第153話 帰ってからも、できること
古い記録帳には、道の脇に大きな木があると書いてあった。
その木は、今も同じ場所に立っている。
けれど、目印にしていた太い枝は折れ、幹の根元に積まれていた。
ミナは道の標識を確かめてから、記録帳へ短く書き足した。
「この先の水路に板が渡してあると、受付の方が言っていました」
「雨の後は、こちらへ水が流れるようになったそうです」
ラグが、道の端に残った泥を指した。
晴れた今日は乾いているが、低いところには細かな葉が集まっている。
以前も歩いた道だった。
だからといって、以前の通りとは限らない。
ミナは袋の位置を直し、板の上へ足を乗せる前に、向こう側の地面を見た。
帰国してから、初めて受けた採取の依頼だった。
薬草を乾燥させて使う店へ、傷の少ない葉を届ける。必要な量も、帰りの距離も、二人で相談して決めていた。
近くでの魔物の目撃情報は、朝にもう一度確かめてある。
「今日は、あちらの斜面までにしましょう」
「はい」
ラグが地図を閉じる。
ミナも頷き、肩に留めた水晶の向きを確かめた。
*
「こんにちは。今日はリュネールの近くで、採取のお仕事です」
公開配信を始めると、しばらくして文字が届いた。
〈やまみち:おかえり。今度は、そちらの草を見せてもらおうかな〉
「やまみちさん。はい、ただいまです」
久しぶりにその名前を見て、ミナは顔をほころばせた。
ラグも文字板へ一度目を向け、軽く会釈する。
けれど、そのまま画面を覗き続けることはせず、道の曲がる方へ視線を戻した。
採取する株は、明るい斜面に点々と生えていた。
ミナは葉の裏を確かめ、地面へ目を落とす。雨水が流れた跡では、土が削られ、細い根が少し見えている。
その株には触れず、少し離れたところへ移った。
〈やまみち:葉だけ見ていた頃とは、ずいぶん違うね〉
袋を下ろしてから、届いていた文字を読んだ。
「ルガンで、地面の下も見るように教わりました。ここは葉だけを採りますけど、根元の土が減っていたので」
触らなかった株の方へ、水晶を少し向ける。
〈やまみち:うん。あの株から、今日は採らないんだね〉
「はい。ほかにもありますから」
ミナは道へ戻りやすい位置に袋を置き、底が傾かないよう確かめた。
中の木枠に布を掛け直し、採った葉を入れる場所を空ける。
「枠があると、袋を下ろしても中が潰れにくいんです」
ラグが少し屈んで見た。
「ルガンで作っていただいたものですね」
「はい。帰る前に、紐のところも直していただきました」
指先で、結び目が移ったところを示した。
以前は葉を一束増やすたび、包みが押されていないか気にしていた。
今日は、入れる場所が先に決まっている。
それでも、いっぱいになるまで詰めてよいわけではない。
ミナは布の間に隙間を残し、最初の葉を置いた。
*
刃を入れ、葉を受け取る。
裏側だけでなく、縁にも裂け目がないかを見る。
何枚か揃えたところで手を止め、ミナは顔を上げた。
ラグは少し横へ移り、木の陰になる場所を見ていた。
「ラグさん。次は、右の株へ行きます」
「はい。その場所なら、こちらから見えます」
返事を聞いてから、ミナは袋ごと移った。
屈んだまま届く範囲を広げようとすると、足元を確かめるのが遅くなる。ルガンでも、何度か姿勢を直したことがあった。
ひと区切りついて文字板を見ると、もう一人、知っている名前があった。
〈こぐま:いいな。二人で来ていることを忘れていない〉
「こぐまさん、こんにちは」
ミナは手の土を払った。
「見てもらっているからこそ、私もラグさんがどこにいるか、わかるようにしています」
〈こぐま:それでいい。動く前に知らせてくれると、守る側も場所を選べる〉
ミナはラグを見た。
彼は斜面の下へ目を向けたまま、頷いた。
「助かっていますよ」
そう言われると、少し背筋が伸びた。
ただ、そこで長く文字を待つことはせず、ミナは次に採る葉へ戻った。
風が吹き、布の端がめくれる。
片手で押さえてから、留め直す。
葉を揃える間に、遠くで鳥が鳴いた。
今日は戦う必要も、大きく逃げる必要もなかった。
決めた範囲で必要な分を揃え、戻る時刻より前に、袋の口を閉じることができた。
*
休憩所の日陰には、まだ朝の冷たさが少し残っていた。
ミナは水を飲み、包んだ葉が蒸れていないか確かめる。
その間に、ラグが昼食の包みを開いていた。
パンと、厚く焼いた卵。
卵には炒めた玉ねぎと香草が入り、切り口に緑が点々と見えた。
「卵焼きは、冷ましてから包みました。こちらがミナさんの分です」
「ありがとうございます」
〈こぐま:それも、ラグ殿が?〉
文字に気づいたラグが、水晶へ顔を向けた。
「はい。今日は人数も間違えておりません」
〈やまみち:今日は?〉
ミナはパンを受け取りながら笑ってしまった。
「少し前に、芋のお料理を作りすぎてしまったそうで」
「無事に召し上がっていただけましたので、何よりでした」
〈こぐま:余るくらいなら、俺が食べに行きたいところだ〉
〈やまみち:それは、今度は足りなくなるんじゃない?〉
ラグが一度、自分の包みを見た。
「その際は、事前に人数と食べる量を伺うことにします」
ミナは笑いを収め、卵を一切れ口へ運んだ。
玉ねぎの甘さと、少し強めの塩気がする。パンと一緒に食べると、ちょうどよかった。
「おいしいです。今日の帰りは、まだ歩けそうです」
「では、作ってきた甲斐がありました」
食べ終える頃、やまみちから、そろそろ仕事へ戻るという文字が届いた。
こぐまも、午後の講習に向かうらしい。
「見てくださって、ありがとうございました。いってらっしゃい」
画面へ手を振り、ミナは最後の水を飲んだ。
二人にも、それぞれの一日がある。
自分たちも、葉を届けるところまで終えなければならなかった。
*
依頼の納品先では、葉を広げるための浅い籠が並んでいた。
店の人がミナの包みを開き、束を一つずつほどく。
汚れのある葉と、折れた葉を別にするつもりだったらしいが、手を止めて包みの底まで見た。
「きれいに持ってきたね。ありがとう、選り分ける手間が少なくて助かる」
「帰りに揺れないよう、仕切りを入れています」
袋を開いて見せると、店の人は木枠の間を覗き込んだ。
「その分、一度に運べる量は減るだろう?」
「はい。全部を押し込むより、傷ませずに帰れる量で考えています」
店の人は頷き、受領の紙へ印を押した。
それから、葉を一枚持ち上げる。
「次も頼めるなら、この付け根のところを、もう少し残してもらえるかい」
「ここですか」
「そう。この部分を持てると、葉に触れずに並べられる。乾くときも重ならないようにしたいんだ」
使い終わった部分は後で取り除くという。
長すぎても邪魔になるので、実物を並べてもらい、ミナは残す長さを記録した。
「次は、依頼の条件にも書いておくよ」
「はい。その形で採ってきます」
外へ出ると、ラグが待っていた。
報酬をしまってから、新しく教わったことを伝える。
「採った後にどうするかで、残すところも違うんですね」
「料理と似ていますか」
「はい。下ごしらえの続きが、あのお店にあるみたいです」
ミナは記録帳を閉じた。
次に来るときには、今日とは少し違う形で届けられる。
*
数日後、ラグに案内してもらった料理屋で、ミナは前掛けの紐を結んだ。
昼の忙しい時間を外して訪ね、人手の必要な日がないか尋ねたのだった。
サハルで料理を出していたことを話すと、店主は仕事の人数や、何を任されていたのかを聞いた。
その上で、まず一度、仕込みを手伝ってみることになった。
「今日は、こっちの切り方で揃えてくれればいい」
台へ見本の根菜が置かれる。
ミナは包丁を抜き、最初の数切れを見てもらった。
「もう少し厚くていい。昼に温め直すから、薄いと崩れちまう」
「はい」
切る幅を変える。
普段、自分の鍋で作るときより厚い。
店では大きな鍋で先に煮て、出す直前に温める。その時間も含めた厚さなのだと、後からわかった。
次の作業へ移る前に、切ったものの置き場所を尋ねた。
洗った器と、まだ使う器を分ける場所も教えてもらう。
包丁を速く動かすだけでは、店の仕事は進まない。
ミナが台を空けると、その場所へ別の人が大きな皿を置いた。
「助かる。次もこの時間に来られる?」
仕事を終えたときに聞かれ、ミナは採取の予定を確かめてから頷いた。
*
それから数週間、下宿の机に置いた予定の紙が、少しずつ埋まっていった。
ラグと採取へ出る日もあれば、料理屋で働く日もある。
ラグが別の護衛を引き受けた日は、ミナも無理に遠くへ行かず、町でできる仕事を入れた。
休みの日には、靴を修理へ出した。
底の減ったところを示され、旅先でどのように歩いていたかを思い返す。
戻ってきた靴は、履き慣れた形のまま、踵の当たり方が少し変わっていた。
料理屋でもらった賄いの味を、記録する夜もあった。
配信をしない日には、道具を拭いて早く寝た。
受け取った報酬から、下宿代と食費、修理に使った分を引く。
次の旅のための袋へ移せる硬貨は、日によって違った。
それでも、空には戻らなかった。
そんな日の夕方、下宿にミナ宛ての手紙が届いた。
差出人を見て、すぐに封を開けた。
キリルからだった。
帰った知らせへの返事に、試験に向けて勉強を続けていることが書かれている。
魔法だけやっていればよいわけではなく、覚えることが多いらしい。
途中の一文には線が引かれ、少し小さな文字で書き直してあった。
『前にお前に話した、魔力を通す量を揃えるところ、俺もやり直してる。できたつもりだったけど、何回も続けると乱れるんだよ』
ミナは、その行をゆっくり読んだ。
『お前に教えたところで、俺が間違えるわけにはいかねえからな』
そこで少し笑った。
目の前にいたら、きっと照れたように横を向いて言う。
手紙の最後には、怪我をしていないかと、こちらでも無茶をするなと書いてあった。
自分も忙しいのに、ちゃんと聞いてくれるところは変わらない。
ミナは新しい紙を出した。
リュネールで採取を再開したこと。
料理屋で、仕込みの仕事を始めたこと。
ラグの料理がおいしくなっていて、教えてもらうことが増えたこと。
書いているうちに、返事が長くなった。
最後に、キリルが前に教えてくれたことは、今も練習していると付け加えた。
『また会ったら、できるようになったところを見せてください。私も、見てもらいたいです』
紙を乾かし、明日の予定を確かめる。
料理屋へ行く前に、この手紙を出そうと思った。
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