第33話 見えたことを伝えます
集合の少し前に、ミナはギルドへ着いた。
左腕をもう一度確かめてもらう。
指を動かし、小盾を持つ。
重さが掛かっても、前のような痛みはなかった。
巻いていた薄い布も、もう外してよいと言われた。
今日は近い場所で、長く作業しない。その予定を伝えて、採取へ出ることになった。
ラグは、入口の脇で待っていた。
右手で斧の留め具に触れ、ミナを見る。
「おはようございます。腕はいかがですか」
「大丈夫です。でも、途中で痛くなったら言います」
「ええ。それでお願いいたします」
二人で窓口へ行き、小口の依頼を受けた。
乾かして薬に使う葉を、決められた量だけ。
包む布と、持ち帰る状態も確かめる。
紙へ書いた名前は、二つだった。
*
町を出ると、ラグが少し前を歩いた。
ミナは、相手の歩幅を見た。
大きい。
けれど、自分が急がなくても、距離は開かなかった。
「もう少し速くても、歩けます」
「今は、帰りにも同じように歩ける速さを知りたいので」
ラグが振り返った。
「競争でしたら、別の日にいたしましょう。私が勝っても、葉は増えませんし」
ミナは笑った。
前へ出ようとしていた足を、いつもの歩き方へ戻す。
休憩所では、荷を下ろして水を飲んだ。
大きい水筒は採取袋に入っている。
グレンにもらった小さい方は、腰の袋に残した。
ラグが周りを見てから、道の先を示す。
「この標識から、左の区画ですね」
「はい。右の斜面には、行かないです」
鉤爪イタチに遭った場所は、別の道の先だった。
今日行く区画には、その魔物の目撃記録は出ていなかった。
それでも、ラグは曲がり角の向こうを見てから歩く。
ミナも、帰る方の景色を確かめた。
採取地の手前で、水晶を肩へ固定した。
位置の共有と記録は、出発前から動いている。
公開配信も、ここから始める。
「おはようございます。今日は、初めて二人で採取に来ました」
数字は、零だった。
ミナは短く予定を話し、ラグを見る。
「作業している手元と、周りが映るようにします。ラグさんが入ることもあります」
「わかりました。私の挨拶は、どちらへ向ければ?」
ミナが水晶を指すと、ラグは少しだけ身体を傾けた。
「ラグと申します。本日は、周りを見る方を担当いたします」
落ち着いた声だった。
ミナはうなずき、視聴者の数字から草の方へ目を戻した。
*
目当ての株は、道から少し離れた明るいところにあった。
ラグが先に周囲を確かめる。
倒れた枝を避ければ、道へ出られる。
茂みは斜面の上にあり、こちら側は見通せた。
「ここで採れそうですか」
ミナは葉の裏を見た。
筋の形を確かめ、茎の育ち方も見る。
「はい。でも、この株はまだ小さいので、隣からにします」
「承知しました」
ラグは、袋を置ける場所を示した。
その脇へミナが布を広げる。
小盾はすぐ持てるところへ置き、包丁を抜いた。
葉を収め、次の株へ移る前に顔を上げる。
ラグの姿があった。
ミナの手元ばかり見ず、茂みと、来た道へ目を動かしている。
自分は、葉の裏を見ていた。
その間にも、周りを見る人がいた。
何枚か揃ったところで、ラグを呼ぶ。
「この端が、虫に食われたところです。こちらは、裂けた跡で」
同じような葉を、二枚並べた。
ラグは近づきすぎず、見える位置へ立つ。
「こちらは、納められないのですね」
「はい。今回の条件だと。食べる草なら、傷んだところを落として使うこともありますけど」
「同じ葉でも、行き先で変わる」
「そうです」
説明してから、ミナは葉を分けた。
ラグは礼を言い、周囲を見る方へ戻る。
自分が知っていることを、教えられた。
その後の包丁は、いつもより落ち着いて入れられた。
*
必要な量の半分を少し越えた頃、ミナは一度立った。
腰を伸ばす。
ラグが、作業していた場所の少し上を見る。
「次へ移りますか。それとも、休みますか」
「水を飲んでから、向こうの株を見たいです」
ミナは包丁を収めた。
水筒を取り出す前に、数字が一になっていることに気づく。
「こんにちは。今、半分くらい採れました。少し休みます」
文字は、まだ来なかった。
ミナは水を飲み、ラグの分とは別の包みからパンを出す。
休憩所を出るとき、二人分をそれぞれ持つように分けていた。
ラグは、ひと口食べる前に周囲を見た。
ミナも同じように顔を上げる。
斜面の上で、葉が動いた。
風は、道の方から吹いていた。
動いたのは、茂みの下だった。
「ラグさん」
呼ぶと、ラグの右手が止まった。
「上の茂み、今、動きました」
「見えました。包みをしまってください」
声の大きさは変わらなかった。
ラグはパンを収め、斧の留め具を外す。
ミナも包みを入れ、小盾を持った。
茶色い頭が、葉の間へ出た。
長い胴。
低い耳。
前足の先に、曲がった爪。
ミナの口の中が、乾いた。
*
「道の方へ、下がってください。あの平たい石の脇です」
ラグが位置を示した。
ミナは足を出す。
石へ背中をつけない。
その横なら、帰る道が後ろへ続いていた。
袋の紐を外し、足元を塞がないところへ置く。
腰の小さな袋は、身体に残った。
補助帯の印へ、右手が近づいた。
でも、まだ触れなかった。
ラグが、ミナと魔物の間にいる。
下がる場所も、残っている。
イタチが地面へ降りた。
頭を低くし、こちらを見ている。
違う区画だった。
ここには、目撃記録がなかった。
それなのに、あの爪がある。
ミナは息を吐こうとして、一度つまった。
左腕へ盾を寄せる。
包丁は、まだ鞘の中にあった。
下がったら、自分の足元。
次に、帰る方。
ラグさんの位置。
グレンの声を、思い出した。
靴の下には、乾いた土。
後ろの道は空いている。
ラグは少し斜め前にいて、斧の先を低く保っていた。
もう一度、イタチを見る。
左の前脚が伸びたとき、内側に毛の薄い線が見えた。
傷は、開いていない。
でも、脚の付け根へ斜めに残る跡があった。
包丁が入った場所。
木から飛びついてきたとき、ミナが見た折れ目。
「あのイタチ……前に会った個体かもしれません」
「どこを見ましたか」
「左の前脚の、付け根。内側に、傷の跡があります。前に、そこを切りました」
ラグの耳が、少し動いた。
目は魔物へ向いたままだった。
「わかりました。そのまま、下がれる場所にいてください」
*
イタチは、ラグの前で止まった。
斧へ向けて歯を見せる。
ラグが一歩、横へ動く。
魔物も向きを変えた。
けれど、鼻先はミナの方へ戻る。
ミナが道に沿って少し下がると、イタチの胴もそちらへ向いた。
ラグが間へ入れば止まり、少し離れれば、またミナを見る。
追ってきたのだろうか。
いつから、どこにいたのだろう。
それは、わからなかった。
でも、今、狙われているのは自分だった。
「私の方を、見ています」
「ええ。こちらへ来る道を探していますね」
ラグは斧を振らなかった。
踏み込めば、ミナとの間が開く。
ミナにも、その距離が少し見えた。
イタチが、低く移る。
右の前足を置き、左を寄せる。
左へ体重を乗せたときだけ、胸がわずかに右へ流れた。
傷は塞がっていた。
それでも、同じようには動かしていない。
「左の脚をつくとき、身体が、右へ寄ります」
ミナは短く言った。
「その後、向きを変えるのが少し遅いです」
ラグは、イタチを見た。
もう一度、横へ足を置く。
魔物がそれを追い、左前脚へ重さを掛けた。
胸が寄った。
「……見えました」
ラグの声がした。
*
イタチの胴が縮んだ。
前と同じだった。
跳ぶ。
ミナの足が、止まりかけた。
でも、前にはラグがいる。
後ろには、道がある。
ラグが短く言った。
「もう一歩、後ろへ」
ミナは、足元を見てから下がった。
イタチは、ラグの正面へ来なかった。
身体を右へひねり、斧を持つ腕の外を抜けようとした。
その先に、ミナがいた。
ラグの左袖が、動いた。
布だけの袖の下で、身体が向きを変える。
足が、魔物の進む線へ入った。
斧を振り上げるような、大きな動きはなかった。
右手の刃が、一度だけ走った。
イタチの首元を捉え、胴が横へ崩れた。
落ち葉が散る。
地面に着いた爪が、土をひと掻きした。
ラグは斧を戻した。
ミナの方へ身体を寄せ、魔物と、その向こうの茂みを見る。
ミナは盾を下ろせなかった。
次に何か来るのを、待っていた。
来なかった。
*
「そこにいてください。もう少し、確かめます」
ラグは魔物へ近づき、手の届く距離へ入る前に動きを見た。
それから周囲を見直す。
ミナは、帰る道へ顔を向けた。
別の葉が動いていないか、木の陰に何かいないか。
胸はまだ、速く上下している。
ラグが戻ってきた。
「倒れています。ほかの気配は、今のところありません」
「……はい」
「腕は?」
ミナは左手を少し動かした。
痛みはなかった。
盾は、爪を受けていない。
「大丈夫です。補助帯も、使っていません」
ラグはうなずいた。
「では、盾を休めましょう。持ち続けると、疲れます」
言われてから、ミナは腕を下ろした。
腰の袋へ手を伸ばす。
小さな水筒は、そこにあった。
蓋を開け、ひと口飲む。
採取袋を開け直す必要がなかった。
水晶の文字板へ、言葉が出ていた。
〈針しごと:怪我はない?〉
「はい。ラグさんが、倒してくださいました」
声にすると、終わったことが少しわかった。
ミナは魔物から目を外しきらず、今いる場所の標識を読み上げた。
*
少し離れてから、ラグが尋ねた。
「もう少し採ることもできますが、今日は、ここで戻りたいと思います。いかがですか」
ミナは、包んだ葉を見た。
依頼の量には、まだ届いていない。
もう少し採れば、揃うかもしれない。
でも、指先がまだ震えていた。
葉の小さな傷を、さっきと同じようには見られそうになかった。
「私も、帰りたいです。ここで出たことを、ギルドへ伝えたいので」
「では、そうしましょう」
ラグはうなずいた。
ミナが答えるまで、袋を背負うようには言わなかった。
ラグが携帯している連絡用具で、ギルドへ場所と状況を伝え、素材の扱いを確認する。
ラグは指定された討伐確認用のものを処理し、袋へ収めた。
採取した葉とは、別にする。
ミナが自分の袋を閉じる間、ラグは斧の手入れをした。
道具を片手で扱えるよう、布を台になる石へ置き直す。
ミナは、作業の終わりを待ってから声を掛けた。
「傷のこと、役に立ちましたか」
ラグが顔を上げた。
「ええ。脚をかばう動きを確かめられました。向きを変えるところへ合わせられたのは、ミナさんが知らせてくださったからです」
「ラグさんだけでも、わかったんじゃないですか」
「別の動きを待ったかもしれません。その間、あれはあなたへ近づこうとしていました」
ミナは、盾の縁を見た。
ラグは布をしまい、落ち着いた声で続ける。
「わかる人が一人増えれば、確かめる時間を減らせます。助かりました」
「……良かったです」
ラグは少し口元を緩めた。
「次は、葉の方で教えていただけると、さらにありがたいのですが」
ミナは、短く笑った。
まだ、声は少し震えた。
*
帰り道では、ラグがミナの袋も持った。
「今は、周囲へ目を向ける方をお願いいたします。採取袋で足が遅くならないように」
ミナはうなずいた。
すべてを渡したわけではない。
腰には小さな袋があり、左腕には小盾があった。
休憩所を通り、見慣れた道へ戻る。
今日は、膝が震えて歩けなくなることもなかった。
それでも、町の門が見えたときには息が緩んだ。
ギルドでは、採取した葉と討伐の報告を別々に出した。
足りない量は隠さず伝え、依頼の残りをどうするかは職員に確認してもらう。
ラグは、地図の上で魔物が現れた位置を示した。
ミナは傷痕と、前の遭遇について説明する。
討伐した個体の古い傷も確かめられ、前回の記録と合わせて調べることになった。
「同じ個体の可能性はあります。ただ、どこから追ってきたかまでは、今の段階ではわかりません」
職員の言葉に、ミナはうなずいた。
新しく印をつけられた区画を、もう一度見る。
いないと思った場所にも、来ることがある。
報告されていないことと、いないことは、同じではなかった。
*
街道の仕事から戻ったグレンには、ギルドで短く報告できた。
「下がってから、見られました」
ミナは、左の前脚の動きを話す。
ラグがその場で確かめてから、動いたことも。
グレンは、最後まで聞いた。
「怖くなかった?」
「怖かったです。でも、ラグさんの場所と、帰る道が見えました」
「うん」
グレンの目が、ミナの腰の袋へ向いた。
「水も、飲めた?」
「はい。袋を開け直さなくても」
「それなら、持ってきて良かった」
ラグは、隣で礼を言った。
「私も、助けられました。ミナさんが自分で水を出せる間、周囲を見ていられます」
グレンはうなずいた。
ミナが使う道具は、ミナだけの時間を変えるものではないらしかった。
*
下宿へ戻ると、セリカが入口で待っていた。
ミナの顔を見てから、腕と足元へ目を動かす。
ラグが袋を下ろすと、姉は顔を上げた。
「どうだった?」
「魔物が、出たの」
セリカの表情が変わった。
ミナは、続けて言った。
「でも、怪我はしてない。ラグさんが倒してくれて。私も、見えたことを伝えられた」
姉は、すぐには何も言わなかった。
ミナの声を聞き、左腕の布がもうないことを確かめる。
「……中で、聞かせて」
「うん」
ラグはセリカへ状況を短く伝え、ミナにも向き直った。
「本日は、ありがとうございました。依頼の扱いが決まりましたら、また一緒に確認しましょう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ミナは頭を下げた。
「次は、もう少し落ち着いて、葉の話もできたら」
「ええ。楽しみにしています」
ラグは、静かに笑った。
姉と中へ入る前に、ミナは腰の袋へ触れた。
小さな水筒は、少し軽くなっている。
今日は、自分の包丁を抜かなかった。
それでも、一緒に働いたと言えることがあった。
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