第30話 一緒に歩く人
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朝の煮込みは、昨夜より少しとろりとしていた。
ミナは鍋の底から静かに混ぜ、温まった分を器へよそう。
セリカは机に座って待っていた。
手を出す前に、何をすればいいか聞いてくれたので、パンを頼んだ。
「このくらい?」
「うん。ニーナさんの分も」
近くの宿から来たニーナが、入口で笑う。
「朝も食べさせてもらっていいの?」
「昨日、お代わりしてくださったから。嫌いじゃないかなと思って」
「嫌いなものを、あんなに食べないよ」
三人で食べ終え、器を片づけた。
その後、ミナは部屋へ戻った。
採取用の袋は、持たない。
包丁も小盾も、今日は机のそばへ置いておく。
着たのは、普段のブラウスと茶色のスカートだった。
腕の布が袖へ引っ掛からないよう、ゆっくり手を通す。
階段を下りると、姉も旅の上着を脱いでいた。
淡い色のシャツに、細身のズボン。
軽い羽織を腕に掛け、ミナを待っている。
ニーナは深緑の上着と、柔らかそうな布のズボンだった。
胸を覆っていた革の装備はない。
焦げ茶色の三つ編みが、赤茶の首巻きへ触れていた。
「今日は、三人とも軽いね」
ミナが言うと、ニーナは自分の肩を回した。
「町を歩くだけなら、これで十分。弩も宿で待ってるよ」
セリカが扉を開けた。
ミナはその横を通り、外へ出る。
いつもの道に、姉と、その仲間がいる。
ギルドまでの曲がり角を教えるだけなのに、少し楽しかった。
*
受付で、ミナは登録札を出した。
職員が左腕を見てから、尋ねる。
「今日は、ご相談ですか?」
「はい。腕が良くなってから、一緒に採取へ行ける人を探したくて」
横に立つ姉を見た。
「姉と、相談したんです」
セリカは短く頭を下げた。
けれど、ミナの代わりに話し始めることはなかった。
ミナは記録帳を開いた。
行ったことのある採取地と、往復にかかった時間。
今まで持ち帰れた量も、昨日の後で書き足していた。
「最初は、このあたりで。採っている間に、周りを見てくださる人がいたらと思って」
「同行者の募集ですね。毎回の仕事ですか、それとも、まず一度?」
「まず、一度です」
答えてから、ミナは地図の道を指した。
「採れるものが少なかったら、場所を変えたり、早く帰ったりすることもあります」
「その条件も、先に伝えておきましょう」
職員は、別の紙を出した。
依頼を二人で受ける場合と、護衛を頼む場合では、報酬の決め方も違う。
誰かに行ってほしい場所へ、誰かを雇って連れていく。
二人が同じ仕事を受け、役割を分ける。
昨日、机で考えていたことが、紙の上で少し分かれた。
「まだ、どちらがいいかわからないです」
「紹介できる方と、内容を確かめてから決めても構いません。条件が合わなければ、別の方を探せます」
ミナは、少し安心した。
会ったら必ず、一緒に行くと約束するわけではなかった。
職員は希望を書き留め、戻ってくる時刻を尋ねた。
「道具のお店にも行くので、お昼の後に、もう一度来られます」
「では、その頃に。出発日は、腕の確認が済んでからにしましょう」
窓口を離れると、セリカが記録帳へ目を向けた。
「よく書いてあるね」
「忘れちゃうから。帰りに、どのくらい掛かったかとか」
ニーナが、地図の折り目を見た。
「帰りの方も書いてあるの、いいね。行くときより荷物が増えるもの」
ミナは帳面を閉じた。
次に誰かへ見せるときには、今日の話も足しておきたかった。
*
武器屋へ向かう途中で、セリカの足が止まった。
服屋の前だった。
入口に掛けられた上着を見て、布の厚さを指で確かめる。
「ミナ。これ、袖は動かしやすそう」
「仕事の上着は、まだ着られるよ」
「うん。見てるだけ」
そう言った姉は、隣の服も見た。
今度は、青い布だった。
手に取る前に、ミナの方へ顔を向ける。
「少し、入ってみてもいい?」
ニーナは、先に扉を押さえていた。
「いいんじゃない。武器屋は逃げないよ」
*
店の奥には、仕事着と、町で着る服が分けて並んでいた。
セリカは丈夫な上着を戻し、青いワンピースを取った。
明るすぎない色で、裾に細い刺繍がある。
ミナの前へ当て、少し離れて見た。
「似合いそう」
「採取には着ていけないよ」
「これは、町で着る方」
ミナは、姉の手にある服を見る。
確かに、きれいだった。
裾の刺繍は、小さな葉をつないだ形をしていた。
「でも、着るものは持ってるし」
「それは知ってる。昨日も今日も、ちゃんと着てるもの」
セリカが笑った。
ミナは、値札へ目を動かす。
「お姉ちゃん、無駄遣いはだめだよ」
「ちゃんと考えて使ってるよ。ミナに買いたいって」
「ほかにも、お金使うでしょう。宿とか、旅のご飯とか」
「それも、残してある」
姉は青い服を戻さなかった。
店の人へ、袖の広さを聞く。
腕が痛むことを伝えると、前を少し開けられる形のものも見せてくれた。
ニーナは、二人の後ろに立っていた。
ミナが姉の財布を心配して、セリカが一枚の服をどうしても買いたがっている。
ミナちゃん。
そのお姉ちゃん、難しい依頼をいくつも終えて、ちゃんと稼いでいるんだよ。
口には出さなかった。
今、それを言えば、セリカは隣の上着まで持ってきそうだった。
「試してみるだけなら、いいんじゃない?」
ニーナが言うと、ミナは姉を見た。
「着ても、買うって決めたわけじゃないからね」
「うん」
返事が、少し早かった。
店の人に手伝ってもらい、ミナは服を着た。
左腕を強く曲げなくても、袖へ手が通った。
鏡の前へ出ると、セリカが口元を緩める。
「どう?」
「……動きやすい」
ミナは、縫い目へ指を添えた。
肩を少し動かしても、引っ張られない。
裾の長さも、歩く邪魔にはならなかった。
「色は?」
「好き」
言ってから、ミナは値札を思い出した。
「でも」
「じゃあ、これにしよう」
「お姉ちゃん」
「一枚だけ。上着は、今日は買わない」
姉の手には、いつの間にか別の上着も掛かっていた。
ニーナが、それを受け取って元へ戻す。
「一枚なら、いいと思うよ。気に入ったんでしょう」
ミナは、もう一度鏡を見た。
姉が後ろで、裾の折れたところを直している。
「……ありがとう」
セリカは嬉しそうに、会計へ向かった。
買った服は、そのまま着て出ることにした。
元のブラウスとスカートは、小さく畳んで包んでもらう。
持とうとすると、姉が先に受け取った。
「これは、私が」
「右手なら、持てるよ」
「うん。でも、持たせて」
ミナは、少しだけ考えて、手を下ろした。
ニーナは先に外へ出て、扉を開けていてくれた。
*
武器屋には、壁へ並んだ剣や、長い柄の武器があった。
ミナは入口で足を緩めた。
道具屋の刃物とは、置き方も数も違う。
セリカは店の人へ、ミナが使うものを見たいと伝えた。
「今の盾と一緒に持てるものか、採取中に手を空けられるものを。まず、重さを確かめたいんです」
「短い剣から見るかい?」
店の人が尋ねた。
セリカはミナの手を見てから、壁の方へ目を向ける。
「槍も、見せてもらえますか」
出てきたのは、ミナの背より少し長い短槍だった。
穂先には革の覆いがある。
姉が一度重さを確かめてから、柄をミナへ渡した。
「今日は、右手で持つだけにしよう。腕に響いたら、すぐ返して」
ミナは握った。
包丁より、刃がずっと遠い。
「これなら、近くへ行かなくていいの?」
「相手との間に、置けるものが増える。でも、持っていれば近づかれない、というわけじゃないよ」
セリカは、穂先の向く場所を指した。
「振り回すより、まずここを外さないこと。逃げる方へ動きながら、相手へ向けられるか」
ミナは、構えようとして左手を上げかけた。
そこで止める。
「盾も、こっちの手だよね」
「うん。片手で扱うなら、重さも長さも、合うものを選ばないといけない」
柄を少し動かすだけで、先が大きく揺れた。
採取するときには、どこへ置くのだろう。
背に掛けたら、木の間を通るときにも気になる。
「持ち替えるのも、練習しないと」
「そう。買う前に、それも試そう」
セリカは柄を受け取った。
ミナは手を開き、指の感覚を確かめる。
そのとき、奥から低い声がした。
「留め具を、もう少し下へ動かせるか」
*
作業台のそばに、大柄な亜人が立っていた。
灰褐色の毛に、黒い縞。
丸い耳と、淡い色の口元。腰の後ろには、太い縞の尾がある。
その人は右手で、革の留め具を持っていた。
左の袖は、途中から布だけになり、折れた形で垂れていた。
「抜くときに、ここが当たる」
店の人が、印をつけた革を見た。
「わかった。柄の方は、これでいいか?」
台の上の片手斧を渡されると、亜人は右手で握った。
振らずに、指の位置だけを確かめる。
柄を机へ戻すときも、刃の向きを先に変えていた。
ミナは、その手つきを見ていた。
自分の持ち方に合うところを、細かく確かめている。
包丁の柄を直してもらったときのことを、少し思い出した。
「……ラグ?」
セリカが呼んだ。
亜人の耳が動き、顔がこちらへ向いた。
「セリカ。久しぶりだな」
「こんなところで会うとは思わなかった」
姉の目が、左の袖へ移った。
ラグは、その視線に気づいた。
「二年前だ。今は、この手でできる仕事をしてる」
セリカは、少し黙った。
それから、顔へ目を戻す。
「この町に?」
「最近来た。近い場所の護衛と、採取隊の警戒を何度か」
ニーナがミナへ、そっと場所を空けた。
セリカはミナの方へ手を向ける。
「妹のミナ。ミナ、ラグとは、前に一度、同じ護衛の仕事をしたの」
「ミナです」
「ラグ・ヴァルクだ」
低い声だった。
ミナが少し見上げると、ラグは台から離れてくれた。
近づきすぎないところで止まり、姉が持つ短槍へ目を向ける。
「武器を選んでいたのか」
「はい。まだ、持ってみただけです」
ミナは、自分の右手を見る。
「採取の仕事をしているので、そのときに持てるものを」
「何を採る?」
「今は、薬草の葉が多いです。根を傷めず掘るものも、習いました」
「採っている間、その柄はどこへ置くつもりだ」
ミナは、ラグを見た。
さっき自分が考えたことだった。
「……それも、まだ決められていません」
ラグはうなずいた。
「先に決めた方がいい。手が空いていても、すぐ取れないなら、間に合わん」
セリカが短槍を店の人へ返した。
「練習に使えるものから、相談してみます。今日は、買わずに」
「それなら、ギルドの練習用も見てきな。長さを確かめてから、また来ればいい」
店の人が言った。
ミナは礼を言い、壁の槍をもう一度見た。
自分の武器は、まだ決まっていない。
でも、何を確かめればいいかは、来る前より増えていた。
*
「ラグ。今、どんな距離の仕事を受けてる?」
セリカが尋ねた。
「町から出て、その日のうちに戻れるものだ。長い遠征は、受けていない」
「戦うときは?」
「斧を持てば、ほかのものは持てん。荷を置く場所は先に決める。長く囲まれるような仕事も、避けてる」
ラグの声は変わらなかった。
できることを話すときも、難しいことを話すときも、同じだった。
ミナは、受付で開いた地図を思い浮かべた。
斧を持つ手と、葉を確かめる手。
今日聞きたかったことを、尋ねてみる。
「採っている間に、周りを見てもらう仕事も、お願いできますか?」
ラグはミナを見た。
すぐに、いいとは言わなかった。
「場所と、時間による。どこまで行く?」
「最初は、いつも使っている休憩所から近いところで。地図に書いてあります」
ミナは小さな袋から、記録帳を出した。
店の人に断って、空いた台の端へ広げる。
「採れる葉の状態が悪かったら、移動したいです。でも、ここより先へは、行かないつもりで」
線を指でなぞる。
ラグは、出発と帰りの時刻も聞いた。
「荷は、どれくらい増える」
「このくらいです。濡らさない葉なら、重さは少ないですけど、潰れないように空けて入れるので」
「なら、袋の大きさも見たい。俺が運ぶ分があるかも、先に決めよう」
ミナはうなずいた。
話すことが、一つずつ具体的になっていく。
「まだ、腕が良くなるまでは行けません」
「急ぐ理由はない」
ラグは、巻かれた布を見てから言った。
「俺も、留め具を直してもらっているところだ」
セリカが地図へ目を落とした。
「以前、一緒に働いたときは、周りをよく見てくれる人だった」
それから、ラグを見る。
「今のやり方は、私も知らない。だから、まず条件を聞いて、一度確かめたい」
「それでいい」
ラグは答えた。
「採れるかどうかは、ミナが決める。危ないものを見つけたら、俺も言う。戻ると言ったら、戻れる仕事にしておきたい」
ミナは記録帳を見た。
帰る時刻の横に、少し空いているところがある。
「私が、もう少し採りたいって言っても?」
「相談はする。ただ、約束した時間を越えてまで、とは言えん」
ミナは、うなずいた。
先に言ってもらえる方が、わかりやすかった。
「ギルドで、報酬も相談してからでもいいですか」
「ああ。俺も登録してある」
ラグは店の人へ、道具を受け取れる時刻を聞いた。
午後にはできるという返事に、待つ間、ギルドへ寄ると言った。
ミナは帳面を閉じた。
昨日までは、一緒に行く人、としか考えられなかった。
今は、その人に聞きたいことが、いくつもある。
*
店を出ると、ラグは前を歩き始めた。
ミナが道へ出てから、一度振り返る。
歩く速さは、それから少し緩んだ。
セリカが、ミナの横へ並ぶ。
「服、歩きにくくない?」
「うん。大丈夫」
裾を見てから、姉の手にある包みを見る。
「持とうか」
「これは、私が持つって言ったでしょう」
ニーナが、二人の後ろで笑った。
「帰ったら、自分の上着も掛けてね」
「今日は、床に落としてない」
セリカが振り向いて答える。
その声に、ラグも一度こちらを見た。
けれど、何も聞かなかった。
ミナは、新しい服の袖を右手で直した。
ギルドへ戻ったら、さっきの紙に名前を書くことになるかもしれない。
まだ、出発の約束をしたわけではない。
地図と、袋と、帰る時間。
自分が採れるもの。
相手に頼みたいこと。
今度は、机の向こうに座る人と、一つずつ確かめられる。
ミナはラグの背を見て、少しだけ足を速めた。
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