第2話 帰るまでが採集です
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朝になっても、テントは立っていた。
ミナは寝袋の中から屋根を見上げ、少し笑った。それから、入り口の配信水晶へ手を伸ばす。
台座にともっている魔石残量の灯りは、一つ。
昨夜は三つあった。
「……あれ」
文字板は消えている。側面を押すと、最後の記録が浮かんだ。
配信時間、六時間四十二分。
そんなに長くテントを立てた覚えはない。
料理にも、そこまではかからなかった。
昨日の最後を思い出し、ミナは寝袋の中で正座した。
「切ってなかったんだ……」
指で残量の表示をなぞる。使った魔力は戻ってこない。交換用の魔石は買ったが、安くなかったので、もう少し先まで取っておきたかった。
迷ってから、短い配信だけすることにした。
題名は「起きました。採集して帰ります」。
昨日の夜、ずっとつながっていたなら、朝になったことも伝えた方がいい気がした。
水晶を外の石へ置く。
木々の隙間に、明るい空が見えた。地上ではこんな空を見上げてから、長い石段を下りてきたのに、不思議だった。
初めて入った日は、自分がまた外へ出てしまったのかと思った。
湯を沸かす支度を始めると、文字板が光った。
〈灰ねこ:おはよう。よく眠れた?〉
ミナは手を止めた。
「おはようございます。はい。あの、昨日、切るのを忘れてしまって」
〈灰ねこ:気づいたみたいだね〉
「すみません。灰ねこさんも、ずっと見てましたか?」
返事が来るまで、少し間があった。
〈灰ねこ:途中まで。眠る準備は済んでいたから、大丈夫だよ〉
「……次は、切ってから横になります」
声に出して覚えた。
今日の確認札にも、あとで書き足しておこう。
朝ご飯は残りのパンと、温かい湯だった。昨夜の香草を一枚だけ浮かべると、カップから青い匂いがした。
〈灰ねこ:今日は、どこまで行く予定?〉
「昨日の薬草があったところまでです。曲がり道の手前なので、行っていい範囲です」
首から下げた登録札を確かめる。
十三歳になって取得した見習いの札には、入れる区域が刻まれていた。講習を受けた木漏れ日の浅層。その中でも、標識のある採集路だけ。
もっと先へ行く人の札は色が違う。
〈灰ねこ:戻る時間も決めておこう〉
「お昼には、野営地に戻ります」
ここから入口までは、荷物を持って歩くと二時間以上かかる。
ギルドの受付が混む前に帰りたいし、下宿の管理人にも、今日の夕方までに戻ると伝えてある。
湯を飲み終え、水晶の灯りをもう一度見た。
「今日は魔石が少ないので、ずっと配信はできないです。途中で切ります」
〈灰ねこ:救助用の位置共有は残せる?〉
「はい。こっちは、まだ使えるって出ています」
配信の映像を送る方が、魔力をたくさん使う。位置を知らせるだけなら長持ちする、と道具屋の人が言っていた。
同じ台座の中に入っていても、働きは別だった。
〈灰ねこ:それなら無理に映さなくていい。帰る分を残そう〉
ミナはうなずいて、水晶を肩ひもへ留めた。
台座の文字板は、立ち止まって少し持ち上げれば読める。
「では、行ってきます」
〈灰ねこ:足元に気をつけて〉
*
昨日見つけた倒木は、朝の光の中でも同じ形をしていた。
ミナは標識と地図を見比べ、道の端へ膝をつく。
木の根元に生えている丸い茸。その向こうには、葉の裏が白い薬草があった。
茸の傘を指で測り、大きなものだけを籠へ入れる。
〈灰ねこ:小さい方は残すんだね〉
「はい。これは、まだ採っちゃだめなんです」
採集袋の口へ結んだ紐には、ギルドで教わった大きさの目印を付けている。
それより小さい茸は残す。薬草も、根まで必要な種類以外は、葉を採って株を残す。
「小さいのまで採ると、次に来た人の分がなくなるので」
〈灰ねこ:覚えてるね〉
「でも、いちばん覚えたのは、採りすぎると買い取ってもらえないことです」
ミナは少し小さな声で付け足した。
〈灰ねこ:それも大事だ〉
食べる分の茸を脇へ分け、薬草は平たく束ねる。
説明札と葉の形を見比べ、迷った一本はそのままにした。似ているだけでは売れないし、食べられるとも限らない。
やがて籠の底が見えなくなった。
少し先の斜面にも、白い葉が見えた。
「あそこにも、ありますね」
立ち上がりかける。
肩ひもが食い込んで、ミナは籠を持ち直した。
〈灰ねこ:今の荷物で、帰り道を歩けそう?〉
ミナは一度、採集路へ戻った。
十歩ほど歩いてみる。登りになったところで、籠が脚に当たった。
昨日は帰りの荷物まで考えず、食べる茸もたくさん採った。
野営地へ着いたとき、座り込んでしばらく動けなかったのを思い出す。
「……あっちは、次にします」
〈灰ねこ:うん。今ある分を、きれいなまま持って帰ろう〉
戻る前に、もう一度斜面を見た。
あの白い葉のある場所も、地図の余白に小さく印を付ける。
採れなくても、覚えて帰ることはできる。
水晶の灯りが点滅を始めた。
「そろそろ切ります。帰ったら、ちゃんと帰れたってお知らせしますね」
〈灰ねこ:分かった。気をつけて〉
今度は、終了の文字が出るまで確かめた。
位置共有の小さな光だけを残し、文字板を閉じる。
急に、鳥の声がよく聞こえた。
ミナは肩ひもを少し短くし、来た道を戻った。
*
会議室の机には、赤い印の付いた地図が広げられていた。
「この斜面を抜ければ、一日短縮できます」
遠征隊の責任者が、川沿いの線を指す。
グレンはその先にある谷へ目を移した。
「荷車は何台?」
「六台です」
「途中で一台壊れたら、後ろは通れるか」
相手が口を閉じる。
グレンは別の道へ指を置いた。
「こっちなら一日増えるが、荷を移す場所がある。救護班も先に送れる。戦う前から運ぶ手段を失うのは避けたい」
討伐の依頼だった。
だが、地図の赤い印へ剣を持って行くだけでは済まない。食料、交代要員、負傷者の搬送。帰る道まで含めて考える必要がある。
責任者が書き留める横で、若い職員がグレンを見ていた。
「万象冠ともなると、そんなところまで分かるんですね」
「昔、荷車を押して帰ったことがあるからな」
職員が驚いた顔をする。
グレンは少し笑った。
王国には、各分野の頂点として国王から冠位を授けられた冒険者がいる。
武技や魔法の専門家に交じって、グレンが認められたのは、さまざまな技術を組み合わせ、遠征を成り立たせる力だった。
ただ、その知識のいくらかは、立派な成果より、できれば繰り返したくない失敗から得ている。
会議が終わり、廊下で閲覧水晶を開いた。
朝、出かける前に見ていた配信は、もう終了していた。
最後に送った言葉を見直す。
帰る分を残そう。
自分で書いておきながら、同じことを会議でも言ったな、と気づいた。
「グレンさん。このあとは本部へ?」
追いついてきた職員に、首を振る。
「書類は夕方までに送る。先に、市場へ寄るよ」
「買い出しですか。遠征の準備なら手配しますが」
「いや、自分の夕飯だ」
職員は、先ほど荷車の話を聞いたときより意外そうな顔をした。
*
ダンジョンの出口へ続く石段は、帰りには長く感じた。
最後の段を上がると、荷車の車輪の音が聞こえた。街の鐘と、店先で客を呼ぶ声も。
ミナは壁際へ寄り、肩から籠を下ろした。
入口の係員に札を見せると、名簿へ帰還の印が付いた。
「怪我は?」
「ありません」
「異変は?」
「見てないです。野営地の結界も、朝は全部光っていました」
質問に答えてから、ギルドの買い取り窓口へ向かう。
入口には、深層の討伐依頼と、薬草の納品依頼が並んで貼られていた。
ミナはいつも、後者を見る。
今日も、欲しい薬草の名前があった。
ただし、依頼を引き受けるには正式な採集者資格が必要だった。
今は、持ち帰ったものを窓口で買い取ってもらうだけ。それでも暮らせるよう、まずは間違えずに採ることから覚えている。
「ミナさん、お帰り。初めての宿泊はどうだった?」
受付の女性へ籠を渡す。
「テントが、ちゃんと立ちました」
「それはよかった。眠れた?」
「はい。……よく眠れました」
配信のことは、少し言いにくかった。
女性は薬草を束ごとに確認し、傷んだ葉を分けた。
茸は大きさを測ってから秤へ載せる。机の上で硬貨を数える音がした。
ミナは受け取った金額を、手帳の数字と比べた。
二日分を合わせれば、下宿代には足りる。
食費と、次の魔石のためのお金も、少し残せる。
肩が、ようやく下がった。
「薬草、つぶれてなくていいね。束ね方を変えた?」
「はい。袋の底に、平たく入れてきました」
「この状態なら、次も同じようにお願い」
ミナは手帳に、小さく丸を付けた。
帰り道で卵を一つ買った。
二つにしようか迷ったが、魔石のお金を先に分けてから、一つにした。
今日は、これでも十分だった。
*
「ただいま戻りました」
下宿の扉を押すと、帳面をつけていた管理人が顔を上げた。
「お帰り。遅くなるかと思ったよ」
「お昼に戻るって決めたので」
「そうかい。靴はそこで脱いで。先に座りな」
言われて気づく。
もう、急いで次のことをしなくてもよかった。
ミナは椅子へ腰を下ろし、膝の上に手を置いた。
足の裏がじんじんする。廊下の向こうでは、誰かが共同台所の鍋を洗っていた。
「採れた?」
「はい。宿代、払えます」
「帳面は逃げないよ。水を飲んでからでいい」
差し出されたカップを両手で受け取った。
部屋へ戻り、荷物を下ろす。
湿ったテントを干し、包丁を確かめ、鍋を棚へ置く。いつもの順番で片付けたあと、水晶の魔石を取り替えた。
新しい灯りがともる。
ほっとしたが、次は寝る前に必ず切ろうと思った。
短い配信を始める。
題名は「帰りました」。
「こんばんは。ちゃんと、街まで戻りました」
水晶へ声をかけ、待つ。
誰も来なくても、記録は残る。灰ねこがあとで見れば、帰れたことは分かるはずだった。
卵を布から取り出していると、文字板が光った。
〈灰ねこ:お帰り。足は大丈夫?〉
「少し疲れました。でも、怪我はないです」
答えてから、卵を見せる。
「今日は、これを買えました」
〈灰ねこ:何にする?〉
「茸と炒めます。灰ねこさんは?」
〈灰ねこ:昨日の煮込みを作ろうと思って、芋と茸を買った〉
ミナの手が止まった。
「あの、昨日のですか?」
〈灰ねこ:うん。乾かした茸があったから、そっちにした〉
自分が作った料理を、誰かが作ろうとしている。
ミナは卵を机へ置き、水晶の方へ少し座り直した。
「戻しましたか?」
〈灰ねこ:今、水に入れた〉
「じゃあ、お芋を切っている間、そのまま待ってください。お水も、捨てないで」
〈灰ねこ:了解〉
いつもは、何をすればいいか教えてもらっている。
今日は一つ、こちらから言えた。
「……あ。お芋、薄くしてくださいね」
〈灰ねこ:このくらい?〉
文字に続いて、短い数字が届いた。
ミナは指の間を広げ、その厚さを考える。
「もう少し薄い方がいいです。それだと、茸が先に煮えてしまうので」
*
王国の遠征隊に帰り道を教えてきた男は、自分の台所で包丁を止めた。
切り終えた芋を見て、まだ丸い芋を見て、それから水晶へ向き直る。
〈灰ねこ:切った分は、どうすればいい?〉
「半分の厚さにすれば、大丈夫です」
画面の中で、ミナが少しだけ胸を張った。
「ゆっくりで、いいですよ」
カクヨムでも連載中です。
領内地図・人物紹介などの補足も掲載しています。




