第16話 次に来る人の分
ロゼッタは、草ではなく、土を見ていた。
ミナも、その足元へ目を落とした。
木漏れ日の浅層。標識のある道から少し入った、採取実習の区画だった。
草が生えているところと、落ち葉の重なったところがある。
どちらにも、昨日の雨が残っていた。
「探すのは、この葉です」
現地の講習担当者が、標本を示した。
薬草として買い取られる、細長い葉。
図鑑で見た形だった。
トーマが、近くの茂みを見る。
「あっちにも、似たのがあるな」
「見に行く前に、ここから何がわかる?」
ロゼッタが尋ねた。
槍は背負い、両手を空けている。
ミナは茂みと、その手前を見た。
「……日の当たるところが、少し違います」
「そうだね。ほかには?」
答えは、すぐには出なかった。
ロゼッタはしゃがみ、落ち葉を一枚持ち上げた。
下の土は、表面より濃い色をしている。
「こっちは水が残る。向こうは斜面だから、流れやすい。昨日、雨が降ったね」
低く伸びた枝の向こうを指す。
「この草は湿り気を好むけど、ずっと水に浸かるところには少ない。まず、あの少し高い縁を見てみよう」
耳が横へ向き、職員の返事を聞く。
岩を越える蹄は、ぐらつかなかった。
ミナは後ろから、同じ場所を歩こうとした。
靴を置く前に、石の表面を確かめる。
雨で濡れたところへ足を伸ばしかけ、横の土へ変えた。
ロゼッタは振り返り、急かさずに待っていた。
*
目当ての草は、縁に沿って生えていた。
ミナは葉の形を見る。
筋と、根元からの伸び方。
標本と同じだった。
「これですか」
「どこを見て、そう思った?」
確かめたところを、一つずつ話す。
ロゼッタは最後まで聞き、隣の株を示した。
「じゃあ、これは?」
葉は、よく似ていた。
でも、茎の枝分かれが違う。
ミナは図鑑のページを思い出そうとして、やめた。
「似ています。でも、こちらは、まだ確かめたいです」
「うん。そう言ってくれて助かる」
ロゼッタは二つの株を傷めず、葉を持ち上げた。
裏側の筋と、茎の違いを見せる。
名前を聞いてから、ミナは記録帳へ小さな図を描いた。
採る株が決まっても、すぐには手を出さなかった。
ロゼッタは若い葉の集まるところを避け、十分に育った株へ指を添える。
小さな刃物が動いた。
切り口が、そろっている。
周りの株は、ほとんど揺れなかった。
「ここを残せば、また伸びる。根ごと使うものなら、採り方は変わるよ」
切った葉を、浅い籠へ置く。
手が次へ伸びた。
たくさんある中から、採るものだけが、迷いなく選ばれていく。
「全部は、採らないんですか」
トーマが聞いた。
「今日の袋をいっぱいにするだけなら、ここでできる。でも、次に来た人の仕事も残しておきたいね」
ロゼッタは、茂みの奥を見た。
「この区画では、採っていい量も決まってる。よく育つ場所を知っているなら、なおさら取り尽くさないこと」
ミナは、残された若い葉を見た。
帰り際に、もう少し採ろうかと迷った茸を思い出す。
袋へ入れる分だけが、仕事ではなかった。
*
ミナの番になると、刃が茎の途中で止まった。
押せば切れそうだった。
けれど、下に若い葉がある。
握る手を変え、茎の向きを少し直す。
刃を入れる場所が見えた。
切り終えると、ロゼッタが隣へしゃがんだ。
「今、持ち直したね」
「下の葉を、切ってしまいそうだったので」
「その判断はいい。支える指は、もう少しこっち。刃が抜けても指へ向かわない位置に」
ミナは示された場所へ指を置いた。
次の一本は、さっきより楽に切れた。
手元の包丁は使い慣れている。
でも、まな板に置いたものを切るのとは違った。
残す葉にも、隣の株にも気をつける必要がある。
何本か採ったところで、腰が重くなった。
しゃがみ続けて、同じ姿勢になっていた。
「立って、一度伸ばそうか」
ロゼッタは、自分も膝を伸ばした。
「うまく採れると、続けたくなる。でも、その後も歩くからね」
ミナは刃をしまってから立った。
足を伸ばすと、思ったより息をつめていたことに気づいた。
*
休憩場所で、持ち帰る支度をした。
ミナは布を広げ、柔らかい葉と硬い茎を分けた。
硬い方を下へ、葉は押されない場所へ。
包みを二つ作り、袋の中で重ならないように置く。
「分けた理由、聞いてもいい?」
ロゼッタが手元をのぞいた。
「一緒にすると、下の葉が傷むので。食堂で、仕入れたものを分けていました」
布の端を持つ。
「でも、この薬草も、同じでいいのかは、わかりません」
「傷めないために分けるのは、役に立つよ。今度は、包んだ後のことも見よう」
ロゼッタは、葉の表面を示した。
細かな水が残っている。
「これをきつく閉じて、歩いている間に温まると、蒸れる。濡れた布も替えたいね」
乾いた布を借り、葉を移す。
包みの上を少し開け、袋の口にも余裕を作った。
落とさず、押さえすぎず、空気が通る形。
食堂なら、届いたらすぐに広げられた。
今は、このまま帰り道を歩く。
「使うまでの時間も、違うんですね」
「そう。誰が、いつ使うものかで変わる」
ミナは記録帳へ書いた。
乾いた布。水を残しすぎない。口を閉じきらない。
ロゼッタは、その書き方にも目を留めた。
聞いた説明を全部写すのではなく、自分が直したところを残している。
「帰ったら、包みを開けたときの状態も見ておいで」
「はい。こちらだけでも、分けたままにしておきます」
葉の包みを置く場所を確かめ、ミナは袋を背負った。
*
帰り道で、先頭の職員が足を止めた。
茂みが揺れた。
低い唸り声。
茶色い獣が、道へ出てきた。
犬に似ていたが、肩が高く、前脚の爪が太い。
頭を低くし、こちらを見ている。
「全員、後ろへ。職員のいるところまで」
ロゼッタの声だった。
採取袋を道の脇へ置き、槍を手に取る。
ミナの手が、笛へ動いた。
「合図、出せる子はお願い」
小袋の口へ指が届く。
紐は、かかっていなかった。
習った音を出す。
笛を下ろしてから、背後を見た。
トーマは道の中央を空け、別の受講者を職員の方へ案内している。
ミナも足を動かした。
袋を枝へ寄せすぎない。
走り出さず、先に行く人との距離を保つ。
最後の職員が、ロゼッタへ退避を伝えた。
獣が飛び出した。
ミナは、安全を確かめてもらった岩の陰から、その動きを見た。
槍の穂先が、獣の正面へ出る。
獣は頭を振り、横へ跳ねた。
ロゼッタは追わなかった。
半歩動き、受講者へ向かう道を塞ぐ。
もう一度、獣が来る。
蹄が、根の張った地面へ置かれた。
槍を突き出す腕と一緒に、体が動く。
穂先を避けようとした獣の前脚が、道の縁のくぼみへ沈んだ。
その一瞬に、ロゼッタが踏み込んだ。
槍が短く走る。
獣が倒れ、起き上がろうとしたところへ、次の一手が入った。
ミナは息を止めていた。
ロゼッタが槍を引いても、すぐには誰も前へ出なかった。
職員が周囲を確認し、獣の動きが止まったことを確かめる。
「怪我をした人は?」
ロゼッタが振り返った。
返事を聞いてから、初めて槍を下げる。
「この道は、今日のうちに報告しておこう。残りは、もう一本の帰路を使います」
倒した獣を見るより先に、地図を広げていた。
*
ギルドへ戻り、採取したものを確かめた。
ミナの葉は、思ったより形を保っていた。
少し折れたものを分け、どこへ入れていたかを記録する。
トーマは袋の底を見て、包みを置く位置を次は変えると言った。
職員から帰路の報告も求められた。
笛の音は届いた。
退く道も、塞がなかった。
そう言われると、ミナはようやく、あの場で動けたのだと思った。
ロゼッタは道具を片付けていた。
ミナは、その手が空くのを待った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「採取の仕事でも、あんなふうに戦えるようになれますか」
横へ向いていた耳が、こちらへ動く。
「なりたい?」
ミナはうなずいた。
「採るところも、槍を使うところも、迷っているように見えませんでした。私も、あんなふうに採取に行きたいです」
「迷うことは、あるよ。知らない土地も、知らない相手もある」
ロゼッタは、袋を背負う紐を整えた。
「今日の草は何度も扱ったし、あの獣の動きも知っていた。知らなかったら、別のやり方を選ぶ」
ミナは、槍へ目を向けた。
「でも、練習した分、選べることは増える。今は、荷物を持って歩ける距離と、足の置き方からだね。武器を習うなら、教えられる人に、体と道具を見てもらうこと」
「はい」
「今日、合図を出して下がれたね。あれも、自分でできるようになったことだよ」
ミナは腰の笛に触れた。
槍を使う姿は、まだ遠かった。
けれど、自分も一つは動けた。
*
その夜、ミナは採取袋から乾いた布を取り出した。
洗う分を分け、記録帳を開く。
葉を傷めずに切ること。
包んだ後、帰るまでのこと。
地面を選んで足を置くこと。
書きたいことが多くて、まず、今日直したところから書いた。
最後に、名前を添える。
探冠ロゼッタ。
採取の最高峰だと、職員が教えてくれた。
ほかにも、それぞれの仕事で認められた人がいる。
ミナは筆を持ち直した。
冠位の人たちは、何ができるんだろう。
書いた後、少し考える。
その下に、小さくもう一行を足した。
どんなことをして、冠位になったんだろう。
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