと:槍を持って相手をする前に、疲れが残っていないか確かめてね。今日、回数を増やす必要はないわ〉
「はい。ありがとうございます」
ラグが、文字板へ少し頭を下げた。
「道具に詳しい方が見てくださっているのですね。私も、動きを確かめます」
ミナはうなずいた。
リゼの名は、言わなかった。
*
槍を置き、床の線へ立った。
まず、補助を入れずに下がる。
横へ向きを変える。
置いた足の上へ身体が来るまでに、少し揺れた。
次に、教わっていた低い補助を入れる。
同じ線を見る。
ラグが、ゆっくり一歩近づいた。
ミナは下がった。
足を置く。
身体を、その上へ運ぶ。
次へ動くために、足を踏み直さなくてよかった。
「……今のは、前にも」
ミナはそこで止まり、もう一度だけ、同じ順番を確かめた。
足が勝手に動くわけではない。
自分で置いたところへ、身体がついてくる。
「足が着いてから、上だけ戻していたんですね」
ラグが、ミナの肩と足元を見た。
「今は、次に動ける位置へ収まっていました」
ミナは停止の印を押した。
軽さがなくなる。
脚へ力を入れる感じが、戻った。
椅子へ座り、水を飲む。
まだできそうだからと、続けることにはしなかった。
〈針しごと:今の足の位置は、後から記録でも見てみて。補助を切った状態と、並べて確かめられるから〉
「はい」
ミナは水筒を閉じた。
さっきより速く動けるようになりたい。
でも、その前に、どの順番で動いたかは、少しわかった。
*
休んでから、補助なしで立った。
さっきと同じ速さで動こうとすると、足を踏み直したくなる。
ミナは一度止まり、ゆっくりやり直した。
足を置く。
身体を運ぶ。
次へ動けるところで、止める。
「……このくらいなら」
まだ、同じ軽さではなかった。
それでも、どこで上体だけを戻していたか、前より気づける。
ラグが、短い棒を床へ当てた。
「今の速さで構いません。槍も、持ってみましょう」
ミナは両手で槍を構えた。
足の順番を変えず、先端をラグへ向ける。
彼がゆっくり近づく。
ミナは下がった。
槍先が横へ動きかけたが、腕だけで引き戻すのをやめた。
自分の向きを、足から直す。
先端が、ラグの方へ戻った。
「今の足運びは、よかったですよ」
声を聞いて、ミナは少し顔を上げた。
「次も、同じように」
ラグが言い、今度は少し横へ動いた。
*
ラグの足が、前ではなく、斜めへ出た。
ミナの目が、その足から胴へ動く。
槍先を大きく振る前に、自分の足をずらした。
片方だけを遠くへ出さず、もう片方がついていける分にする。
ラグが、動きを止めた。
教えた線の上を、繰り返しただけではなかった。
相手が動いた方へ向きを変え、間の距離を残している。
昔、セリカと護衛に就いたときのことを思い出した。
あの女は、初めて見る相手でも、動きを見てから間合いを変えた。
同じ速さも、同じ力も、目の前の妹にはない。
それでも、今の一歩には、覚えた形を使い直す迷いの少なさがあった。
――やはり、セリカの妹か。
ミナが次の一歩を出した。
今度は、後ろの足が遅れた。
槍の先も、少し下がる。
ラグは、棒を下ろした。
「休みましょう」
「今、少し、できた気がしたんですけど」
「ええ。できていました」
ミナの顔へ、嬉しさが出た。
ラグは、姉の名を口にしなかった。
「私が動く方を見て、足から向きを変えましたね。先端だけで追わなかった。今のは、教えた動きを、違う向きでも使えたということです」
ミナは、自分の足を見た。
「線から、外れてしまったと思いました」
「相手は、線の上だけを歩いてくれませんから」
ラグの口元が、少し緩んだ。
「それにしても、覚えるのが早いですね。私も、同じことを繰り返すつもりでいました」
ミナは槍を下げ、少し笑った。
脚は疲れていた。
でも、休んだ後に確かめたいところが、はっきりしていた。
*
最後は、退く場所を決めて練習した。
床の端へ、目印を置く。
そこまで相手との間を保って移れれば、今日は終わりにする。
ラグが近づく。
ミナは槍先を向けたまま、下がった。
途中で、的を突いたときのように、前へ出したくなった。
けれど、今日は当てることが目的ではない。
「相手を、追わない」
小さく言って、足を運ぶ。
ラグが横へ動いたときも、少しずつ向きを変えた。
端の目印が、視界へ入る。
「そこまでです」
ミナは止まった。
息を吐くと、槍の重さが両腕へ戻ってきた。
「……離れられました」
「はい。今は、私がゆっくり動き、先端を避けている練習です。実際の相手が、同じように止まるとは限りません」
ラグは、空けていた距離を指した。
「それでも、この長さを使って、近づく道を狭くすることはできます。初めから全部、刃を届かせる距離で受ける必要はありません」
ミナは槍を見た。
包丁で魔物へ触れたときには、爪もすぐ近くにあった。
この先端は、自分の手よりずっと前にある。
それを、戻るためにも使える。
〈針しごと:今日は、そこで終わりにしましょう。帯を使った後の感覚も、書いておいてね〉
「はい。補助がなくても、少しわかるようになりました」
水晶へ向き直り、ミナは礼を言った。
配信を終え、短い記録をラグと一緒に見直す。
足の位置が揃ったところと、疲れて遅れたところ。
どちらも、同じ日の自分だった。
*
その日の午後、二人で武器屋へ寄った。
練習に使った長さと、重さを伝える。
店の人が出してくれたのは、細すぎない木の柄に、小ぶりの鉄の穂先をつけた槍だった。
飾りも、付与術式もない。
ミナは、刃を覆った状態で持ってみた。
右手と左手の間を空ける。
練習用のものとは、重さの掛かるところが少し違った。
「これも、もう一度、練習場で確かめたいです」
店の人はうなずき、柄の長さを確かめた。
持ち運ぶときの覆いと、袋へ留めるための紐も並べる。
ミナは値段を聞き、財布を開いた。
下宿代と、食費に残す分。
次に道具を直すときの分も考えた。
買える。
でも、安い買い物ではなかった。
槍へ、もう一度手を添えた。
「これを、お願いします」
ラグが隣で、静かにうなずいた。
槍を選んだ後、覆いをつけ、採取袋へ留めてみた。
枝へ引っかからないか。急いで袋を下ろせるか。
肩の水晶や、補助帯の印へ触れないか。
まだ、出かける前に確かめることがあった。
ラグは紐を示し、ミナ自身が外すのを待った。
「包丁は、いつもの場所でよさそうですね」
「はい。料理をするときに、すぐ取れますから」
腰の鞘には、馴染んだ柄があった。
今日買った槍とは、違う仕事をする道具だった。
*
夕方、バルドは公開された練習の記録を見ていた。
ミナの槍先より、まず足を見る。
ラグが止める場所と、休ませるところも見た。
補助を切った後の動きを、もう一度戻して確かめる。
速さは出ていない。
それでも、向きを変えるとき、余計な踏み直しが減っていた。
「……順番を、覚えられたか」
バルドは小さく言った。
画面の向こうで、ラグが具体的に褒めている。
次の一歩が遅れると、すぐに練習を止めた。
できたことも、まだ続かないことも、同じように見ていた。
バルドは記録を閉じ、短い感想を送った。
今の練習を、その速さから続けるといい。
よいところを、よく見てもらえているな。
*
武器屋からの帰り、ミナはギルドへ寄った。
今日は練習を終えたと伝え、次に使える日を聞くつもりだった。
受付の職員が、名前を確かめて顔を上げる。
「ミナさん。お伝えしたいことがありました」
槍を入口脇へ置き、窓口へ近づいた。
「水辺での採取の記録を、ロゼッタ様がご覧になりました。帰り道と、採った葉について、お話を聞きたいそうです」
ミナは、少し背筋を伸ばした。
「私の記録、ですか」
「はい。ご都合を聞いてほしいと」
職員が、候補の日を書いた紙を出す。
ミナは記録帳を開いた。
新しく覚えた足のことを、まだ書き終えていない。
その少し前には、水辺で見たものが並んでいる。
ミナは予定を確かめ、会える日を指で示した。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です
カクヨムでも連載中です
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