第34話 ミナの夢
ミナが話し終えるまで、セリカは机の向こうで聞いていた。
イタチが現れた場所。
下がるように言われたこと。
傷痕に気づき、動きをラグへ伝えたこと。
姉は途中で、帰る道は空いていたかと尋ねた。
ミナがうなずくと、続きを待ってくれた。
「怖かった?」
「うん。最初は、また来たって思って」
左腕へ、前の痛さが戻ったような気がした。
でも、今日は爪を受けていない。
ミナは机の上で、手を開いた。
「ラグさんがいたから、下がれた。その後は、見られたんだ」
「……そう」
セリカは、ようやく椅子の背へ身体を戻した。
「無事に帰ってきてくれて、良かった」
「うん。ただいま、お姉ちゃん」
「おかえり」
その声を聞いてから、ミナは袋を片づけた。
葉を包んだ布は、洗うものの方へ。
小盾は土を落として、いつもの場所へ置く。
包丁の鞘には、今日は魔物の血がついていなかった。
*
「夕飯、作れそう?」
台所の入口で、セリカが尋ねた。
「うん。でも、今日は簡単なものにする」
朝に出しておいた粉と、玉ねぎを使う。
肉は少し買い足せば、薄焼きに包める。
ニーナが戻ってきたので、人数を確かめた。
「グレン様も、お誘いしていいかな」
「ミナがいいなら。ギルドに寄るから、まだいるか聞いてくるよ」
ニーナが言った。
ミナは財布から、肉の分の硬貨を出す。
「これで、買える分だけお願いします」
「はい。勝手に大きな塊にしないから、安心して」
セリカがニーナを見た。
「私、今日は何も言ってない」
「先に言っておこうと思って」
ミナは、少し笑った。
粉へ水と塩を加える。
今日は、膨らませるパンではない。
混ぜて休ませている間に、具を用意する。
セリカには、青菜を洗ってもらった。
葉の間の土を落とし、水を切る。
ミナは玉ねぎを細かく刻む。
「ここは、どのくらい取る?」
姉が葉の端を見せた。
「色が変わったところだけ。残りは使えるよ」
「わかった」
姉の手が、言われたところを外す。
ミナは包丁を動かしながら、隣の手を見た。
人と台所へ立つことにも、少しずつ慣れてきた。
*
グレンは、ニーナと一緒に来た。
仕事の荷物は宿へ置いてきたという。
「招いてくれてありがとう、こなべさん」
「こちらこそ。今日は、薄焼きで包むものにします」
ニーナから肉を受け取り、ミナは細く切った。
さらに刃を入れ、玉ねぎと混ぜやすい大きさにする。
鍋で玉ねぎを炒め、肉を加えた。
肉の色が変わったら、塩と香草を少し。
「こっちは、薄く焼くんだね」
グレンが、粉の入った椀を見る。
「はい。厚いと、折ったところが割れやすいので」
油を薄く引き、生地を広げる。
縁が乾いてきたら返した。
焼けた一枚は、布を敷いた皿へ移す。
セリカが次の皿を寄せ、ニーナが匙を並べた。
グレンは焼き上がったものを見てから、自分の手を見た。
「僕にも、できることはある?」
「では、焼けたものに、この布を掛けてもらえますか。乾かないように」
「うん」
冠位の人が、皿の上へ布を掛けている。
ミナは一瞬、その姿を見た。
文字板の向こうでは、できなかったことだった。
*
四人分を机へ並べた。
薄焼きへ、炒めた肉と玉ねぎを置く。
青菜を重ね、端を少し折ってから巻く。
「先に下を折ると、落ちにくいです」
ミナが見せると、グレンも同じように折った。
セリカは具を多めに入れ、途中で手を止める。
「これ、閉じない」
「少し戻せば?」
ニーナが言った。
姉は惜しそうに肉を見てから、匙で少し皿へ戻した。
ミナは笑って、自分の分を食べた。
薄い生地の間に、玉ねぎの甘さと肉の汁がある。
青菜を挟むと、次の一口が軽くなった。
「おいしいね。これも、店主さんに教わったの?」
グレンが尋ねた。
「はい。忙しいとき、片手でも食べられるようにって。中に入れるものは、余った料理だったりしました」
「食堂で食べたことある」
セリカが、自分の包みを見た。
「帰る日に、持たせてもらったことも」
「お姉ちゃんのは、いつも大きかったよ」
「……そうだった?」
ミナはうなずいた。
旅の分だからと言って、店主が具を足していた。
その横で、ミナは端を押さえていた。
「包むの、大変だった」
セリカは、今の薄焼きを少し持ち直した。
今度は閉じられた端が、きれいに重なっている。
*
グレンは、もう一枚を取る前にミナへ尋ねた。
「こなべさん。仕事や暮らしのためとは別に、やってみたいことはある?」
ミナは、手に持った包みを見る。
「やってみたいこと、ですか」
「うん。今日、葉のことを教えられたって話してくれたでしょう。これから、どんなことを知りたいのかなと思って」
ミナは、少し考えた。
受けたい依頼なら、地図にいくつかあった。
でも、グレンが聞いているのは、その次のことらしい。
隣の姉を見る。
セリカも、続きを待っていた。
「……いつか、お店を持ってみたいです」
言ってから、膝の上で指を動かした。
「小さくても。自分で作ったものを、人に食べてもらえるところ」
机の上には、四人分の皿があった。
さっきまで焼いていたものが、それぞれの手にある。
「食堂を閉めたときは、もう一度あそこで働けたらって思っていました。でも、今は、ここで買えるものも、少しずつわかるようになって」
同じ煮込みでも、使う根菜が違った。
パンも、町のお店によって味が違う。
干し魚を戻して、汁まで使えるのは楽しかった。
「ほかの場所なら、また違うものがあるんだろうなって」
グレンがうなずいた。
「だから、知らないところにも行ってみたいです。自分で見つけたものを、料理してみたい」
「探索も?」
セリカの問いに、ミナはうなずいた。
「試験で教えてくださったロゼッタ様みたいに。どこに何があるか、ちゃんと見て、採って帰れるようになりたい」
姉の顔を見た。
心配させる話かもしれないと思った。
でも、口に出した願いを、引っ込めたくはなかった。
「まだ知らない草も、食べ物も、いっぱいあるでしょう。店主さんが知っていたものだって、私は全部覚えているわけじゃないし」
ミナは、残った包みを皿へ置く。
「お店も、探索も。どっちをしたいのか、まだ決められないんだ」
*
セリカは、ミナの顔を見た。
「今、決めなくてもいいよ」
「いいの?」
「うん。どちらも、ミナがやってみたいことでしょう」
姉は、皿の端へ匙を置いた。
「お店は、ここで持ちたいの?」
「まだ、わからない。今の町は好きだけど、ほかの町を全部知っているわけじゃないから」
「どんなお客さんに、来てほしい?」
ミナは、食堂の戸を開けていた人を思い出す。
畑から帰った人。荷を運んできた人。
仕事の話をしながら、匙を動かしていた人。
「働いて、お腹が空いた人とか。遠くから来て、温かいものが食べたい人とか」
「私も、入ってる?」
「……お姉ちゃんも」
セリカが笑った。
ミナも笑った。
ニーナが包みを食べ終え、指先を布で拭く。
「じゃあ、私も入りそうね。出先で食べたものの話をして、また次の仕事へ行く人でもいい?」
「うん。聞きたいです」
「それなら、話の土産を探す楽しみが増えるな」
ニーナは皿を脇へ寄せた。
グレンが、ミナへ顔を向ける。
「料理することと、知らないものを探すことは、こなべさんの中では、つながっているんだね」
ミナは、少し考えてうなずいた。
「知らない食べ物を見つけたら、どんな味なのか知りたいです。食べられるなら、どうしたらおいしくなるのかも」
「そのために、覚えたいことは?」
すぐには全部、出てこなかった。
ミナは一つずつ言った。
「採り方。持って帰る方法。食べていいものか、確かめること。それと……危ないときに、ちゃんと戻れること」
今日、ラグと道へ下がったところを思い出した。
「戦うことも、もっと習いたいです。誰かがいてくれる間だけじゃなくて、自分でもできることを増やしたい」
セリカの目が、ミナの左腕へ動いた。
けれど、そこで話を止めなかった。
「まずは、身体を少しずつ慣らそう。武器も、使って確かめてから選ぼうね」
「うん」
グレンもうなずく。
「今日みたいに、見たことを伝えるのも、その一つだよ。採れるものを知ることも、帰る道を覚えることも。今の仕事を続けながら、学べることがある」
ミナは、机の上を見る。
いつかの店は、まだ場所も決まっていない。
でも、明日の後にすることは、少し見えてきた。
*
食器を片づけた後、ミナは記録帳を持ってきた。
今まで書いていたページの次を開く。
出発の時刻や、葉の傷の話とは違うことを書くので、少し迷った。
いつか、店を持ちたい。
知らない場所で、食材を見つけたい。
見つけたものを、料理してみたい。
書いて、三行を見た。
どれか一つを消す必要はなかった。
その下には、まだ余白があった。
何を書き足すかは、これから考えればよかった。
「見てもいい?」
姉が尋ねた。
ミナは帳面を少し寄せる。
セリカは三行を読み、紙には触れずに戻した。
「手紙でも、聞かせてね。増えたことも、変わったことも」
「うん」
グレンとニーナが帰る支度をする。
セリカも、宿へ戻って荷をまとめると言った。
「お姉ちゃん。朝、これ、持ってくる?」
ミナは椅子に掛かった羽織を指した。
「あ」
セリカが手を伸ばす。
ニーナは入口で笑った。
「今日は、床には落ちてないね」
「掛けたから」
姉が少し得意そうに言う。
グレンが笑い、ミナも帳面を閉じながら笑った。
*
翌朝、ミナはいつもより早く起きた。
明るくなりきっていない窓の前で、青い服を取った。
採取へ行く日ではない。
今日は、姉が買ってくれた服を着る。
台所で、旅の途中に食べる包みを用意した。
昨夜の薄焼きの作り方を使う。
温め直した具を包み、持って歩きやすいよう紙で巻いた。
三人分を袋へ入れる。
自分の朝食は、机で食べた。
下宿の扉を閉める前に、管理人へ声を掛ける。
「見送りに行ってきます」
「いってらっしゃい。帰ったら、お湯を使っていいからね」
ミナはうなずき、町の入口へ向かった。
*
荷を積む馬車の近くに、三人がいた。
セリカとニーナは旅の装備に戻っている。
グレンも、昨日より大きい袋を持っていた。
まずは同じ王都方面へ向かうという。
「ミナ、早かったね」
「途中で食べるもの、持ってきた」
包みを渡すと、姉が両手で受け取った。
ニーナも礼を言い、袋の上の方へ収める。
「帰る日に持たせてもらうの、今度はミナからなんだね」
セリカが小さく言った。
「大きすぎないようにしたよ」
「大きくても、食べたよ」
ミナは笑った。
姉も笑った。
グレンは、包みを見てから頭を下げる。
「ありがとう、こなべさん。次に作るときは、これを思い出すよ」
「巻く前に、下を折ってくださいね」
「うん。そこからだね」
御者が荷物の確認を始めた。
人が動き、馬の足音がする。
セリカが荷を持つ前に、ミナの方へ屈んだ。
「次の予定が決まったら、先に知らせるね。まだわからないときも、そう書く」
「うん。私も、返事を書く」
「無理なときは、無理って言ってね」
ミナは、姉の顔を見た。
「お姉ちゃんも」
セリカは少し目を開いた。
それから、うなずく。
「うん。私も」
姉の腕が伸びた。
今度は途中で止まらず、ミナの背へ回る。
ミナも、上着へ手を掛けた。
旅の布の匂いがした。
まだ、ここにいてほしかった。
その気持ちまで、なくなったわけではなかった。
「……また来てね、お姉ちゃん」
「来るよ」
セリカが身体を離し、ミナの顔を見た。
「次は、何を食べさせてもらえるかな」
「まだ、わからない。知らないもの、見つけるかもしれないから」
「じゃあ、楽しみにしてる」
*
馬車が動き始めた。
ニーナが窓から手を振る。
グレンも顔を出し、いつもの呼び方で声を掛けた。
「またね、こなべさん」
「はい。また」
セリカは、見えなくなる手前までこちらを見ていた。
ミナも、手を下ろさなかった。
車輪の音が、少しずつ遠くなる。
角を曲がった後にも、ミナはそこに立っていた。
町の入口へ、別の荷車が入ってくる。
道を空け、ひと息つく。
青い袖の端を、指で直した。
*
帰りに、ギルドへ寄った。
今日の依頼を受けるためではない。
ラグと、昨日の依頼の扱いを確かめる約束があった。
入口の脇で、ラグが待っていた。
「お見送りは、済みましたか」
「はい」
ミナは答え、少し間を置いた。
「昨日、夢の話をしたんです」
「どんなお話でしょう」
「いつか、お店を持ちたいこと。それと、知らないところで、食材を見つけてみたいこと」
ラグは、ミナが話し終えるまで待った。
「では、次の採取でも、見るものが増えそうですね」
ミナは小さな袋から、地図を出した。
前に受付で見せてもらった、新しく行ける区画。
そこに、水場の印がある。
「ここへ、行ってみたいです。まず、道と、帰る時間を調べてから」
ラグは地図へ目を落とした。
「水辺ですね。足場と、水の増え方も聞いておきましょう」
「はい。それと……魚は、いるんでしょうか」
ラグの口元が、少し緩んだ。
「それも、伺ってみましょう。魚に直接尋ねる前に」
ミナは笑った。
受付の方へ、二人で歩く。
昨日書いた三行には、まだ先があった。
※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です




