第36話 魚を焼きます
ミナが魚の下ごしらえをしていた頃、ラグは宿の談話室で、水晶を前に座っていた。
仕事の連絡に使う道具なら、持っている。
だが、知らない誰かの配信を探して見ることは、ほとんどなかった。
ギルドで流れている攻略記録を、待ち時間に眺めたことがある程度だ。
今日、川辺でミナが配信を始めたときも、見ている者はいなかった。
それでも、記録を残せば、後から見てもらえるという。
どんなものが並んでいるのだろう。
宿の主人に尋ねると、談話室の閲覧用水晶を示された。
「そこから探せるよ。何が見たい?」
「まずは、どのようなものがあるか、知りたいのですが」
主人が一覧の出し方を教えてくれた。
ラグは礼を言い、文字の並ぶ板へ目を落とした。
*
最初に開いたのは、ダンジョンの攻略記録だった。
石の通路を、四人の冒険者が進んでいる。
前衛の男が盾を上げ、後ろの者が壁際へ寄った。
その間を、細い脚の魔物が抜けようとする。
ラグは少し身体を前へ傾けた。
「……そこで止まると、後ろが詰まる」
男は一歩、横へ動いた。
後衛の射線が開き、魔物が倒れる。
ラグは椅子へ背を戻した。
文字板には、盾の置き方を褒める言葉が出ている。
次は、魔物の倒し方を解説する記録だった。
絵と、実際の足跡を並べている。
危険な距離へ入る前に、どこで引き返すかも説明していた。
「これは、見せ方が丁寧だな」
講習で使うなら、同じ動きを何度も見せられる。
記録へ残す意味は、よくわかった。
一覧へ戻ると、商会の名前があった。
運搬袋の留め具を、店員が開けたり閉じたりしている。
厚い手袋でも扱えるという説明に、ラグは右手の指を動かした。
値段を見て、次へ移った。
畑の配信では、土を掘り返した年配の男が、苗の間を指で測っていた。
近すぎると、後で困るらしい。
その次には、聞いたことのある吟遊詩人の名があった。
広場の石段へ座り、弦を弾いて歌っている。
周囲の客が手を打つ音も、水晶から聞こえた。
「なるほど。冒険者の記録だけではないのか」
ラグは、一覧をもう少し下へ送った。
*
料理の欄には、立派な厨房が並んでいた。
揃いの服を着た料理人が、銀の盆へ肉を盛る。
別の記録では、領主の宴席へ出された料理を、一皿ずつ紹介している。
飾り切りの根菜。
艶のある汁を掛けた鳥。
皿の縁まで、料理のために用意されたものに見えた。
ラグは、以前、屋敷で働いていた頃を思い出した。
ああした皿を運ぶ使用人のために、扉を開けて待ったことがある。
料理そのものを見ている暇は、あまりなかった。
今、ようやく皿の上を眺める。
「……食べるまでに、ずいぶん手が掛かっている」
ほかにも、菓子店の新作や、料理大会の記録があった。
いつもの夕飯を、台所で作っているものは、目につきにくい。
ミナの水晶には、肉を少し残すところも映っていた。
芋の皮をむき、使った道具を洗い、明日の分をしまう。
この欄では、そうした場面を見つけられなかった。
「ミナさんのような料理は、どう探すのだろう」
言葉を変えて探してみようと、一覧へ戻った。
その途中で、別の欄の文字が目に入った。
今日のもふもふ。
ラグは指を止めた。
「……もふもふ?」
*
水晶の中に、毛の長い小さな獣がいた。
丸い敷物の上へ横になり、腹を見せている。
画面の端から人の手が伸び、首の下を撫でた。
獣の目が細くなる。
ラグは、しばらく見た。
手が止まると、獣が鼻先を押しつける。
また撫でられる。
「……これは、何をする記録なのだ?」
文字板へ、言葉が流れた。
〈眠そう〉
〈今日はお腹まで見せてる〉
〈帰ってきて、これを見るのが楽しみ〉
ラグは、水晶へ目を戻した。
獣は、何もしない。
足を少し曲げ、撫でている手へ頬を預けた。
見ている人数は、先ほどの留め具の説明より多かった。
ラグは、毛の長い腹を見てから、自分の右腕へ目を落とした。
袖の先から、縞のある毛が出ている。
もう一度、水晶を見る。
宿の主人が、隣の卓を拭きながら声を掛けた。
「そういうのも、人気だよ」
「……そうですか」
何に感心したのか、自分でも少しわからなかった。
獣が寝返りを打った。
ラグは、それを見届けてから時刻を確かめた。
約束の時間には、まだ間に合う。
水晶を閉じ、主人へ礼を言った。
*
鍋が温まると、ミナは油を薄く引いた。
魚の表面へ浮いた水気を、布で押さえる。
香草を入れた腹を閉じ、鍋へそっと置いた。
小さく、音がした。
「今日は、皮のところも焼きたいので、紙では包みません」
水晶は台の端にある。
魚と、ミナの手元が映る位置だ。
先ほど包み焼きの話をしてくれた、夕餉係さんの名前が残っている。
ミナは魚を動かさず、もう一つの鍋へ目を移した。
残っていた茹で豆と、玉ねぎで作った汁が温まっている。
「魚は二匹ですから、これと、パンも食べます」
〈夕餉係:焼くときは、すぐ裏返さないのですね〉
「はい。早く動かすと、皮が鍋へ残ってしまうことがあるので。くっついていたら、少し待ちます」
言いながら、手が魚へ近づきかけた。
ミナは、木べらを台へ戻した。
早く見てみたいのは、自分の方だった。
もう一人から、文字が出た。
〈湯のみ:今日は、干し魚ではないんだね〉
「はい。手網で捕ったんです。ラグさんにも、手伝ってもらいました」
〈湯のみ:川で食べずに、持ち帰ったんだね〉
「道具も、帰る時間も、先に決めておきたかったので。初めての場所でしたし」
魚の縁が、白くなってきた。
ミナは木べらを差し入れ、ゆっくり返した。
皮に、薄い焼き色がついている。
「……よかった」
形が崩れていない。
もう片方も返し、火を少し弱めた。
*
ラグが来たとき、魚はまだ鍋にあった。
管理人へ挨拶をしてから、台所の入口で足を止める。
「予定より早く焼けてしまいましたか」
「いえ、ちょうどです。もう少しでできます」
ミナは火の方を確かめた。
ラグへ、台の端を示す。
「今、配信しています。こちらへ立つと、お顔も映ると思います」
「わかりました」
ラグは手を洗い、ミナが示した側へ回った。
水晶の位置を覗き込むようにすると、画面の向こうから自分を見ているつもりになる。
「こんばんは。本日は、魚捕りを少々お手伝いいたしました」
ミナが笑った。
「少々じゃないです。私だけだと、逃げる方ばかり追っていたので」
「魚が相談に応じてくれなかったものですから」
〈夕餉係:お二人で捕った魚なのですね。よい夕食になりますように。これからこちらも食事の支度をいたします〉
「ありがとうございます。また、来られるときに」
数字が、一になった。
ミナは文字板から鍋へ視線を戻す。
あの人も、これから誰かの夕飯を作るのだ。
ラグが、二人分の皿を見た。
「何か、お手伝いできることはありますか」
「では、パンを分けてもらえますか。こちらのお皿へ」
ミナは先に皿を寄せた。
布を開き、パンを取れるようにする。
ラグは右手で一つずつ分けた。
「このくらいでしょうか」
「はい。足りなかったら、また取れますから」
「それは、ありがたい備えですね」
パンの皿が机へ置かれる。
ミナは魚の厚いところに火が通ったのを確かめ、火から下ろした。
*
〈湯のみ:私も、そろそろ夕飯だ。また記録を見せてもらうよ〉
「はい。今日も、ありがとうございます」
魚を皿へ移す前に、ミナは水晶へ顔を向けた。
「今日は、ここまでにします。できたものも、記録に残しておきますね」
配信を終え、台の端から水晶を外した。
食べる場所へ向け直し、短い記録だけを残せるようにする。
ラグが、椅子を少し引いた。
「見ていた方は、ああして文字で話してくださるのですね」
「はい。私の水晶だと、声は聞こえないので」
「なるほど。見る側の使い方も、先ほど少し教わりました」
「配信、見てみたんですか?」
「ええ。攻略や、商会の案内や、畑の世話など。思っていたより、いろいろありました」
ミナは二匹の魚を、それぞれの皿へ置いた。
「歌もありますよね。お店で流しているところもあります」
「ありました。それから……」
ラグは、少し間を置いた。
「小さな獣が、撫でられているものも」
ミナが顔を上げた。
「もふもふですか?」
「ご存じなのですね」
「前に、一度見ました。寝ていました」
「今日も、途中から寝ていました」
ミナは笑った。
ラグも少し、目を細める。
「見ている方は、あれでよいのですね」
「かわいいから、見ていたいんだと思います」
ラグは、机の上の魚へ目を落とした。
「……なるほど」
魚の焼き加減の話より、考える時間が長かった。
*
小さい方の魚を、ミナは自分の皿へ取った。
焼けた皮の下へ、匙を差し入れる。
身が骨から離れ、湯気が出た。
ひと口、食べる。
干し魚で作った汁とは違う味だった。
塩の味の後に、身の甘さがある。
香草は、腹に近いところで強く香った。
「……おいしい」
ミナは、もう一口を取った。
ラグは皿の縁で魚を支えながら、食事用の小刀で骨に沿って身を分けていた。
片手で扱いやすい向きへ、先に皿を回す。
ミナはその手元を見てから、自分の皿へ戻った。
「香草は、入れすぎない方がよさそうです。今日のは、匂いが強かったので」
「身の味も、よくわかります。私は、このくらいが好きですね」
ラグはひと口を飲み込み、川で網を入れていた方の手を見た。
「捕ったときより、大きく感じます」
「パンも、汁もありますから」
「それもありますが。あのときは、逃がさないことばかり考えていました」
ミナはうなずいた。
魚を容器へ入れるときには、夕飯の味など考える余裕がなかった。
今は、次の一口をどこから取るか考えている。
ラグが豆の汁へ匙を入れた。
こちらは、遠慮なく食べられる量がある。
パンを浸し、少し待ってから口へ運んだ。
「今日、料理の記録も探してみたのですが」
「はい」
「立派な厨房や、宴席の料理が多く出てきました。普段の食事は、別の探し方があるのでしょうか」
「私も、全部はわかりません。大きなお店の方が、見つけてもらいやすいのかもしれませんね」
ミナは、さっきのコメントを思い出した。
「でも、作ってくれた方がいたんです。今日、初めてコメントをくださって」
肉と芋を包んで焼いたことを話す。
少ない肉でも、芋までおいしかったと言ってくれたことも。
ラグは、話を聞き終えてからうなずいた。
「では、探していた方には、届いたのですね」
「……はい」
誰にも見られないまま終わる日もある。
今日は、昼の川辺がそうだった。
でも、何日も前の夕飯を、今日になって見てもらえた。
ミナは皿へ残った身を取り、食べた。
次にあの人が来てくれたら、また料理の話ができるだろうか。
*
王都の家で、オルヴェンは水晶を閉じた。
食堂へ入ると、孫が先に椅子へ座っていた。
卓の上には、温かい皿が並んでいる。
「おじいちゃん、今日は遅くないね」
「魚が焼けるところまで、見てきたんだよ」
「おじいちゃんの魚?」
「いや。ほかの人の夕飯だよ」
孫が、不思議そうな顔をした。
妻が皿を寄せながら、口元を緩める。
「ほかの人の夕飯を見て、自分の夕飯を忘れないでくださいね」
「今日は、忘れていないよ」
「今日はね」
オルヴェンは椅子へ座った。
言い返すより先に、匙を取る。
食事の途中で、娘が、近所の人の話をした。
膝を痛めて、家の裏の菜園へ出る回数が減っているという。
「椅子があれば、少しは楽なんだけど。座ると、今度は立つのが大変らしくて」
オルヴェンの手が止まった。
仕事の部屋には、補助帯の記録がある。
立ち上がるところ。屈むところ。動いた後に、身体が重くなるところ。
菜園なら、土の上で使う。
室内とは違うことも、確かめなければならない。
「……どのくらいの時間、畑に出るんだろう?」
娘が、顔を上げた。
「そこまでは、聞いてないけど。今度、聞いてみようか」
「お願いしてもよいかな。必要なら、本人にも話を聞きたい」
言って、書くものを探しかけた。
机の上には、匙と皿がある。
オルヴェンは、膝を椅子の方へ戻した。
「……食べ終わってから、覚え書きをする」
妻がうなずいた。
娘は笑って、ほかにも困っていることがあるらしいと続けた。
孫が、自分の皿を少し持ち上げる。
「おじいちゃん、こっちも見て」
切り分けた根菜を、残さず食べた皿だった。
「おお。きれいに食べたね」
孫は満足そうに、皿を置いた。
オルヴェンも、止まっていた匙を動かす。
話を聞きながら食べた料理は、まだ温かかった。
*
夕飯の後、ミナは記録帳を開いた。
水辺へ着いた時刻。
採取を終えた時刻。
魚を捕るために使った時間と、帰りに歩いた時間。
その横へ、網のことも書く。
先に容器を開けておく。
魚を上から追わない。
足を置く場所を確かめる。
次のページには、料理のことを書いた。
香草は少なくても香る。
魚は、焼いている途中で動かしすぎない。
最後に、包み焼きを作ってくれた人がいたと書いた。
筆を置き、二つのページを見比べる。
川で使う道具と、台所で使う道具。
同じ日に覚えたことが、違う場所へ並んでいた。
ラグは帰る前に、今度、ギルドの練習場で道具を試してみませんかと言った。
今日、岸で足が沈んだとき、盾を持ったまま動くならどうするかと、ミナが尋ねたからだった。
武器を選ぶ話も、まだ途中だ。
次の採取の前に、時間を作ることにした。
ミナは、借りてきた道具を書いていた欄を見る。
網は、使ってみるまで、何が難しいのかわからなかった。
武器にも、構えてみるだけではわからないことがあるのだろう。
ちゃんと使って、確かめてから選びたかった。
帳面を閉じ、片づけた台所をもう一度見た。
皿も、鍋も、洗って伏せてある。
今日持ち帰った二匹は、残っていなかった。
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