第1話 テントの練習をします
見ていただきありがとうございます。初投稿です。
テントは立った。
入れそうな高さではなかった。
ミナは膝に手をついて、斜めになった屋根をのぞき込んだ。右側だけが妙に低い。寝袋なら入りそうだったが、中で着替えるには、ずっと寝転がっていなければならない。
「……絵とは、少し違いますね」
地面に広げた説明書では、大人が座っていた。
風にめくれそうになる端を石で押さえ、もう一度、支柱の絵を見る。左右とも同じ部品を使ったはずだった。
脇の平たい石には、配信水晶を置いてある。
中古の台座は脚が一本短く、畳んだ布を挟むとようやく水平になった。そこから浮かぶ小さな文字板に、淡い光がともる。
〈灰ねこ:右側の支柱の根元を見せてもらえる?〉
「はい。えっと、こっちです」
ミナが水晶を持ち上げると、文字板まで斜めになった。
根元を映しているつもりなのに、小さな確認画面には自分の靴が大きく映っている。
〈灰ねこ:もう少し上。そこで止めて〉
「見えますか?」
〈灰ねこ:見えるよ。先に右の紐を緩めよう〉
文字板の隅には、視聴者、一人。
初めての配信に来てくれたその人は、ミナが古いテントの解説動画に書いた質問にも、返事をくれた人だった。
文章ではうまく説明できず、映像を見せることになった。録画して送るつもりが、この水晶では長く保存できないと知って、配信のやり方まで調べた。
題名は「テントの練習をします」。
名前を入れる欄には、そばにあった鍋を見て「こなべ」と書いた。
本当に誰かが見に来るとは思っていなかった。
水晶は、ひとりで採集に行くなら持っておくよう、ギルドで勧められたものだ。救助窓口に居場所が伝わるし、記録が残れば、何かあったときに役立つ。
中古道具屋で買うときは、魔石の持ちと値段しか考えていなかったけれど。
〈灰ねこ:水晶は置いて大丈夫。両手でやろう〉
「はい」
石の上に戻し、紐を緩める。
今度は支柱の先を、布の内側にある袋へ入れるよう教わった。
「袋……あ。ありました」
暗い布の奥へ指を差し込む。少し引っ張ると、低かった屋根が持ち上がった。
説明書の絵で黒く塗られていた部分は、影ではなかったらしい。
〈灰ねこ:そのまま支柱を立てて。紐は少しずつ張ればいい〉
言われたとおりに、左右を交互に引く。
古い布が、ぱん、と小さく鳴った。
ミナは手を離し、二歩下がった。
屋根は傾かない。
「……立ちました」
〈灰ねこ:うん。今度は左右の高さがそろってる〉
入り口から中をのぞく。
寝袋を敷いても、まだ鞄を置く場所がある。座ってみると、頭も屋根に当たらなかった。
「部屋になった」
声に出してから、配信していることを思い出す。
ミナは外へ顔を出した。
「ありがとうございます。中、座れます」
〈灰ねこ:よかった。出てから杭も確認しよう〉
四本の杭を一本ずつ映すと、打ち込みの浅いものが二本あった。石を使って直す間、灰ねこは急かさずに待ってくれた。
確認が終わるころには、木漏れ日の色が夕方のものに変わっていた。
ここは、ダンジョン浅層の指定野営地だ。
広場を囲む石柱には結界の光がともっている。入り口の札で異常がないことを確かめ、今日の宿泊も届けてある。
それでも、初めてひとりで泊まる場所は、街の下宿とは違った。
大きな木の向こうで、鳥が鳴く。
ミナはつられてそちらを見てから、鞄をテントへ運んだ。
「明日は、朝のうちに採って帰ります。今日は歩くのに、時間がかかったので」
入口の近くでは、売れそうな薬草があまり残っていなかった。少し奥まで歩いたら籠は重くなったけれど、戻るころには肩も脚も疲れていた。
ここで泊まれば、明日は採集に使える時間が増える。
下宿代を払ったあとも、少しはお金を残せるかもしれない。
ミナは水晶の台座にある魔石残量を確かめた。まだ灯りは三つある。
「ご飯を作るので、今日はここまでにします。教えてくださって、ありがとうございました」
終了のボタンへ指を伸ばす。
その前に、新しい文字が出た。
〈灰ねこ:何を作るんだ?〉
ミナは指を止めた。
「茸と、お芋です」
〈灰ねこ:煮るの?〉
「先に焼きます。……見ますか?」
*
グレンは、かじりかけのパンを皿へ戻した。
机の端に置いた閲覧用の水晶では、少女が袋から茸を取り出している。
丸い傘に、太い軸。買い取り値の安い、浅層ではよく見る茸だった。
たまたま自分の解説動画の質問欄を読んだのが始まりだ。
今どき、あの型のテントを使っている者は少ない。若いころに自分も使っていたので、私用の名義で返事をした。
映像を見ればすぐ分かると思っていたし、実際、直すのに難しいことはなかった。
用は済んだ。
机には明日の打ち合わせに必要な書類が積まれている。
一番上の封筒には、宛名の前に「万象冠」の文字。国王から冠位を授けられて以来、依頼より先に相談が届くことも増えた。
さっさと食べて、目を通すつもりだった。
画面の中で、少女が小さな布を広げる。
収められていたのは、何本かの包丁だった。
「今日は、これで足ります」
一番小さな一本を選び、ほかは丁寧に包み直す。
茸の汚れを落とす手つきに、さっきの設営中の迷いはなかった。軸を切り、傘を割り、芋を薄くそろえていく。
グレンはパンを持ち直したが、口へ運ぶ前に、少女が鍋を水晶の前へ持ってきた。
「このくらいです。薄いと、早く火が通るので」
近すぎて、画面が芋だけになった。
〈灰ねこ:少し離すと見やすい〉
「あ。すみません」
鍋が離れ、申し訳なさそうな顔が映る。
グレンは笑って、文字を打った。
〈灰ねこ:今のでよく見えたよ〉
少女は小さくうなずき、石で囲まれた炊事場所へ移った。
細い焚き付けの間へ指を近づける。短い息のあと、爪先ほどの火が生まれた。
火種を移し、枝を足す。太い薪をいきなり載せず、炎が育つのを待っている。
テントは初めてでも、火と包丁は扱い慣れているらしい。
鍋に落とした油が温まる。
芋を並べた途端、細い音が水晶から聞こえた。
グレンは、自分の皿を見た。
パンと干し肉。
朝にも似たものを食べた。
〈灰ねこ:茸はまだ入れない?〉
「はい。お芋に焼き色がついてからです。一緒に入れると、水が出て、焼けなくなるので」
なるほど、と声に出た。
少女にはこちらの声が届かないので、同じ言葉を文字でも送る。
芋を返すと、薄い金色が見えた。
その隙間へ茸を入れる。鍋はいっぱいになった。
「この茸、焼くと小さくなるんです。最初は、損したと思いました」
〈灰ねこ:売るときも小さくなる?〉
「乾かすと、もっとです。でも、軽くなるので持ち帰るのは楽です」
少女は、すぐにはかき混ぜなかった。
鍋の底をのぞき、火の位置を少し変える。しばらくして木べらを入れると、茸は確かに小さくなっていた。
「焼けたところが、おいしいです」
水と塩を足す。
残しておいた香草を指でちぎると、蓋をした。
グレンは、食べかけのパンをもう一度皿に戻した。
〈灰ねこ:乾かした茸でも作れるかな〉
「作れます。戻した水も入れると、おいしいです」
遠征先でも使えそうだ。
そう考えてから、遠征に出なくても作っていいことに気づいた。
部屋の小さな調理台には、長いこと使っていない鍋がある。
明日は市場の開いているうちに帰れるだろうか。
*
蓋を開けると、白い湯気が立ち上がった。
ミナはひと匙すくい、息を吹きかけて味を見る。少し考え、塩をほんの少しだけ足した。
今度は、うなずく。
「できました」
器へ移し、水晶に見えるよう置いた。
芋の縁に焼き色が残っている。小さくなった茸も、思っていたよりたくさんあった。
〈灰ねこ:うまそうだ〉
ミナは器を見てから、文字板を見た。
「……はい。たぶん」
一口食べる。
芋は柔らかく、茸には歯応えがあった。薄い汁にも、焼いた匂いが移っている。
「おいしいです」
今度は、ちゃんと言えた。
パンをちぎって汁に浸す。
下宿の台所で作るときと、同じ鍋、同じ包丁だった。それなのに、目の前のテントや、木の間に見える夕空のせいか、いつもと少し違う味がした。
文字板に目を向ける。
視聴者は、まだ一人。
「灰ねこさんは、ご飯、食べましたか?」
しばらく返事がなかった。
食事の邪魔をしただろうか、とミナが思い始めたころ、文字が出た。
〈灰ねこ:今、食べてる〉
「よかったです」
ミナは残りのパンを汁へ入れた。
*
食器を片付けると、急に眠くなった。
ミナが目をこすりかけたところで、灰ねこから確認の文字が届く。
〈灰ねこ:眠る前に、講習の確認札を見よう〉
鞄から札を出す。結界、火、食料、警報具。
昼に覚えたはずの順番が、疲れた頭から抜けていた。
ミナは火が消えた炊事場所を確かめ、食料を袋へしまった。結界の石柱は、四本とも同じ色に光っている。
最後に、小さな警報具をテントの入り口へ取り付ける。
「これで、全部です」
〈灰ねこ:お疲れさま。明日は帰る分の体力も残しておこう〉
「はい。……茸、まだあったんですけど」
暗くなった採集路を、ちらりと見る。
〈灰ねこ:明日、明るくなってからにしよう〉
「そうします」
テントへ水晶を運び、入り口近くに置いた。灯りを絞り、寝袋に脚を入れる。
屋根はまだ、ちゃんと高かった。
「今日は、ありがとうございました。次は、ひとりでも立てられると思います」
〈灰ねこ:困ったら、また聞いて〉
「はい。じゃあ、配信を……」
指をボタンへ伸ばそうとして、あくびが出た。
少しだけ横になってから、と肩を下ろす。
次の言葉は、出てこなかった。
*
「……切れてないぞ」
グレンは水晶を見た。
画面には、寝袋の端と、古いテントの布。少女の顔は映っていない。
〈灰ねこ:こなべさん?〉
返事はない。
規則正しい寝息だけが、小さく聞こえた。
火は消した。食料も片付けた。結界の状態も、警報具も、いっしょに確認した。
眠っていて問題はない。
そう分かっていても、すぐには画面を閉じられなかった。
グレンは書類を手元へ引き寄せ、水晶をその横へ移す。
明日の予定を確認し、市場へ寄る時間を書き足した。
買うものは、芋と茸。
それから、鍋の焦げを落とすもの。
画面の向こうで、布がかすかに揺れた。
グレンは顔を上げる。寝返りだったらしく、また静かになった。
「おやすみ、こなべさん」
声は向こうへ届かない。
それでも言ってから、グレンは止めていた書類の続きを読み始めた。
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カクヨムでも掲載しておりそちらでは各エピソードの挿し絵等も掲載しています。




