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第159話 雪の町の台所

 朝、窓の下で木を擦る音がしていた。


 ミナが寝台から起き上がると、向かいの家の前で、男が雪を押していた。

 昨夜、人が通れるようになっていた場所が、また白くなっている。

 男は戸口から少しずつ道を広げ、途中で腰を伸ばした。それから、隣の家の前まで進んでいく。


 昨日、護衛が話していたことを思い出した。

 雪には慣れている。ただ、今年は取り除くための時間が長い。


 ミナは窓から離れ、服を重ねた。

 支援団の宿舎でも、入口の前は誰かが先に通れるようにしてくれていた。


     *


 厨房へ入ると、眼鏡が曇る、と後ろで誰かが笑った。


 壁際の炉から熱が広がり、長い台には洗った根菜が籠ごと置かれている。

 天井には太い梁が渡り、その下を、布を抱えた人が足早に通り抜けた。

 窓の外は雪だったが、ここでは袖口を留め、上着を脱いで働いていた。


「外套はそっち。濡れたものと、仕事に使う布は分けてくれ」


 声を掛けたのは、肩幅の広い男だった。

 前掛けの紐を腰で結び直し、ミナたちへ向き直る。


「ベンノだ。ここの厨房を預かっている。まずは名前と、今まで何をしてきたか聞かせてもらおう」


 順番が来て、ミナは一歩前へ出た。


「ミナです。食堂の手伝いと、採取をしてきました。エルディアでは、曜日を決めてお店で料理も作っていました」

「十四だったな。扱ったことのない食材は、遠慮せず言ってくれ」

「はい」

「知っていると思っても、ここでの使い方は違うかもしれん。最初は見てもらいながらやろう」


 そう言って、ベンノは保存庫へ案内してくれた。


 棚には、土のついた根菜が入った箱と、蓋をした壺が並んでいた。

 梁の下には燻した魚が掛かり、奥には大きな樽がある。

 ミナは入口で足を止め、見えるものを順に確かめた。


「たくさん、あるんですね」

「冬の間に使う分だからな。一度に使える量じゃないぞ」


 ベンノが箱の脇に挟まれた札を見せる。

 入れた日と、使った量が書いてあった。


「次の荷が遅れている。町の店にも回すものがあるから、献立を変える日もある。足りなくなりそうなら、使い切る前に知らせてくれ」


 ミナは頷いた。

 棚が埋まっていることと、余っていることは同じではなかった。


「ここは、外ほど冷たくないんですね」

「凍らせたくないものもあるからな。扉は開けたままにしないように」


 最後の人が入るのを待って、ミナは扉を閉じた。


     *


 最初に任されたのは、根菜の下ごしらえだった。


 ミナは一つ持ち上げ、皮の硬さと、切り口を見た。

 似たものは知っていたが、手の中の根菜は、見慣れたものより細長い。


「これは、どこまで皮を落としますか」


 ベンノが一本を取り、包丁を入れて見せた。


「この辺は薄く。首の方は筋が残るから、触って確かめてくれ。今日は焼く分と、汁に入れる分に分ける」


 見本を横へ置いてもらい、ミナも切り始めた。

 硬いところを指で確かめ、刃の向きを変える。

 最初の一本を見てもらってから、次へ進んだ。


 しばらくして、ベンノが台の横へ戻ってきた。

 切った根菜を二つ並べ、厚みを見る。


「揃っているな。これなら焼く方を任せられる」

「ありがとうございます。端の細いところは、こちらでいいでしょうか」

「ああ、汁の分へ。そっちは私が見る」


 ベンノがミナの手元に目を移す。


「いい包丁を使っているな」

「おじさんの形見みたいなもので」

「大事に使っているようだ。喜んでいると思う」


 ミナは籠を分けた。

 褒められたことが嬉しかったが、手元を急がせないようにした。

 次の一本は、さっきより筋が硬かった。


 台の向こうでは、別の人が壺から野菜を取り出していた。

 酸っぱい匂いが、少しだけ流れてくる。


「今年のは、いい具合になったね」

「昨日開けた方か?」

「そう。あとで食べてみな」


 何気ない会話だった。

 ミナは切り終えたものを籠へ入れながら、どんな味なのだろうと思った。


     *


 午前の仕事が終わる頃、夕方の予定について説明があった。


 町に滞在している王女が、支援団を迎える席を設けるという。

 雪の被害や物資の届き方を確かめるため、ベルクを訪れているのだと聞いた。


「王女様……」


 ミナは思わず繰り返した。

 隣にいた女性も少し驚いた顔をしたが、係の人は続けた。


「長い宴席ではありません。こちらの担当者との顔合わせも兼ねています。皆さんも参加してください」


 厨房の手伝いも行ってよいのか尋ねると、もちろんだと返ってきた。


 部屋へ戻ってから、ミナは持ってきた服を出した。

 仕事の前掛けは外し、袖口を確かめる。旅の途中でついた皺を手で伸ばした。

 新しく立派な服を買う必要はないと説明されていたが、どこへ手を置けばよいのかまで気になった。


「挨拶は、こうで合っていますか」


 係の女性に教わって、頭を下げてみる。

 深く下げすぎないこと。名を尋ねられたら、はっきり答えること。

 ミナはもう一度繰り返した。


 ダリヤと初めて話したときにも、ずいぶん緊張した。

 今度は会う前に、聞いておける。


「うまく話そうとしなくて大丈夫。仕事のことを聞かれたら、今日やったことを答えればいいのよ」


 ミナは頷いた。

 根菜なら、何をしたか説明できる。


     *


 王女の滞在する館は、町の広場に面していた。


 玄関で雪を落とし、外套を預ける。

 広間には幾つかの小卓が置かれ、壁際の暖炉で薪が燃えていた。

 花を飾った大きな器があると思って近づくと、それは乾燥させた枝と、赤い実を組み合わせたものだった。


 窓の外はもう青暗い。

 内側の明かりが硝子へ映り、その手前を給仕が通っていく。


 中央に立った王女は、支援団へ礼を述べた。

 年はセリカより少し上に見えた。深い青の衣服の襟に、小さな銀の飾りをつけている。


「遠くから来てくださった皆さんを、歓迎します」


 町の設備を使える状態に保つことも、食事や寝具を用意することも必要な仕事だと、王女は言った。

 集まった人たちの方へ目を向けながら、一つずつ話す。


 ミナは両手を揃えて聞いていた。

 その隣では、午前中に布を運んでいた女性が、少し照れたように背筋を伸ばした。


 挨拶の後は、それぞれ近くの人と言葉を交わした。

 オルヴェンは現地の担当者と話している。

 アストリッドもいたが、今は斧や盾を持たず、広間の入口近くで団の責任者と話していた。


 ミナは小さな皿を受け取った。

 薄く切った肉と、酸味のある野菜。それから、こんがりした表面を持つ、四角い料理が載っている。

 前に配信で見たような豪華な料理が目の前に並ぶ。


 匙を入れると、柔らかな芋の層がほどけた。

 間から、ほぐした魚と玉ねぎが出てくる。

 口へ運ぶと、燻した香りがした。その後に、乳のまろやかな味が残る。


 ミナはもう一度、切り口を見た。

 芋は柔らかいのに、汁の中へ崩れてはいない。


「お気に召しましたか」


 顔を上げると、王女がすぐ近くにいた。

 ミナは慌てて匙を置き、教わった通りに頭を下げた。


「はい。とても、おいしいです」


 紹介する係の人が、ミナの名と担当を告げた。


「今回の支援団では、最年少の参加者です」

「そう。あなたも厨房で働いてくださるのですね」

「はい。まだ、こちらの食材は知らないものが多いので、教えていただきながらになりますが」


 王女が頷いた。


「今日は何を?」

「根菜の下ごしらえをしました。似たものは使ったことがあったんですけど、皮の硬さが違っていて……あの、切り方を見せていただきました」


 答えている間に、給仕が隣の卓へ大皿を置いた。


 焼いた肉の脇に、淡い色の花が添えられていた。

 薄い花びらの縁だけが、わずかに透けている。

 根菜だろうか。生の硬さには見えないのに、きれいに開いた形を保っていた。


 ミナは目を戻した。

 王女は、旅の間に困ったことはなかったか尋ねてくれていた。


「はい。皆さんに教えていただいて……」


 花びらの端が、湯気の向こうで揺れた。


「……あれは、切ってから火を通しているのでしょうか」


 言ってから、ミナは口を閉じた。

 聞かれたことへの返事の途中だった。


「す、すみません」


 王女が大皿へ目を向ける。

 そばへ来ていたオルヴェンが、穏やかに声を添えた。


「こちらの料理が、よほど気になったようです。この子は、食べたものを自分でも作ってみようとするんですよ」


「料理をするのが、好きなのですね」


 ミナは小さく頷いた。


「はい。おいしかったものを、帰ってからも作れたらと思って」


 王女は少し笑い、そばの係へ何かを尋ねた。

 係が厨房へ向かい、しばらくして戻ってくる。


「給仕が落ち着いた後なら、お見せできるそうです」


 ミナは顔を上げた。


「では、厨房も見ていきなさい。私に聞くより、詳しく教えてもらえますよ」

「よろしいんですか」

「ええ。ただし、お仕事の邪魔をしないようにね」


 ミナは皿を落とさないよう持ち直して、礼を言った。

 さっきまで置き場所に困っていた手が、今度は少し落ち着かなかった。


     *


 厨房へ案内されたのは、広間から下げる皿が増え始めた頃だった。


 入口で上着の袖を留め、手を洗う。

 責任者の料理人が、見学してよい場所を示した。


「そこなら、人の通り道を塞がない。何か見たいようだが、まず質問だ」

「はい」

「お嬢ちゃん、今日の料理はうまかったか?」

「はい、とても」


 料理人は嬉しそうに何回か頷いた。そして改めてミナに何が見たいのかを聞いた。


「根菜のお花です。それと、魚と芋のお料理も、聞いてみたいです」

「飾り切りと重ね焼き、両方か。」


 料理人は笑い、残っていた根菜を一片持ってきた。

 ミナの包丁を借りるのではなく、台の上にある細い刃物を取る。


「花びらの形に切ってから、短く火を入れる。柔らかくしすぎると、立たなくなる」


 薄い一枚を指で曲げて見せてくれた。

 折れずに曲がるところまで火を通し、重ねる向きを変えて形を作るという。


「広間で見たのは、これより少し大きな根で作ったものだ。今日は、このくらいの大きさが限界だな」


 手元を見ていると、花びらが一枚増えるたびに、形が変わった。

 ただ薄く切るだけではなかった。


「根の、曲がっているところを使うんですね」

「ああ。無理に真っ直ぐなところから取るより、収まりがいい」


 ミナは、使わずに残った部分も見た。

 小さな屑は、別の器へ入れられている。


「そちらは?」

「刻んで汁へ。硬い皮や傷んだところとは分けている」


 聞くと、料理人は器を傾けて見せてくれた。

 ミナは今朝の籠を思い出した。


     *


 魚と芋の重ね焼きは、大きな器で幾つかに分けて作られていた。


「全部を一度には焼かないんですか」

「出す頃に焼き上がるよう、少しずつずらしている。今夜は立って話す席だから、皆が同時に食べるわけじゃない」


 炉のそばでは、次に使う皿も温められていた。

 熱くなりすぎない場所へ置き、運ぶ人が取り出している。


 料理人は最後の器を切り分けながら、魚のことも教えてくれた。


「燻製なら、同じだけ塩を足せばいいというものでもない。魚の塩気を見てからだ」

「芋も、その味を吸うんですね」

「そう。乳を入れる量も、芋と魚の様子で変える。汁が多ければいいわけじゃないからな」


 ミナは、食べたときの柔らかさを思い出した。

 匙を入れればほどけるのに、皿へ取った形は残っていた。


「魚を大きく残したところと、細かくほぐれたところがありました」

「全部同じにすると、食べたときに魚がわかりにくいだろう。細かいところは、周りに味を出してくれる」


 奥から、次の皿を頼む声がした。

 料理人が返事をし、ミナは半歩下がる。

 給仕が通ってから、台へ目を戻した。


 きれいな花を作る手と、大きな器を切り分ける手。

 その横で皿を拭き、置く場所を空ける人がいる。

 広間では一皿になっていたものが、ここでは何人もの仕事に分かれていた。


「ありがとうございます。もう、お邪魔しません」

「知りたいことは聞けたかい」

「はい。……また、作ってみたいです」


 料理人は、根菜の小さな花を見た。


「最初は少ない枚数でやるといい。食べて、硬さも確かめながらな」


 ミナは頷き、もう一度礼を言った。


     *


 館を出る前に、オルヴェンと会った。


「緊張したかな」

「はい。でも、厨房を見せていただけたんです」


 ミナは、預けていた外套へ腕を通した。


「お花は、切ってから火を通すんです。柔らかすぎても駄目で、根の丸いところを使うと、形が作りやすくて。それから、魚のお料理は……」


 話している途中で、オルヴェンが笑っていることに気づいた。


「すみません。私ばかり」

「いや。いい時間になったようだね」


 ミナは頷いた。

 王女と話すことになったときには、挨拶を間違えないか、そればかり考えていた。

 今は、忘れないうちに書いておきたいことがたくさんあった。


「オルヴェン様も、お話はできましたか」

「うん。明日見せてもらう場所が決まったよ。私も帰ったら、聞いたことをまとめておこうと思っている」


 玄関が開き、冷たい空気が入ってきた。

 ミナは襟元を閉じ、先を歩く団員の後へ続いた。


     *


 宿舎へ戻ると、ミナは記録帳を開いた。


 根菜を切る向きと、花びらを重ねる順番。

 描いた花は実物ほどきれいではなかったが、見た手つきを思い出す役には立ちそうだった。


 隣の寝台の女性が、覗き込んで笑った。


「王女殿下のことを書いているのかと思った」

「そちらも、書きます」


 ミナは少し照れて、厨房を見せてもらった経緯を書き足した。

 それから、魚と芋の料理の頁へ移る。


 作れるようになりたい。

 でも、明日の厨房で勝手に試すわけにはいかない。

 まずはベンノに、今日教わったことを話してみようと思った。


 道中の宿で、先に盛った食事を冷ましてしまったことも思い出した。

 今夜の皿は、最後まで温かかった。

 飾りだけでなく、焼く時刻も、皿を置く場所も、そのために考えられていた。


 ミナは花の絵の横へ、一行書いた。


 温かいまま渡す。


 筆を置くと、窓の外でまた雪を押す音がした。

 明日の朝も、厨房には人が戻ってくる。

 ミナは記録帳を閉じ、仕事用の前掛けを、すぐに取れるところへ掛けた。



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