第26話 片手に増えたもの
姉への手紙を出した帰りに、ミナは道具屋の前で立ち止まった。
窓には、旅に使う水筒と、丈夫そうな手袋が並んでいる。
その奥の壁へ、丸い盾が掛けてあった。
一番大きなものは、自分の胸から膝まで隠れそうだった。
あれを持って、採取地まで歩けるだろうか。
帰りには、袋も重くなる。
値札を見る前に、肩へ力が入った。
ミナは窓から離れた。
今日は、買わずに帰った。
*
翌日の夕方、共同台所で配信を始めた。
鍋の中には、水に浸しておいた乾燥豆がある。
昼のうちに柔らかく煮て、夕飯に使う分だけ残してあった。
ほかの分は水気を切り、明日まで置けるよう保存箱へ入れている。
「こんばんは。今日は、豆をつぶして焼きます」
〈灰ねこ:こんばんは、こなべさん。豆だけで?〉
「少し粉も入れます。あと、玉ねぎを」
包丁を持ち、皮をむいた玉ねぎをまな板へ置く。
小さく切ったものから、薄く油を引いた鍋へ入れた。
先に火を通す。
生のまま豆へ混ぜると、焼き上がった後も硬いところが残る。
視聴者は、二人になっていた。
〈こぐま:試用は終わったか〉
「はい。採取地でも使わせていただきました。今日は、脚も普通です」
ミナは玉ねぎを混ぜ、火を弱めた。
「それと、お礼に、別の補助帯をいただいたんです」
文字板へ目を向ける。
袋から帯を出すのは、料理を終えてからにする。
「暮らしに使うものではなくて、短い間、身体強化を助けるものだそうです。私の体に合わせてくださいました」
〈灰ねこ:そう。使い方も聞けた?〉
「はい。使った後は、体が重く感じます。疲れも残るので、ずっと使って歩いたりはしません」
〈こぐま:止めるところまで、試したか〉
「一度だけ。横へ動いた後、止めました。次に見ていただく日も決まっています」
玉ねぎの色が変わった。
皿へ移して冷まし、豆を匙の背でつぶす。
まだ少し形を残したところへ、塩と乾いた香草を入れた。
〈灰ねこ:次の確認で、気になったことも伝えられるといいね〉
「はい。……その前に、盾も見ておきたいと思っています」
匙を置き、手を拭いた。
「講座では、持っていない場合も教わりましたけど。あった方が、いいでしょうか」
*
バルドは、机の上の水晶へ目を向けた。
夕飯は、もう食べ終えていた。
隣では、妻が繕い物の糸を切っている。
少女が、空いた左手を見せた。
右手には、さっきまで包丁があった。
あった方がいいか。
それだけで答えるなら、短く済む。
けれど、大きな盾を一枚買わせて、持ち上げられなかったら何になる。
バルドは文字を打った。
〈こぐま:持って動けるものなら、役立つ。ただ、盾を持てば、その場に残れると思うな〉
少女がうなずく。
「受け止めるより、離れるためにですか」
〈こぐま:お前の体より強く押されれば、盾ごと持っていかれる。足も一緒に使え〉
少し考え、もう一行足す。
〈こぐま:買う前に、持ってみろ。重さだけでなく、向こうが見えるかも確かめろ〉
妻が、横から彼の顔を見た。
「見に行って持ってやりたそうな顔」
バルドは、文字板から指を離した。
「……本人が、選ぶ」
「うん。それがいいね」
糸をしまう音がした。
バルドは水晶へ向き直った。
少女はもう、買うときに聞くことを紙へ書いていた。
*
〈灰ねこ:こなべさん、盾と一緒にほかの武器も買うつもり?〉
「まだ、決めていません。包丁は使い慣れていますけど、料理や採取の道具なので」
ミナはまな板の横を見た。
刃のあるものなら、同じように使えるだろうか。
柄が長くなれば、届くところは変わる。
でも、自分が入れたいところへ刃を入れられるかは、持ってみないとわからなかった。
「姉が、来てくれることになったんです。冒険者なので、そのときにも相談しようと思います」
〈灰ねこ:お姉さんが。会える日が決まったんだね〉
「はい。仕事が終わってから、こちらへ来る予定を書いてくれました」
〈こぐま:それは、よかったな〉
ミナは、少し笑った。
「夕飯も、一緒に食べたいです」
冷めた玉ねぎを豆へ混ぜ、粉を少しずつ加えた。
匙ですくい、手のひらで小さく平たくする。
〈灰ねこ:こなべさん、厚さはそれくらい?〉
「はい。厚いと返すときに崩れやすいので。中はもう煮てあるから、表面を焼ければ大丈夫です」
鍋へ並べる。
油の音が、少し強くなった。
ミナは豆の端を見て、一枚ずつ返した。
焼けた面は、薄い茶色になっている。
「粉を入れすぎると硬くなるので、初めに一つだけ焼くとわかりやすいです」
〈灰ねこ:全部、形にする前に試すんだね〉
「はい。崩れたら、まだ混ぜ直せます」
焼いた一枚を割った。
玉ねぎと香草の匂いが出る。
外側は少し硬く、中は豆の柔らかさが残っていた。
姉が来る日も、食べたことのないものを全部並べるより、好きなものを一つ用意したかった。
何を食べたいかは、手紙に書いて尋ねてある。
*
翌朝、ミナはギルドで道具について相談した。
講習を担当していた職員が、備品の棚から盾を三枚出してくれる。
木のものと、金属のもの。
持つところも、同じではなかった。
「買う前に、ここで試しておこうか。店では、動ける場所が狭いこともあるから」
ミナは一番小さい金属の盾へ手を伸ばした。
見た目は、鍋の蓋に少し似ている。
中央の握りを持ち、胸の前へ上げた。
上がる。
けれど、しばらくすると、腕を脇へ寄せたくなった。
「重いです」
「そうだね。そのまま、横へ動ける?」
足を出すと、盾が体から遅れた。
持ち直そうとして、足も止まる。
ミナは盾を下ろした。
「持ち上がるだけでは、だめですね」
「使っている間、持っていられるかも確かめよう」
次は、少し大きな木の盾だった。
革張りで、前腕を通す帯がある。
重さは先ほどより軽かった。
腕へつけ、顔の前へ上げる。
向こうの職員が見えなくなった。
「今、私の足はどこへ動いた?」
ミナは盾を下げた。
職員は、横へ一歩ずれていた。
「……見えていませんでした」
「隠れたら、相手も見えなくなる。その大きさで、見ながら動けるかを考えてみて」
ミナは盾の端から顔を出そうとした。
腕も一緒に動き、守っている場所が変わる。
どう持てばいいか、まだすぐには決まらなかった。
*
三枚目は、薄い木を重ね、革で表を覆った小盾だった。
縁にも革が巻かれている。
前腕の帯へ手を通し、内側の握りを持つ。
職員に帯を締めてもらうと、腕を曲げたときにもずれにくかった。
胸の前へ上げても、顔までは隠れない。
「これなら、動けそうです」
「では、少しだけ」
布を巻いた棒が出てきた。
講座の実習で使ったものと同じだった。
ミナは盾を前へ出した。
職員が、ごくゆっくり棒を押す。
腕が後ろへ動いた。
盾の内側が胸へ当たる。
ミナは、慌てて片足を引いた。
「……押し返せません」
「今ので押し返す必要はないよ。盾だけを伸ばして、体をそこへ残していたね」
棒が離れる。
ミナは息を吐いた。
「受けるために、止まってしまいました」
「そう。まず、離れる方を見よう。盾はその動きと一緒に使う」
もう一度、足を置く。
右には、器具の台がある。
左は空いている。
棒が近づいた。
ミナは左へ動き、盾の面を少し斜めにした。
棒が表を滑り、腕へ軽い振動が来る。
そこで安心して、足が止まった。
「その後は?」
ミナは顔を上げた。
次に動く方へ、もう一歩。
講座で何度も言われたことだった。
職員は棒を下ろした。
「今は、私がゆっくり動かしているからね。実際の強い攻撃でも同じようにできるとは思わないこと」
「はい」
「これで受けなければならない、ではなくて、離れる途中で触れてしまうものを外へ逃がす。その練習から始めよう」
ミナは盾の表を見た。
布の棒が通ったところを、指でなぞる。
何も持っていなければ、その場所には自分の腕があった。
*
選ぶ前に、袋も背負った。
盾をつけたまま肩紐へ触れる。
留め具を外す。
袋を下ろして、横へ離れる。
一度目は、盾の縁が袋へ当たった。
左腕を高くしすぎていた。
位置を直すと、袋は足元へ落ちず、脇へ下ろせた。
補助帯も、服の上へつけてみた。
力は入れない。
印へ手を伸ばし、盾を持ったまま触れられるか確かめる。
「ここは、空けておきます」
ミナは腰の位置を示した。
小盾を吊るす紐をそこへ通すと、手が届きにくくなる。
採取中の置き方も試した。
盾を背中へ回すと、袋と重なる。
袋へ強く結ぶと、荷を離した際に盾も一緒に手放すことになる。
職員と相談し、歩く間は体の横へ吊り、危険が気になる場所では腕へつける形にした。
紐が枝へ引っかかったときに外せるかも確かめる。
腕へつける間、右手は空いていた。
ただ、草をまとめるときには、両手を使いたい。
「採るときは、下ろすことになりますね」
「そうだね。ずっと構えて作業はできない。道具が増えた分、周りを確かめてから手を使うことも忘れずに」
ミナはうなずいた。
持ち物が増えると、便利なことだけが増えるわけではなかった。
*
道具屋では、ギルドで使ったものに近い盾を見せてもらった。
新品と、手入れされた中古がある。
中古の方は表に擦れた跡があったが、木に割れはなく、裏の帯は交換してあった。
店の人が縁を押し、握りの緩みも確かめてくれる。
「腕へ当ててみな。帯は、もう少し詰められる」
ミナは手を通した。
練習で使ったものと比べ、握りが少し太い。
何度か開いて握り直す。
「こちらも、お願いします」
新品の方も持った。
どちらも動かせたが、こちらは腕へ当たる場所が狭かった。
ミナは財布を開いた。
下宿代と食費へ残す分は、別に包んである。
道具に使える分を数え、値札と比べた。
中古なら、買った後も少し残る。
直すための費用も、考えておきたかった。
「この盾にします」
擦れた方を、台へ置いた。
「手入れは、何をしたらいいですか」
濡れたまましまわないこと。
乾かすときに、強い火へ近づけないこと。
帯の裂け目や、木のひびを確かめること。
店の人の話を、紙へ書いた。
受け取った盾は、補助帯と違って特別な術式を持っていなかった。
自分の腕で、持つものだった。
*
それから数日、ミナは仕事の後に短い練習をした。
初めは盾を上げるだけで、肩が疲れた。
力を入れすぎていると言われ、少し下ろす。
棒を見ると足元を忘れ、足を気にすると顔が下がった。
同じことを、何度も直した。
身体強化の補助は入れない。
疲れて腕が落ち始めたら、その日の練習を終えた。
約束していた帯の確認も受けた。
盾を持って印へ触れ、低い補助で短く踏み替える。
切った後は座り、脚と腕の具合を伝えた。
前回より長く使うことはしなかった。
夕方の配信では、盾の内側を見せた。
見ていたのは、こぐまさん一人だった。
「握るところを、少し細くしてもらいました」
〈こぐま:腕へ当たる帯はどうだ〉
「動いた後でも、ずれていません。でも、持ち続けると肩が疲れます」
〈こぐま:疲れたところで終えろ。下がった腕のまま続けても、同じ動きは覚えられん〉
「はい。今日は、もう終わりにしました」
ミナは盾を机の脇へ立てた。
「先生にも、足が止まると言われました。盾があると、ここで待てる気がしてしまって」
〈こぐま:講座の最初を覚えているか〉
ミナは、記録帳を開かずに答えた。
「一度避けて、終わりではない、です」
〈こぐま:そうだ〉
文字が出た。
ミナは、床に空いている場所を見た。
次の一歩を残す。
盾を持っても、その続きを忘れてはいけなかった。
*
翌朝、ギルドで採取地の状況を確かめた。
選んだのは、薬草の葉を持ち帰る小口の依頼だった。
道を知っていて、自分の足で帰る時間もわかっている。
姉が来る予定の日までには、まだ数日あった。
袋へ入れる布を減らしすぎないようにする。
盾が増えた分、買い取り用に余分な草を採ることは、今日は考えない。
補助帯は腰へつけた。
魔石の残りを、教わった方法で確かめる。
印は服に隠れていない。
力を入れないまま、留め具を閉じた。
水晶の位置共有と記録を確かめる。
公開配信を始めたのは、休憩所へ着いてからだった。
「おはようございます。今日は、こちらの先までです」
数字は、零。
ミナは水を飲み、地図と標識を照らし合わせた。
「帰りは、昼を少し過ぎる予定です。草の状態を見て、早めに戻ることもあります」
返事は来なかった。
それでも、帰る予定を言葉にすると、自分でも確かめられた。
水筒を戻し、小盾の位置を直す。
体の横で、木の縁が指へ触れた。
腕へつけて、少しだけ歩いてみる。
視界は、隠れない。
前の道と、道の脇にある木も見えた。
ミナは足を止め、もう一度留め具へ触れた。
包丁は、いつもの場所にある。
補助帯は、まだ動かしていない。
新しい盾を持つ左腕には、確かな重さがあった。
その重さを覚えながら、ミナは標識の先へ歩き出した。
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