第24話 それは、聞いていない
配信を始める前に、ミナは机の上の紙を揃えた。
補助帯を使ったときの感想。
次に試す日。
包丁について、リゼが書いてくれたこと。
冠位の二人に会った。
今日だけで、話したいことが幾つもあった。
ただ、一つ、話さないように頼まれたこともある。
練習室を出る前、リゼは声を落として言った。
「私が針しごとで、オルヴェン様が湯のみだってことは、配信では内緒にしてね」
「はい。あの、お会いしたことも?」
「会った話はしていいわ。どんなものを試したかも。名前を繋ぐところだけ、伏せてくれれば」
ミナはうなずいた。
配信では、ほかの人も違う名前で来ている。
勝手に本名で呼ばない方がいいことは、わかった。
リゼが最後に少し笑った理由までは、わからなかった。
*
「今日は、試作品を使わせていただきました」
視聴者は、初め一人だった。
〈こぐま:調子はどうだ〉
「脚は少し疲れましたけど、痛いところはありません。立ったり、座ったり、軽い箱を持ったりしました」
机の端の椅子を、手で示す。
「立つときが、楽になりました。でも、補助を切ると、思っていたより自分の力が要る感じがしました」
〈こぐま:その違いは、覚えておくといい〉
「はい。記録にも書きました」
数字が、二になった。
〈灰ねこ:こんばんは。試用の日だったんだね〉
「はい。今日は、匠冠リゼ様と、営生冠オルヴェン様にお会いしました」
文字板が、静かになった。
ミナは、椀を机の奥へ寄せた。
紙を見せるつもりはないが、汁がつかないようにしておく。
〈灰ねこ:……リゼ様に会ったんだね〉
「はい。帯を、体に合わせてくださいました」
〈こぐま:二人とも、来たのか〉
「はい。オルヴェン様が魔法の仕組みを研究して、リゼ様が道具にしているそうです」
画面の数字が、三になった。
〈針しごと:こんばんは。どんな方だった?〉
ミナは顔を上げた。
「とても親切でした」
〈針しごと:よかったね〉
それから、返事が来るまで、少し間があった。
*
王都の家で、グレンは指を文字板の上へ置いていた。
どんな方だった。
よかったね。
その二つを、順に読み直す。
針しごとの正体を知っていれば、書いた本人の顔まで想像できた。
彼女は今、ミナへ答えさせている。
自分のことを。
とても親切でした、と。
グレンは息を吐いた。
こちらから名前を繋いでしまうわけにはいかない。
ミナも、言わないようにしているのだろう。
それにしても。
机の上で、夕飯の匙が止まっていた。
グレンは一口食べ、文字を打った。
〈灰ねこ:こなべさん、実際に使って、ほかに気づいたことはあった?〉
*
「はい。立つのが楽になっても、横へ動くのは、同じようにはいきませんでした」
ミナは、紙の足元の欄を見た。
「講座で教えていただいた足の置き方は、ゆっくりならできるんです。でも、早く戻ろうとすると、体だけ先に揺れてしまって」
〈こぐま:その動きも、見てもらったか〉
「はい。今日は、そこまでは補助を合わせていないそうです」
返事を待つ間、ミナは自分の足を見た。
思った場所へ踏み出せれば、もっと早く離れられる。
でも、足を置くだけでは終わらない。
〈こぐま:次の試用でも、見てもらうといい。急がず、同じ動きを確かめろ〉
「はい。もう一度、試す日を決めていただきました」
〈針しごと:何が違ったか、自分の言葉で伝えられたのね〉
「うまく言えなかったところもありました。でも、どこが当たるか聞いてくださったので、わかりました」
ミナは手袋を机へ置いた。
リゼは、これも見てくれた。
直したところを確かめ、まだ使えると言ってくれた。
「手袋も、見ていただきました」
〈針しごと:それなら、安心ね〉
灰ねこさんの返事は、少し遅かった。
〈灰ねこ:うん。実物を見てもらえるのは、いいね〉
ミナはうなずいた。
画面で話すときとは違うことが、今日はたくさんあった。
「あと、包丁のことも聞けました。店主さんが作ってくださったものだって、前にお話ししましたよね」
どこまで話すか、少し考えた。
自分でも、まだ整理できていない。
「知らなかったことがありました。また、お話を聞かせていただこうと思っています」
〈灰ねこ:そう。こなべさんが聞きたいことを、聞けるといいね〉
「はい」
今夜は、長く話しすぎないことにした。
試用を終えて帰った日は、休むことも記録の一つになる。
「聞いてくださって、ありがとうございました。今日は、ここまでにします」
〈こぐま:おやすみ〉
〈針しごと:よく休んでね〉
配信が終わった。
*
グレンの通信具が鳴ったのは、その直後だった。
表示された名を見て、応答する。
「見ていた?」
「見ていた」
バルドの返事は短かった。
グレンは、机の上の皿へ目を落とした。
「……会ったらしいね」
「聞いていない」
「俺も」
少し沈黙した後、バルドが言った。
「リゼに、話を聞く」
「今、リュネールだろう。戻る日を聞こう」
「ああ」
その晩、リゼへ連絡が入った。
王都へ戻ってから、時間を取れるか。
仕事の相談とは、少し違う話だと。
彼女は帰路の日程を伝えた。
返事の最後に、短く付け足す。
「お店は、あなたたちが決めてね」
*
数日後、王都の酒場の奥に、三人分の杯が並んだ。
リゼは旅の荷物を工房へ戻してから来ていた。
上着を椅子の背へ掛け、二人の顔を見る。
「何か、聞きたいことがあるんでしょう?」
グレンが杯を置いた。
「それを知っていて、配信で聞いたよね。どんな方だった、って」
「私が話すより、本人の感想を聞く方がいいでしょう」
バルドは腕を組んでいた。
今夜は鎧を着ていないが、それでも椅子が小さく見える。
「親切だったと、言っていた」
「ええ。聞こえていたわ」
リゼの笑みが、少し深くなった。
グレンは皿の上のパンを取り、黙って半分にした。
「オルヴェン様にも声をかけたんだけど、今夜は家族と夕飯の約束があるそうよ」
「そうなんだ。最近は、研究棟にいることが多かったけど」
「今は、帰る日を決めているみたい」
バルドが、ようやく腕をほどいた。
「あの方と、共同開発か」
「そう。以前から研究していた補助術式へ、新しい仕組みを入れているの。私が相談を受けたのは、その道具の部分」
リゼは、試用までの経緯を話した。
必要な働きだけ止める仕組み。
動作を途中でやめたときの確認。
ミナが立ち上がるときと、補助を切ったときの感想。
グレンは食べかけのパンを持ったまま、顔を上げた。
「その研究、こなべさんの料理がヒントになったの?」
「ええ」
バルドも、杯を下ろした。
「待て。研究のヒントをくれた子、というのは」
「こなべさんよ」
「……湯のみか」
グレンが言うと、リゼはうなずいた。
「営生冠オルヴェン様。湯のみさん」
二人は、しばらく黙っていた。
バルドが、低い声を出した。
「あの人も、見ていたのか」
「私も、研究室で話すまで知らなかったわ。向こうも、針しごとが私とは知らなかった」
グレンは、白い眉の老魔術師を思い浮かべた。
冠位会議では、設備の働きや改良の記録を説明している。
あの人が、小さな夕飯の鍋を見て、パンを外すのかと尋ねていた。
「……それで、今日は家族との夕飯」
「そう。お誘いは嬉しいが、約束があるので、と」
リゼは杯を持った。
「何の集まりか、少し察したのかもしれないわね」
*
皿が増えると、話も長くなった。
試作品を使ってもらうなら、使い手の体に合わせる必要がある。
実物の道具を確かめるなら、持ち主の了承も要る。
仕事として会いに行く理由は、二人にもわかった。
「それは、わかる」
バルドが言った。
「それはそれとして、会ったのか」
「ええ」
リゼは、もう一度うなずいた。
グレンが笑った。
「そこへ戻るんだ」
「戻る」
「でも、あなたの講座は、あの子も三回とも受けてくれたでしょう」
リゼに言われ、バルドは口を閉じた。
「……俺は王都で、あの子はリュネールだ。画面越しに教えただけで、直接会ったわけではない」
「そうね。顔を合わせて話すのとは、違うわね」
グレンも杯へ目を落とした。
「俺は、まだ画面の向こうだけだよ」
「初めて会うと、声の聞こえ方も違うわよ」
リゼが言った。
「最初はずいぶん緊張していた。けれど、試し始めたら、わからないところも、合わないところも言ってくれた」
座るときに帯がずれたこと。
補助を切ると急に重く感じたこと。
足を踏み替えるとき、置きたい場所は先に決めていたこと。
バルドは、杯を口へ運ばずに聞いていた。
「そこは、見えたのか」
「ええ。早く動こうとすると、まだ体がついていかないけれど」
「ああ」
短い返事の後で、彼の肩が少し下がった。
講座で覚えたものを、次の場所へ持っていけていた。
リゼが、包丁のことも話した。
刻冠の名前が出ると、二人の顔から笑みが消えた。
グレンは質問を幾つかして、最後に息を吐いた。
「本人が話したいところまでは、こちらから配信で聞かない方がいいね」
「ええ。あの子も、この前ようやく店主さんが刻冠だったと知ったばかりだから」
バルドはうなずいた。
空いた皿を、机の端へ寄せる。
話が一段落すると、彼は追加した杯を持った。
*
「息子がな」
バルドが言った。
それまでの話と繋がらなかったので、グレンが顔を向けた。
「うん」
「上のが、初めて自分で荷を運ぶ仕事を引き受けたとき、支度を見に行った」
大きな指が、杯の縁をなぞった。
「紐が心配でな。荷が落ちないかと思って、締め直そうとした」
「止められた?」
リゼが聞いた。
「自分でやると言われた」
バルドはうなずいた。
「帰ってきた。ちゃんと。次も、その次も」
口元に、小さな笑みがあった。
グレンは、自分の杯を置いた。
「下のは、俺が教えようとすると、先にできるところを見せるんだ。全部見てから言えってな」
「お父さんの扱いを、覚えたのね」
「ああ。二人とも、よくやっている」
今は、家を出ている。
何をするにも、自分で選ぶようになった。
帰ってくる日がわかると、妻が食卓の椅子を増やす。
バルドは、しばらく、その話をした。
昔、木の動物を彫ってやったこと。
耳が太すぎると言われたこと。
それでも棚へ並べていたこと。
グレンは笑い、リゼも杯を傾けた。
バルドが、ふと黙った。
「……娘も、欲しかったんだ」
リゼの手が、止まった。
バルドは机の木目を見ていた。
耳のあたりが赤い。
「二人が、息子でよかった。あいつらで、よかった」
「うん」
グレンは、それだけ返した。
「それとは別に、考えたこともあってな。小さい靴とか。髪を結ぶものとか」
「髪は、結べるの?」
リゼが静かに聞いた。
「……練習する」
今まで何でも簡単に引き受けていた声が、そこだけ少し弱くなった。
グレンは笑いそうになり、口元へ手を当てた。
バルドも、少し笑った。
「妻には、あんたは先に口を動かしなさいと言われる。息子にも、そうだった」
大きな手が、空いた皿へ伸びかけた。
そこには、もう何もなかった。
「何をしたいか、聞く前に、持ってしまうからな」
リゼは、その手を見た。
盾を持ち、荷物を運び、人を帰す手だった。
「こなべさんも、自分で選びたい子よ」
「ああ」
「今度の試用も、日程を確かめてから返事をくれた。仕事を終えられるか、ちゃんと考えて」
「そうか」
バルドの口元が、また緩んだ。
「そうか。……よかった」
今夜、それを何度聞いただろう。
グレンは、空きかけた杯の隣へ水を置いた。
*
バルドの返事が少なくなった。
初めは、話を聞いているのかと思った。
次には、目が閉じていることに気づいた。
机へ伏せた腕に額を乗せ、静かな寝息を立てている。
「……寝たね」
「珍しく、よく飲んだもの」
リゼが、杯を彼の手から離した。
グレンは店の人へ声をかけ、帰りの馬車を頼んだ。
戻って座ると、リゼが少し声を落とした。
「あなたも、会いたいんでしょう」
グレンは、眠ったバルドを一度見た。
「うん。会って、話してみたいとは思うよ」
「なら、今度は自分で約束したら?」
グレンは、返事を急がなかった。
こなべさんが、自分の暮らしを話す声を思い出した。
会える日にも、仕事と帰る時間がある。
「会うなら、向こうも会いたいと思ってくれるときがいいね」
「それを聞くところから、約束でしょう」
リゼが言った。
グレンは、少し笑った。
「……そうだね」
馬車が来たと、店の人が知らせてくれた。
二人でバルドを起こす。
彼はしばらく机を見てから、低く、帰る、と言った。
立ち上がると、椅子が鳴った。
足は動いたが、上着の袖を片方だけ通し忘れた。
リゼが袖を広げ、グレンが荷物を持った。
「今日は、手伝わせてね」
グレンが言うと、バルドはうなずいた。
*
同じ夜、オルヴェンは家の食卓で茶を飲んでいた。
夕飯の皿は、妻と一緒に片づけた。
今日は、研究の説明をする前に、庭の鉢を見せてもらった。
新しい葉が出ていた。
「お誘い、あったのでしょう」
妻が聞いた。
「ああ。冠位の仲間から」
「行かなくてよかったの?」
オルヴェンは、自分の茶碗を見た。
まだ温かかった。
「今夜は、こちらで飲みたかったのでね」
妻は、それ以上聞かなかった。
二つの茶碗の間で、湯気がゆっくり薄くなっていった。
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