第20話 選べるようになった道
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試験の翌朝、ミナはいつもより遅く起きた。
脚は、まだ重かった。
寝台から下りて立つと、ふくらはぎが少し張る。
窓際の手袋は乾いていたが、それを袋へ戻すのは朝食の後にした。
今日は採取へ行かない。
そう決めても、日が高くなると少し落ち着かなかった。
晴れている。歩く人の声が、窓の下から聞こえる。
昨日取った札が、机の上にある。
ミナは札の横へ記録帳を開き、試験で折れた葉のことを書いた。
袋を急いで置くときにも、包みが動かないようにしたい。
仕切りに使う布を畳み直し、台所で昼の分を用意する。
階段を下りると、管理人が洗った鍋を拭いていた。
「今日は休み?」
「はい。……少し、もったいない気もしますけど」
「昨日帰ってきたばかりでしょう。札は明日も使えるよ」
ミナは、机に置いてきた札を思い浮かべた。
確かに、明日になって消えるものではない。
昼食を食べた後、もう一度寝台へ横になった。
休んだ分を、どこかへ書き足したくなった。
*
次の朝、ギルドの依頼板の前で、ミナは立ち止まった。
今まで見ていたのは、端の小さな区画だった。
見習いでも引き受けられるものと、持ち込んだ素材を買い取ってもらえるもの。
今日はその隣の紙も、読んでいい。
高い報酬の数字が、最初に目に入った。
薬草の名前も、講習で聞いたことがある。
その下へ目を移す。
指定の束数が多い。
採取地までは、片道で今までの倍近く歩く。
持ち帰る際の条件には、根を乾かさないこととあった。
ミナは、袋を背負ったときの重さを考えた。
水を含んだ布も、帰りには荷物になる。
紙から手を離し、別の依頼を読んだ。
「新しい札になりましたね」
受付の職員が、地図を広げてくれた。
ミナが出した登録札を確かめ、区画を指で示す。
「見習いの間は、この境界まででした。今は、こちらと、この尾根の手前も選べます」
見覚えのある道の先に、細い線が続いていた。
遠くから眺めたことしかない場所が、地図の上では近く見える。
「ここも、行けるんですか」
「はい。ただ、歩ける距離も足場も同じではありません。初めてなら手前から。ここより奥には、別の条件があります」
職員が、さらに先の境界を指した。中級、そして上級の文字が書いてある。
札が変わったからといって、全部の線を越えられるわけではない。
ミナは、新しく選べる区画をもう一度見た。
地図の端に、小さな水場の印があった。
そこまで歩くなら、どれくらいかかるのだろう。
「そのうち、こちらも行ってみたいです」
「帰りの道も調べてから、ぜひ」
今日選んだのは、使い慣れた休憩所の先にある採取地だった。
見習いの境界から少し進むが、道は標識に沿って続いている。
必要な素材は、講習で扱った薬草の葉。
香油を作る店からの、小口の依頼だった。
量は、今まで背負って帰れた範囲に収まる。
納品までの時間も、自分の歩き方で見積もれた。
「こちらを、受けたいです」
職員は納品条件を一つずつ確かめ、受付の紙へ名前を書くように言った。
ミナは筆を持った。
買い取りの窓口へ持っていくときとは違う。
必要なものを、必要な状態で持ち帰ると、先に約束する。
書き終えた名前の横へ、受付の印が押された。
*
「ミナ」
道具を確かめていると、トーマがやってきた。
腕の布は、前より小さくなっていた。
「傷、大丈夫ですか」
「うん。浅かったから。袋も、職員の人が回収してくれた」
肩の紐をつまんで見せる。
土を落とした袋には、見覚えがあった。
「この前、ちゃんと言えなかった。ありがとう」
「私だけで、何かできたわけじゃないです」
「でも、見えたって言ってくれたんだろ」
ミナは、自分がいた岩の陰を思い出した。
言う前は、あの道で本当にいいのか迷っていた。
「……はい」
「今度は俺が助けるよ」
トーマが少し勢いよく言ったので、ミナは顔を上げた。
「助けなくていい日にしましょう」
彼は口を開けたまま、少し止まった。
それから笑った。
「そっか。それが一番だな」
今日は二人とも、別の依頼だった。
トーマは量の多い、街道に近い区画へ行くという。
自分が選んだ紙を見せ合い、出発の時刻を確かめた。
「じゃあ、また帰ってから」
「はい。帰ってから」
その約束なら、ミナもすぐに返事ができた。
*
採取地へ向かう道で、水晶の設定を確かめた。
位置の共有と記録は、出発前から動いている。
公開配信は、始めていなかった。
今日は初めて受けた依頼を、まず自分で終えたい。
見慣れた場所を過ぎるときには、標識の番号を記録した。
境界の杭が見えた。
今までは、ここで折り返していた。
ミナは地図を開き、その先の道と向きを照らす。
同じような木が続いていても、足元の土は少し乾いている。
歩き出す前に、帰ってくる方の景色も見ておいた。
小さな坂を上ると、草の匂いが変わった。
明るい斜面に、目当ての株が点々とある。
依頼の紙を、もう一度読む。
花が開く前の、傷の少ない葉。
茎の混入は少なく。濡れたまま重ねないこと。
買い取りなら、種類と量を確かめてもらっていた。
今日は、ここに書かれた状態へ合わせる。
ミナは一本を手に取って、裏側を見た。
筋を確かめ、株の育ち方も見る。
若い株には手をつけなかった。
袋を置く場所を先に決める。
採った葉を並べる布と、手を拭く布は分けた。
包丁を入れる。
茎が離れ、葉が手の中へ収まった。
料理のときと同じように、次に使う手を空けてから、もう一本に触れる。
少し進むと、よく育った株がまとまっていた。
ここで全部揃えられそうだった。
でも、同じ株から取りすぎないように、別の場所へ移る。
屈んだまま作業を続けると、腰が重くなった。
ミナは刃を収め、立った。
急いで数を増やそうとすると、葉の裏を見る手順を飛ばしそうになる。
水を飲む。
時刻を見て、今ある葉を数え直す。
あと少し。
戻るための時間は、まだ残っていた。
必要な分が揃ったとき、袋には余裕があった。
もう少し採って、別に買い取ってもらうこともできる。
ミナは残っている株を見た。
次に来たとき、育っているだろうか。
袋の口を閉じた。
今日は、約束した分を持って帰る。
*
帰り道の休憩所で、包みを確かめた。
下の葉が、少し横へずれていた。
布の仕切りを寄せ、隙間を埋める。
採ったときの形のまま納品する。帰り道も作業の続きだった。
休憩を終える前に、残りの水を見た。
行きより軽くなった水筒と、行きより重くなった袋。
同じ道でも、足の運びは違う。
境界の杭を通り過ぎ、見慣れた道へ戻る。
ミナは、少しだけ肩の力を抜いた。
けれど、町の入口まではまだ歩く。
ギルドへ着いたのは、予定より少し早かった。
受付へ札を見せ、依頼の納品口へ進む。
職員が、葉を一束ずつ広げた。
ミナは机のこちら側で、手を揃えて待った。
「数は揃っています。……こちらは、端が傷んでいますね」
小さな裂け目を示された。
見分けるときには、気づかなかったところだ。
「次は、縁も確認します」
「この程度なら今回の条件に収まります。ほかの状態も良いので、受領します」
紙へ印が押された。
ミナの名前の隣に、完了の文字が入る。
硬貨を受け取り、数を確かめた。
重さは、今まで持ったことのある硬貨と同じだった。
でも、今日は何をして受け取ったのか、最初から最後まで自分で説明できる。
出発前に読んだ条件を、もう一度見た。
この葉が、誰かの作る香油になる。
「ありがとうございました」
窓口から離れても、指先に硬貨の縁の感触が残っていた。
*
帰りに、ミナは肉屋の前で止まった。
肉の値段を見る。
財布を開き、下宿代に残す分と、明日からの食費を確かめる。
今日の報酬を、全部使うことはできない。
いつも買う干し肉の横に、生の肉が並んでいた。
「少しだけでも、買えますか」
店の人は、台の上の肉を示した。
「どれくらい?」
ミナは手で、大きさを示す。
切り分けられた肉は、思っていたより大きかった。
「合格したんだろ?おめでとう。少しおまけだよ」
店の人がミナの首から下げた札を指差す。
紙へ包まれた肉を手渡されお礼を言う。感謝と嬉しさでいっぱいだった。
根菜と、料理用の厚い紙も少し買った。
足りない分は、下宿に残っている芋を使う。
*
「今日は、肉があります」
台所で配信を始め、ミナは包みを開いた。
文字板に、灰ねこさんの名前が出ている。
〈灰ねこ:合格、おめでとう。報告の記録も見たよ〉
「ありがとうございます。今日は、資格を取ってから初めて依頼を受けてきました」
〈灰ねこ:それで、ごちそうなんだね〉
「はい。店の人もおまけしてくれて」
肉を全部切ってしまう前に、明日の分を分けた。
塩をして、涼しい保存箱へ収める。
今夜使う分は、小さく切らずに薄く広げた。
「根菜と一緒に、包んで蒸し焼きにします。肉が少なくても、汁が下に落ちるので」
芋の皮をむく。
根菜も洗って、端の硬いところを落とした。
視聴者の数字が、二になった。
ミナは画面へ顔を向けた。
「こんばんは。今日は、初仕事が終わったので、お祝いの夕飯です」
しばらく文字は来なかった。
ミナは包丁へ視線を戻した。
芋を薄く切り、紙の上へ少しずつずらして並べる。
根菜も同じくらいの厚さにする。
その上へ肉を置き、塩と、乾かしてあった香草を少し。
〈やまみち:その根菜、ずいぶん薄く切るんだね〉
見覚えのない名前だった。
「はい。厚いと、肉より後に火が通るので。芋も、重なりすぎないようにしています」
〈やまみち:なるほど。揃えているのは、見た目のためだけじゃないんだ〉
「厚さが違うと、まだ硬いところが残ることがあるんです」
端から紙を折り、汁が外へ出ないように閉じる。
鍋に置き、底へ少し水を入れた。
蓋をして、火を弱める。
〈灰ねこ:包みの下にも水を入れる?〉
「はい。底が先に焦げないように。紙は、鍋からはみ出させないでくださいね」
ミナは火元から離れた位置に紙の端が収まっているか、確かめた。
待っている間に、使った道具を洗う。
「新しく行ける採取地も、増えたんです。今日は近いところにしましたけど、水場のある区画もありました」
〈やまみち:行きたい場所ができた?〉
「はい。でも、まだ帰る時間がわからないので、調べてからにします」
〈やまみち:それなら、楽しみに取っておけるね〉
ミナはうなずいた。
できない場所だと思っていたときと、準備をすれば行ける場所になった今とでは、地図の見え方も違う。
*
ギルドが用意した滞在部屋で、ロゼッタは水晶を見ていた。
試験の記録では、ミナは一本の葉を何度も確かめていた。
知らないことを、知っているふりで埋めない子だった。
今、水晶の向こうでは、次に何をするか迷う様子がない。
切る前に並べる場所を空ける。
材料の硬さに合わせて厚みを変える。
火にかけた後で、使い終えた道具を片づける。
慣れている、というのは、手が速いことだけではなかった。
葉を包んだときも、あの子には順番があった。
講習で教えた通りの手つきではなく、それまでに覚えてきたものを使っていたのだ。
ロゼッタは、横に置いた夕食へ目を移した。
今日の分は、もう買ってある。
それでも、紙の中で肉の汁を吸っている芋が気になった。
*
蓋を取ると、湯気が上がった。
ミナは包みを皿へ移し、顔から離して紙を開く。
香草と肉の匂いが、一緒に出てきた。
芋は柔らかく、端に少し焼き色がついている。
肉にも火が通っていた。
「できました」
〈灰ねこ:これは、少しだけには見えないね〉
「下に芋があるので」
ミナは笑って、匙を入れた。
底に溜まった汁を、芋へかける。
薄い一枚にも、肉の味がついていた。
明日の分を取り分けても、今夜の皿は寂しくなかった。
「……おいしいです」
次の一口を取ってから、文字板を見た。
〈やまみち:その包み方、明日も見られる?〉
「明日は、残してある肉で違うものを作るかもしれません。でも、包み方は、もう一度できます」
〈やまみち:ありがとう。また見に来るよ。今度は野菜メインがいいな。〉
ミナは、匙を持ったまま少し背筋を伸ばした。
「はい。来られるときに、ぜひ」
新しい人にも、楽しんでもらえたらしい。
今日は、報告できることが多かった。
*
セリカのもとへ届いた封筒には、いくつかの転送印があった。
仕事を終えて借りた部屋へ戻ると、宿の主人が預かっていたものを渡してくれた。
差出人の文字を見て、セリカは荷物を下ろす前に封を開けた。
店主が亡くなったこと。
食堂を閉めたこと。
リュネールへ移り、下宿から仕事を探していること。
読み終えて、最初の行へ戻った。
自分が次に行けば、妹はいつもの食堂にいる。
そう思って、予定を延ばしていた。
その場所が、もうない。
最後に、今の住所が書いてあった。
手紙が迷わないようにと、一字ずつ丁寧に。
セリカは椅子へ座り、封筒と日付を並べた。
この手紙が書かれた日から、今日までの間に、ミナは何をしていただろう。
送った金だけで、足りていただろうか。
立ち上がりかけて、止まった。
明日引き受ける仕事には、待っている者がいる。
出発を遅らせるなら、今、伝えなければならない。
依頼の控えを出す。
集合の時刻。必要な日数。帰還予定。
終えた後にリュネールへ向かう道を、地図で確かめた。
それから、白い紙を一枚取った。
近いうちに、会いに行きたい。
書いて、筆を止める。
いつも、そう書いてきた。
セリカは新しい紙へ、仕事の帰還予定と、そこから移動にかかる日数を書いた。
その日程で会えるか、ミナに尋ねる。
返事を待つ間にも、旅の支度はできる。
まず、今の暮らしを、妹の口から聞きたかった。
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