第17話 すごい人たちの話
冠位についての本は、図鑑より薄かった。
ミナはギルドの閲覧室で、表紙を確かめた。
角が丸くなり、背の布には何度か繕った跡がある。
「貸し出せるのは、こちらです」
職員が、最初のページを開いてくれた。
「少し古い版だから、今の冠位全員は載っていません。ここに書かれた後で授冠された方もいます」
ミナは刊行年を見た。
数年前のものだった。
「ロゼッタさんは、いますか」
「ええ。その頃には、もう探冠でしたから」
示されたページには、角のある女性が描かれていた。
片手に槍、もう片方に葉の束。
実際に会った人より、少し堅い顔をしている。
その下には、重要な薬材の群生地を見つけたことが書かれていた。
採る条件と、傷めず運ぶ方法を整え、土地の人たちへ伝えたことも。
見つけた、だけでは終わっていない。
次に来る人の分まで考える、昨日の手元を思い出した。
「こういう仕事で、冠位になったんですね」
「長く積み重ねた実績もあります。この冊子は、その中の代表的な功績を紹介しています」
ミナは、ほかのページもめくった。
剣を持つ人。杖を持つ人。道具を並べる人。
盾の大きな男を見つけ、手が止まった。
「あ。この方の講座、受けました」
「バルド様ね」
挿絵の顔は、講座で見た顔よりも、さらに険しかった。
ミナは冊子を借り、採取の図鑑とは別の場所へしまった。
今日は採取に行かず、昨日の記録をまとめる日にしていた。
その続きに、調べたいことが一つ増えた。
*
夜の配信は、自分の部屋で始めた。
夕飯はもう食べた。
机の上には冊子と記録帳、水を入れた器。
水晶は、借りた本が大きく映らない向きに置いてある。
「今日は、すごい人たちのことを調べました」
数字が、三になった。
灰ねこさん、針しごとさん、こぐまさん。
〈針しごと:昨日の先生のこと?〉
「はい。ロゼッタさんです。採るところを教えていただいて、魔物が出たときも、皆が下がってから対処していました」
合図を出せたことは、先に話した。
その後で、冊子を借りた理由を説明する。
「強いから、だけではないんですね。薬材を、次からも届けられるようにしたと書いてありました」
〈灰ねこ:見つけた人だけで終わらず、ほかの人も続けられるようにしたんだね〉
「はい。ほかの方も、少し読みました。これは古い本なので、載っていない人もいるそうです」
ミナは紙を挟んだページを開いた。
難しい言葉は、昼のうちに職員へ聞いてきた。
全部を読み上げるより、自分が驚いたところを話そうと思った。
「最初は、万象冠のグレンさんです」
*
グレンの匙が、器の上で止まった。
今日は家へ帰れていた。
食卓の書類を片側へ寄せ、遅い夕飯を食べながら、水晶を見ていたところだった。
映像のミナは、真面目な顔で本へ目を落としている。
「剣も魔法も、野営や、道を決めることも得意だそうです」
グレンは匙を置いた。
何が載っている冊子か、だいたいわかった。
「山の集落が、いくつも孤立したときに、救援隊をまとめたと書いてあります。魔物を倒す人と、道を確かめる人と、食べ物を運ぶ人を」
そこまで話し、ミナは記録帳へ目を移した。
「いろんなことができるのに、順番まで決められるんですね」
当時、順番を決めるまでには、何度も地図を描き直した。
必要な荷が一度には通らない道もあった。
現地の人に教わった道が、最後まで役に立った。
それを説明するなら、少し長くなる。
どこから話そうかと考えている間に、別の文字が届いた。
〈針しごと:灰ねこさんも、順番を考えるの得意だよね〉
グレンは、文字を入力する手を止めた。
別の場所で、リゼが笑っている顔が浮かんだ。
〈灰ねこ:先にできることを分けると、動きやすくはなるね〉
「テントのときも、先に棒を並べると教えてくださいました」
その話なら、返事ができた。
〈灰ねこ:布を持ったままだと、両手が足りなかったからね〉
「はい。この方も、人の手が足りるように考えたんでしょうか」
グレンは、少し考えてから打った。
〈灰ねこ:きっと、一人では全部できないと知っていたんだと思う〉
ミナはその文を読み、冊子の挿絵を見直した。
「すごい人でも、そうなんですね」
うなずく姿を見て、グレンは夕飯へ手を戻した。
卵の端が、少し冷めていた。
*
「次は、匠冠のリゼさんです」
工房で、リゼの手が止まった。
卓には、点検を終えた留め具が並んでいる。
夕飯の後の、軽い片付けだった。
さっきまで気楽に聞いていた声が、今度は自分の名前を読んでいる。
「王国で配られる装備を、直しやすくした方だそうです。地方の工房でも部品を替えられるようにして、事故や、使い続けるためのお金を減らした、と」
あの改良では、工房ごとに少しずつ違っていた寸法をそろえるところから始めた。
交換できるはずの部品が、入らない。
そういうことが、いちばん現場を困らせていた。
「壊れたら買い直すのではなくて、直せるように、先に作っておくんですね」
リゼは文字板へ手を伸ばした。
まだ使えるものを、使える状態へ戻す。
そこを見てくれたことは、嬉しかった。
ミナが、挿絵へ顔を近づけた。
「この服で、作業もするんでしょうか」
描かれているのは、授冠のときの衣装だった。
袖が広い。縁飾りもある。
〈針しごと:その袖だと邪魔〉
送ってから、リゼは手を止めた。
早かった。
〈灰ねこ:詳しいね〉
〈針しごと:工具を持つなら誰でも気になるよ〉
「そうですよね。私も、鍋を洗うときは、袖を上げます」
ミナは自分の袖口を示した。
「針しごとさんも、こういう道具を直すんですか」
〈針しごと:直すよ。留め具とか、ひもの取り付けとか〉
「手袋も、教えていただきました」
ミナが、机の横から手袋を取ってきた。
縫い直したところを、指でなぞる。
「糸は、まだ切れていません。昨日も使えました」
リゼは、画面の手袋を見た。
乾いている。ほつれも広がっていない。
〈針しごと:うん。今のまま使えそう〉
送った後で、卓の留め具を一つ、箱へしまった。
自分の服の裾に残る小さなほつれが目に入り、それは明日の分へ寄せた。
*
「盾冠のバルドさんは、講座でお顔を見ました」
バルドは、椅子へ座り直した。
膝の上には、手入れ中の盾がある。
布を置き、水晶へ向き直る。
「魔物の群れが街道へ来たとき、避難する人たちが橋を渡り終えるまで、守ったそうです」
ミナは冊子から顔を上げた。
「歩けない人も運んで、守る人も交代させて。ずっと一人で立っていたわけではないんですね」
バルドは、ゆっくりうなずいた。
立ち続けられる者にも、水と休息は要る。
橋を渡る者の歩幅も、一人ずつ違った。
「講座で、荷物があると足の置き方が変わると習いました。誰かを運んでいたら、もっと変わりますよね」
〈こぐま:足元は、見えるとは限らない〉
「抱えている人で、見えなくなるんですか」
〈こぐま:そうだ〉
ミナは記録帳へ、小さく書き足した。
「大きな盾も、持っているだけではなかったんですね。どう使うかを、たくさん考えるんだと思いました」
バルドは、返事を打ち始めた。
考えるだけではなく、実際に持って確かめることも必要だ。
そのことを――。
「最初、少し怖そうだと思いました」
手が止まる。
ミナは挿絵を見ていた。
「こちらのお顔は、講座よりも、もっと怖そうです。でも、先生は、皆ができるまで待ってくださいました」
バルドは、入力した文を見た。
「間違えたところも、もう一度やっていいと言ってくださったので、次も聞けました」
何を返そうか考える。
先ほどの文を消し、別の文を打った。
長すぎた。
また消した。
ようやく送った文字は、短かった。
〈こぐま:いい先生だな〉
〈灰ねこ:そうだね〉
〈針しごと:聞けてよかったね、こぐまさん〉
バルドは眉を寄せた。
なぜ自分へ言う。
いや、二人にはわかっている。
画面のミナが、笑った。
「こぐまさんにも、いつも教えていただいています」
バルドは、盾の端へ布をかけた。
さっき拭いた場所を、もう一度拭いた。
*
話しているうちに、水の器が空になった。
ミナは一口分を足し、冊子を閉じかけた。
後ろの方に、別の見出しがある。
これまでの冠位と、その技術。
退いた人たちの功績を紹介する、短い欄だった。
ページをめくると、細かな工具の並ぶ挿絵が出てきた。
刻冠エドガー。
ミナの指が、紙の端で止まった。
店主のおじさんと、同じ名前だった。
絵の男は若く、髪も濃い。
厨房に立つ人とは違う、襟のきちんとした服を着ている。
細い線で描かれた顔は、ミナの覚えている顔と、そのまま重なるわけではなかった。
ただ、目を少し伏せて手元を見るところが、似ている気もした。
何かを確かめているような、口元。
研いだ包丁の印を、灯りへかざしていた店主を思い出す。
ミナは、挿絵の下を読んだ。
複数の付与術式が干渉した設備を調べ、必要なところだけ刻み直して直した、とある。
難しい仕事だったのだろう。
料理のことは、書かれていなかった。
文字板に、灰ねこさんの文が光っていた。
〈灰ねこ:読むところ、難しかった?〉
ミナは顔を上げた。
「少し。前に冠位だった方のことも、載っていました」
店主の名前は、言わなかった。
同じ名前だからと、すぐに話すことでもない気がした。
「術式のことは、まだ、よくわからないので。また読んでみます」
〈針しごと:わからない言葉があったら、書いておくといいよ〉
「はい」
ミナは細い紙を一枚、そのページへ挟んだ。
*
「冠位の人たちは、お休みの日は、何をしているんでしょう」
最後に尋ねると、文字板が静かになった。
「この本は、お仕事のことばかりなので」
グレンは食卓の書類を見た。
リゼは、明日直すつもりの裾を見た。
バルドは盾を置き、机の端へ目を向けた。
削りかけの木片がある。小さな熊にするつもりだった。
最初に、灰ねこの文字が届いた。
〈灰ねこ:本人に聞かないとわからないけど、普通の買い物もすると思う。俺は今日、卵を買いに行ったよ〉
「私もです」
ミナは笑った。
〈針しごと:私は、糸を買った〉
「それは、お仕事の分ですか」
リゼは、入力する手を止めた。
〈針しごと:……仕事の分〉
「お休みの話でした」
〈灰ねこ:そうだったね〉
少し遅れて、こぐまから届いた。
〈こぐま:木を削る〉
「薪ですか?」
〈こぐま:小さい動物を作る〉
「見てみたいです」
バルドは木片を持ち上げた。
片方の耳が、もう片方より大きい。
まだ、見せるところまではできていなかった。
〈こぐま:できたらな〉
ミナはうなずき、冊子を机へ置いた。
「すごい人たちも、ご飯を買ったり、何かを作ったりするんですね」
仕事のページだけでは、わからないことがあった。
いつもの文字から知れることもある。
「今日は、ありがとうございました。次は、試験の支度をします」
配信を終え、本を棚へ戻そうとする。
挟んだ紙が、少しだけ出ていた。
ミナは、もう一度そのページを開いた。
工具を持つ男の手を見てから、閉じる。
机の隣には、自分の包丁を置く棚があった。
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