↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
162/228

第162話 戻る場所を守ります

 窓の外を、雪が横に走っていた。


 厨房の窓から見えていた向かいの屋根が、白いものの向こうへ隠れる。

 ミナは水を張った桶を台へ置き、戸口を見た。

 入口が開くたびに、風が床の上を通っていく。


「外へ運ぶ分は、いったん止める。こちらへ来る人の分を先にしよう」


 ベンノが、受け取った連絡の紙を台へ置いた。

 近隣の設備を確かめに出ている作業班は、途中の避難小屋で待機しているという。


「戻れないんですか」

「今はな。小屋には入れたそうだ。無理に動かさず、向こうの護衛と相談している」


 ミナは頷いた。

 窓の向こうをもう一度見たが、道の端すらわからなかった。


 昨日、配信で雪を見せた窓からは、灯りの落ちる場所が見えていた。

 今日は、昼なのに見通せない。


「ミナ、こっちの芋を頼む」

「はい」


 ミナは台へ向き直った。

 洗ってある芋を取り、皮の傷んだところを確かめる。

 切り始めると、風の音に包丁の音が重なった。


     *


 昼を過ぎて、受け入れる人数が増えた。


 街道を進めなくなった旅人が、町の宿へ振り分けられていた。

 荷運びをする者が泊まる建物も埋まり、支援団の宿舎にも寝る場所を作ることになったという。


「十二人。夕食と、明日の朝の分を追加で」


 連絡に来た係が言った。

 ベンノは食材の控えを見てから、棚へ向かった。


「パンの追加は、今ある分で足りるか確認してくれ。足りなければ、芋を使う。肉は煮込んである分を刻み直そう」


 指示を受けた人が動き出す。

 ミナは使える器を数えた。

 十二人分を別にしてから、今夜帰ってくる作業班の人数を尋ねる。


「そちらは、増えていますか」

「作業員と護衛は、朝の連絡のまま。迎えに出る者もいるから、その分はまた知らせる」


 ミナは名前の並んだ紙を勝手に写さず、人数と確認した時刻だけを自分の紙へ書いた。

 炊事班の女性へ見せると、同じ数を指で確かめてくれた。


「ここは、まだ戻っていない人の分ね」

「はい。元から泊まっている方の分は、こちらです」


 器を置く場所を分けた。

 新しく来る人の方ばかり見て、普段の食事を忘れるわけにはいかなかった。


 ベンノは切った芋を鍋へ入れ、煮汁の量を確かめた。

 玉ねぎと根菜も加わり、鍋の中身が増えていく。


「水だけ増やしても、腹は満たせんからな」


 そう言って、残す分の食材を別の籠へ戻した。

 明日の朝も、人はここで食べる。


     *


 午後の半ば、アストリッドが宿舎へ来た。


 外套の肩に雪がついている。

 入口で払い落とすと、ベンノに向かって、迎えに出る者の人数を告げた。


「これから、作業班を連れて戻る。先の見張り所から、風が弱まっていると連絡があった」

「食事は用意する。着く時刻は?」

「小屋で動けるか確かめてから知らせる。遅くなると思っておいてくれ」


 ミナは追加する器を取りに行った。

 戻ると、アストリッドが卓の上の紙を見ていた。


「帰っていない人の分か」

「はい。こちらは、これから出る方の分です」


 ミナが示すと、アストリッドは数を確かめて頷いた。


「助かる。では、行ってくる」


 ミナは戸口までついていきかけ、足を止めた。

 外では、すでに護衛たちが橇を確かめている。

 自分が出ていっても、手伝えることはわからなかった。


「お気をつけて」


 アストリッドが振り返った。


「そちらも頼む」


 扉が閉じる。

 ミナは、人数を書いた紙を持って厨房へ戻った。


     *


 町を離れると、雪の色が変わった。


 建物から届く灯りがなくなり、道も斜面も灰白色に見える。

 アストリッドは先頭の橇から降り、先行した兵の跡を確かめた。

 地面へ立てた標の頭が、いつもより低い。


「ここから右へ寄せる。溝の側は踏まないように」


 後ろへ伝えると、短い返事が続いた。

 風は弱まったが、止んではいない。

 林の切れ目では顔へ雪が当たり、息を吸うと鼻の奥が痛んだ。


 避難小屋には、煙が上がっていた。


 扉を開けると、作業班の護衛が顔を上げる。

 中にいた者の人数を確かめ、歩ける者と、橇へ乗せる者を分けた。

 炉のそばで足を休めていた職人は、立つと少しふらついた。


「急がなくていい。荷物はこちらで持つ」


 アストリッドは言い、先に一人を外へ出した。

 帰る道をもう一度確かめさせる。

 持ち帰る道具は、橇の荷台へ収めた。


「全員いるな。進もう」


     *


 魔物が現れたのは、帰り道が林を抜ける手前だった。


 馬が首を上げ、前へ進むのを嫌がった。

 御者が手綱を引き締めるより先に、護衛の一人が斜面を指す。


 雪の上を、低い影が動いた。


 白灰色の毛に覆われた四足の獣だった。

 太い前脚で雪を押し、頭を下げて近づいてくる。首の周りには長い毛が密に生え、口を開くと、曲がった牙が見えた。


「白牙だ。橇を先へ」


 アストリッドは斜面側へ出た。

 盾の留めを確かめ、短く両足の位置を変える。

 膝まで埋まる場所へ踏み込まず、橇が固めた道の縁へ立った。


「前は二人。馬を落ち着かせて進め。後ろは、林を見ろ」


 兵たちが動く。

 魔物は、その動きを追って頭を振った。

 アストリッドが半歩進むと、黄色い目が彼女へ戻る。


 次の瞬間、白い塊が跳んだ。


 アストリッドは盾を前へ打ち出した。

 硬い音が響き、飛びかかってきた獣の鼻先が止まる。

 衝撃を受けた腕を引かず、そのまま肩を乗せた。


 盾を、下へ叩き込む。


 宙にあった獣の頭が押し下げられ、顎から雪へ落ちた。

 白い飛沫が上がる。

 アストリッドの靴も固い雪へ食い込んだが、腰は浮かなかった。


 獣が前脚を突っ張り、起き上がろうとする。

 彼女は足を踏み広げ、盾越しにその力を押さえ込んだ。

 盾の縁が軋む。その上で、斧を持つ腕が上がった。


 長柄を短く握った刃が、露わになった首の付け根へ落ちる。


 獣の体が激しく跳ねた。

 アストリッドは踏ん張ったまま、盾を押す力を緩めなかった。

 やがて前脚が折れ、腹が雪についた。


 動きが止まっても、彼女はしばらく、その姿勢を保っていた。


「ほかは?」

「見えません」

「そのまま見ていろ」


 先へ進んだ橇は、林の出口に近づいていた。

 誰も降りていない。御者の手綱も緩んでいない。

 アストリッドは一度息を吐き、斧を引き抜いた。


 今は、町まで連れて帰ることが先だった。


     *


 宿舎では、食事を取る場所をもう一つ空けていた。


 先に着いた旅人たちは、部屋へ案内されている。

 ミナは空いた器を片づけ、卓を拭いた。

 戻ってくる作業班には、医療担当が先に様子を見ると聞いていた。


「ここへ食事を置いても、大丈夫ですか」


 椅子を動かしている係へ尋ねる。

 入口のすぐ近くは空けてほしいと言われ、壁際の卓へ移した。

 濡れた外套を脱ぐ人と、料理を運ぶ人がぶつからないようにする。


 扉が鳴った。


 ミナは顔を上げたが、入ってきたのは連絡の兵だった。


「町の手前まで戻った。歩ける者から入る」


 ベンノが鍋の蓋を開けた。

 ミナは器を持ち、入口の様子を見た。


 少しして、本当に扉が開いた。


 最初に入ってきた男は、眉にも雪がついていた。

 手袋の留め具をつかもうとして、指を滑らせる。

 隣の兵が手を貸し、椅子へ座らせた。


「食事は、この方からいいそうです」


 医療担当の言葉を受け、ミナは器を運んだ。

 男が手を伸ばす。

 その指が、小さく震えていた。


 ミナは器を差し出しかけ、卓の上へ置き直した。


「ここに置きますね。急がなくて大丈夫です」


 匙も手の届く場所へ置く。

 男は頷き、しばらく器を見ていた。

 やがて、肩が少し下がった。


「……いい匂いだ」


 ミナは顔を見てから、次の器を取りに戻った。


     *


 厨房と広間を往復するうちに、外の様子を見る暇がなくなった。


 パンを一つ足す。

 空の水差しを下げる。

 まだ食べられない人の分は、渡したことにせず残しておく。


 誰に渡したか迷ったときは、そばの人へ聞いた。

 同じ人へ二度渡すことより、誰かを忘れることが怖かった。


 ベンノが、厨房の入口から声を掛ける。


「ミナ、一度止まれ。今、残りは何人だ」


 ミナは紙を見た。

 医療担当の確認を待つ人と、外で荷物を片づける護衛。

 数え終えて伝えると、ベンノも鍋の中身を見た。


「合っている。水を飲んでから、こっちを運んでくれ」

「はい」


 器を置いて、一口飲む。

 自分の喉も乾いていたことに、そこで気づいた。


 広間では、戻ってきた人たちが少しずつ話し始めていた。

 避難小屋の薪が残っていて助かったこと。

 道具を橇へ載せてもらったこと。


「途中で、白牙まで出たんだ」


 その声に、ミナの手が止まった。


「魔物が?」

「護衛の隊長が止めてくれた。こっちは、そのまま進めと言われて」


 ミナは戸口を見た。

 アストリッドの姿は、まだなかった。


「怪我をされた方は……」

「そっちでは、誰も。俺は小屋の前で滑っただけだよ」


 男が自分の膝を示した。

 ミナは頷き、残してある器の数を確かめた。


     *


 オルヴェンも宿舎へ戻り、入口近くの暖房設備を現地の職人と確かめていた。


 人が出入りするたびに、部屋の端が冷えてしまう。

 仕切り布を掛ける位置を変え、濡れた衣服を置く場所と、座って休む場所を分けている。


 ミナが料理を運んで通ると、オルヴェンは布の端を押さえてくれた。


「ありがとうございます」

「こちらは通れるようにしておくよ」


 布の向こうでは、世話役が乾いたものを配っていた。

 洗い場で湯が戻った日、籠を運んでいた女性もいる。


「次は、この方の分ね」


 呼ばれて、ミナは卓へ向かった。

 自分ができる仕事は、まだ残っていた。


     *


 アストリッドが厨房へ顔を出したときには、広間の声は落ち着いていた。


 外套の肩は濡れて、暗い色になっている。

 武器は入口の決められた場所へ預けてきたらしい。手袋を外した手に、小さな擦れがあった。


「まだ、私の分はあるかな」

「はい。残してあります」


 ミナはすぐに答えた。

 ベンノへ一声掛け、温めていた鍋から器へ盛る。

 芋と根菜、細かくした肉を、偏らないように取った。


「皆さん、戻れたんですか」

「全員いる。今、最後の確認をしてきた」


 アストリッドは椅子へ腰を下ろした。

 ミナは卓へ器を置き、パンを添えた。


 隊長は匙を取り、湯気へ息を吹きかける。

 一口食べて、目を伏せた。


「……戻ってきてよかった」


 大きな声ではなかった。

 ミナは空の盆を持ったまま、ようやく息を吐いた。


「魔物が出たって、聞きました」

「ああ。でも、そちらまで来ることはなかった」


 アストリッドはもう一口食べ、ミナを見た。


「戻った後に、すぐ座れて、食事があった。助かったよ」


 ミナは頷いた。

 何と返せばよいか考えていると、ベンノが別の器を卓へ置いた。


「ミナも食べろ。片づけは交代だ」


 その声で、急にお腹がすいていることがわかった。

 盆を戻し、手を洗ってから席につく。


 窓の外では、まだ風が鳴っていた。

 自分では歩けない雪の道を、今日、アストリッドたちは通ってきた。

 ミナはその道へ出なかった。

 けれど、戻ってきた人たちの前へ、食事を置くことはできた。


 匙を入れると、芋が柔らかく崩れた。


「温かいです」


 思わず言うと、アストリッドが頷いた。


「ああ」


 二人で、少しの間、黙って食べた。



※近況ノートに挿し絵・キャラクター紹介イラストを掲載中です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。