第152話 同じ材料はなくても
朝の市場には、まだ荷ほどきの終わっていない店があった。
木箱の蓋が外され、葉のついた根菜が並べられていく。濡れた石畳を箒で掃く音に、籠を下ろす音が重なった。
ミナは通りの端へ寄り、荷車が過ぎるのを待った。
隣にいるラグの籠は、まだ空だった。
「昨日の料理屋さんも、この辺りで買うんですか」
「品物によるそうです。量が多いものは、届けてもらっていました」
「お店だと、運ぶだけでも大変ですよね」
サハルの食堂で受け取った荷物を思い出す。
自分の夕飯とは、玉ねぎの数から違った。
「おう、ラグ」
通りの向こうから声がした。
革の前掛けをつけた男の人が、籠へ長いパンを入れている。
「この前の芋、家でも作ったぞ。子供が焦げたところを取り合ってた」
「それは、何よりです。器は割れませんでしたか」
「ああ。教えてもらった通り、家のかまどで使えるやつにした」
男の人の目が、ミナへ移った。
「こちらは?」
「旅から戻られた、ミナさんです」
「ああ、料理を教わったっていう。いつもごちそうになってるよ」
ミナは慌てて頭を下げた。
「私こそ、昨日は作っていただいて……」
「うまかっただろう?」
「はい、とても」
本人より先に男の人が嬉しそうに頷いた。
ラグは少し困ったように笑い、今日はミナが料理をすると伝える。
「そりゃ楽しみだな。じゃあ、またな」
男の人が店の並ぶ通りへ消えてから、ミナはラグを見上げた。
「昨日お話ししていた、工房の方ですか」
「ええ。料理の感想も、遠慮なく言ってくださいます」
言い終わる前に、今度は野菜の店から声がかかった。
「今日は何を作るんだい?」
ラグがミナへ顔を向けた。
自分が答える番だと気づき、ミナは空の籠を持ち直す。
「豆と、お肉の煮込みを。玉ねぎを見せてください」
*
玉ねぎは、すぐに選べた。
迷ったのは、豆だった。
店先には三種類の袋が並んでいる。
ミナは店の人に断ってから、持参した小さな包みを開いた。ルガンで買った豆を、手のひらへ二粒出す。
「これと同じものは、ありますか」
店の人は身を屈め、袋の中と見比べた。
「うちにはないね。小さいのなら、こっちだけど」
示された豆は、色こそ似ているものの、丸みが違った。
もう一つの袋には、少し大きく平たい豆がある。そちらはコルナでも使ったことがあった。
「こっちは、煮ると皮が残る方ですよね」
「そうだね。しっかり水に浸してから。急ぐ料理には向かないよ」
ミナは持ってきた豆を包みへ戻した。
ルガンのものも、産地や家によって使い方が違った。見た目が近いだけでは、同じように煮えるとは限らない。
「少ない量でも、量っていただけますか」
「いいよ。試す分かい?」
「はい。こちらの豆で、作ってみたいんです」
小さい豆を少し買い、扱ったことのある方も控えめに量ってもらう。
ラグが、二つの包みの重さを見た。
「本日の夕飯に間に合いますか」
「戻ってから水に浸します。でも、様子を見て、作るのは明日にしてもいいですか」
「もちろんです。豆に急いでもらうわけにもいきませんから」
ミナは笑って、肉を買う順番を後にした。
先に全部揃えてしまわなくてもいい。
市場を出る前にギルドへ寄り、近くの採取地の状況と、今出ている依頼を確かめた。
旅へ出る前に通った場所でも、採れるものが同じとは限らない。
受付で渡された案内を畳み、食材とは別のところへ収める。
今日は受注せず、持ち帰って考えることにした。
*
翌日の昼、台所の隅に、小さな器が三つ並んだ。
浸しておいた豆を、それぞれ茹でて取り分けたものだった。
ルガンから持ち帰った分は、比べるための少量だけ。残りは乾いたまましまってある。
「同じくらいの大きさでも、違いますね」
ミナは二つ目の器から豆を取り、匙の背で押した。
中は柔らかくなってきたが、皮はまだ少し硬い。
ルガンの豆を同じように押すと、ほとんど抵抗なく潰れた。
ラグも一粒ずつ味を確かめる。
「こちらは、噛むと豆の味が強いように思います」
「はい。煮崩れにくいなら、形を残したいときにはよさそうです」
ミナは記録帳へ短く書いた。
湯を足した時刻も、忘れないうちに残しておく。
作りたいのは、ルガンで教わった肉と豆の煮込みだった。
けれど、この豆が柔らかくなるまで全部を一緒に煮れば、玉ねぎも肉も、教わったときとは違う状態になりそうだった。
「肉を焼くのは、もう少し待ちますか」
ラグに聞かれ、ミナは鍋を見た。
別に、今この鍋へ肉を入れなければいけないわけではない。
「……豆だけ、先に煮ておけばいいんですね」
食堂でも、火の通りにくいものを下茹ですることはあった。
知っている方法なのに、教わった手順と見比べているうちに、同じ順番で進めようとしていた。
「柔らかくなってから、お肉の方へ合わせます」
「では、その間に準備ができますね」
ラグが玉ねぎの籠を引き寄せた。
*
肉は午前中、二人で買ってきた。
店ではラグが、切り分けられた端の部分を示していた。
「こちらは、煮込みに使えますか」
「使えるよ。薄く焼いて食べるには硬いけどね」
安いからと多く買う前に、ミナと今日食べる人数を確かめた。
昨日の男の人を思い出したのか、ラグが先に言った。
「今日は、増やしません」
その言葉を思い出しながら、ミナは肉を並べる。
ラグに配信してよいか尋ねると、頷いて、作業台の端を空けてくれた。
「こんにちは。今日は、ルガンで教わった煮込みを作ります。ただ、豆はこちらで買えるものを使うので、少し作り方を変えています」
水晶の位置を整え、手を洗い直す。
先に入っていた視聴者の名前に続いて、見覚えのある名前が増えた。
〈もふもふ:ラグさん、その前掛けはご自分のですか?〉
ラグが文字板へ目を向ける。
腰には、汚れの目立ちにくい茶色の前掛けが巻かれていた。
「はい。最近、必要になる機会が増えまして」
〈もふもふ:ありがとうございます〉
「……お礼を言っていただくことでしたでしょうか」
ミナは玉ねぎの傷んだところを取り除きながら、顔を上げた。
「よくお似合いですよ」
「ありがとうございます。紐も、扱いやすい長さに直してもらいました」
〈もふもふ:これからも使ってください〉
「そのつもりですが……」
ラグは前掛けを一度見下ろし、また文字板へ戻った。
ミナは置き場所を空けてから、切った玉ねぎを器へ移す。
「ラグさん、お肉を焼く間、豆を見ていただけますか」
「はい。こちらですね」
木枠へ器を収める音がした。
それからは、二人の手が別々の作業を進めた。
ミナが肉を返す間に、ラグが豆の硬さを確かめる。湯を足す前には、どのくらいかを二人で相談した。
以前一緒に採取をしていたとき、ミナが屈む間には、ラグが周囲を見てくれていた。
今日は、顔を上げると違う鍋を見ている。
「こちらは、もうよさそうです」
差し出された匙の上で、豆が柔らかく割れた。
*
鍋を合わせると、肉を焼いた匂いの中に、豆の甘い香りが混ざった。
火を弱めたところで、文字が届く。
〈夕餉係:先に豆を煮るなら、家でいつも使うものでも試せそうですね〉
「はい。ただ、今日試したのはこの豆なので、硬さを見ていただければ。皮が厚いものだと、もう少しかかるかもしれません」
〈夕餉係:うちのは大きめなので、分けておく方がよさそうです〉
ミナは頷いた。
自分がこちらの材料へ置き換えようとしているように、見ている人も、それぞれの台所のことを考えている。
鍋の底をそっと混ぜる。
汁が少なくなりすぎないよう、豆を煮た湯を少し足した。
ラグは別の器で、乾いた果実を柔らかく戻していた。
匙で潰す前に、一欠片を味見する。
「今日も、十分に酸っぱいですね」
「そんなに急には変わらないと思います」
ミナが笑うと、ラグは真面目な顔で頷いた。
「昨日、私がお伝えしたばかりでしたので。まず味見を、と」
〈もふもふ:丁寧なお仕事です〉
「ありがとうございます」
今度は、迷わずに返事をしていた。
果実は使う分だけを小皿へ移す。
持ち帰った量には限りがある。使い切ってしまう前に、こちらで買える酸味のあるものでも試してみたかった。
ただ、それは今日の鍋で一度に変えず、次に確かめることにした。
*
出来上がった煮込みを器へ盛ると、ルガンで作ったものより、豆の輪郭がはっきりしていた。
管理人の分を取り分けてから、ミナも席へ着く。
最初は果実を足さず、豆と肉を一緒に食べた。
豆の皮がわずかに残る。けれど、中は柔らかく、汁の味もなじんでいた。
次に、酸味を少し足したところを食べる。
思い出したのは、エナの家で囲んだ食卓だった。
同じ味ではない。それでも、食べる人が自分の匙で味を変えていた様子が、はっきり浮かんだ。
「ルガンでは、この味だったのですか」
ラグに尋ねられ、ミナはもう一口食べてから答えた。
「少し違います。豆も、お肉も。あちらで教えていただいたものの方が、もう少し柔らかく混ざっていました」
「そうでしたか」
「でも……教えてくださった方にも、これを食べていただきたいです」
ラグは、自分の器の豆を見た。
「ここでは、こうなりましたと?」
「はい。きっと、また違う作り方も教えてくださると思います」
エナなら、先に何を聞くだろう。
豆を買った場所か、肉の部位か。それとも、ミナと同じように、まず一口食べるだろうか。
食卓の向こうで、管理人がパンを小さくちぎった。
「私は、こっちしか知らないけどね。これはおいしいよ」
ミナは顔を上げた。
管理人は皿に残った汁をパンにつけ、もう一口食べている。
「ありがとうございます」
ルガンの料理を知っている人だけに、食べてもらうわけではない。
この味を初めて知る人の前に出す、一皿でもある。
ミナは自分の器へ匙を戻した。
冷める前に食べようと思った。
*
配信を終え、片づけまで済むと、台所は元の広さに戻った。
豆は少し残ったが、乾いた分だった。
買うときに迷ったもう一種類も、次の料理に使える。
ミナは残りの量を書き、包みへ戻した。
「次は、この豆で別のものも作れそうです」
「持ち帰られた材料は、まだありますか」
「はい。でも、全部使ってしまう前に、ほかの方法も試したいです」
今日は教わった料理を作った。
これから何度か作れば、こちらの材料の量や時間も、自分の記録帳に増えていく。
ミナは机へ移り、昨日ギルドで受け取った依頼の控えを開いた。
報酬の横に、採取する量と、持ち帰る状態が書かれている。
「お仕事を?」
「まだ、受けてはいません。明日、もう少し詳しく聞こうと思っています」
旅の前に通った道へ印をつける。
当時の記録だけで出かけず、最近歩いた人の話も聞いておきたい。
帰りの費用は残してあったが、旅の間には使ったものも多かった。靴の底も、次の遠出までには見てもらう必要がある。
「しばらくは、こちらで働きたいです。採取も、できれば料理のお仕事も」
ラグは紙を覗き、行き先を確かめた。
「日程が決まりましたら、私の仕事とも合わせて相談しましょう」
「はい。お願いします」
ミナは依頼の紙を、旅の記録帳の隣へ置いた。
戻ってきたばかりの下宿で、明日確かめたいことが増えていく。
「次の旅の分も、少しずつ貯めたいです」
ラグが頷いた。
ミナはまず、明日ギルドで聞くことを、紙の余白へ書き始めた。
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