第18話 今日は自分で決めます
帰ってから、葉の包みを開ける。
ミナはそれを、採取の記録と同じように続けた。
採ったときはきれいでも、袋の底で折れていた葉がある。
雨の日には、乾いた布を多めに持つ。
晴れた日は、包みの口を閉じすぎない。
次の採取で置き方を変えると、折れた葉が少し減った。
買い取りの前に分ける時間も、短くなった。
歩く距離は、一度には増やさなかった。
いつもの帰り道で余裕のあった日に、次は少し先の休憩所まで行く。
脚が重い日は、前と同じところで戻る。
初めは下宿の階段を上るとき、途中で一度止まっていた。
同じ量の荷物なら、今は部屋まで上がれる日が増えた。
笛の位置も、袋を背負うたびに確かめた。
冬物の上着を重ねるなら、また違うのだろう。
まだ来ていない季節のことも、記録帳の端へ書いておく。
日程の紙の印が、一つずつ増えていった。
借りた冠位の冊子は、返す前にもう一度開いた。
刻冠エドガーのページ。
目元に少し面影のある、若い男の挿絵。
店主と同じ名前だということだけでは、確かめようがなかった。
功績の説明には、食堂の場所も、暮らしていた町もない。
気になった言葉を写し、冊子を閉じる。
今は、試験の支度を先にする。
そのページのことは、記録帳の後ろへ残しておいた。
*
「明日、試験です」
前夜の配信でそう言うと、灰ねこさんから短い返事が来た。
〈灰ねこ:いよいよだね〉
ミナは袋の中身を、机へ並べていた。
採取の道具。布。水筒。
決められた分の食べ物と、休憩用の敷物。
野営の実技は、先に別の日程で受けた。明日は道の確認、採取、遭遇時の対応と帰還の実地だった。
「試験の間は、配信をしません。位置の共有と、記録だけにするよう言われています」
誰かに聞いて、答えを決めることはできない。
水晶を持っていても、文字板は光らない。
〈針しごと:袋の中は、いつもの場所?〉
「はい。使うものは、取り出せるところにしました」
布の包みを、一つずつ戻す。
手袋の縫い目を確かめた。
糸は、切れていなかった。
〈こぐま:眠れそうか〉
ミナは少し考えた。
「……寝る支度は、できます」
〈灰ねこ:うん。今夜できるのは、そこまででいい〉
こぐまさんから、短く、よし、と届いた。
何度も持ち物を確かめたくなったが、机にはもう何も残っていない。
「今日は、これで終わります。行ってきますは、明日、自分で言います」
〈針しごと:帰ったら、話を聞かせて〉
「はい」
配信を切る。
机の灯りも、少しして消した。
*
朝のギルドには、試験用の袋を持った人が集まっていた。
トーマは柱のそばで、肩の紐を直していた。
前に浅層で会ったときより、荷物が小さい。
「おはよう。寝た?」
「はい。途中で、一度起きましたけど」
「俺は二回。起きるたびに、遅れたかと思った」
ミナは、少し笑った。
同じ心配をした人がいた。
受付で名前を伝え、登録札を見せる。
職員が講習と野営実技の欄を確かめ、今日の札を渡した。
ロゼッタは、出発地点にいた。
いつもの採取袋に、槍。
今日はその隣に、記録を持つ職員もいる。
「困ったことを隠して進む必要はありません。わからないもの、危ない場所は、その判断と理由を残してください」
横向きの耳が、受験者の方へ動いた。
「人を助けるための合図と、課題の終了を知らせる合図は別です。もう一度、確認しよう」
笛と、水晶の救援操作。
指定された連絡先へ、位置が届くことも確かめる。
公開配信を使わない設定にしても、救援の灯りは消えなかった。
記録の開始も、職員と一緒に確認した。
地図には試験区域と、通ってはいけない区画が記されていた。
担当の監督者が各区間に付き、連絡役が分岐に立つ。
危険が見つかれば課題を中断し、退避する。
順番に出発するので、同じ道に人が固まることはない。
トーマの番は、ミナより少し早かった。
「じゃあ、また出口で」
「はい」
見送った後、ミナは自分の地図を折った。
帰還する時刻が見える面を、上にしておく。
*
最初の標識は、見慣れたものだった。
その先の分岐は、何度も通った道とは違う。
ミナは標識の番号を地図と照らし、進んだ方を記録へ書いた。
監督者は少し離れてついてくる。
曲がり角では、こちらが見えるところまで移動していた。
「どちらへ進みますか」
聞かれると、ミナは指で地図を示した。
「こちらです。指定された採取の区画へ行って、帰りはこの道を使います」
「続けてください」
合っているとも、間違っているとも言われなかった。
ミナはもう一度、標識を見た。
番号は同じ。
道の向きも合っている。
進む方を、自分で決めた。
*
採取区画には、目当ての薬草があった。
葉の形を確かめる。
裏側の筋と、茎。
似たものを混ぜないよう、一本ずつ見た。
手前の株は、虫に食われたところが多い。
その隣は、まだ若かった。
向こうの斜面に、育った葉が見える。
ミナは袋を下ろしかけ、止まった。
斜面の下には、水が残っている。
途中の土は、一部が剥がれていた。
あそこまで行くには、今いる区画から回り込む必要がある。
地図を見る。
時計を確かめる。
「何を見ていますか」
監督者に聞かれ、ミナは向こうの株を示した。
「良さそうな葉があります。でも、足場がわからないので、あちらへ下りずに、こちらの縁を探します」
指先を戻す。
「時間が足りなければ、量が少なくても戻ります」
監督者の筆が動いた。
ミナは斜面から離れた。
少し先で、育った株を見つけた。
葉は大きすぎず、傷も少ない。
若い株を残し、決められた量だけ採る。
包丁を持つ手は、最初の一本で少し固かった。
支える指を直してから、刃を入れる。
隣の葉は切らなかった。
乾いた布へ並べ、袋へ収める。
後で状態を確かめられるよう、採った場所と時刻を書いた。
指定の量まで、あと少しある。
でも、探すための時間は残り少なかった。
ミナは筆を止め、出発前に書いた帰還時刻を見た。
余裕の分まで使えば、もう少し探せる。
袋の口を閉じた。
「この量で、戻ります」
言ってから、少し惜しくなった。
それでも、袋を開け直さなかった。
*
遭遇対応の区間では、見えるところに二人の職員がいた。
本物の魔物を放つ課題ではない。
指定の場所で、想定する相手の札と、そのときの状態を示す。
説明された条件の中で、判断し、実際に退く動作をする。
札には、脚の速い獣型の魔物が描かれていた。
こちらにはまだ気づいていない。
前方の道を、横切ろうとしている。
ミナは、進んできた道を見た。
後ろは空いている。
少し戻れば、職員のいる退避地点へ通じる道がある。
「通り過ぎるのを待つこともできます。でも、近づかずに戻れるので、退きます」
「では、その判断で動いてください」
ミナは袋の位置を確かめた。
相手に気づかれていない想定なので、大きな音は出さない。
救援が必要になったときの道具へ手が届くことを確認し、足元を見て離れる。
曲がり角で、後ろの状況を確かめる。
指定された場所へ着くと、職員に退避を伝えた。
「相手がこちらを追ってきたら?」
「救援の合図を出します。こちらの障害物を挟んで、職員のいる方へ動きます」
ミナは、自分が通った道を指した。
「袋が引っかかるなら、外します」
言うだけでなく、外すところまで試す。
肩の紐が離れ、袋を下ろせた。
監督者が、課題の終了を伝えた。
ミナは袋を背負い直した。
魔物を倒してはいない。
それでも、一つ終えた。
文字板を見かけて、顔を戻す。
今日は、誰からも言葉が来ない。
今の道を選んだ理由は、自分で言えた。
*
休憩地点で、水を飲んだ。
食べ物を少し取り、残りを包む。
歩き終わってから食べる分もある。
袋を足元へ置くと、薬草の包みは、まだ上の方に収まっていた。
「脚の具合は、どうですか」
監督者に聞かれ、ミナは立って確かめた。
「少し重いです。でも、痛いところはありません」
講習を始めた頃なら、もう少し疲れていたと思う。
だからといって、帰る道が短くなるわけではない。
帰還区間へ進む前に、地図と時刻を見た。
予定の中に、収まっていた。
出口へ近づく道は、二つの試験区画から合流する。
トーマは、別の採取区画を回っているはずだった。
もう先へ行っただろうか。
ミナは、分岐の職員へ札を見せた。
通過時刻が記録される。
「この先は、右の標識に沿ってください」
「はい」
横の道を一度見てから、指定の方向へ歩く。
監督者も、その後ろから来ていた。
*
笛が鳴った。
ミナは足を止めた。
課題の終わりを知らせる音ではない。
救援の合図だった。
監督者が顔を上げた。
分岐の職員も、すぐに動く。
「試験を中断します。ミナさん、こちらの岩の後ろへ」
ミナは示された場所へ退いた。
隣の道から、枝の折れる音がする。
木々の隙間に、誰かの腕が見えた。
「そっち、来るな!」
トーマの声だった。
ミナは袋の紐を握った。
道の奥で、灰色の背中が動いている。
獣はトーマと分岐の間に立ち、顔を左右へ振っていた。
トーマは太い木を挟んで向こう側にいる。
逃げようと動くと、獣もその方向へ回る。
腰の袋は外してあった。
それでも、まだ道へ出られない。
ミナは笛を出した。
息を吸う。
自分の場所からも、救援の合図を鳴らす。
分岐の職員が、手を上げた。
「場所、確認! 奥の監督者が受験者を守っています。応援をこちらへ!」
隣の道で、盾を持つ監督者がトーマのいる木へ近づこうとしていた。
獣が、そちらへ顔を向ける。
ミナの前にいる職員が、剣を抜いた。
「ここから動かないで。こちらの退路を確保します」
通信具から、別の声がした。
「ロゼッタ、向かっています」
ミナは岩の陰へ体を寄せた。
トーマの姿が、枝の間から見えた。
彼は木の向こうへ下がり、監督者に何かを伝えている。
ミナの側から、分岐へ戻る道は空いていた。
岩がある。
獣と、自分の間に置けるもの。
笛を持つ手が、少し震えていた。
自分は、逃げる方へ来られた。
トーマは、まだ、あそこにいる。
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