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第155話 私にできる仕事

 グレンが通知を受け取ったとき、長靴にはまだ道の泥がついていた。


 地方のギルドへ戻ると、王城から回された封書が預けられていた。外套を脱ぎ、借りた机の端へ手袋を置いて封を切る。

 営生冠オルヴェンの、スヴァルト王国への派遣。

 主な任務は、給水と保温の設備を改善し、現地の術師へ技術を伝えることだった。


 グレンは、添付された報告を読み直した。


 降雪量の増加。

 街道の一部閉鎖。

 夜間の温度低下による、設備の不具合。


「……北でも、か」


 呟いてから、地図を広げた。

 自分が巡ってきた村や街道には、小さな印をつけてある。魔物が姿を見せなくなった場所も、逆に現れるようになった場所もあった。

 水場や餌が変わったことで説明できそうなものもあれば、まだ理由のわからないものもある。


 北の雪と、同じ原因なのか。

 今ある報告だけでは、決められなかった。


 グレンは紙を引き寄せた。

 雪が多い、寒さが厳しい。それだけでは、後から比べるときに困る。

 いつ、どこで、どのくらい変わったのか。

 魔力を測るなら、天候や時刻も一緒に残しておきたかった。


 観測する場所をいくつか決め、繰り返し記録すること。

 設備が壊れた場所だけでなく、同じ地域で問題なく使えている場所とも比べること。

 近くで魔物の動きが変わっているなら、その時期も確認すること。


 そこまで書いて、筆を止めた。


 調べるために、人を無理に奥へ進ませる必要はない。

 まずは通行が維持されている道と、人の暮らす拠点でよい。

 オルヴェンが設備を直す前後で、測定した条件が変わることも書き添える。


「明日は、予定通りでよろしいですか」


 案内を頼んでいた冒険者が、戸口から声をかけた。


「ああ。上流の水場を確かめる。出発までに、こちらを王城へ回してもらえるか」


 グレンは書き上げた紙を、通知とは別の封筒へ入れた。

 北の報告が届いたからといって、今いる場所の確認が終わったわけではない。

 地図を畳む前に、明日歩く道へもう一度指を置いた。


     *


 別の町で通知を受け取ったレオンは、宿の食堂で添付資料を広げていた。


 食事の皿を脇へ寄せたまま、給水路の略図を見ている。

 同じ席にいた同行の術師が、冷めかけた料理を示した。


「先に召し上がっては」

「そうですね」


 返事をして、一口食べる。

 次の紙へ手を伸ばしかけ、今度は自分で止めた。


「オルヴェンさんが行かれるなら、設備の方は安心です。ただ、測定器も持っていった方がいい」

「エルディアで使われたものですか」

「ええ。あれは助かりました。私が感じ取ったことだけでは、ほかの人が同じ場所で比べられませんから」


 寒い国だと聞いて、氷を作れば準備になるとは考えていなかった。

 荷物として何日も運び、冷えた場所から暖かい建物へ入れ、翌日また外へ出す。

 機器は、その繰り返しの中で使うことになる。


「低い温度でも、同じ値が出るか確かめてほしいですね。持ち運んだ後と、置いておいた後でも」

「故障の確認でしょうか」

「それもですが、装置の変化を土地の変化と間違えると困ります」


 食事を終えると、レオンは王城へ送る意見を書いた。

 探査装置の追加と、寒冷地での使用確認。

 測定を担当する者をつけ、生活設備を扱う術師と作業を分けること。


 雪の増加が異変によるものなら、早く気づける方がいい。

 違うのであれば、それも確かめたい。


 最後に、装置を作る側へエルディアでの使用記録を渡せると書き添えた。

 封をした後、机の隅に残っていた食器を、食堂へ返しに下りた。


     *


 各地から寄せられた意見は、王城の担当部署でまとめられた。


 観測を加えるとしても、先方の了承なしに測定するわけにはいかない。

 調べる場所と目的を伝え、現地の担当者と記録を共有する形で調整が進んだ。


 スヴァルト側からも、すでに集めている記録を使えるという返答が届く。

 支援団へ観測担当と測定器を加えることが決まった。


 オルヴェンは、更新された人員の一覧に目を通した。


「私たちが設備を動かすときは、先に伝えよう。測っている途中で条件を変えたくないからね」


 助手へ言い、作業予定に一行を加える。

 調査のために修理を止め続けることも、修理のために記録を失うこともないよう、出発前に話しておく必要があった。


     *


 リュネールのギルドでは、長机が二列に並べられていた。


 ミナは端の席へ座り、筆記具を出した。

 周りには大きな荷物を持った人も、仕事着のまま来た人もいる。顔を知っている運搬の仕事の人に会釈すると、向こうも手を上げてくれた。


 説明をする職員が、前へ出る。


「今日は、支援団の生活と補給を支える仕事について説明します。勤務する場所によって条件が違いますので、希望する仕事を確認しながら聞いてください」


 ミナは、食事の補助と書かれた箇所を見た。

 街道沿いの拠点では、宿場の建物を利用する予定になっている。現地の責任者がつき、調理を担当する者だけでなく、物資を受け取る者や、食器を洗う者も配置される。


 ただし、最初から必要な道具が全部揃っているとは限らなかった。

 人数が増えた日は、食事をする時刻を分けることもある。


「作業班の帰着が遅れる場合があります。食数の変更は、責任者を通して確認してください」


 ミナは手を上げた。


「帰ってくる時間が違う方の分は、分けて用意するんですか」

「その予定です。全員分を同時に出せる日ばかりではありません」

「温め直す場所も、使えますか。できたものをずっと火にかけておくと、後の方の分が変わってしまうので」


 職員が頷き、隣に置いた資料を開いた。


「その点も、現地で確認する項目です。到着したら、まず設備と作業の分担を覚えていただきます」


 ルガンで食事を作ったときのことが浮かんだ。

 同じ鍋から出しても、食べる時間が違えば、同じ状態では渡せない。

 雪の中で働く人が帰ってくるなら、なおさら、待たせずに温かいものを出せたらと思った。


 ミナは、温め直す場所、と書いた下に線を引いた。


     *


 全体の説明の後、希望する仕事ごとに話を聞く時間があった。


 ミナの番になると、職員は登録札を確かめた。

 年齢を見てから、顔を上げる。


「料理の仕事をしたことはありますか」

「はい。コルナの食堂で手伝っていました。それから、エルディアのサハルで、食堂の料理を担当したことがあります。今はこちらの料理屋で、仕込みをしています」

「サハルでは、どのくらいの人数の食事を?」


 ミナは、初めて料理を出した日のことを思い出した。


「最初の日は、三十八人分出ました。ほかの方が配膳と会計をしてくださって、私は台所の方を。営業する日や時間は決まっていて、毎日ではありません」


 店を一人で動かしていたように聞こえないよう、働いていた人のことも話した。

 食材を受け取ること。足りなくならないよう数を確かめること。仕込みを手伝ってもらったこと。


 職員は途中でいくつか質問し、記録を取った。


「寒い土地での仕事は?」

「ありません」


 そこは、すぐに答えた。

 雪を見たことと、その中で働けることは違う。


「では、希望するなら拠点での補助からの確認になります。調理の経験だけで派遣が決まるわけではありません。事前の講習と、実際の作業も見せていただきます」

「はい」

「年齢も含め、受け入れ先と確認します。食事の班だけでなく、団全体の規則にも従っていただくことになります」


 ミナは頷いた。

 行けるかどうかは、まだ決まっていない。

 けれど、聞いてもらえた経験が、自分にはあるのだと思った。


     *


 下宿へ戻ると、約束していたラグが来ていた。


 ミナは台所の机へ案内を広げ、説明されたことを順に話した。

 ラグは途中で急がせず、ミナが書き込んだ余白まで見てから尋ねた。


「現地で、困ったときに相談する方は決まりますか」

「食事の班に責任者がつくそうです。体調のことは、団の担当の方にも伝えるようにと」

「拠点から別の場所へ移るときは?」

「自分で出かけず、指示された便で。道の案内と護衛がつくそうです」


 ラグは紙の上の行程を指で辿った。

 通れなくなった場合には、途中の宿場で待つこともある。その間の宿泊と食事は団で手配するが、帰る予定は変わり得ると書いてあった。


「帰りの日が動くことは、今働いている店にも伝える必要がありますね」

「はい。まだ応募の段階ですけど、相談しておこうと思います」


 配信についても、どこでも自由にできるわけではなかった。

 建物の中や作業の様子を映すときは、担当者へ確認する。道の情報や人の姿を、勝手に流してはいけない。

 ミナは、その説明にも印をつけていた。


 ラグは紙から目を離した。


「私が隣にいない場所でも、相談する相手を決めておいてください」


 静かな声だった。

 ミナは、頷く前に少し考えた。


 できないと言えば、仕事を任せてもらえなくなるかもしれない。

 そう思って、黙ってしまうことはないだろうか。

 任された分を終えようとして、寒い手を隠してしまわないだろうか。


「……困ってから初めて探すんじゃなくて、先に聞いておきます」

「ええ。その方が、相手も気づきやすくなります」


 ラグは、自分の右手を机へ置いた。


「できることが増えると、頼まれることも増えます。引き受ける前に、確かめてよいのです」


 ミナは案内へ目を戻した。

 どんな場所なのか、まだ見ていない。

 知らない食べ物や、知らない暮らしを見てみたい気持ちもある。

 それだけで仕事ができるわけではないことも、わかっていた。


「できないことを教えていただきながら、できる仕事をしたいです」


 言ってから、ラグを見る。


「応募してみます」


 ラグはゆっくり頷いた。


「では、確かめるところからですね」


     *


 応募の紙には、経験を書く欄があった。


 ミナは最初に、料理、と書きかけた。

 けれど、それだけでは、今日説明したことが伝わらない。

 筆を止め、手元の記録帳を開いた。


 サハルの食堂で担当したこと。

 ルガンで、作業する人たちの食事を用意したこと。

 今、料理屋で任されている仕込み。


 何人で、どの部分を担当したのか。

 思い出しながら、一つずつ書いた。


 薬草の採取と選別についても、仕事として受けていることを記す。

 ただし、北の植物を知っているわけではない。

 知らないものを見分けられるとは書かず、教わった条件に合わせて選別し、記録を残してきたことを書いた。


 小さな欄が、少しずつ埋まっていく。

 書ききれなかった分は別紙でもよいと言われていたが、まず、必要なことが伝わるように読み直した。


 翌日、ミナは料理屋へ事情を話してから、ギルドへ向かった。

 応募の紙を差し出すと、職員が記入された欄を順に確かめる。


「受け付けます。確認の日程は、決まり次第お知らせします」


 ミナは控えを受け取った。

 派遣を認める紙ではない。自分が申し込んだことを示す、小さな紙だった。


「よろしくお願いします」


 袋へしまう前に、書いた名前をもう一度見た。

 その隣には、これまでの旅で実際に働いた場所と、そこで任された仕事が並んでいた。



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